Happy Halloween!



「トリックオアトリート!」

 雪村さん家のドアが開けられると共に、雪村さんの声で聞こえたそれはハロウィンの常套句だった。
 さすがに出会って早々玄関先で言われるとは思わなかった私は、目をぱちくりと瞬かす。次いで、ふふっと笑みを漏らした。

「随分いきなりですね?」
「うん。早く言いたくて?」

 自分のことながら疑問形のそれを首をこてんと傾けながら言う雪村さんに私は再び笑みを漏らすと、手に提げていた紙袋を掲げる。どうぞ、と差し出せば彼は笑顔でそれを受け取った。


 あの後すぐ、和やかに部屋に招かれ示されたいつものソファに腰を落ちつけると、雪村さんも隣に腰を下ろしてふぅと軽く息を吐いた。
 二人用のソファは隣に座れば自然と距離は近くなる。一瞬触れ合った肩に、どきりと胸が震えた。
 雪村さんはそんな私を気にもせず、先ほど私が手渡した紙袋の中身を早速確認している。
 かさりと小さな音をたてて取り出されるお菓子を詰めたビニールの袋。それに詰められているのはクッキーだ。南瓜や蝙蝠、お化け等、ハロウィンらしさを意識し模ったそれは、アイシングというものを初めて駆使してみたが我ながらなかなかの出来だったと自負している。
 クッキーの詰められた袋を手にしてそれをまじまじと見つめながら「手作り?」と訊く雪村さんに肯定の言葉を投げると、彼は口元に嬉しさを滲ませた。
 袋を留めたテープを剥がす彼の指は少し浮かれているように感じられる。そう感じるのは自意識過剰なのかもしれないが、喜んでもらえたと思えるそれに嬉しさで私も口元を緩ませた。
 開けた袋に指を入れ抓まれたのはお化けの形をしたクッキーだった。雪村さんはそれを口に運び、歯を立てれば軽い感触のそれは簡単にさくりと割れてしまう。
 もぐもぐと咀嚼する彼がちろりとこちらに視線を向けたのに気付き、ついじっと雪村さんを見つめてしまっていたことにハッとする。思わず恥ずかしさで、雪村さんに向けていた顔をパッと俯かせると、微かな笑い声が空気を震わせた。

「おいしいよ。ありがとね」
「い、いえ! 喜んでもらえてよかったです」

 俯かせた顔を上げ、再び雪村さんをとらえると彼は照れくさそうに笑っていた。しかしその表情はふっと思案顔に変わった。
 私がそれに小首を傾げると、雪村さんはふと思い至ったかのように声を発する。

「そういえば、名前ちゃんからのあの言葉聞いてないけど?」
「あ、そうですね。すっかり忘れてました。お菓子の用意してくれてるんですか?」
「まぁハロウィンだからね。ちゃんとトリートの用意はしてたよ」

 私が苦笑を溢しながらそう言うと、雪村さんはカーディガンの袖で口元を隠してもごもごと喋りながら、視線をついっと横に流した。
 そんな雪村さんに少しの疑問は浮かんだものの、たいして勘案せずに私は笑みを浮かべて例の台詞を発したのだった。

「では、トリックオアトリートですよ! 雪村さん!」

 トリート、つまりお菓子を用意してくれているとのことなので胸の前で両手を彼に差し出して言うと、雪村さんはズボンのポケットに手を入れ何かを取り出す仕草を見せた。目当ての物はすぐに見つかったようで、ポケットからさっと抜かれたその手に持っていたものはビニールでくるりと包んだ両端を捻って包装がされている飴のようだ。
 しかしそれが私の手元に置かれることはなかった。飴を手にした彼は片端を持ったままそれをビニールごと口に含んだのだ。
 微かに歯を立てて持っていた端を引っ張ると、雪村さんの手には飴を包んでいたビニールだけが残る。先ほどまでそれに包まれていた飴は見事に飴だけが口の中だ。
 私はふとよぎった嫌な予感に後ずさろうとしたが、それはもう遅かった。
 いつの間に掴まれていたのだろうか。腕を引かれ、距離がぐっと近づけば予想通り重ねられた雪村さんの唇。
 するりと侵入した柔らかな舌と、ころんと転がされた甘い飴。
 飴によって同じ甘さに染まった互いの吐息が混ざり合う。甘さにとろけてしまったような音色の声が、自らの口から漏れた。
 私の口の中では絡まる互いの舌の間で絶えずころころと飴が転がる。

「ん、んぅっ……」

 耐えても漏れる甘やかな声が恥ずかしい。
 思わずぎゅっと雪村さんのカーディガンの胸元を掴むと、離してほしいと訴えていると判断したのか、彼の舌は私の口内で転がしていた飴を攫って離れていってしまった。
 恥ずかしさでどうにかしてほしかったのは確かだが、だからと言って実際離れられてしまうと寂しくて、もどかしくて、自分でもよくわからない我が儘な感情が胸を占める。
 離れていく唇をキスに惚けた瞳で見つめていると、雪村さんの口端が楽しそうにくっと持ち上げられた。次いで聞こえたのはガリッと飴を砕いたような音。もう一度同じ音を響かせ飴をさらに細かくした雪村さんの唇は、再び私のそれと重なった。
 受け入れたくてもまだ理性の残る恥ずかしさで、唇をうっすらとだけ開くと、先ほどと同じように雪村さんの舌が入り込んできた。しかしその舌から受け渡される甘い甘い飴は今度は細かく、ザラリとくすぐるように私の舌を撫でる。
 鼻にかかったような耽美な声が雪村さんから漏れ聞こえて、身体の奥が熱を持ったような感覚を覚えた。
 砕かれ細かくなった飴の破片がザラザラと二人の舌を撫でながら溶けていく。混ざり合った甘い唾液が喉を通った。


 飴が溶けて消えると、漸く唇は離された。
 ずっと深く触れ合っていた唇では通常通りに息が出来なかったため、乱れた呼吸を整えようとして息を深く吸い込んだ時だった。深い口付けから解放された雪村さんの唇が、乱れた荒い息のまま、私の首元にするりと触れたのだ。
 吸い込んだ空気をそのままに、私の息がくっと止まった。

「ゆ、きむらさ……」

 触れる唇は肌の上をゆるりと動く。動揺が聞いて取れる私の声も気にせずに、雪村さんはゆるゆると動かした唇で私の皮膚を緩やかに食んでから、今度はかぷりと歯を立てた。

「ひっ、雪村さんっあの……っ」
「んー?」

 返ってきた声は覇気の無いような、ローテンションなものだった。それでも、それは声音だけで。その奥には熱情を秘めていることを、私はよく知っていた。
 再び首筋にかぷりと、軽い圧迫を感じる。続いて走る、ちくりとした刺激。
 思わず私が声を上げ、びくっと身体を揺らしたのを見る雪村さんは、私の肌に触れたままの唇に至極楽しそうに笑みを描いた。

「ハロウィンらしく、吸血鬼の真似でもってね」

 優しく、時には強く、何度も何度も噛み付き、ちゅうちゅうと首筋に吸い付く彼は本当に吸血鬼のようだ。けれど鋭く尖った牙なんて持っていない彼のそれでは皮膚を突き破ることは無く、当然ながら血は流れない。それでも転々と残っているであろう鬱血痕がその代わりなのだと思うと、ゾクゾクと背筋に甘い何かを感じた。
 ちゅっと音が聞こえる度に皮膚を走る甘美な刺激は、依然止みそうもない。
 淡々しく漏れる甘い声を抑えようと手の甲を口に当てて必死に耐えるが、時よりまるで零れ落ちた血を舐めるかのようにツツーっと舌を這わせられれば、身体は震え、抑えていたはずの声は雪村さんの術によって軽々と引き出されてしまっていて、羞恥に身体が火照った。
 依然続くいつ終わるかもわからない雪村さんの戯れは、毒のようにじわじわと私の意識を溶かしていく。
 結局、その戯れがやっと終わりを告げたのは、吸血鬼の毒に溶かされた私が最後まで美味しく食べられてしまってからのことだった。


「トリートと言われたのにトリックをされた気分です……」
「でも飴はあげたからトリックアンドトリートだよ。お得じゃない?」
「それ両方貰っても得なんてないですよ!」
「まぁでもさ、名前ちゃん悪戯嫌いじゃないでしょ?」
「っ!」

 雪村さんから限定ですけどね! なんて思ってしまった自分がいたが、その言葉に頷くのも癪というもの。悪戯のやり返しと、そして密やかな肯定の意味を込めて。
 私は雪村さんの甘い唇を奪ったのだった。



くろうさぎ