機械が繋ぐ音に乗せて



 デスクに向かってネタ帳と格闘していれば、傍らのスマホが静かに音を響かせた。
 画面を確認しなくてもわかる彼女だけのその音に、ネタ出しなんて後に押しのけたのは早かった。ネタを書きとめる為に握っていたペンはさっさと手放し、先ほどメールの受信を告げたスマホに持ち変える。電源ボタンを押して点いた画面をタップすると、そこには彼女からとは思えないような簡素で、単純で、とても真っ直ぐなメッセージが表示されていた。

 『会いたいです』

 真っ直ぐなそれに、自然と息が詰まった。
 絵文字がなく淡々とした色の無いただ一言。その一言が、たったそれだけの文字が、胸を熱くし、思わずスマホを持つ手にぐっと力がこもる。
 会いたい、なんて。それは寂しいと伝えてくれたようなものでしょ?
 寂しいだのなんだの、負の感情を普段言葉にしないような彼女はこのたった6文字をどんな想いで打ち、どんな想いで送信したのだろう。
 消極的な彼女がこんなことをするなんて、胸がきゅうっと締まるようだ。
 その感覚は、とても愛おしいものだった。


***


 あぁ、送ってしまった。送ってしまった!
 送信しましたと表示された液晶画面に触れた指をゆっくりと離した途端、恥ずかしさやら申し訳なさやらで胸のずっと奥がごちゃごちゃと騒がしくなるのをどこか他人事のように感じていた。それでもそれを意識したら最後、後悔で心が埋め尽くされる。
 お仕事の邪魔をしてしまっただろうか。でも、寂しかったのだ。寂しければ邪魔をしてもいいと言うわけではないけれど、それでも私の想いを伝えたかった。普段直接言葉になんて出来ないが、今なら、メールならいけると思ってしまったのだ。
 会いたいという素直な言葉に隠した私の想いも、気づいてほしいというめんどくさい我が儘も、彼なら許してくれるとずるいことを思ったから。
 あなたへの気持ちがそうさせたんだ、なんて。伝えたら彼はどう思うのだろうか。
 それでも不安な気持ちに、両手でぎゅっとスマートフォンを握りしめた、その時だった。不安がぐるぐると回る私の胸の内にはそぐわないような、キラキラとした明るい音楽が静かな部屋に鳴り響いた。
 突然自らの手の中から流れだしたその音に、ビクリと肩を揺らしてから、パッと音楽が鳴り続くそれを覗き込む。
 画面には、雪村透の文字が躍っていた。
 な、なんで電話!?
 こんなに早い反応は無いものだと思っていたし、メールの反応がまさかの電話だなんて思いもしなかった私は動揺を必死に抑え、ドキドキとうるさく鳴りだした鼓動も意識しないようにして応答をタップした。

「も、もしもし……」
「名前ちゃんこんばんは」
「あ、えっと、あのですね……!」

 必死に何か弁明しようとする私の声を遮るように、雪村さんは言う。

「あの言葉、言って」

 それは切なさに胸がぎゅうっと締め付けられるような、とても優しく穏やかで、静かな声だった。
 久しぶりに聞いた恋しく想う彼の声は、私の胸の内でぐるぐると渦巻いていた不安をさらりと軽く流していくようで、自然と言葉が滑り落ちてしまう。

「あ、あいたいです。雪村さんに、会いたい」

 喉を出た私の声は、電話口では伝わるかわからない程度に、微かに震えていた。

「うん、俺も。名前ちゃんに会いたい」

 静かな声は、私と同じ想いを紡ぐ。
 一度堰を切った言葉は、止まることなんて知らないかのようだ。

「ちょっと会えてないだけなのに、寂しくて、私、こんな、寂しがりやだったなんて、知らなくて……」

 途切れながらも私は必死に言葉を編んでゆく。

「あはは、うん、俺は知ってた」
「うそ。だって私は今気づいたんですもん」
「嘘じゃないよ。俺は名前ちゃんのことよく見てるからね〜」

 機械を通して聞こえるその声はひどく愉快そうに笑んでいた。
 その言葉に頬を染めればいいのか、伝わる笑みにむっとすればいいのかわからない。

「は、恥ずかしいです」
「そう? ……俺は、名前ちゃんが好きだよ」

 当然ながら、変わることなく機械を通して聞こえる笑んだ声。しかし今度は、秘めやかな甘さを含んだ笑んだ声だった。

「俺だって、会いたい。もっと言うなら抱きしめて、深く、触れたい」
「っ……」
「今度好きな時に俺の家においで」
「……明日でも、いいんですか?」
「あははっ! よろこんで」


***


 ぷつりと切れる音がして耳元に近づけていたスマホをゆるりと顔の前に持っていく。ツー、ツー、と通話が終了したことを告げる無機質な音を奏でる画面を消して、彼女から受け取ったメール画面に切り替えてからそれをデスクの端にごとりと転がした。

「会いたい、か」

 彼女が家を訪ねて来たらまず抱きしめて、唇を重ねて。それから――。
 明日の楽しみを思い描き唇には自然と笑みが浮かぶ。
 ゆっくりと触れ合える時間のために、俺は早々に手元のネタ帳にペンを走らせた。



くろうさぎ