I hope your day is special.



 8月13日。23時58分。
 スマホの画面の上部、通知バーの端に表示されている小さな時計をひたすら睨んだ。あと2分で日付が変わり14日になる。14日は雪村さんの誕生日だ。恋人としては0時ちょうどにお祝いしたいな、なんて思ってしまうもので。既にスマホの画面にはしっかりと伝えたいこと全てが打たれたメッセージが並んでいる。あとは送信ボタンを押せばいいだけの状態だ。
 ひたすら睨むスマホに表示されている時刻が変わる。23時59分。あと、1分。
 よし、もうすぐだ。
 次に数字が変わった瞬間すぐに送れる準備を、と誤って液晶画面には触れないようにして送信ボタンの上に指を滑らす。その時だった。突然鳴りだす音楽と、映し出すものの変わったスマホ画面。予期せぬ突然画面が切り替わるその事態に思わず、指が触れちゃった!? と一瞬慌てたものの、画面には『着信・雪村透』の文字が躍っていた。

「え、えっ!?」

 今の今までメッセージを送ろうと準備していた相手からのまさかの着信に、慌てる思考のまま訳も分からず通話ボタンをタップする。すぐにスマホを耳に当てると、聞こえてきたのは当然ながら雪村さんの声だった。

「こんばんは、名前ちゃん。起きてた?」
「は、はい、起きてました」
「だよね。すぐに電話出たもんね」

 耳に当てた機械の向こうからはくすくすと微かに笑っている気配が伝わる。
 これはもうわかっているのだろう。なぜそんなに早く着信に応えることができたのか、なんて。
 ちろりと部屋に飾られている時計に目をやる。秒針はもう50を切っていた。電話の向こうの雪村さんは何も喋らない。彼もやはり、時間を気にしているのだろう。
 カチッカチッと短いスパンで秒針が動いて止まる。あと、3秒、2秒……。

「お誕生日おめでとうございます、雪村さん」
「うん。ありがとう」

 電子機器を通した低く穏やかな声音が耳にすっと馴染む。
 彼はやはり当然のように私の言葉を受け取った。ほら。気づいてた。

「やっぱり声で祝われるのはいいね。名前ちゃんどうせメールで送ろうとしてたでしょ?」
「う、はい……」
「あぁ、それじゃあ今日中にまた、今度は直接言葉をちょうだい?」

 なにもかも見透かされてるようで落ち着かず、無意識にスマホを掴む手に力がこもった。
 耳元からはそんな私の様子さえもわかっているかのように、どこか楽しそうに笑う声が届いていた。
 はい、答える私の声に滲んだ嬉しさだって、笑みを描く唇だって、きっと彼は全てお見通しなのだろう。


***


 8月13日。23時58分。
 スマホの画面の上部、通知バーの端に表示されている小さな時計をじっと見つめる。あと2分で日付が変わり、14日は俺の誕生日だ。
 この歳になると誕生日なんて特に喜ばしいものではなくなっていて。いつもの日々よりお祝いの言葉がちょっと多く投げかけられるだけの、ただただ過ぎゆく1日だ。勿論お祝いの言葉は嬉しいけれど、毎年訪れる誕生日自体に特別な思いはなかった。しかし、今年は事情が違うのだ。
 早く数字が変わらないだろうかとの思いでじとっと時計に目を向ける。しかしここに来てはたと思う。彼女は零時にお祝いしてくれるのだろうかと。しかし彼女のことだ。きっと日付が変わり次第誕生日を祝ってくれるのだろう。
 メールで。
 なんて考えればふつふつと湧き上がるのは、声で祝ってほしいという思いだった。ならばそうしてもらおうじゃないか。
 時計を見ているだけだった視線を移動させて電話帳を視認し次第、俺の指は淀みなくそのアイコンをタップした。彼女の名前を見つければ再度スマホの隅に表示されている小さな時計へと目を向ける。59分。うん、もういいだろう。
 彼女への発信ボタンを押すと少しの間を置いて鳴り出す呼び出し音。その音は何度も繰り返されることはなく、パッと消えた。次に聞こえたのは愛しい彼女の戸惑った声。

「こんばんは、名前ちゃん」

 起きてた? なんて意地の悪い質問をぶつければ、彼女は依然戸惑った声で答えを返す。
 そう、名前ちゃんが起きていることなんて予想通りだ。しかしそう思うと同時に、予想通り俺の為に準備をしてくれていたことへ少しの安堵。その彼女の愛らしさか、はたまた自嘲か。思わず微かに笑みが漏れる。
 時刻の確認の為、今度はパソコンの時計に目を向けると、秒針はまだ数秒の余裕を残していた。
 耳に当てるスマホから彼女の声は途絶え、聞こえない。俺と同じように時刻を気にしているのかな。なんて考えると、感じるのはまた愛しさで。

「お誕生日おめでとうございます、雪村さん」

 控えめな声が鼓膜を揺らす。毎年言われてきた言葉だってのに、その言葉は特別な響きすら持っているようだった。待ちわびていた言葉に自然と頬が緩くなる。

「うん。ありがとう」

 この歳で、この言葉がこんなに嬉しく感じることが出来るようになるなんて思いもしていなかった。
 これ以上は発する声が喉元で詰まりそうで、彼女の声を頭で反芻なんて出来なくて。いつものように飄々とからかうように言葉を紡ぐと、名前ちゃんはぐうと唸る。その様さえまた可愛いから。

「それじゃあ今日中にまた、今度は直接言葉をちょうだい?」

 会う予定なんて入ってなかったけれど、誕生日だしこれくらい欲張ってもいいだろう。それに俺は彼女の返答を知っている。
 君の照れたように笑う顔を見つめながらおめでとうって言葉を届けてもらいたいんだ。
 笑顔を見せて、今以上俺を喜ばせてよ。

「はい!」

 聞こえる声に滲んでいた嬉しさは、きっと俺の勘違いではない。
 はいと答えたその唇に、綺麗な弧を描いていたらいいなと思った。



くろうさぎ