「……っ、あのさぁ、もっと、水かけるなら優しくしてよ」



 さすがにそろそろ部屋の掃除をしたいんだけど、俺一人じゃどうに片付ければいいのかわからないし、よかったら手伝ってくれる?
 雪村さんより受信したメールにはそんな文章が記されていた。


 約束した日に雪村さんの家を訪ねれば、全体的に大掃除を決行したいとのことだった。元々は洋室に散乱した本やゲームの片付けだけの予定だったのだが、いっそのこと、と思ったらしい。
 片付けの苦手な雪村さんは和室やお風呂等の掃除。洋室の片づけが私、という分担計画が提案された。曰く、「名前ちゃんなら立花君のように捨てようとしたりしないだろうし、俺が片付けやっても進まないだろうから」との判断からだった。
 なるほど、確かに一理あると、私はその分担に頷いた。
 散らばっている本やゲームの表紙には、目を瞑る覚悟をしながら。


 捨てるゴミや、本、ゲームの分類をして、どこに置くかなどわからないことは、たまに雪村さんに訊いていく。そうしてなんとか部屋を綺麗にしていった。
 最後に、出たゴミ袋の持ち手を結んで封をして、手をぱんぱんとはたく。ふう、と肺に溜めた息を吐きながら腰を上げた。軽く辺りを見回し最終確認を行う。
 よし、大丈夫だろう。雪村さんに報告をしなくては!
 綺麗に片付いた部屋に思わず笑顔が漏れる。嬉しさから軽くなる足取りで、お風呂掃除をしている雪村さんの元へと向かっていった。

「雪村さん、片付け終わりましたよ」

 お風呂場のドアを開け、中にいる雪村さんに声を掛けると、彼は首だけでこちらに振り向く。

「ありがとう。お疲れ様」
「お風呂掃除代わるので、確認して来てもらってもいいですか?」
「うん。あと泡流すだけだからお願い」
「了解です」

 ささっと終わらせてしまおう!
 胸の内で気合いを入れて、お風呂場の床に足をつけた。
 泡だらけになった手を流している雪村さんの横につき、シャワーを手に取る。雪村さんが水を止めたのを確認して、カランからシャワーへと設定を切り替えた。
 ハンドルを捻って水を出す。しかし捻った途端に噴き出した水の勢いは思っていたよりも強く。軽く握っていたそれはその衝撃で私の手から離れてしまった。泡が付着していていたことも手伝い、通常より滑りやすくなっていたのだ。

「あっ」
「うわっ!」

 咄嗟に漏れた私の声に重なる声は、雪村さんのものだった。
 それも、どたっと倒れ込むような音までプラスされて。
 も、もしや、とんでもないことをしてしまったのでは……。
 冷や汗をかきながら、恐る恐るそちらに目を向ける。手放されたシャワーから噴出される水が当たったのだろう。案の定、軽く服を濡らした雪村さんが、壁に背を付けて座り込んでいた。

「すっすみません!」

 シャワーは尚も床に向かいながら水が激しく噴き出し続ける。
 どうにかせねばと慌てた思考は、ハンドルを回し水を止めることよりも、まずはシャワーを手に取ることを選んだ。しかし、慌てて手に取ったシャワーの噴出口は、悲しきかな。雪村さんの方を向いていた。

「ちょっ!?」

 依然シャワーから放たれる水は、弧を描き落ちていく。雪村さんの頭上に向かって。
 水が向かってくる彼は咄嗟にぎゅと目を瞑って、腕を頭上に持っていく。その動作は水をガードするようにした結果のものだろうが、ほとんど意味を成さなかった。
 最初の水浴びの比ではないほど、彼はずぶ濡れだ。毛先からは雫がぽたぽたと滴る。
 自分のしでかしたことながら、掛けてしまった更なる追い打ちに、私の頭の中はもうパニック状態。水をもろに被った彼に平謝りつつ、やっとのことでシャワーを止められた。面目の無さに、ぎゅっとシャワーヘッドを胸に抱く。

「……っ、あのさぁ、もっと水かけるなら優しくしてよ」

 眉を吊り上げ、むっとした表情で彼は言葉を投げた。
 咎めるようなものではない、冗談交じりのような言葉だった。
 しかしそれに笑うことは出来ない私は、何度目になるかもわからない謝罪を返す。申し訳なくて俯くしかない。
 けれど、既にやってしまったことは、萎れていてもどうにもならないのだ。
 まずは濡れてしまった雪村さんをどうにかしなくては。
 タオルを持ちに行くため、胸に抱えていたシャワーをタイルに置いて立ち上がった。

「今タオル持ってきま……ひゃあ!」

 しかし、私が立つと同時に雪村さんも立ち上がる。彼は立ち上がる動作のままに、下に置かれたシャワーを手に取った。すると素早くハンドルを捻ったのだ。シャワーが向かう先は私で。逃れる間もなく、見事に水を浴びてしまった。
 先ほどの彼のように水を掛けられ、短く悲鳴を上げてぶるりと身体を震わせる。

「これでおあいこね」
「うぅ、事故でも水をかけちゃった私が悪いのですけど……わざとかけるのはさすがに酷いです……」
「あはは。ごめんね、つい」

 彼は笑いを浮かべて言う。発した声もそれはそれは楽しそうな声色だ。
 笑う様子に私は思わずむくれてしまう。むっとじと目で彼を睨むと、笑いが収まった彼は今度は淡々とした口調で発する。

「はー。それにしても、透けた服エロ」
「わっやだっ、見ないでください……!」

 雪村さんの言葉に、咄嗟に胸の前で腕を交差させ、服を隠した。
 動き回っていたから暑さを感じたので、薄着になっていたのがアダとなってしまった。
 感じる羞恥でうっすらと涙が滲む目で、雪村さんを仰ぐ。抗議の意味を込めて彼を睨んだ。
 しかし当の彼は何食わぬ顔だ。それどころか私を見つめ口端をくっと吊り上げる。遊び相手を見つけたような、楽しそうな笑みだった。

「無理。それにその仕草と顔が相まってムラっときた」

 笑みを浮かべたまま、彼は言葉を吐き出した。その声は低く、表情に反してどこか切羽詰ったようなものだった。
 いつの間にか掴まれていた腕を、強い力で引き寄せられた。
 あまりに突然のことで、脳は誰が何をしたのか理解できずにいた。でもそれが出来るのは、雪村さんしか有り得ない。
 唇は彼のそれで塞がれていた。
 深い口付けを絶え間なく与えられて頭がクラクラしてくる。耐えられず脚からは力が抜けると、お風呂の淵に腰がついた。
 逃げられない甘い口付けが恥ずかしい。少しでも逃げたい一心で、伸ばした手はなにか硬いものを掴んだ。
 尚も絡む舌がより深く探ってきて、反射でそれを掴む手に力を入れてしまう。
 途端、冷たい水が頭上から降り注いだ。

「うっわ!」
「っ!」

 突然のそれに、深く触れていた唇は一切の余韻もなくすぐに離れていった。
 雪村さんの吃驚した声があがったが、私の方は突然の衝撃と、口付けで溶かされた脳で声は出せなかった。
 しかし先ほどの熱さと一転、降り注がれる水で心頭共に冷えていく。
 や、やってしまった……。
 手を置いたままのハンドルを逆側へ回す。そうっとシャワーを止めると、静かな空間にキュッと栓が締まる甲高い音が響いた。残った水が垂れてぽたりとタイルに当たる音が聞こえる。
 ど、どうしよう……。
 彼を見ないように目を伏せたまま、ハンドルから静かに手を離そうとした。
 その時。そこに雪村さんの手が重なった。
 思わずヒッと悲鳴を上げそうになったが、すんでのところで呑み込む。
 本日3度目になる水浴びをした雪村さんは、ただただ沈黙を落とし、何も言わない。
 だが、このままでいるわけにもいかないのだ。私が動かねばならないことは重々承知していた。
 誠心誠意謝ればきっと許してくれるはず。
 俯いてた顔を恐る恐る上げていく。
 そろそろと雪村さんを見上げるとそこには、私を見下ろし、薄く笑みを浮かべる雪村さんがあった。

「ヒッ」

 今度は悲鳴を呑み込むことは叶わず、上擦った悲鳴が思い切り漏れた。

「あーあ、二人ともここまで濡れちゃったし、冷えて風邪でも引いちゃいけないし。仕方ないよね。一緒にお風呂にでも入ろうか」

 この状況で抵抗していい権利など、もはや私にはないのだった。



【元ネタ】GAちゃんねる2015年8月13日配信/再生時間53:10付近
Gファン付録 雪村お風呂ポスターアテレコ台詞より
(話の都合上最後のあれは外してます)



くろうさぎ