漫画資料を口実にデートする話



 ことの発端は数日前。自室でベッドに転がり、鼎との通話を終えた後のことだった。
 さてそろそろ寝ようかと、スマホを充電器に挿した瞬間、手の中でヴヴッとスマホが震えた。
 あれ? 鼎からかな?
 仰向けに寝そべり充電器を挿したまま画面を点ける。そこにはメールの受信通知が表示されていた。
 なんだろう。
 寝る前に確認しておこうと、通知をタップする。
 送信者として表示されていたのは想い人の名前だった。

「えっ!?」

 雪村透さん。
 そう表示された名前を目にして、寝転んでいた体は勢いよくがばっと起き上がる。
 な、なんだろう。どうしたんだろう。
 突然のメールに動揺し、鼓動は早く脈を打つ。
 ベッドの上に座ったまま、恐る恐るメールに目を通した。
 “今度の土曜日空いてる?”
 それだけ記された、簡素なメール。しかし内容を理解するのに数分を要した。
 やっと内容を呑み込み、動揺を押し殺しながら必死に文字を打つ。
 “空いてますよ。なにかご用でしょうか?”
 雪村さんに合わせて簡素な方がいいのだろうか。そうは思ったものの、少しでも可愛く思われたいと、ハテナの後には笑顔の顔文字を添えた。
 こんな簡単で短い文でも、何度も何度も誤字の確認をしてから送信ボタンに触れる。
 返信はたいして時間を置かずに届いた。
 私はすぐにメールを開く。
 “漫画の為に海岸近くの岩場の資料が欲しいんだけど、海って1人じゃ行く気になれなくて。付き合ってくれない?”
 1文字ずつ読み進めて、再度思考が止まる。
 これはなんか、デートっぽくない? いや、雪村さんからしたらそんな気はないだろうけど。それでも私からしたら、デートみたいだなって浮かれてしまう内容で。そんなの、断る理由なんてない。
 私は一も二もなく承諾したのだった。

***

 ついに雪村さんとの約束の日になった。
 自宅を出る前に鏡を覗き最終チェック。
 服装よし、髪型よし、メイクも普段より気合を入れた。うん、可愛い。問題ない! よしっ!
 ガッツポーズを作るようにぎゅっと拳を握って気合いを入れる。
 上がる口角が抑えられないまま、外へと飛び出した。

 待ち合わせの駅に着いたのは指定時間の20分程前だった。
 雪村さんはまだ来ていないだろう。どこで待っていればわかりやすいだろうか。
 きょろきょろと辺りを見渡すと、花壇脇のブロックに腰掛けながら、こちらにゆるゆると手を振っている人が目に映る。
 それは紛れもなく雪村さんだった。
 まさか、もう来ているなんて!
 遅刻だけは避けねばと早めに来て正解だったようだ。

「すみません! お待たせしてしまいましたか!?」
「いやいや〜、まだ待ち合わせの時間にもなってないんだから」

 急ぎ慌てて駆け寄ると、気にしない気にしない、と袖の長いカーディガンをゆったりと左右に揺らしながら、雪村さんは穏やかに迎えてくれた。

「誘ったの俺だしね。それにこういう時待つのは男の仕事でしょ?」
「そういうものですか? でも……」
「まぁまぁ。ほらほら名前ちゃん行くよ」

 眉尻を下げ申し訳なさげに言う私に、雪村さんは言葉を投げかけるとさっさと前を歩き出す。
 慌てて私も動き出したが、雪村さんは歩くスピードを緩めてくれているようだ。私がすぐに追いつき横に並ぶと、横目でチラッとこちらを確認したようだった。
 雪村さんの後を追って改札をくぐった。

***

 電車に揺られ、乗り換え、また電車に揺られ。
 思っていたより目的地は近くなく、時間もかかったが、道中退屈になることはなかった。
 それはそうだ。だって好きな人といるのだから。
 たまに話が途切れても、横に雪村さんを感じられればそれだけで幸せだった。時々彼を横目でちらりと見てドキドキしたり、浮かれてる自分を恥ずかしく思ったり。それさえ充実した時間だった。
 ただ、雪村さんはどうだろうか、私といて退屈ではないだろうか、なんて思ってしまうけど。

***

「着いた〜。はぁ〜電車つかれたぁ」
「長旅でしたからね」

 改札を抜け、駅から出ると、雪村さんはぐぐぐ、と組んだ両手を挙げて伸びをする。
 まだ海は見えない。ここから少し歩くようだ。
 スマホでナビを見ながら進む雪村さんの隣を歩く。
 あ、あそこの花綺麗ですね。とか。こんなに暑いとアイス食べたくなるね。とか。
 他愛のない会話を紡ぎながら進んでいくと、すぐに海が見えた。
 磯の香りを含んだ風が髪を揺らす。
 浜辺は海水浴を楽しんでいる人々で溢れ返っていた。

「行きたいのは岩場だからもうちょっと奥行かないとかな」

 柔らかく海風に揺られる髪を抑えながら、海岸沿いの道をさらに歩く。
 海、キラキラしてて綺麗ですね。天気良くてよかったですね。
 雪村さんは、そうだね、と緩く笑いながら相槌を打つ。
 暫く歩き、人が落ち着いてきた所で砂浜に降りた。
 砂の上にふたりの足跡が並んでいく。

「そういえば、水着持ってきてないの?」
「え、漫画の資料の為って言っていたので、遊ばないものだと思ってたんですけど……」
「うん。俺は入る気ないけど。せっかくだし名前ちゃんの水着見れないのかなって」
「持ってきてないですし、恥ずかしいので着ません。残念でした!」

 私が悪戯に笑いかけると雪村さんはぷぅ、と頬を膨らませていじけるような表情をした。
 そんな様子が可愛くて、私は声を出して笑った。 

 やっとそれっぽい岩場にたどり着く。
 雪村さんはスマホを取り出し、いろんな角度から写真を撮りだした。

「あ〜いい! 浜辺からは見えないのに逆に回ると海からは丸見えでこれはいいシチュエーションになるやつ! 辱めが捗る〜!」

 ……テンション上がってるようで何よりだ。
 岩場の陰に入り見えなくなった雪村さんを覗くと、こちらに気づいた彼は手招きをしてきた。
 ごつごつとした場所もある為、転ばないように足元に気を付けて近づいていく。

「サイズ感残しておきたいんだけど、ちょっとここ立ってもらえない? 名前ちゃんごと写真撮ってもいい?」

 いいですよ、と承諾して指示された場所で足を止めた。
 大きい岩のすぐ手前。そびえ立つ岩壁を背にしてそこに立つ。 
 カシャッと1度音がした。

「立ってるだけでいいんですか?」

 私がそう問えば、雪村さんは少し瞠目し、それから思案するように顎に手を置く。

「え? ポーズお願いしていいの?」
「……私ができるものなら」

 言ってから、やってしまったか? と内心焦る。
 なんせ彼の描く漫画のジャンルはSMエロ漫画だ。
 後悔先に立たずとはこのこと。
 とはいえ危ういポーズは無理だ。リクエストされても断ろう、と心に誓い彼の言葉を待つ。

「えー、じゃあ……」

 雪村さんはスマホを触り、なにかを探る仕草をする。

「これ」

 そうして見せられた画面に映されていたのは、脚を左右に大きく広げて腰を下ろしているグラビア画像だった。
 いわゆる、M字開脚とやらだ。

「無理です!」
「だよね〜」

 即座に拒否する私に、彼はわかってましたという表情で、口を尖らせながら言う。
 本当に期待を裏切らない人だと思う。悪い意味で。
 正面にいる雪村さんを、眉を寄せて軽く睨んだ。

「ごめんごめん。じゃあねぇ……う〜ん。いい見本ないな……ちょっといい?」

 そう言うと、雪村さんは私の肩を掴んで、私をくるりと反転させる。
 先ほどまで岩壁に背を向けていたが、変わって岩壁に向き合うように立たされた。
 急に動かされたこともあるが、肩に触れた手を意識してドキドキと心臓が忙しく騒ぐ。
 すぐに離れた彼の手は、今度は両手に重なった。またしても私に触れる雪村さんの手に心臓が跳ねる。
 雪村さんに誘導されるがまま、目の前の岩壁に両手を置いた。
 するりと彼の手はまた離れていく。
 後ろにいる彼は、今度は私の腰に手を置く。
 緩く掴まれビクリと身体が跳ねた。そのまま腰をくっと軽く引かれた。
 小さく腰を突き出すような恰好だ。
 わ、ちょっとまって。これ、まって。
 嫌なところが見えるようなポーズではない。けど、これ、たぶん、そういう、恰好でしょ?
 意識した途端、顔に熱が集まる。困惑と、羞恥心で目が潤む。

「ゆ、雪村さん……これ、やだ、だめです……」

 首を回し、後ろにいる雪村さんを見上げて訴えた。
 きっと顔どころか耳まで真っ赤に染まっているだろう。
 本当は、雪村さんに触れられることは、嫌ではなくて。緊張するけど、嫌じゃなくて。
 でも、こんな状況では、とてもじゃないけど、恥ずかしすぎて、死んでしまいそうで。

「ごめん!」

 私の状態に気づいた雪村さんは慌てて手をパッと離した。
 先ほどの冗談交じりの謝罪とは打って変わって、今度は真剣な声音が耳に届く。
 さっきまで私に触れていた雪村さんの手に視線を落とした。
 あんなに恥ずかしいなんて思っていたのに、離れる熱が寂しいとも思う。自分の気持ちがわからず混乱してしまう。

「本当にごめん……写真はもういいから」

 羞恥と緊張と混乱と。
 すぐに声が出せなくて、こくこくと必死に頷く。
 心を落ち着けたくて、きゅっと胸の前で両手を握った。

「帰ろうか」
「はい……」

 やっと出せた声は蚊が鳴くような声だった。

 ふたりで来た道を無言で戻る。
 砂浜にふたり分の並ぶ足跡があった。あれは来た時の私たちの物だろうか。
 今、雪村さんはなにを考えてるのだろう。申し訳のなさに自己嫌悪してしまっているのだろうか。
 確かに恥ずかしい恰好をさせられて、戸惑いはしたけど、雪村さんのことを嫌いになるなんてことはなくて。
 このまま気まずい空気で帰りたくは無い。

「雪村さん……」
「……なぁに?」

 進む雪村さんを引き止めるように、カーディガンの裾をくいっと掴んだ。
 歩みを止め、雪村さんは私を見下ろす。
 なにかを考えているように、微かに眉間にしわが寄っていた。
 私は彼を見上げ言葉を続ける。

「あの、……場所とか、恰好とか、いろいろ恥ずかしかっただけで、……その、雪村さんと一緒にいるのとか、触れられるのも嫌じゃなくて……」

 目を合わせて言いたかったが、だんだんと気恥ずかしくなってきて、つい、っと視線を横に流す。次いで足元、カーディガンを掴んだままの指先、など、視線を定めることができないまま、言葉を紡ぐ。

「帰り道もいっぱい話したいですし……また、資料探しに行くなら、私も一緒に行きたいです……」

 精一杯の勇気で再び雪村さんの瞳を見つめて言い放つ。
 眉間に寄せられたしわは消えていた。
 眼鏡の奥で、丸く見開かれた黒い瞳が揺れる。

「また誘ってもいいの?」
「……誘ってほしいんです」
「また写真お願いするかもよ?」
「それは、まぁ、私の許容範囲をちゃんと考えてもらって……」
「うん、そうだね。じゃあどこまで大丈夫なのか帰り道にしっかり聞いとかないとなぁ」

 彼は悪戯っ子のように、にやりと微笑んだ。
 もう調子を取り戻したようだ。
 もう少し落ち込ませてた方がよかったかな? なんて、冗談を思う。
 そんなこと出来ないけど。落ち込んでる雪村さんなんて見たくないから。
 いつもの雪村さんに戻って良かった。

「ほらもう! 帰りますよ!」

 ずっと掴んだままだったカーディガンを引っ張った。
 雪村さんが動き出すのを待たず、私は先に歩き出した。



くろうさぎ