あ、そういえば。
「今月末にお祭りがあります」
「は……はい」
なんの脈絡もなく、俺は言葉を投げかけた。
いきなりどうしたんだろう、彼女はそんな表情を浮かべていた。
「名前ちゃんの浴衣姿が見たいです」
「へ? 浴衣、ですか?」
「うん。お祭り行こうよ」
一瞬考えるような間が開いて、不安感が俺を包む。
え、もしかして俺、断られるの?
そんな心配は杞憂だったようで、彼女は頬を染め、嬉しそうに頷いた。
***
「雪村さん! お待たせしました!」
声を掛けられ、スマホに落としていた視線を上げる。
名前ちゃんは急いで来たのか少し息が上がっていた。頬は紅潮しており、露出された首元と相まって妙に色っぽい。
「走って来たの? そんなに急がなくてよかったのに」
「雪村さんの姿が見えたので……待たせちゃったかなと思って」
「大丈夫だよ。今来たとこ」
待ち合わせの常套句を述べてしまい、気恥ずかしさに一瞬目を逸らしてしまった。
しかしすぐに目線を戻して名前ちゃんの浴衣姿をじっと眺める。
彼女はリクエスト通りに浴衣を着てくれていた。髪も綺麗に編み込まれ、髪飾りのリボンが揺れている。
浴衣は白地のため清楚でありつつも、薄桃や薄紫の花弁が幾重にも重なった花が所々に散られており、華々しさも感じられる。
メイクも普段と違うのだろうか。唇がいつもより紅く艶めいているように思えた。
「浴衣着てくれてありがとうね。可愛い」
しっかり名前ちゃんの目を見て言葉を伝えると、彼女は目をぱちくりさせた後、かぁぁ、と顔を赤くした。よく見ると耳まで赤く染まっている。
そんな彼女がさらに可愛くて思えて、つい笑ってしまった。
「あははっ! 赤くなりすぎじゃない?」
「だってそんな急に言うから! 恥ずかしいじゃないですか……!」
赤くなった顔を手で隠しながら言うから、その手を掴んで引っ張った。
「ほら、行くよ」
彼女の手を引き、だんだんと増える人ごみの中に足を踏み入れた。
名前ちゃんの
ガリ、パキッと微かに音を立てて飴が割れた。齧られた断面からはみずみずしいいちごが覗いている。
「美味しい?」
「おいしいです!」
名前ちゃんは口の中のいちご飴を嚥下してから、にこにこと満面の笑みで頷いた。
続いてもう一口、半分残っているいちごを口に含んだ。カリっもぐもぐ、ごくり。いちご飴が彼女のおなかに収まっていく。
じっとその様子を眺めていると、ごきげんな名前ちゃんは残りふたつになったいちご飴をこちらに向けた。
ふわり、いちごの濃くて甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「はい、あーん」
いちご飴を差し出す名前ちゃんは、相変わらず笑顔で楽しそうに俺を見つめている。
……今日なんか積極的?
お祭りテンションなのだろうか。
まぁ積極的なのはいいことだ。普段からもっと積極的に来てくれてもいいくらいだし。あーんなんてラッキーだ。
これ幸いと、差し出されたいちご飴をひとつ、一口でさらっていく。
ガリガリ、もぐもぐ。硬い飴が咀嚼する度に溶け、柔らかいいちごと混ざっていく。うん、甘くて美味しい。
ちなみに俺はチョコバナナを勧めたが、却下された。曰く、なんか目的がやらしそうでやだ、とのこと。
まったく心外だなぁ。ちょっとしか考えてないのにね。
そんなことを思いながら名前ちゃんを横目で見ると、最後の一欠片を口にしていた。
お祭りの雑踏の中を進んでいくと、並んで歩いていた名前ちゃんの足が止まった。繋いでいた手がくんっと引かれ、俺の足も必然的に止まる。
「射的……」
名前ちゃんがぽつりと呟いた。
彼女の目線の先には射的の屋台がある。棚にはお菓子やおもちゃが並んでいる。一番上の棚には有名なゲーム機やトイガンの箱まで並べてあった。あれ絶対固定されてるでしょとか思ってしまうのはご愛嬌。
「やる?」
俺の問いかけに名前ちゃんはちらりと俺を見上げる。
何を悩んでいるのだろうか。
無言の時間が続くが、俺は黙って彼女の言葉を待つ。
数秒間そうして逡巡した後、彼女は少し言いづらそうにしながらも口を開いた。
「雪村さんが射的してるとこ見たいなぁって……」
まさか自分で射的をやりたいのではなく、俺にしてほしいとは。
思ってもみなかったことに驚いて目を丸くしてしまったが、瞬時ににやにやとした笑みに表情を変えた。
「俺のかっこいいとこが見たいって? え〜仕方ないな〜」
「うっ……だって普段見られないですし……」
あ、否定はしないのか。
名前ちゃんは目線を落とし、決まりが悪そうに言う。
そんなに申し訳なさそうにする必要なんてちっとも無いのに。
冗談交じりの言葉だったにも関わらず、否定されなかったという事実に、自分で投げかけておきながら恥ずかしくなってしまう。
それと共に、嬉しいとも思ってしまって。
上がる口角に気づかれないように、カーディガンの裾で口元を隠した。
「普段のはスコープがあるから出来ることではあるけど……ってなんか言い訳みたいでダサいね」
言ってから、早々にかっこ悪いなぁ、と、思わず苦笑を浮かべた。
実際射的はしないから当たるかどうかは不安なところだ。でも、できればかっこいいところを見せたい。
射的のおじさんに声をかけお金を渡す。
景品ゲットの条件は棚から落とすことだそうだ。
貰ったコルク玉は5つだった。
「なにか欲しいのある?」
「あっあの猫のぬいぐるみどうですか?」
中央の棚の右側、名前ちゃんが指差す先にあったのは黒猫のぬいぐるみだった。ジト目が気になるがまぁまぁ手触りが良さそうだ。
あれは固定されてないといいなぁなんてひねくれたことを思う。
銃のレバーを引き空気をためる。机の上に銃を立て、銃口にコルク玉を親指でぐっと押し込んだ。
銃がぶれないように右肘を机に置き、さらに左手で銃身を支える。頬を柄に密着させ、標準を定める。
とりあえずこんなものだろうか。銃の癖がわからないから1発目は試し打ちかな。
引き金に掛けた指に力を込めた。
ポンッと小気味好い音を立てて、コルク玉が放たれる。飛んで行った玉はぬいぐるみから1センチほど左に逸れた。
「わ、惜しい!」
「次、当てるから」
再度同じように玉を込め、銃を構える。
さっきより右。ここで止めて。
銃口からコルク玉が飛んでいく。ぼすっ。ぬいぐるみの胴体にヒットした玉が弾かれる。
ぬいぐるみは倒れはしなかったが、衝撃で後ろに下がっていた。
「すごい! 2回目で当てちゃうんですか!?」
「落ちなかったけどね。何度か繰り返せばいけそうかなぁ」
「いけそうですよ!」
楽しそうにはしゃぐ名前ちゃんを見てるとこっちも嬉しくなってくる。
あと3発で落とさないとなぁ。再度ぬいぐるみに向き合った。
3発目。ヒット。ぬいぐるみはさらに後退した。これは次当てれば落ちそうだ。
4発目。ヒット。ぬいぐるみは後ろに倒れながら、棚から落下した。ぽすんっと下に敷かれた布の上に黒い猫が横たわっていた。
カランカラーン! 店員のおじさんがおめでとうと言いながらベルを鳴らす。
わぁ、目立つ。やめてほしい。
「すごいすごい! 雪村さんやっぱりスナイパーとして活躍してるだけありますね!」
おじさんから景品を受け取った名前ちゃんが、ぎゅうっと黒猫のぬいぐるみを胸元に抱きしめながら嬉しそうに言う。
ちょっとまって羨ましいんだけど。そこ変われ。
ジト目の黒猫をジトっと見つめてしまった。
なんかドヤ顔に見えてきたし、むかつく。
「ありがと。あと1発どうしようか」
そんな心は知られぬように、なんでもない顔で俺は残り1発のコルク玉を込める。
「すぐ落ちそうなお菓子とか狙いますか?」
「うーん、そうだね。あ」
ふと思い立ち、俺は机に置いていた肘を上げ、立ち上がった。
引き金に手をかけている右手だけで、銃身を支えて立つ。
これで当たったらもっとかっこよくない!?
最後までチョコたっぷりがうたい文句のお菓子の箱に狙いを決めた。標準を定める。
ここだ! えいっ。
勢いよく飛んだコルク玉は、並ぶ景品同士の空間を通り抜け、後ろの布にぶつかった。
***
月城荘204号室。俺の家。
鍵を開け、ドアノブを掴んだ。
「どうぞ〜」
「お邪魔します……」
「あ〜疲れたぁ〜」
トテトテと廊下を進み、部屋へ入るや否やソファにどかっと腰を下ろす。
ぽんぽんと隣を叩くと、名前ちゃんも横に腰を下ろした。
黒猫のぬいぐるみは大事そうに膝の上に乗せられている。
「雪村さん人ごみ苦手ですもんね。余計疲れましたよね」
彼女はくすくすと笑みをこぼしながら言う。
確かに人ごみは好きじゃない。それどころか嫌いな方だ。
でも、ふと、そろそろお祭りがあるなと思い出した時に、浴衣姿の名前ちゃんを見られないのは寂しいなって思って。それで、いっそのこと名前ちゃんとお祭り楽しめればなって。
好きな人となら苦手なところも嫌じゃなくなるものなんだと思えて。
そんな俺がいたんだと、心の中で自分に笑った。
「まぁね。でも名前ちゃんの浴衣姿見れたし、誘ってよかったなぁ」
「私も雪村さんとお祭り行けてよかったです。浴衣は緊張しましたけど……」
「着付けとか大変だったでしょ、ありがとうね」
「一生懸命練習しましたよ。もう手本見ずに出来そうなくらい」
名前ちゃんはふふっと笑う。
……え、まって。それってここでも直せるってこと?
別に邪な思いがあって自分の家に連れてきたわけではなかった。なかった、が。
「名前ちゃん」
「なんでしょう……んっ」
そっと首筋に唇を寄せると名前ちゃんは恥ずかしそうに顔を背けた。
さらけ出された首筋から伝って、うなじにもキスを落とす。
「ずっと首元色っぽいな、やらしいなって思ってた」
「っ……」
「自分で浴衣着れるなら乱れても問題ないよね」
「問題大ありです!」
「大丈夫、もったいないから全部脱がさないし」
「そういう問題じゃなっ、ぁ、やっ」
まだまだ今日は終わりそうにない。
これから先は俺しか知らない浴衣姿を堪能できそうだなぁとほくそ笑む。
布が重なってるだけの裾部分から手を忍ばせ太腿に触れると、黒猫のぬいぐるみが彼女の膝から転げ落ちた。
思えば俺は景品貰ってないし。これはもう名前ちゃんからご褒美貰わないとね。
床に寝そべりジトっとこちらを見つめる黒猫を尻目に嘲笑った。