火の花で灯るは熱と



「蛍! 合宿やるぞ!」

 バーン! と勢いよく立花宅の扉を開け外からそう言い放った声は松岡さんのものだった。
 蛍の部屋にお邪魔させてもらい、一緒に夏休みの課題をしていた蛍と私は(ちなみに鼎とも約束していたのだが夏風邪をひいたらしい)突然の声にビクッと二人して肩を揺らすと、部屋と廊下を隔てるドアへと顔を向ける。
 そのまま目をぱちくりとさせる私と相対して蛍ははぁ、と溜め息を一つ吐きながら軽い動作で立ち上がり廊下へと姿を消した。

「い、いきなり何事ですか!」
「いやぁ鍵開いてたからついな。いいじゃねぇか、俺とお前の仲だろ?」
「親しき仲にも礼儀有りという言葉がありましてですね!」

 ……大丈夫だろうか。
 無礼だ! と、憤った蛍に松岡さんは殴られたりしないかな。いやさすがにそれはないか。
 とは思いつつも多少の心配要素を感じた私は腰を上げ、開けられたままの扉口へと近づいた。

「あれ、名前ちゃんじゃん! 遊びに来てたんだ? いきなりごめんね〜」

 扉口からひょっこりと顔を出し玄関先を覗き込めば、目ざとく私の存在を見つけた松岡さんは片手を上げにっこりとこちらに笑いかける。
 声だけでは松岡さんしかわからなかったが、目で確認してみれば来ていたのはどうやら松岡さんだけではなかったようで、少し後ろに雪村さんと春樹さんの姿もあるようだった。

「こんにちは。合宿がどうのって言ってましたけど急にどうしたんですか?」

 多少なりとも関わりはあるメンツだ。知り合い相手に挨拶だけで引っ込んでしまっては失礼だろうかと、とたとたと小走りで近寄り、玄関先の廊下に立っている蛍の横へ並ぶ。

「そうそう、また合宿やろうぜって話になってな。善は急げってんで蛍に声掛けに来たんだ。参加するだろ?」
「合宿ですか! 勿論立花も参加致しますよ! 楽しみです!」
「ははは、だよな! だから――」

 どうやら蛍と松岡さんの会話はそのまま続いていくようだ。サバゲー仲間である二人も一緒に来たということはメンバーでの会話もしたいだろう。
 本音を言えば滅多に会うことのない雪村さんと少しお話したかったが、このメンバーが集まってしまえば私には入り込めない分野だ。顔を見れただけで良しとしよう。
 そう思い、蛍と熱く話し込んでる松岡さんはともかく、雪村さんと春樹さんには会釈をしてから後ろの部屋に戻ろうと二人に視線を向けると春樹さんに声を掛けられた。

「名字悪いな、邪魔しちまったようで」
「いえ! 大丈夫ですよ。むしろ私がお邪魔かなって思って。部屋に下がってますね」

 そう告げ軽くお辞儀をしようとした時だった。

「あ! 名前ちゃんも参加する?」

 なぜ急に私の名が挙がったのだろうか。

「え!?」
「は!?」

 私と春樹さんの驚きに染まった声が重なる。
 蛍は顔をキラキラと輝かせ、雪村さんは微かに目を丸くしてただ松岡さんに目を向けていた。

「え、えぇっと……なぜでしょう……?」
「居合わせたのもなにかの運命かなってな!」
「そもそも私はサバゲー部外者ですけど……」
「いやーむしろその方が助かるっていうか? 俺らが疲れてるなかご飯作ってくれたりとかしてくれたらもう最高だなーって!」
「はい! はい! 立花も賛成です!」

 手を上げながらぴょんぴょんと跳ねる蛍の顔はさきほどから変わらずキラッキラに輝いているし、松岡さんもニコニコしながら期待したオーラを放ってくるしで。
 誰がこんな純粋な天使のような人たちをばっさりと切れるのだろうか……。

「わ、私でよければ……」

 つくづく、私は押しに弱いのだと知った。


 それから少しして、蛍の玄関先のたむろが解散となり私と蛍が部屋に戻った後、なぜあんなに浮かれてたのかと蛍に問えば「名前と一緒に行けるならば殊更楽しいだろうと思った!」との返しだった。
 天使だ。断らなかった私は正しかったのだ。
 しかしその後、蛍自身は男扱いされている為、実質女子一人だということに気づいたようで。「やはり断ろう! 断ってくる!」と言われたが、一度了承したものをそれは失礼だし、蛍と一緒だから心配は要らないと止める攻防があったりなかったりした。
 あとなにより、雪村さんと一緒に過ごせるという少しの下心もあったがそれは言わなかった。ごめん、蛍。


***


「悪い!!」
「え、え?」

 キャンプ場に着いて早々、私は松岡さんに謝られていた。
 なぜいきなりの謝罪!? と、何事かと聞いてみれば手違いで女子の私の為にと用意してたテントの持ち込みが出来なかったらしい。まぁ手違いというか、松岡さんが車に詰み込み忘れただけだ。ちょっとひどい。

「ほんと悪い……。俺らのテントで一緒に寝てもらうことになるんだが……大丈夫か?」
「だ、大丈夫ですよ! 気にしないです!」

 いや、気にはするが! 文句も言ってられないのである。なにせ私は部外者! と、自らに言い聞かせる。
 そもそも男扱いされてる蛍も男性側のテントだったわけで、蛍と同じ土俵に立ったと思えばなんてことは、ない。たぶん。

「寝るときは一番端で、隣に蛍でいいか?」
「はい。そうしてもらえると助かります。ありがとうございます」

 じゃあそういうことで、とまた最後に謝ってから松岡さんはテント準備の為に去って行った。
 さて、私は何を手伝うべきか、とテーブルや地べたに置かれた荷物を見ながら思考を巡らせていると首元にひやりと硬質な冷たいものが当たる。

「ひぁっ!」

 咄嗟に何かが当たった首に手を当てながらパッと振り向くと、そこにはミルクティーと文字の書かれたラベルが貼られた缶ジュースを突き出したまま目を瞠った雪村さんの姿があった。

「な、なんだ、雪村さん……驚かさないでくださいよ!」
「……ごめん」

 はい、と今度はしっかり手元に差し出された缶ジュースをお礼を言って受け取る。
 う、うぅ……変な声出してしまった……。
 恥ずかしさに少し俯いた状態でちらっと雪村さんの顔を窺うとなにやら険しい顔をしていた。
 な、なにかしてしまっただろうか? 先ほどの驚いてしまった声が不快だったのだろうか……?

「あの、雪村さん?」

 たまらず声を掛けると雪村さんはハッとしたように表情を変え、緩やかに笑いかけてくれた。

「ごめん、なんでもない」
「そうですか? ならいいんですが……」

 なんでもないと言うのならそれ以上食い下がるわけにもいかず、私は手元の缶ジュースへと視線を移す。
 プシュッと、雪村さんの持っていた缶ジュースが開けられた音がして、私も慌てて自分の手の中にある缶のプルタブを引っ張った。

「俺たちと一緒のテントになっちゃったけど大丈夫?」
「大丈夫ですよ! 蛍もいますから」
「立花君、ねぇ……。彼も男だけど?」
「あーえっと、はい、そうですね……でも友達ですから」

 女なんですけどね! とは言えず思わず曖昧な返答で返してしまったあげく、浮かべた笑みも曖昧なものになってしまった。
 おかしくなかっただろうか。

「友達だから心配ないって?」
「はい」
「ふぅーん」

 それきり雪村さんは黙り込んでしまった。
 さっきから私は無意識に雪村さんの気分を害するようなことばかりしてしまってるようで自分が悲しくなってくる。
 これ以上何かしてしまう前に離れた方がいいのだろう。

「えっと……私、皆さんの手伝いしてきますね。ジュースありがとうございました」

 ぺこっと頭を下げてから私はその場から逃げ出した。


***


 雪村さんの元から逃げてからは際立ったことは特になかった。
 早々に蛍たちがこの合宿の最大の目的であるサバゲーをしに行けば、私はひとりだ。その間は持ってきた残り少ない課題を片付けるなど、のんびりとしていた。
 皆が帰ってきてから一緒の夕食や、その後の時間も変わらず過ぎて行く。
 心配していた雪村さんも普段と変わらず皆とわいわいしているようだったのでとりあえずは安心した。
 夕食後は松岡さんが持ち込んできていたらしい花火をしてから、キャンプ場に備え付けられているシャワーを浴びて(男女兼用の為、変に誤魔化さなくて済むと蛍は喜んでいた)就寝ということになった。
 結局あれきり雪村さんとはたいしてお話し出来ておらず、心配してくれた蛍に対して下心を隠し参加した私への罰が当たってしまったのだろうかと嘆息をもらす。
 シャワーから帰ってきてテントに入り、じゃあ寝るぞ! とは言っても時刻は9時を半分回ったかというところ。やはりまだ物足りないようで、松岡さんはまたしても持ち込んだカードゲームを荷物から取り出すと軽やかにカードを切り始めた。
 まだまだ夜は長いらしい。


 誰からだったか。そろそろ寝ようという声が上がりそれに賛同する形で遊楽は幕を降ろした。
 私は初めに言われていたテントの奥、一番端に座ると続いて隣に蛍が腰を下ろす。

「一人にしてしまった時間もあるが……今日は楽しめたか?」
「うん、皆さん優しくしてくれたし楽しかったよ。一人の時間も他にすることないから課題も捗るしね」
「そうか! なら良かった」

 蛍と軽く話している間に皆就寝の用意が出来たらしい。松岡さんが「電気消すぞ」と声を掛けてから数秒後、一瞬にしてあたりは暗闇へと染まった。

「じゃあおやすみ、蛍」
「ああ、名前もおやすみ」

 声を掛けあってから二人して布団を被った数分後、横からは静かな寝息が聞こえてきた。
 よほど疲れたのだろうか。手を伸ばして、色素の薄い蛍のさらさらな髪をなぞる様に頭を撫でる。
 おやすみ、小声でまた呟いてから私も瞼を閉じた。


 眠りの淵で、微かに声が聞こえた気がした。それと共に優しく体を揺すられるような振動を感じる。
 微かに浮上した意識のまま、薄らと重い瞼を持ち上げた。
 
「起こしてごめんね。ちょっといい?」

 そこには私を覗き込む雪村さんの顔があった。
 え、えええ!?
 あまりの衝撃に、ふわふわと夢と現実の境を揺蕩っていたはずの私の脳は一気に冴えわたり現実へと引き戻される。
 ガバッと勢いよく体を起こすと雪村さんもビクッと肩を震わせたようだった。
 い、言っときますけど驚きたいのはこっちですからね! なんて言えるわけもなく、私はただただ雪村さんを呆然と見つめることしかできなかった。
 私の行動に雪村さんが驚いたのは一瞬で、すぐにいつもの表情に戻った雪村さんは、しーっと立てた人差し指を自らの唇に当てて、静かにね、と小さな声で微かに空気を震わせる。

「ちょっと外出れる?」
「え、あっはい……!」

 すっくと立ち上がり眠る皆を蹴らないように気を付けながら、先を行く雪村さんの後を追う。
 テントを出てから少し歩くと、見えた自販機に雪村さんは近づきこちらを振り向いた。

「なにがいい?」
「えっと、お茶で、お願いします」
「ん」

 雪村さんの指がお金を入れ、ボタンを押す。ガコンッとペットボトルが落とされた音が静かな夜に響いた。
 再び同じ動作を繰り返し、もう一度ガコンッと音が響く。
 雪村さんの手によって取り出し口から取り出されたペットボトルを受け取ると、雪村さんは近くに設置されていたベンチへと腰かけた。彼の後に続いて私も空けられた隣へと腰を下ろす。
 そうっと雪村さんを窺い見ると雪村さんもこちらを見ていたようで、目が合ってしまった。
 慌てて逸らした私と相対して雪村さんが動いた気配はない。
 何も言われず、ただこちらをじっと見つめられる謎の行動に不安感を煽られ、ぎゅっと手元のお茶を握りしめる。
 な、なぜ私はこんな時間にわざわざ起こしてまで誘い出されたのか。そしてなぜ誘い出した雪村さんは何も話してくれないのだろうか。
 もやもやと、ぐるぐると、頭の中が混乱に陥りだした時、やっと口を開いてくれた雪村さんの言葉に私は驚く他なかった。

「名前ちゃんって立花君が好きなの?」
「え! え!? な、なんでですか!?」
「立花君が寝入ってから立花君の頭撫でてたり、」

 み、見られてた! 恥ずかしい!

「朝言ってた立花君が友達だからってのも曖昧な笑みだったし、思うところあるのかなって思ったり、」

 ……あれには触れないでいただきたい。

「あと男だらけのこの合宿に参加したのも立花君と一緒にいられるからかな、とか。立花君喜んでたしね。好きな人に喜ばれると断りづらいでしょ?」

 それなら蛍とではなくあなたと一緒だからです!
 とは言えない。

「よく考えていただいたようで申し訳ないのですが、蛍のことは雪村さんの考えすぎですよ?」
「ほんとに? 別に隠さなくてもいいんじゃないの」
「い、いえ、本当にです!」

 この誤解だけは解いておかねば! と伝われ〜と念を込めて雪村さんの目を強く見つめる。
 必死にだってなるのは仕方ない。だって私が好きなのは今、目の前にいる雪村さんなのだから。想い人に誤解されることのなんて悲しきことか!

「……そっか」

 じっと見つめていると雪村さんはそう呟き、目を逸らしてしまった。
 つ、伝わっただろうか? 信じてもらえただろうか。
 心なしか、仄かに外灯に照らされる雪村さんの顔には晴れやかさを感じる。
 大丈夫、かな?
 私はほっと一息吐くと、ぎゅっと握り続けていたお茶のキャップを開けて、渇ききった喉へと一口流し込んだ。

「そういえば、その話の為に私を外に連れ出したんですか?」
「ううん、一番の目的はこれ、したくて」

 まぁ返答次第で流れてたんだけど。と言う雪村さんの手には線香花火と書かれたシールが貼られている小さなビニール袋があった。袋は中に、綺麗にまとめた線香花火を閉じ込め封がされている。

「線香花火ですか」
「まっつん賑やかな方が好きだから。線香花火は無くても気にしないかなって引き抜いてたんだよね」

 そう言いながらベンチから腰を上げた雪村さんはぐるりと体を回し、私の前に立った。

「一緒にやらない?」

 私に手を差し伸べながら一言放つ雪村さんは、柔らかに微笑んでいた。
 差し出された手を取り立ち上がった私はそのまま雪村さんに手を引かれ歩き出す。
 う、うわあ……! なんか恋人みたいだなぁ……と変なことを考え思わず顔を緩ませてしまう。
 夕食後に皆で花火をした場所に辿り着くと手はするりと名残も無く離されてしまった。
 少しさみしさを感じたが、そもそも私が片思いしているだけの状態で手を繋げただけでも万々歳なのだと思うことにした。実際にそうだろうし!
 雪村さんが蝋燭に火を点けようと、ズボンのポケットから取り出したライターからシュバッと火が放たれると、暗闇に溶けた雪村さんの顔を揺らめく灯りが仄かに照らす。
 火の点いた蝋燭を傾け溶けた蝋をぽたりと地面に垂らすと、その垂れた蝋の上に蝋燭を固定した雪村さんは、よしっと立ち上がり横からその作業を覗いていた私に向き直った。


 ばしばしと厳かながら激しく火花を散らす線香花火を、たいした会話も無いまま互いに静かに眺め火が落ちたら次へと手を伸ばす、を繰り返す。
 まるで作業でもしているかの如くそうしているうちに最後の1本になってしまった。
 雪村さんに最後は名前ちゃんがどうぞ、と最後の1本を渡された私は素直にそれを火にかざす。
 初めは静かに、途中から激しく散る様に火花が移っていく。
 しかしまた数秒前まで激しく散らされていた火花は今度は慎ましく様を変え、そろそろ終わるかな、といった頃、雪村さんの手が、線香花火を持つ私の手に重ねられた。
 ビクッと、重ねられた方の手が揺れる。
 その瞬間余韻も無くぽたりと最後の灯火が地面へと吸い込まれた。

「あ、あの……?」

 動揺と緊張で声が震える。
 私が声を掛けると雪村さんは何も言わずするすると私の手の甲を指先で撫でるようにして手を離していった。

「……戻ろうか」
「あ、はい……!」

 動揺を残したままパパッと花火のゴミを片付けると私たちは皆の眠るテントへの道を歩き出した。


「あ」

 先にテントに入った雪村さんの声が微かに聞こえ、どうしたのだろうと疑問に思いながら私も皆を起こさないように静かにテントに潜ると、雪村さんが寝ていたはずの中央部分は蛍によって占領されてしまっているようだった。
 場所が空いたおかげで寝返りを打った拍子に移動してしまったのだろう。
 なるほど、さきほど上げた声の原因はこれか。思わず苦笑いが漏れる。

「どうしましょうか?」
「うーん、起こすのも可哀想だし、でも動かすと立花君起きるかもしれないからな〜」
「そうですね……」
「……俺が隣でもいい?」
「えっ!あ、そ、そうですね、しかたないですもんね……!」

 提案の内容に思わず動揺してしまうが、蛍を起こさないように、となると確かにそれしか道はない。
 しかし、それでも、今日の雪村さんは心臓に悪すぎやしませんか!
 私から了承を得ると雪村さんは早々に元々は蛍がいた位置へと腰を下ろした。

「じゃあ、寝ようか」
「は、はい……」

 果たして隣に雪村さんで、私は眠れるのだろうか……。
 などと悶々としてはみたものの、自分で思ってる以上に疲れていたのか、布団を被って数分後には意識を手放していた。
 微睡みの淵で微かに、温かな優しい手が私の頭に触れていたような気がするが、あれは夢だったのだろうか。


 翌朝、蛍の叫び声で私は目覚めることとなった。

「ど、どうして雪村さんと立花の位置が変わってるんですか!? 名前の隣になんで雪村さんが!」
「なんでもなにも俺が夜中トイレに行ってたら立花君が移動してたんだよ〜。起こさないようにしてあげた俺の優しさ考えてくれない?」
「そ、そんな!」

 どうやら私との夜中のことは隠すらしい。
 さらっと嘘を混ぜるさまに思わず苦笑いを浮かべた私に気づいた雪村さんは微笑み、人差し指を唇に当てたまま『ナ・イ・ショ』と口を動かした。
 あまりの色っぽい仕草と唇の動きと、そして秘め事の甘美な響きにどぎまぎしてしまって頬を染めたのは言うまでもない。



くろうさぎ