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「……それはなんです?」

「論師の御身をお守りするための親衛隊を結成したいという一部キムラスカ貴族からの嘆願書です。
先日のアレが原因かと」

阿呆か。
守護役長が持ってきた嘆願書の束に口から漏れそうになった言葉をぐっと飲み込む。
相手は一応貴族である。一応、念のため。
私がちょっと自信なさげに自分に言い聞かせていると、シンクが不愉快そうに口を一文字に結び、腕を組んで不機嫌そうに言った。

「あの貴族たちも何考えてんだか。論師の親衛隊?はっ、冗談じゃないね」

「ご機嫌斜めですね、シンク」

「当たり前だろ。僕達守護役がいるのに親衛隊になりたいとか、喧嘩売られてるってことじゃないか」

「ソコは張り合わなくて宜しい」

「確かに、シンク謡士の言うとおりです。これは守護役部隊への侮辱ともとれます」

「守護役長も張り合わなくて宜しいと言っているでしょう。私は貴方達を外すつもりはありませんし、親衛隊を作る予定もありませんから」

なにやらシンクと結託しだしそうな守護役長にピシャリと言い聞かせておく。
いつも私の意思を汲み取って動いてくれるいい子なのだが、時折暴走するから気が抜けない。
少しふてくされた様子の守護役長から苦笑交じりに嘆願書を受け取ってから、その書類の束に目を通してみる。

言うことを聞きなさいと言われてきたのに、自分で考えて決めろと言われたことに衝撃を受けたこと。
話を聞いた後改めて考えて、自分が掲げてきたものがどれ程重いか気付かされたこと。
責任という言葉の意味を考えさせられたこと。

私が話したことにより皆大なり小なり衝撃を受けたらしい。
まぁ確かに貴族にとって好きですと言われるならばともかく、嫌いですと言われることなど滅多にない。そりゃ衝撃だって受けるだろう。

そして嘆願書は、自分達で考えた結果がこれです、と言う言葉で締めくくられていた。
自分達ではまだ完全に歩き出せないから、引っ張って欲しい、手を引いて欲しい。
その代わり私達は持てる財力と権力を存分に振るって貴方を守ろう。

要約するならば彼等が言いたいことはそういうことだ。
なるほど、確かに財力や権力という力を振るうのであれば、守護役達とはまた違う守人になるだろう。
ある意味私を慕って集まってくれたのだから、親衛隊というのもあながち間違っていないことになる。

「……でもまた叱ってくださいって言葉がちらほら見えるのは何でかな?」

言いたいことは解った。解ったが叱って欲しいとはこれいかに。
ちょっとぞわっとした感覚が背中を這った。つまりマゾの集まりなのか。
そうだとしたら親衛隊に関してはお断りをさせていただきたい。

「やっぱり潰しますか」

「待ちなさい。利用価値はあります。もう少し慎重に動きなさい」

「搾り取るんですね、素敵です」

「んー、貴方はもう少し言葉をオブラートに包むべきですね」

「そこで否定しない論師様が大好きです」

守護役長とどこか気の抜けるような会話をしていると、唐突にノックの音が響いた。
重い木の扉を叩く音というのは存外響くもので、シンクが私の隣に立ち守護役長がドアを開けに行く。
ドアを少し開けて来客者と二言三言話した守護役長が入室を許可したのは、赤い軍服を纏ったジョゼット・セシル少将だった。
金糸の髪はきちっと結い上げられているものの、その顔には疲労の色が濃い。

「論師、ジョゼット・セシル少将です」

「ご歓談中に失礼致します。セシルです」

軍人の履く靴らしく、カツカツと踵がよく音を出す。
シンクのように神速の体術使い、というわけでもなければこれが普通なのだろう。
現に守護役長のブーツもまた、廊下を歩いているとよく音を響かせている。

「いらっしゃい。ああ、どうぞそちらに。立ったまま話すのもなんですから」

「いえ、このままで結構です。お気遣いありがとうございます。

それよりもこの度は我が同胞が論師の御身を危険に晒したこと、深くお詫び申し上げます。
万が一何か不調などございましたらその治療費などは全て持たせていただきますので、遠慮なくお申し付けください」

「ああ、その件ですか。
私を救ってくれたのもまた貴方と同じキムラスカ人ですから、私自身はキムラスカに禍根を残すつもりはありません。ですから顔を上げてくださいな」

腰をきっちり90度に曲げて謝罪するセシル少将の姿に、つまりこの人はクリムゾンか誰かに言われて代わりに頭を下げにきたのだろうなと解った。
貴族の連中が頭を下げたくないと駄々でも捏ねたか、彼女がいるなら自分達が下げる必要はないと思っているのか、はたまた私程度にはセシル少将如きで充分だと思っているのか。

セシル少将はその若さで栄えある将軍職に着いているが、その背景はあまり宜しくない。
没落したセシル家の出身、軍人としては先の見込めない女将軍、後ろ盾のない彼女は華のあるガードマンとしては優秀だが、身分の高い者への謝罪の使者にするには不十分だ。
私はファブレ公爵邸に招かれ、ファブレ公爵家が仕立てた馬車に乗って帰宅する最中に襲撃を受けたわけだから、本当に申し訳ないと思っているならばもう一度ファブレ家に招かれるか、公爵家と血縁関係のある人物が謝罪の使者としてよこされる筈である。
つまりキムラスカという貴族社会において、彼女を寄越すということは誠意の欠片もないことを示していた。

私は来客セットのソファに腰掛、セシル少将を手招いた。
どうやらすこぅしばかり、お話をした方が良さそうなためである。

「どうぞ座ってくださいセシル少将。私は貴方とお話したいんです。
貴方をここに寄越したのはどこの誰なのか、是非聞かせてほしいのですよ。
貴方を寄越した人は私のような若造ならば手玉に取れると思っていたのでしょうか?
その真意を是非、私でも納得できるように説明していただきたいと思います」

私の言葉に顔を上げたセシル少将は禍根を残すつもりはないという言葉にホッとしたようだったが、続けて紡がれた言葉にさっと顔色を悪くする。
私がソコまで頭が回ると思っていなかったか、それともストレートに突っ込んでくるとは思わなかったか。
どちらにせよ逃がすつもりはないので、さっさとソファに腰掛けてもらう。
守護役長がドアの前に立ち、シンクが紅茶を淹れに行くのを見送ってから、私はセシル少将に向けてもう一度微笑んだ。

「私はまだ若いでしょう?故に侮られることはよくあることなのですが、ここまであからさまにされると流石に、ねぇ?
ああ、貴方が悪いと言っているわけではないのですよ?むしろこのような役回りを背負わせている貴方に同情こそすれ怒りを覚えることなどありえませんから。
ただこの国の暗黙の了解に乗っ取ると、私自身が非常に軽い扱いをされていることになるでしょう?
私にだってそれ位は解ります。この国に来る前に多少なり勉強してきましたから」

「き、キムラスカは、決して論師を軽んじているわけでは……」

「ええ、解っていますよ。歯牙にもかけていないのでしょう?」

そう言って極上の笑みを見せれば、決して広くない部屋に沈黙が落ちる。
膝の上に乗せられた手が小さく震えているのが解った。
シンクが持ってきた紅茶の良い香りが鼻腔を擽り、礼を言えば肩を竦められる。
ほどほどにしておけよということらしい。

「まぁ私としては、私の背後にはローレライ教団という預言の管理者が存在していることを覚えておいて下されば結構です。
そして同時に私が施行している事業は全てローレライ教団の事業の一部。
私達は宗教自治区という特性上全ての者に対して平等であるよう心がけておりますが、相手の態度次第ではそうもいきません。
勿論、キムラスカの方々は聡明でしょうから、それ位は解っているでしょうが」

仕方ないのでいじめるのはこれくらいにしておいて、あまり論師を軽んじるとローレライ教団を侮辱したとみなして、事業から手を引くぞと軽く脅しておく。
彼女に伝えたところで一体どれ程の情報が流れるかは不明だが、何もしないよりはマシだろう。
何より牽制も何もしないと更に舐められることになる。それはそれで面倒だ。
出された紅茶に口をつけながら、唇を噛み締めているセシル少将を見る。ひたすら耐えるその姿に、ふむと私は一人ごちた。

「……惜しいですねぇ」

「……今、なんと?」

「いえ、キムラスカは何故貴方のような有能な人材を飼い殺しにするのか理解できないだけですよ」

本来ならば関係のないはずの私の嫌味にも耐え、こうした仕打ちを甘んじて受け入れるその姿に心の底からそう思った。
セシル少将は突然飛んだ話題に目をぱちくりさせている。

「素直にね、勿体無いと思うのですよ。キムラスカの貴族社会は支配階級としては非常に優秀な機構ではありますが、有能なものが身分がないというだけで立身出世が出来ないという欠点もあります。
貴方の場合正にそれでしょう。貴方自身に非はなくとも、その身に流れる血と名前のせいでそのような扱いを受けている。非常に度し難い」

軽く首をふりながらそう言えば、セシル少将はまた唇を噛み締めた。
その悔しさを上昇志向に転換し己を磨き上げられる人間は貴重だ。

惜しい。実に惜しい。
紅茶の入ったカップをソーサーに置き、セシル少将を見る。
その美貌も申し分ないし、剣の腕も充分だと聞いている。

「……ダアトならば、貴方のような方ならば充分出世できたでしょうに」

毒を、撒いてみることにした。

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