08


「情報部からの報告だよ。ケセドニアで教団が二分化してるって噂になりつつあるってさ」

そう言ってシンクは報告書を寄越してくる。
私は現在手がけていたホスピス関連の書類を脇にやり、分厚いそれを受け取って早速目を通し始めた。

「順調にいってるわけだね……まだ同調するよりは困惑が強いって感じだな」

「そりゃそうでしょ。今まで散々預言は成就されるべきって言ってきたのに、いきなり導師様直々に"預言は絶対じゃない"なんて言い出すんだから」

そう言ってシンクは仮面を外し、ソファにどかっと座った。
その顔はどこか不機嫌そうで、オリジナルのことを考えているのだと一目で解る。
シンクはオリジナルイオンが嫌いだからなぁ、と内心苦笑を漏らしつつ報告書をパラパラと捲っていく。

教団の二分化。
それは"預言に詠まれた未来は絶対不変のものであり、預言とは成就されるべきである"という預言順守の考えを持つ通称大詠師派と、"預言とは数ある未来の一つであり、未来を掴むための判断材料に過ぎない"という改革的な考えを持つ通称導師派のことだ。
ゲームでは争っているのはあくまでも水面下であり、信者達がそれを知ることはなかった。

しかし私はあえて、それを世間に知らしめた。
ダアトの巡礼から帰ってきた信者達が聞いた噂、という形で。
これも計画のひとつな訳だが、さてどれだけの人間が真意に気付くことやら。

「導師イオンの方はどう?」

「ヴァンが秘密裏に手配したベルケントの医者に診せたらしいけど、此処じゃ治療は無理だって」

つまり、ベルケントで治療を受ければ延命できるかもしれないわけだ。
私が毒のことを教えて以来、新たに毒を摂取しなくなったせいかイオンの体調は悪化することなく現状を保っている。
しかし体内に蓄積した毒はそう簡単には消えないし、抵抗力の弱まった身体ではいつ本当に病死してもおかしくない。
できる限り早く治療を受けるべきなのだが、イオンはこの様子じゃ行きたがっていないのだろう。

「アポ取ってくれる?」

「会いに行くわけ?」

私の言葉に今度こそシンクは顔を顰めた。
仮面がない分、彼は表情が豊かだ。
見ていてとても楽しいが、口には出さない。

「そんな顔しない。どうせイオンのことだからベルケントに引っ込むの嫌がってるんでしょ?」

「ご名答。なるほど、脅迫しに行くわけだ」

「説得といいなさい、説得と」

鼻で笑いながらもシンクはアポイントメントを取るために導師守護役に送る手紙を書き始める。
最近護衛だけでなく私の秘書のような仕事もしてもらっていて、ありがたいと思う反面申し訳なさを覚えてしまう。

しかし彼は物凄く有能なのだ。
際限なく水を吸い込む砂のように、どんどん新たな技術と知識を習得していく。
教団から支給される給料だけでなく、私個人の給与からも少しばかりボーナスに当てるべきかもしれない。

「導師ならアポ無しでも会ってくれそうな気がするけどね」

「非常識になるつもりはないよ。それに論師の地位はいい意味でも悪い意味でも注目されてる、その分慎重に動かなきゃね」

「導師と論師がプライベートでも親しいと解ったら何言われるか解ったもんじゃないから?」

「そう。それに男と女だ、邪推しようと思えばいくらでもできる」

事実、以前導師イオンがひょっこり私の執務室に顔を出したことがある。
そのとき私は眠っていたためシンクが対応したわけだが、アレ以来論師が導師を誘惑したと陰口を叩かれた。

事実無根な上に導師の安直な行動のせいなのだが、痛くもない腹を探られたり、ちくちくと嫌味を言われるのは傷つかなくても精神衛生上宜しくない。
二度と同じことをするなと導師を笑顔で脅しつけたのはいい思い出だ。

「早ければ今夜の夕食の時にでも許可が出るでしょ」

「でしょうね。それまでに仕事終わらせないと」

「終わるの?」

「終わるといいねぇ……」

しみじみと答えつつ、私はため息混じりに脇にやった書類の山を見るのだった。







「ベルケントに行きたがらないって聞いたよ。生き延びたくない訳じゃないだろうに、どうしたの?」

「へぇ?僕が死にたがってるとは思わないんだ?」

「思わない」

手料理という名のお弁当持参でやってきた導師イオンの私室にて、私たちはそんな話をしていた。
ドアの前には護衛兼人払いとしてシンクが立っている。
周囲に聞かれたら困る会話でもあるしね。

きっぱりと答えた私にイオンは面白くないといった風に顔を顰めると、持って来たお弁当にフォークを突き刺した。
行儀が悪いぞ。

「君のおかげでダアトは今改革の風が吹こうとしている。こんな面白い時期に離れるなんて冗談じゃない」

「それは……表向きの理由だね?」

玉子焼きを突き刺したフォークを弄び、猫科を思わせる獰猛な瞳と歪な笑みを浮かべたイオンを見て、私はそう確信した。
彼はまだ何か隠している。

目は口ほどにものを言う、ということわざが日本にはある。
事実、彼の瞳にはどこか揺らぎがあるように見える。
私がじっとその緑の瞳を見つめていると、イオンは視線をさ迷わせた。
やっぱり、嘘か。

「……別に、全部話せとは言わない。けど私はイオンに生きて欲しいと思う。だから延命を望まないというのなら、嘘でも構わないから私を納得させて頂戴」

「……黙って見守るって選択肢はないわけ?」

「別にそれでもいいんだけどね。レプリカイオンを教育してトップに飾るって手もあるわけだし」

あえて心にもないことを口にしながら、私は箸で玉子焼きを摘んだ。
最初は箸の扱いに興味心身だったイオンだが、どうやら今は慣れたらしい。
というより、今はそれどころではないといったところか。

「……レプリカとも、こういうことするつもり?」

「今より親密にはなるだろうね。導師を引き込むことは計画に組み込まれてる。一から教育しなおさなきゃいけないんだから、発案者であり計画を全て頭の中に入れている私が教えるのが一番手っ取り早い」

イオンの眉間に皺が寄る。私とレプリカが親密になるのが不快だと如実に現れていた。
どれだけ可愛い顔をしていてもアレだけ渋い顔をしていちゃ意味がないなと思いつつ、プチトマトを口に運ぶ。
やべ、デザート持ってくるの忘れた。
ま、いっか。帰ってからシンクと食べよう。

「気に食わない。レプリカが僕の代わりに君が親しくするなんて、想像するだけでムカつくんだけど」

弁当に一つも手をつけないまま、イオンは剣呑な瞳で此方を見ている。
ドアの前に立っていたシンクもイオンの発言に仮面の下で微妙な顔をしているだろう。
イオンが吐き出した言葉に私は一瞬呆気に取られた後、思い切りため息を漏らした。

「あのね、私がシンクとイオンを同じように扱ったことあった?」

「ないね」

「でしょう?シンクはイオンのレプリカだけど、れっきとした別人だ。例えセブンスイオンが導師の地位に着いたとしても、代わりになんてする筈ないでしょう?」

「……でも導師じゃないか」

「次の導師に代替わりしたって認識だって言った方が解るかな?私は同一視するつもりはサラサラないよ」

だいたいあのふわふわした導師様とこの毒々しい導師様を同一視するなんてできるわけがない。
ゲーム中のレプリカイオンを思い出しつつ、そんな言葉を鮭の塩焼きと共に飲み込む。
それでも何か不満げなイオンを見て、私は箸を動かす手を止めてイオンを見た。

「……レプリカイオンと接していたとしても、今目の前に居るイオンを忘れるわけないでしょう?」

その言葉にイオンは弾かれたように顔を上げる。
その反応を見てあぁ、と私はようやく納得した。

最初はてっきり、ベルケントでの治療すら駄目だった場合、彼は二度目の絶望を味わうわけだから、それが怖いのだと思っていた。
折角見出した希望の光が潰えるのが怖いのだと。

しかし違うのだ。
イオンが恐れているのはもっと精神的なもので、レプリカという存在によって自分という存在の消失と忘却を恐れているのだ。
偽者に摩り替わり、本物である自分が忘れ去られる。それが怖い。

そしてその恐怖はきっと、アリエッタだけでなく今は私にも向けられている。
行きたがらない訳だよね。
行ったら戻って来れないかもしれないわけだし。

「自分がどれだけ強烈な存在か自覚してる?嫌でも忘れられないっての。ねぇシンク?」

「少なくとも僕たちは忘れられないだろうね。僕は未だにアンタが憎いし?」

私が声を掛ければくすくすと凶悪な笑い声を漏らしながらシンクは同意してくれた。
どうでもいいけど室内では仮面とってくれないかな、イオンが居るから無理か。

イオンはシンクの言葉に目をぱちくりさせながら、目を閉じてほぅと息を吐く。
そのゆったりとした動作と共に身体は微かに震えているように見える。

「……解ったよ、ベルケントに行く」

「完治したら働いてもらうから覚悟しておけ」

「シオリは人使いが荒そうだからなぁ」

「うん、荒いよ。自由に動けて且つ教団の暗部を知ってる人間なんて中々居ないもん、期待してるからね」

ベルケントでもそのまま死んでしまうという可能性を排除した物言いに、イオンは苦笑をもらした。
イオンだってわかってるのだ。
私がその本当に可能性を排除したわけでもなく、事実レプリカイオンを代打として計画を実行するような人間だということを。

それでも今こんな言い方をするのは、私が論師としてではなくシオリという一人の人間として、導師ではない一人の人間としてのイオンが助かることを望んでいるから。
敏いイオンのことだから、そんな私の思惑も全部お見通しに違いない。
私も彼が見通すのを前提で話しているのだし。

その上でイオンが揺らいだ瞳で私を見つめてくるのを見て、私はさも今思い出した風を装ってシンクに声をかけた。

「あぁ、シンク」

「何?」

「アリエッタはどうしてる?」

「導師守護役から外されてかなり荒れてるよ」

突如アリエッタの名前を出した私に、イオンはぴくりと肩を震わせた。
やはり行くと覚悟を決めても、怖いものは怖いのだろう。
しかしそれを無視して私はシンクと話を進める。

「確かヴァンが六神将に組み込もうとしてたよね?」

「第三師団の師団長に推薦してるね。でもアンタが反対したから保留になってるけど」

「当たり前でしょう。いくら実力があるとはいえ、責任能力が危うい少女を師団長だなんて責任のある地位に着けたら反発を受けないはずがないんだから。
それより私の私兵に回すようにヴァンに連絡を、アリエッタを導師守護役から論師の私兵に移動、私の命令という形で第三師団に魔物の調教指導を行わせる」

「本気?騎士団に手出すの?」

「第三師団は気弱なはみ出し者が集められた師団、魔物の使役を得意とする師団にしたいという案は詠師会にも提出済みだし、できるものならやってみろって返答を貰ってる。

だったら私がアリエッタって言う私兵を使って調教指導をしてもおかしくないでしょう?
アリエッタにはベルケントとダアトを往復してもらうことになるから辛いかもしれないけど、まぁ何とかなるでしょう」

「そうすれば実質アリエッタは第三師団の師団長といっても過言ではなくなる、か。まぁいきなり師団長に抜擢するよりは反感も少ないだろうね。解った、ヴァンにはそう連絡しておくよ」

私とシンクのやりとりにぽかんとしているイオン。
うん、その顔は年相応で可愛いと思うぞ。

「ちょっと待った。ベルケントとダアトの往復って、アリエッタに僕のこと知らせる気!?」

「当たり前でしょう?死ぬ気がないなら知らせても問題ないし、アリエッタが往復してくれれば手紙のやり取りも楽でしょ?」

「手紙?」

「そう。イオンと私の」

イオンは私の発言に目を白黒させていたが、やがて私の意図を理解したのか眉尻を下げて笑い出した。
参ったというように両手を挙げ、大きく息を吐く。

「ほんっと、君には敵わないよ」

珍しいイオンの敗北宣言に、私は口の端を上げる事で答えた。
イオンの件はこれで何とかなるだろう……問題は、レプリカイオン。
セブンスである彼だ。


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