09
「その……アリエッタ、です。宜しくお願いします」
「そんなに固くならないで良いよ。これから宜しくね、アリエッタ」
そう言って微笑んでみるも、アリエッタの表情は暗いままだ。
秘密裏にではあるもののイオンのベルケント行きが決まり、アリエッタは私の私兵となった。
表向きは第三師団顧問にして新たに設立された論師直下の情報部(という名の私の個人的な私兵団)に所属、という形になっている。
この情報部という名の私兵団も、これから更に拡大予定だ。あくまでも予定なので未定にすぎないが。
「仕事の内容は聞いてる?」
「お友達との話し方を教える、です。あと、ベルケント行く……」
「そう。アリエッタのイオンを守るためのお仕事だと思ってくれれば良いよ」
「イオン様を……護る?」
「そう。イオンは生き延びるためにベルケントに行った。けど一人だと寂しいでしょう?
だから寂しくないように、アリエッタにはベルケントでイオンの傍に居て欲しいの。
勿論教団の仕事もあるから、ずっとって訳にはいかないけどね」
魔物の調教は今後の計画の要になる。アリエッタに今抜けられては困るのだ。
「一人は、寂しい……解りました。アリエッタ、頑張ります!」
「うん。大変かもしれないけど、お願いね」
幼い仕草にくすりと笑みを零せば、アリエッタはやっと緊張を解いてくれた。
私が首を傾げると、アリエッタはおずおずと口を開く。
「……シオリ様、いつも笑ってるけど笑ってない、です。だから、ちょっと怖かった」
「あぁ、そういうことね」
アリエッタの言葉に私はようやく納得した。
獣に育てられた故の勘、といったところか。
どうやら彼女には作り笑いは効かないらしい。
「へぇ、解るんだ?」
「別におかしくないでしょう」
トレーを片手にキッチンから戻ってきたシンクの嘲りを含んだ口調に、今度は苦笑をもらす。
アリエッタはびくりと肩を震わせていて、シンクが苦手なのが一目で解った。
「仮面取らないの?」
「何でさ」
「教えてもいいと思うんだけど」
「……本気で言ってる?」
「勿論」
トレーの上に乗せられたもの、三人分の紅茶とクッキーをテーブルに並べるシンク。
きっと仮面の下では眉を顰めているのだろう。
それが簡単に想像できて、私はやっぱり苦笑しながらアリエッタに声を掛けた。
「イオンのレプリカが作られたのは知ってるね?」
「……はい。これからイオン様のレプリカ、導師になるです。あと、シンクも」
「あら、知ってたの?」
「イオン様から聞きました」
アリエッタの言葉は少しばかり意外だった。
しかしまぁイオンから聞いたのなら納得できる。
面白半分に教えつつ、自分とは違うと言い聞かせたのだろう。
「シンクはレプリカだけど……イオン様とは違う別人だって」
「そうだね。シンクはシンク、イオンはイオンだ」
予想通りの言葉にくすくすと笑みを漏らしつつ、私はソファに移動した。
シンクはアリエッタの言葉に深々とため息をついていて、仮面を外して紅茶を淹れはじめている。
アリエッタは晒されたシンクの素顔をじっと見つめたあと、首を傾げていた。
「あんまり似てないよね」
「はい。シンクの方が……」
「僕のほうが何?」
「……えっと……違う、です」
「だから何が違うのさ」
「えっと、その……するどい?」
「あぁ、確かに」
拙いながらも言葉を駆使するアリエッタの言葉に私は納得した。
イオンは"能ある鷹は爪を隠す"という言葉がピッタリだが、シンクは抜き身の刃を思わせる。
その刃は時折危うげで、自らも傷つけてしまうのではないかと此方が心配してしまうほどに鋭利だ。
「何でシオリまで納得するのさ」
「要は似てないって事よ。まぁ別人なんだから当たり前なんだけどね。ほら、アリエッタもおいで」
「あ、はい」
シンクが淹れた紅茶の入ったカップを手にとりつつ、アリエッタを呼ぶ。
隣にちょこんと座るアリエッタのシンクは何かいいたそうだったが、結局何も言うことなくカップを渡した。
そしていつものように、一人がけのソファに座る。
「どれだけ仕事が忙しくても、三時のおやつは欠かせないよねぇ」
「アンタの場合欠かす気がないの間違いだろ」
「あら、糖分は大事よ。脳の疲れを癒すには甘いものを食べるのが一番なんだから。というわけで、ほら、アリエッタも食べな?」
「あ、ありがとう……」
戸惑うアリエッタにクッキーを進めつつ、呆れながら紅茶を口に運ぶシンクに笑いかける。
しかしシンクには視線をそらされてしまった。はて、私は何かしただろうか。
「シンク?」
「何?」
「……いや、後でいいや。アリエッタ、クッキー美味しい?」
「はい!」
「そりゃ良かった。頑張って作った甲斐があったよ」
「シオリ様が、作ったんですか?」
「そうだよー」
もそもそとクッキーを頬張るアリエッタは可愛すぎる。
今ではアリエッタのほうが年上なのだが、そんなことは気にならないほどに可愛い。
ううん、さすが合法ロ……げふんげふん。
それから3人でまったりとお茶会をした後、アリエッタは第三師団に顔見世に行くために執務室を去っていった。
ベルケントに行く前に一度顔を出すように言ってあるから、また会う機会もあるだろう。
シンクが茶器を片付けるのを眺めてから、私も執務机へと移動する。
もうすぐ『向日葵』と『秋桜』も開設するため、相変わらず忙しい。
私はペンを手に取りつつ、キッチンに立っているシンクに声をかけることにした。
「ねぇシンク」
「なに?」
「アリエッタは嫌い?」
私の言葉にシンクの雰囲気がぴんと張り詰めるのがわかった。
気配は読めなくとも、空気を読むことに関しては誰よりも敏いつもりだ。
というより、この世界の人間が空気を読むということに対して無頓着すぎるだけなのだが。
「何で?」
「何となくだよ。不機嫌そうというか、複雑そうな顔してたから」
カリカリとペンを動かしながら言葉を続ける。
こういったときはお互い顔を見合わせないほうがうまくいくものだ。
特にシンクはその傾向が強い。
「別に、ちょっと違和感があっただけ」
「違和感?」
「アンタがすぐ敬語を外したり、笑顔を崩したから」
「あぁ、アリエッタは敏感な子だからね。とっくにばれてたし、偽り続ければ信頼してくれないと思ったから」
「だから、本性見せたの?」
「人を化け物みたいに言うのやめようか。まぁだいたい当たりかな」
「だいたい?」
「流石に全部見せるつもりはないさ。アリエッタみたいな子は流されやすいし、一度拒絶されれば終わりだ。ほの暗いところは見せないよう注意しながら、適度に仲良くって感じかな」
新しいホスピスを開設した際の予測利益に目を通しながら、黙々と答えていく。
いつの間にか茶器を洗う水音は消えていた。洗い終わったのだろう。
音だけでそう判断していると、突然冷たいものが背後からするりと首筋を撫で、私は肩を跳ね上げさせる。
反射的に振り返れば、シンクの顔がそこにあった。
冷たいものは先ほどまで洗い物をしていたシンクの掌で、背後からシンクが抱きついてきたのだと悟り、どくどくと煩い心臓を叱咤する。
まじでびびった……いつの間に背後に回ったんですかシンクさん。
「時々……怖い」
「怖い?」
ポツリともらされた言葉に私はペンを置く。
こんな風にシンクが触れてくることも、本音を漏らすことも珍しい。
きちんと聞いたほうがいいだろう。
「何が、って聞かれると困るんだけど……怖いんだ。置いていかれそうで」
「私が、シンクを置いてくってこと?」
「……うん。だってアンタが僕を傍に置いているのは、物語の中で僕が一番気に入っていたから、だろ?」
「まぁきっかけはそうだね」
「僕以上のお気に入りが出てきたら、あんたは僕を捨てるんじゃないの?」
そう言ってシンクは思い切り抱きついてくる。
微妙に首が閉まって苦しい。が、そんな事を言っている場合でもなさそうだった。
手を伸ばし、そっとシンクの頭を撫でる。
シンクが私に依存しかけているのは、気付いていた。
私がシンクの前でしか素を曝け出さないことが、シンクにとって支えになっていることも。
私もわざとそちらに誘導した自覚がある、イオンよりシンクを優先したりとかね。
一度捨てられた彼は私から特別扱いを受ける事で空虚感を埋め、同時に存在価値を見出した。
それは私がシンク以外に特別を見出せば脆く崩れ去るもので、だからこそアリエッタの存在に怯えたのだろう。
「シンクはシンクだ。代わりなんて居ない…私だけの護衛、違う?」
「僕の代わりなんて、」
「レプリカは代わりにならないよ。だって私の癖を知ってて、私のお菓子作りを手伝ったり、何も言わないでも意図を汲み取ってくれたりするのはシンクだけだもん」
シンクは私の言葉を聞いて、私を抱きしめる腕に力を込める。
振り返れば揺れる新緑の瞳が目の前にあった。
まだまだ幼い、子供の瞳。そう、まるで親に捨てられるのを恐れる子供のような。
「例え私に大切なものや大切な人が増えたとしても、シンクが私の傍に居るのは変わらない。そうでしょう?」
「そう、だけど……」
「だからシンクが大切な人や大切なものが増えた時も、私のことを覚えていてくれると嬉しいよ」
「そんなことっ!」
「無いとはいいきれない。無限の未来を掴み取るために、私たちは動いてるんじゃなかった?」
「っ!」
私の言葉にシンクの瞳が見開き、伏せられる。
私のいいたいことは果たしてどれだけ伝わったのだろうか。
そのまま私の首筋に顔を埋めるシンク。
「それでも、僕は」
「……別に私から離れろって言ってるわけじゃない。ただ、いつかでいいから私以外にも目を向けて欲しいって言ってるんだよ」
その言葉に返事は返ってこなかった。
まぁ今のシンクにとって酷いことを言った自覚があるので好きなだけそうしてくれと抵抗をしなかったのだが、何を思ったのかシンクは私の法衣の襟を広げ始める。
何事かと眉を潜めると、
「ちょっと……シン、あだだだだっ!」
噛み付かれた。
「ちょ、痛い痛い!シンクっ!何故噛むっ!?」
「何となく」
「何となくで噛むな!あだっ!こらっ!」
がぶがぶと噛み付かれ、私はシンクの頭をぺしぺしと叩きながら逃げようともがくものの、シンクがガッチリと私を捕まえ、且つ目の前は机なので逃げようがない。
結局シンクの気が済むまで私は噛み付かれることになるのだが、暫くの間法衣の襟で隠れる部位がずっと赤かったことに私はひっそりとシンクを睨みつけるのだった。
噛み付くシンク。
多分甘えてるんだろうね。
どっちかって言うとまだ親子愛です。
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