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その日、私はイオンにセブンスイオンを紹介された。

怯えた子供。
それが一目見て思った感想であり、思わずイオンを睨みつけてしまうほどにセブンスの子は身体を強張らせていた。
少し話せば敵意がないことは理解してくれたが、それでもやはりびくびくした態度は変わらない。
どれだけ自分を卑下すればこんな態度が出来上がるのか、後でじっくりイオンと話してみたいものだ。

会わせて貰う前は計画の協力を取り付けるつもりだったが、こんな状態で協力を頼むのは酷過ぎる。
むしろ今すべきことは彼を安心させることであり、味方であると理解してもらうことだろう。
なんだか緑っ子達の親のような気持ちになりつつある気がしたが、気にしたら負けである。
目の前の幼子を放っておく気など、さらさらないのだから。

「ねぇ、私でよければ貴方に贈りたいものがあるの」

「僕に、ですか?オリジナルにではなく?」

「イオンは別にいいの、私があげなくてももう持ってるからね」

私の言葉に少し考え込んだ後、思い当たらなかったのか、それとも思い当たりすぎて解らなかったのか七番目の子はおずおずと聞いてきた。

「……なんでしょうか?」

「ん、貴方だけの名前」

「僕、だけの……なまえ?」

「そう。
私の居た場所ではね、名前って言うのはその人を呼ぶ呼称と言うだけじゃなくて、その人の本質を表すって言われるくらい大切なものだったの。私なんかじゃ役不足かもしれないけど、贈らせてくれないかなぁ?嫌?」

「い、嫌なんかじゃないです!でも、僕が名前を持って、良いんでしょうか?」

少しずるい言い方をした私に、不安げに問うてくる。
何処までも自分を卑下する姿に痛ましさを感じながら、それを顔に出すことなく頭を撫でてやる。

「確かに貴方はイオンの影武者をすることが決まってる。

だからって貴方自身を潰さなくたって良いんだよ。必要な時にできれば、それでいいの。
貴方は貴方らしく、貴方だけの人生を歩むと良い。

貴方が感じたこと、思ったこと、それは誰にも譲る必要のない、貴方だけのものだから」

今はまだ完全に理解できないかもしれない。
それでも今誰かがこの子に対して、自分として生きることを許してあげなければこの子はずっと自分を押し殺し続ける気がした。

「僕だけの、もの……」

震える唇で呟いた言葉は多分独白だったけれど、私はしっかりと頷いて肯定しておく。
揺れる瞳が私を見上げてくる。新緑の瞳はシンクやイオンと同じで、全く違うものだ。

「欲しい、です。僕だけのなまえ。僕に、くれますか?」

「……それじゃあ、レイン」

「レイン、ですか?」

「私の居た場所ではね、雨って言うのは恵みだったの。でね、レインっていうのは、雨って意味」

「恵み……古代イスパニア語ですか?」

「残念ながら、私が居た世界の異国語だよ」

そう説明すると、何度も小さくレインと呟きながら少しずつ頬を紅潮させていく。
声は段々と大きくなり、パッと顔を上げる頃にはその顔には満面の笑みが浮かんでいた。

「ありがとうございます!僕は……レインなんですね!」

「事情を知っている人間の前じゃないと呼べないのが心苦しいけどね。
レイン、貴方の人生が恵み多きものであり、そして人々を導くであろう貴方が、多くの人に恵みを与えられますように」

私なりに精一杯の祝福を込めた祈りを受け取ったレインは確かにと言う様に頷く。
その瞳には、先程までにあった怯えの色は既に無かった。






「シオリってさ、やっぱり中身は大人なんだよね。たまに疑いたくなるけど」

「それはどういう意味かなシンク。輪ゴムで前髪パイナップルにするよ?ヴァンとお揃いにするよ?」

「やめてよ!アレとお揃いとか何の罰ゲーム!?」

「どっちかってーと椰子の木だけどね。前髪だけまとめて頭頂部で一括り」

更に結ぶのが輪ゴムなので取る時に地味に痛いという二段構え。
シンクと書類を裁きながらそんな話をしていると、ソファに座って微妙な顔をしたヴァンがごほんと一つ咳払いをした。

実は居たのである。
今となっては取り繕う必要もないので既に思い切り素のまま、気にすることなく暴言を吐くのが私とシンクのクオリティである。

「……それで、セブンスの調子はいかがです?」

「ありゃ協力頼む以前の問題だよ。その前に教育を施さないと」

「教育ね、調教の間違いじゃないの」

「シンクにしてあげようか?」

「ごめんだね」

嘲笑交じりにまぜっかえしたシンクとそんなやり取りをしながら頭の中では神託の盾傭兵団の予測利益を纏めて分配先をはじき出している。
ちなみにシンクが清書しているのは第三師団による魔物宅配便の提案書だ。

「教育とは?」

「そのままだよ。最低限の知識すら与えてない今の時点じゃまず無理。
計画に参加してもらうならレインは要になるし、傀儡じゃ恐らく対応しきれない。
そのためにはあらゆる知識を吸収してどんな事態に陥っても対処できるようになってもらわないと。

だからまずは勉強。知識は荷物にならない宝ってね。
イオンを基にしている時点で素質はあるだろうし、知識をつけて、自信をつけて、影武者とはいえトップに立つ以上貫禄もつけてもらわないと。

私が教育に当たりたいんだけど構わない?」

「構いませんが……時間はあるのですか?」

「捻出するから無問題」

「レインって何さ。7番目のこと?」

ヴァンにそう説明しているとシンクが横槍を入れてくる。
今更だけどシンクって結構フリーダムだよね。相手にも寄るけど口を挟むことに遠慮が無い。
しかもちょっと眉を顰めてるから気に食わないというのがありありとわかる。

「そうだよ、シンクもそう呼んであげてね」

「シオリがつけたわけ?」

「そう……って、何でそんな顰め面するの」

「別に」

そっけない返事とともにぷいとそっぽを向かれる。
うーん、完全に機嫌を損ねてしまった。
実に子供らしく解りやすい反応である。
頭を撫で回したくなるのだが、やったら確実に今より拗ねるのでやめておく。

「ではレインの件は貴方に任せましょう
それとシンクの件ですが、」

「第五師団を任せたいって奴でしょ。シンクが良いなら構わないよ」

そう言ってシンクを覗き見れば、唇を尖らせて更にふてくされてしまっている。
私があっさりとシンクを手放そうとしているのが気に食わないのだろう。
多分自分居ても意味無いんじゃないか?みたいなこと考えてるに違いない。
なので「護衛と兼任になるだろうから、一番辛いのはシンクなわけだし」と付け足せばパッと顔を上げた。

「兼任って何?どういうこと?」

「え?だってシンクを手放す気無いし」

当たり前でしょうというようにあっさり風味でそう返せば、シンクはきゅっと口を引き結んで俯いた。
表情は見えないが髪の隙間から覗く耳がちょっぴり赤いので照れてるのかもしれない。

「つまりシンクの意志に委ねると?」

「そうだね。その上でシンクが了承するならスムーズに就任できるよう知恵を絞るよ」

そう言いつつもシナリオは頭の中に出来上がっている。
ヴァンがシンクを第五師団の師団長に、最終的には参謀総長に就けたいというのは予想済みだった。

故に、かなり前からシンクには自己鍛錬をする時は修練場に顔を出すように言ってある。
気が乗った時だけで良いとは言ってあったが、話を聞く限り結構な頻度で顔を出しているようだ。

ぽつぽつと愚痴なのか他愛ないお喋りなのか解らない話を漏れ聞けば、そのレベルの高さから一目置かれているらしい。
論師の唯一の護衛というのも注目を集める一手となっているのだろう。
つまりシンクの個人的な強さに関しては、既に騎士団内で認知されているのだ。

後は責任能力の有無や反感、出世による嫉妬を押さえ込めば何とかなるはずである。
それもまぁ案はいくつかあるから何とかなるだろう。

「どうするシンク、彼女はこう言っているが」

「……師団長って具体的に何するわけ?」

「そうだな」

ヴァンが師団長の仕事について説明しているのを横目に、私はぼんやりとそんな二人のやり取りを見た。
何も知らない人間が見たらショタッ気の強い美少年を口説く危ないおっさんだが、私しか見て無いのでさして問題は無いだろう。多分。

「勿論護衛を兼任する以上多少の融通は利かせるつもりだ。遠征任務は第一師団が、長期の潜伏任務などは今でも特務師団が請け負っている。
第五師団はダアトの守護を中心に動いてもらう形になれば、そこまで教団を離れる必要もなかろう」

「なら無理矢理僕をねじ込む必要無いよね?」

その通りである。
思わず頷きかけたシンクの突っ込みにヴァンは静かに首をふった。
何か理由があるらしい。

「ホド戦争からあまり時間は経っていないにも関わらず、マルクトとキムラスカの関係は悪化の一途を辿っている。
預言にも詠まれているが、このまま放っておけば戦争になるだろう。
私が危惧しているのはこの戦争になる前に二国の喧騒にダアトが巻き込まれることだ。

確かに教団は権力を持っている。
しかし結局は二国に認められた自治区でしかない。
預言が無くなればあっという間に潰される、それだけの存在でしかないだろう」

「まぁ、そうだね。それが?」

「だからこそ、彼女の論師としての事業展開に合わせ、軍備の強化を行いたい。
手を出せば危ないと思わせるような軍の目玉、そう、マルクトに居るかの『死霊使い』のような存在が欲しいのだ」

「それが、六神将?」

「そうだ。
その実力を内外に知らしめ、内部では騎士団の統率を図り、外部には一筋縄ではいかない存在が居るということを認知させる。
子供といって侮る事なかれ、というよりは、これほどに優秀な子供を育てることができるのだという牽制にもなるだろう。
これで多少なり武力による衝突も避けられるはずだ」

シンクはヴァンの言葉を真剣に聞いていた。
逆に"こんな危ない存在は消してしまえ"とマルクトとキムラスカが手を組んで攻め込んできたらどうするんだろう?と思ったが、なにやら真面目な雰囲気なので茶々を入れるのはやめておく。
まぁピオニー陛下がその気でもインゴベルトがそんな案呑むわけが無いのだし。

「つまり、六神将という存在で神託の盾騎士団の土台と防備を固めるってこと?」

ヴァンの説明を咀嚼して簡潔に纏めたシンクの言葉に、ヴァンは静かに頷いた。
まぁ私も無理に反対するつもりは無い。
騎士団の強さを誇示するということは信託の盾傭兵団の期待性も上がるというものだ。

そんな事を考えていると、シンクが暫く考え込んだ後此方へと視線を向けてきた。
その視線は何処までも真っ直ぐで、一瞬だけではあるがシンクの雰囲気に呑まれそうになった。
そう……何かを覚悟したような、年齢にそぐわない強い新緑の瞳に。

「シオリ」

「……何?」

「護衛の時間は今より減ると思う。けど……けど、僕は、君の役に立ちたい」

「……うん」

決意を秘めた瞳に、ゆっくりと紡がれる言葉。
言葉にする事で己に刻み込んでいる、そんなことを思わせるほど強い言葉。

「今みたいに事務を手伝って、君の身を守るだけじゃなく、もっと大きな手伝いをしたい。
傍に居ることだけが、全てじゃないだろうから」

「……そうだね」

そんなこと、0歳児が気付くことじゃないよ。
頭の中で何かから逃げるようにそんな軽口を叩き、同時にそんな事を口にするシンクが一気に成長したような感じて一抹の寂しさを覚える。
あぁ、いつの間にか私はこんなにもシンクを頼っていたのか。

いつの間にかシンクが傍に居ることが当たり前になっていた。
けれど彼にはもっと成長して欲しいと思うから、私は真っ直ぐ此方を射抜くシンクに心を込めた微笑みを贈る。

「だから僕は、騎士団で腕を振るおうと思う」

「……シンクの人生だもの、好きに生きなさい。
正式に騎士団に入るのはきっとシンクの糧になるから」

「うん」

「期待してるよ。けど無理はしないようにね」

「解ってるよ」

焔を宿した新緑の瞳。
私の役に立ちたいと言ってくれることに胸がはちきれんばかりの喜びを覚える。
だから私はその覚悟を受け取って、素直に見送ることを選んだ。
けれど見捨てるわけじゃない、そう想いを込めて。

「シンクの糧になるのであれば、私はいくらでも知恵を貸すよ」

「シオリの役に立てるなら、僕はいくらでも力をつけるから」

その言葉に頷いて微笑む私を、シンクは真っ直ぐな瞳で見返してくる。
その瞳が曇ることの無いよう私は精一杯のことをしよう。

どんな形であれ、この歪な幼子が幸せになれるように。


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