導師守護役の決意 後編


※アニス視点


あたしが一番守らなきゃいけないものは何だろう?



イオン様とやってきた喫茶店『萌黄』には、レコードから流れるゆったりとした音楽と柔らかな照明、そして店内にところどころ置かれた観葉植物によって落ち着いた雰囲気が作り出されていた。
吹き抜けになっている天井を見やれば柵越しではあるものの僅かに二階のVIP席がちらりと垣間見える。
風の噂によればたまに仮面を外したシンク謡士と論師様がお忍びデートに利用してるとかしてないとか。
正直そんな場所あたしには縁のない場所だと思っていたのだけれど、イオン様の来店に気付いた店員は迷うことなくその二階のVIP席へと案内してくれた。
しかも一階からチラッと覗けるテーブル席じゃなくて個室だよ、個室。
存在自体知らなかった個室に通されたことに驚くあたしを見たイオン様は実はテラスもあるんですよなんて暢気に教えてくれる。

それに更に驚きながら通された個室は高そうな調度品が置かれた品のいい部屋だった。
猫足の家具はまろやかなラインを描き、その上にかけられたテーブルクロスは染み一つ無い精緻な刺繍のされたもの。
汚したら借金が膨らむだろうなぁなんて考えると食欲もどこかへ消えそうになったものの、イオン様がさくっと日替わりケーキセットを頼んでしまったのでそうもいかない。
せっかくイオン様が注文した下さったものだ。食べなきゃ勿体無い。飲み物をたずねられたあたしはローズヒップティーを頼み、丁寧に頭を下げて出て行った店員さんを見送ってそっと息を吐いた。
お辞儀の仕方が綺麗だった。きっと論師様がサービスを徹底させてるんだろう。

「今日のケーキは二種のチョコレートを使ったガトーショコラだそうです。楽しみですね」

「はい。甘いものは好きなので嬉しいです。誘ってくださって本当にありがとうございます。でもやっぱり自分の分は自分で出しますよ」

「気にしないで下さい。僕もそれなりにお給料は頂いていますし、それに先程も言ったでしょう?お詫びもかねてますから、どうかアニスは遠慮せずに」

にこにこと毒のない笑みを浮かべながら言われ、念のため自分で払うといってみたものの、これ以上食い下がることもできず結局苦笑と共に頷くしかなかった。
そして出されたお水の毒見が終わった守護役がイオン様に合図をされて部屋から出て行くのを見計らい、イオン様はその柔らかな表情を一変させ真剣な顔になる。
こういうとき、イオン様はやはり導師なのだなと思う。普段はそんなことを感じさせない、穏やかで優しい人なのに。

「それで、アニスのご両親のことについて少しお話をさせていただきたいのですが、宜しいですか?」

「……はい」

「……ではアニス、今から僕は、酷いことを言います。アニスの大切なご両親のことです。
でもアニスのことを嫌いだから言うわけではありません。それを前提に聞いてくださると嬉しいです」

「……はい、イオン様」

ああ、やっぱり。覚悟はしていたけれど、やっぱりきつい。
胸の奥がつきんと痛んだけれど、それでもイオン様の気持ちは伝わってきたから頷いて答える。
解ってる。解ってた。ううん、気付かないふりをしてただけ。ずっとあたしが目を逸らしていただけ。
それが今、眼前に突きつけられるだけ。

あたしの、

「……僕は正直な所、オリバーとパメラにアニスの人生を捧げる必要はないと思っています」

パパと、

「あの二人に悪意があるとは言いません。アニスのことを愛しているのも、疑っていません」

ママは、

「しかしあの二人は自分たちの善意の裏側にアニスの献身があることに気付いていない。いえ、むしろそれを当然だと思っている節すらあります」

どうしようもなく、

「僕にはそれが……搾取に見えます。アニスの時間と、献身と、金銭と善意を搾取しているように、どうしても見えてしまうんです」

取り返しもつかないほど、

「勿論、アニスがオリバーとパメラのことが大好きで、だからこそその歳から働いてあの二人の借金の穴埋めをしているのは解った上で、です」

手がつけられないほど、

「だからアニス、貴方が不本意であることは解っています。それでも言わせてください。
オリバーとパメラの尻拭いをするのは、もうやめませんか?あの二人が変わることは、もう無いでしょう。このままでは貴方は不幸になってしまう。
僕は貴方が二人のせいで不幸になって欲しいとは思いません。むしろ貴方には青空の下でのびのびと、笑顔で居て欲しいと思っています」

手遅れな存在なんだって。

ゆっくりと聞き取りやすく、それでいてあたしのことを本気で心配してくれているのがよく解る声音だった。
パパとママを悪く言わないでって気持ちと、今まで目を逸らしてきた現実を突きつけられて逃げ出したい気持ち、そしてイオン様にそんなことを言わせてしまった申し訳ない気持ち。
色んな感情が胸の中でぐるぐると渦巻いて、服の端をぎゅっと握り締めながら何も言えずにうつむいてしまう。
どうしたらいい。なんて答えたらいい。解らなくてぐるぐるしてるうちに店員さんがケーキと紅茶を持ってきて、また綺麗にお辞儀をしてから出て行く。
良い香りがしたけれど手をつける気になれず、下唇を噛みしめながら何とか言葉を捜した。

けどやっぱり言葉なんて出てこない。だってなんて言えばいいの?
ありがとうございます?ごめんなさい?すみません?どれもあっているようで、それでいてしっくり来ない。
黙り込んでしまったあたしにイオン様は何も言わなかったけれど、こんこんとノックの音が響いたことで静寂は打ち破られた。

「ご歓談中失礼します。イオン様、論師直下情報部第五小隊副小隊長ローザ・クレイン響手がお越しになりました」

「クレイン響手ですね。どうぞ、通してあげてください」

「畏まりました」

ちらりと視線を上げた先に居たのは、表情の読めない同僚達。あたしと違って、血反吐を吐くような訓練をこなした上で導師守護役になった、本物の天才児達だ。
そんな同僚達に案内されてきたのは月の糸のような美しいブロンドと空を切り取ったような碧眼を持ち、完璧なプロポーションによる肉体美を惜しげもなく周囲に見せつける女性。
赤い唇が弧を描けばその妖艶な微笑に大抵の男性は鼻の下を伸ばすだろう。流石にイオン様はびくともしなかったけれど。

個室に足を踏み入れた副小隊長はにこやかに微笑んでイオン様に挨拶をした後、イオン様もまた急に呼び出してしまったことをわびる。
そして席を勧められた副小隊長はハイヒールの音を高らかに立てながらテーブルにつき、続けて入ってきた店員に当然のように日替わりケーキセットを注文した。
一礼して去っていく店員がきっちりとドアを閉めたのを確認してから、副小隊長は改めて自分が呼ばれた用件を確認する。
そしてあたしが指名したのだとイオン様が告げたとき、副小隊長はあたしを見て……それだけで全てを察したらしい。ため息をついた後、イオン様に無礼をわびていた。

「だから以前言ったでしょう?今みたいな顔になるくらいなら、さっさと切り捨てればよかったのよ」

「副小隊長……」

「情を捨てきれない。それは貴方の長所であり、短所ね。イオン様のお手を煩わせるなど導師守護役として不適合よ。もう一度訓練をやり直してあげましょうか、アニス・タトリン」

「申し訳ありません……」

「クレイン響手、あまり苛めてあげないで下さい。僕から誘ったんです」

「イオン様がそう仰るなら……。ところで念のため確認させていただきますが、イオン様も彼女の両親からタトリン奏長を離すべきだとお考えになられている。それでお間違いございませんか?」

「間違ってません。ただアニスは……離れたくないようで、僕に説得は難しいかと思っていたところです」

苦笑するイオン様と、厳しい視線を向ける副小隊長。
副小隊長は再度艶めいたため息をつくと、腰から乗馬鞭を抜き取りそれを私の顎に添え、無理矢理私の顔を上げさせた。
美しいブルーアイズと視線がかち合う。いや、合わせさせられる。その視線は真っ直ぐにあたしを射抜く。それが美しいと思う。

「そうね……イオン様のお願いだから、というのもあるけれど、以前にも言ったわね、アニス・タトリン。
第五小隊は貴方みたいな人間を歓迎すると。私自身も貴方を気に入ってるわ。ウチに引き抜きたいと思う程度にね。だから私からはこれだけ言わせて貰うわ」

そこで副小隊長は一息置いた。
アイスブルーの瞳が鋭くきらめき、思わず私は息を呑む。

「何故幸せになろうとしないの。貴方ならできる筈よ。
貪欲に、自分の幸せを追求してみなさい」

激流のようだった。

「貴方の両親は自らの幸せのために日々生きている。
預言に従い誰かの糧になることを喜びとし、その為に貴方という犠牲が払われていることに気付かない」

「たとえもし気付いていたとしても、貴方の両親は"自分達が預言に従うことで安寧と幸福を得ているのだから、自分の娘も同じに違いない"と信じている。
だから貴方の両親は"預言に従い幸せの筈なのに何故自分の娘はこんなにも怒っているのだろう?"と貴方の心情を理解できない。盲目なまでに。
その盲目はこれから先、貴方がどれだけ言葉を重ねても覆ることが無いでしょう」

「だって今が幸せなんだもの。それに貴方に犠牲を強いていることを理解したとしましょう。
その先に待っているのは"自分達は娘を犠牲にしたうえで幸福に浸っている駄目な親"という真実よ。貴方の両親は受け入れることができる?
できないでしょう?できたらとっくに貴方の考えに理解を示している筈だもの」

「貴方の両親は自分達の幸福と安寧のために生きている。
だったら貴方も自分の幸せのために生きたって何の問題も無い。そう思わない?」

「もう一度言うわよ。
貪欲に、自分の幸せを追求してみなさい」

……副小隊長の言葉は、あたしがずっと目を背けていた事実に刃をつきたてた。
パパとママはあたしの言葉を理解してくれない。パパとママは自分達の幸せのために生きている。
パパとママ、そしてあたしの間にある決定的な価値観の違いを、イオン様があたしを傷つけないようにあいまいにして避けていたであろう言葉を、容赦なく突き立てる。
ぽろりと涙が零れた。頬を伝い、テーブルに落ちる。服を強く握り締めて耐える。嗚咽を漏らさないよう、下唇をぐっとかみ締めた。

そう、副小隊長が言っていることは根本的にはイオン様の言っていることと同じだ。
一つだけ違うのは。

「……あたしも、幸せを願っていいんでしょうか」

「当たり前でしょう」

「預言に従わない、自分が一番で、誰かを優先できない。誰かのために、頑張れるパパとママの言うことを聞けない、悪い子、なのに?」

「それは貴方のパパとママの価値観であり、この世界全てに共通する認識ではないわ。現に私は貴方の価値観は悪い子だとも思わない。
それにね、貴方のその"幸せになりたい"という願望を切り捨てるつもりはないし、そのことでパパとママが貴方を責めたとしても、アニス・タトリンは間違っていないと胸を張って言ってあげる。
幸せの定義なんて人それぞれなのよ。たとえ貴方の"幸せ"とパパとママの"幸せ"の定義が違ったとしても、だからといって悪い子であるわけがないと私は断言してあげる」

嗚咽を飲み込んで必死に紡いだ言葉に、乗馬鞭を弄びながらクレイン副小隊長は笑いながら言った。
珍しく、艶のない優しい笑みだった。悪い子じゃない、と言ってくれる事がとても嬉しい。
涙で歪む視界でイオン様を見る。イオン様もまた、副小隊長の言葉を肯定するように頷いている。

「アニス、彼女の言うとおりです。貴方は貴方の幸せを求めていいんですよ。悪い子なんかじゃありませんよ」

イオン様もまた、あたしを悪い子じゃないといってくれる。
解ってる。パパとママもあたしを悪い子だとは思ってないと思う。ただ困った子だと思っているだけで。
けどパパとママは誰かのために犠牲になることを選べる人で、それはとても良い事で、それが容認できないあたしは悪い子なんだって自分で勝手に思ってた。
あたしが幸せになりたいって思って誰かを助けるんじゃなく自分達のためにお金を貯めようとするたびに、パパとママは困っ子だって顔をするから、それは悪いことなんだって思い込んでた。

「あたし……幸せになりたいです。他の人に、自分の稼いだお金もってかれるの、やだ。預言だからって渡さなきゃいけないの、やだ。
たとえそれで他の人が困っても、あたし、パパやママとこうやってケーキ食べて美味しいねって笑いたい。そっちのがいい。

でも、パパとママは違って、自分達が貧乏でも他の人たちが幸せならそれでいいって笑ってて……そう思えないあたしは、悪い子だって、思ってた。
自分達家族で笑えればいいって、それが幸せだって思うのは間違いなんだって。

あたし、悪い子じゃないですか。パパとママみたいにならなくてもいいの?
幸せになりたいって、自分の幸せを求めても、いいの?」

ぽろぽろと流れていた涙がいつの間にかぼたぼたと流れていて、テーブルの上に敷かれた綺麗な刺繍を汚していく。
ああ、弁償するには高そうだと思ったのに。それでも涙は止まらなくて、漏れ始めた本音は止まらず、泣きじゃくりながらも二人に問いかける。
誰かに肯定して欲しかった。貴方は悪い子じゃないって言って欲しかった。
そんなあたしの気持ちを察したかのように、イオン様があたしの頭を撫でてくれる。当たり前ですって、綺麗に笑いながら肯定してくれた。
副小隊長もそうだ。乗馬鞭を弄び、足を組んで尊台に笑いながら、あたしの言葉に鼻で笑った。

「当然でしょう?貴方は貴方の幸せを貫けばいいの。
貪欲に、幸せを求めなさい。アニス・タトリン。

たとえその過程で貴方が両親を捨てることになったとしても、私は貴方は間違っていないと胸を張って言ってあげる。
でも犯罪は犯すんじゃないわよ」

仕事が増えるでしょう、と少しだけ眉根を寄せて最後に付け加えられた言葉にあたしはきょとんとした後、思わずぶっと噴出して笑ってしまった。
涙でぐちゃぐちゃになった顔で、今度は腹を抱えながら笑う。イオン様もまた、くすくすと笑っている。

その時、まるでタイミングを見計らったかのようにこんこんとノックの音が響いた。
失礼しますという言葉と共に、ケーキセットと蒸しタオルをお盆に乗せた店員さんが入室してくる。
ケーキセットは音も無く副小隊長の前に置かれ、蒸しタオルは当然のようにあたしに差し出され、店員さんはそのまま頭を下げて部屋から退出していった。
タイミングが良すぎ、というかサービスが良すぎて逆に怖い。
それでも助かったことは確かなので、蒸しタオルでぐちゃぐちゃになった顔を拭かせてもらう。

「イオン様も、クレイン副小隊長も、ありがとうございます。
お陰ですっきりしました」

「いいんですよ。僕が好きでしたことですから」

「第五小隊は貴方の入隊をいつでも歓迎するわ。それを忘れないで」

「はい。ありがとうございます」

ぺこりと、座ったまま頭を下げた。そしてイオン様に促され、存在を忘れかけていたケーキを食べようと揃ってフォークを持つ。
ほんのりと苦味の残るチョコレートケーキは甘すぎずとても美味しかった。だから少しだけしょっぱかったのは、きっと気のせい。

この日から三日後、あたしは家を出てタトリンの名前を捨てた。
パパとママは凄く嘆いてたし追いすがってきたけど、後悔はしない。

幸せになってやる。
その決意を胸に、これからあたしはただのアニスとして生きていくのだ。




導師守護役の決意




途中ちょっとぐだぐだしましたが、アニスがタトリンの名を捨てるお話でした。
アニスは両親みたいな博愛主義者になれない自分は悪い子だと無意識に自分を責めていそうな気がします。
それは悪いことじゃないんだよ!とオリキャラとイオン様が背中を押しただけ。
それだけを書くのに何故こんなに長くなったのか。もっとコンパクトに纏められる文才が欲しいです。

清花

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