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「シオリ、貴方を愛しています。どうかこれから先の人生を、僕と共に歩んでいただけませんか? 導師と論師という教団を率いるものとしてだけではなく、男と女として……聡明で思慮深く、そして慈愛に満ちた貴方を、伴侶に迎えたい」

 そう言って私の前に跪き、私の手を取り甲に口付ける。

 導師たるものそう簡単に跪いていいのか、とか。
 お前帰ってきて早々言うことがそれか、とか。
 あえて詠師達が揃っているところで言うとか何を考えている、とか。
 言いたいことは色々あったが最終的に終結するところは一つだ。

 帰還早々性悪全開にしてんじゃねぇよこんちくしょうめ。




 私がキムラスカから帰還してから数日後、イオンもまたベルケントから帰還した。以前の一件以来積極的に治療に参加し、本人もまた気力に満ちたことによって病症は安定。
 今だ薬は手放せないものの、レインと入れ替わりながらの導師業務は可能だろうということでダアトに帰ってきたのだ。
 本人が早くダアトに帰りたいとダダをこね、渋る医者を説得して無理矢理帰還したと言った方が正しいかもしれないが。

 あんなに細かったイオンは治療していたにも関わらず以前よりも僅かにふっくらとしていた。
 曰く、入れ替わるのに問題が無い程度にあえて肉をつけてきたとのこと。確かに、必要なことではある。全く用意周到なことだと苦笑したのは一週間前。

 導師守護役たちにばれないよう気をつけながら日常生活が送れることを確認し、仕事の進捗具合などをレインから教わりながら導師業務に問題がないよう現在の情勢を頭に叩き込むのに三日ほど時間を要した。三日で把握できる頭に呆れればいいのか、それとも感心すればいいのか。
 二度ほどお茶に誘われたのでこっそりと導師の私室を訪ねたところ、そこには憂いを帯びた笑みを浮かべるレインがいた。
 もう自分の出番は必要ないかもしれませんと苦笑し、影武者をしていた間の努力はオリジナルイオンからすれば些細なことだったのだろうかとへこみつつあった彼を一生懸命慰めた。レインとイオンでは経験値が違いすぎるのだから仕方がないだろうと。

 何といってもイオンは八歳の頃から導師をやってるのだ。こう言っては何だが、素材は同じでも負けて当然。
 それよりも今からどんな力をつけるのかが重要なんだよと頭を撫でれば、私に抱きつきながら影武者を解雇されたら情報部に入れて下さいねと楽しそうに言われた。
 レインよ、私に甘えるためにわざとへこんだふりをしたな??
 シンクにべりっと剥がされたレインはへらりと笑っていたものの、そのちゃっかり具合にイオンの遺伝子を垣間見せられた瞬間だった。

 そうして急ピッチで導師業に復帰しようとしたイオンに若干の疑問を覚えたものの、今のダアトに乗り遅れたくないとイオンが言うからその言葉に納得していた。
 私が奮った大鉈を見て、自分もまた一緒に遊びたいんだろうと。そう納得していたのだ。

 なのでいつ入れ替わっていてもちゃんと対応できるように気合を入れなおしながら詠師会に顔を出せば、そこに居たのはレインではなくイオンの方で。
 入れ替わりに気付かない詠師達に内心苦笑しつつ、早速入れ替わったことに気づいた私に対してイオンがお茶目にウインクして見せたので緩く手を振って返しておいた。

 まあ入れ替わったからといって、早々何かが変わるわけでもないのだ。
 私は相変わらず嫌味を言われながら事業について幾つかの提案を却下されつつ、私にとって本題である方では許可をもぎ取っていく。
 いくつか苛烈な案を却下させておき、その後却下させたものよりもまともな案を出せば許可は取りやすいだろうと、最初から二つのパターンを用意しておくのは常道だと思う。
 相手は"私の案を却下してやった"という満足感を得ることができるし、私は自分にとっての本命の案を通りやすくさせることができる。
 ウィンウィンだよね、と言った私に呆れたのは確かシンクだったと思う。掌で転がしてるだけ? いいんだよ、相手が気付かず満足してるなら。

 それに今私に突っかかってくるのは大詠師派の中でもそれほど過激な者達は含まれていない。
 私の出した利益を掠め取りながらちくちく嫌味を言ってくるだけの、口だけ一派が表立っている。
 過激派はなりを潜めており、私は随分とやりたい放題させてもらっていると思う。

 だからイオン復帰初の詠師会も何の問題も無く終了し、後で復帰祝いでも開いてやろうかと思っていた直後に、イオンは閉会を告げようとした詠師に待ったをかけたのだ。
 そして本来ならばここで言うべきことではないと思うのですがと前置きをした後、どう足掻いても教団の今後に関わることだからあえてここで告げさせてもらうと真剣な表情で告げた。
 この時点でなんとなく嫌な予感はしていた。

 イオンは私に起立を促した後、あえて足音を響かせながら私の側へと歩み寄ってきた。
 視線が私とイオンに集中しているのが嫌でもわかる中、私の前で跪き、朗々と告げたのだ。

「シオリ、貴方を愛しています。どうかこれから先の人生を、僕と共に歩んでいただけませんか? 導師と論師という教団を率いるものとしてだけではなく、男と女として……聡明で思慮深く、そして慈愛に満ちた貴方を、伴侶に迎えたい」

 そう、突然のプロポーズ。
 詠師達がどよめき、流石の私も予想外すぎて思わず目を見開いてしまう。
 しかしイオンは周囲に頓着することなく私の手を取ったかと思うとまるで騎士のように私の手の甲に口付けてみせる。
 この突然のイオンの奇行に、少しでも混乱していないといえばきっと嘘になるだろう。

「……導師、そう、貴方は導師です。ローレライ教団を導く最高位の預言の詠み手が、そう簡単に膝をつくのは如何なものかと」

 それでも何とか、論師らしい言葉を選んで私もまたその場に膝をついた。導師をいつまでも見下ろしているのは不敬だからだ。
 イオンはそんな私に綺麗に微笑み……しかし立ち上がることはしなかった。

「今はローレライ教団の最高位である導師としてではなく、ただのイオンとして……一人の男として、発言しています。貴方に愛を乞うのですから、膝をつくのは当然のことでしょう」
「ならば何も詠師会で告げなくても良かったのでは?」
「ええ、だから最初に本来ならばこんなところで言うことではないのですが、と告げさせていただきました。これはいわばプライベートのことですから。けれど僕と貴方の婚姻となれば、それは個人の付き合いで済まなくなることはもはや必定。それならばと、思い切ってここで告げさせてもらったのです」

 そう言ってイオンは私の髪を一房取り、いとおしそうに口付ける。
 誤魔化さないで、と甘く囁く声音は本当にシンクのものと同じなのか疑いたくなる。イオンに翻弄されながら、私は舌打ちをしたい気持ちをぐっと堪えた。
 確かにイオンの言うとおり、導師と論師の婚姻となれば一大スクープだ。それが凶事か慶事かは、それを聞くものの立場によって変わるだろう。現に詠師達もまたイオンの発言にざわついている。

「導師と論師の婚姻、ですか」
「確かに二人とも似た年頃です、次代を担っていく二人が公私共にあるのならば」
「しかし論師には預言がない。教義に反するのでは?」
「だが実績があるのは事実だ。現に論師の存在は教団に欠かせぬものになっているというのに、今更教義も何もないだろう」
「教義をないがしろにすると?」
「教義を重んじるならば論師からの恩恵を受けることも間違いだといっているのだ」
「婚礼を挙げるならばキムラスカとマルクトにも連絡をせねば」
「教団のナンバーワンとナンバーツーの婚姻となれば、国王や皇帝をお招きしてもおかしくはないな?」
「大詠師はなんと仰るだろうか」
「しかし慶事には変わりない」

 ざわめく彼らの言葉を拾ってみたが、やはり頭が痛くなる内容だった。
 私は再度イオンに立つように促した後、こっちが先だと判断してまずは詠師達にストップをかけた。

「詠師の方々、落ち着いてください。私はまだ導師のプロポーズを受けておりません、なのに何故婚礼の話をしているのです?」

 そう、私はまだイオンと結婚するとは言っていない。
 私の言葉に詠師達はぴたりとお喋りをやめ、その内の幾人かは不快そうに顔をゆがめた。

「論師は導師にご不満がおありで?」
「突然のことです。せめて一考する時間を頂きたい」

 そう言えば、何人かが責めるような視線を投げかけてきた。
 解っていた反応とはいえ、漏れかけたため息をぐっと堪える。

 そう、イオンはわかっていたのだ。詠師会で発言をすれば詠師達は喜んで導師と論師の婚姻を纏めようとするだろう。
 論師は既に教団に利益を齎す実績を上げている。民からの支持を確実に集めており、キムラスカ・マルクト両国のトップまたはそれに近しいものから論師として招待も受けている。
 つまりダアトだけでなく、諸外国からも公式にその地位が認められたに等しい。

 そんな論師と、教団の最高指導者である導師との婚姻。
 世間は注目し、論師という金を産む卵を確実に教団に縛りつけ、そして結婚式は色んな意味で莫大な利益を見込める一大行事となる。
 つまり現状においてかたくなに反対する理由はないのだ。むしろ利益が上がるのだから、これ幸いにとこの婚姻を纏めようとするだろう。
 強いて言うならば、預言遵守派には論師派筆頭である私は邪魔だろうとか、そんな婚姻など預言に詠まれていない、といったところだろうか。
 大詠師辺りが言いそうなことであるが今のダアトには今更であるし、遵守派のうち強硬な輩は現在なりを潜めてしまっている。主に私のせいで。

 そうでなくとも、導師が真摯に、そして膝をついてまで切実に婚姻を申し込んでいる。
 それだけで熱心な信者である者には婚姻を結ぶに足る理由である。

 ここで私が時間をくれと願い、詠師達がそれを認めたとしても最後には婚姻を結ぶようもって行こうとするだろう。
 そうでなくとも詠師達がこれを漏らせばうわさは爆発的に広まり、ダアトは歓迎ムードに陥る可能性が高い。
 そうなれば私が嫌がっても、周囲に押されて結婚する羽目になる未来が安易に想像できる。現代の日本ならばありえないだろうが、ここはオールドラント。それがあり得てしまう。

 逆に無理を押し通して婚姻を蹴っても、私に導師を袖にした女というレッテルが貼られる。
 確実に民衆からの支持は下がるだろう。デメリットしかない。だからここで時間をくれというのは、本当にただの時間稼ぎでしかない。
 その未来が解る。確実に予測できるとしても、私はそう言うしかない。時間をくれと言わなければ、今ここで婚姻が決まってしまうから。

「今どうしてもここで返事をしなければいけませんか? 心を整理する時間も、いただけませんか?」

 今私が予測した未来を、イオンが予測できないとは思えない。つまりこれは全て計算ずく。私を手に入れるため、イオンは外堀から埋めてきたのだ。
 そんなイオンの一手だと解るから、私はイオンに性悪だと心の中で罵りながら、それでもはにかんだように微笑みながら可愛らしくおねだりをする。

「いいえ。貴方も女性ですから、そんな気持ちになることもあるでしょう。貴方のお返事、楽しみに待ってますよ、シオリ。僕の愛しい人」

 その完璧な微笑をゆがめるために、そのまろい頬を力いっぱい引っぱたきたい。
 その衝動を飲み込みながら、私はありがとうございますと柔らかく微笑むしかできなかった。





 『翻弄編』開始です。
 とりあえず爆弾を投下する気持ちで76話を掲載。

 ここだけの話。
 シンクが嫉妬するお話をというリクエストを何度か受け付けたことがあるのですが、毎回イオンに嫉妬するシンクを求められてるんだろうな、と思いつつも嫉妬の対象をレインにしたりとずっと誤魔化してきました
その理由がこれです。本編で! 対立! させたかったの!!
 多分『翻弄編』は他の話に比べて短めです。多分。昔に比べればスローペースでの更新ですが、皆様お付き合いくだされば幸いです。

清花

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