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「しっかしあの悪がき、まぁたとんでもない手を打ってきたね。この展開は流石のあたしも予想外だったわ」

「まったくだわ。というよりこの展開を予想できてた人間は居ないと思うけれど」

「ええ、おかげで頭が痛いです……」

詠師会が終わった後、煮え湯を飲まされ腸の煮えくり返った私は部屋を訪ねてきたリグレットやカンタビレととお茶を飲んで何とか気分を落ち着かせていた。
予想通り話は急速に広まったらしく――むしろイオンが話が広まるよう密かに手を回していたとしても驚かないが――、既に話を耳に入れていた二人もまた驚きを隠せないようだ。
濃い目に入れたアッサムで無理矢理脳味噌を覚ましながら、お茶請けとして用意していた林檎ジャムの乗ったクッキーを頬張る。美味しい。

「この世界の住人じゃない私が言うのもアレですけど……普通こういうのって密か事じゃないんですか?それともこの世界ではフルオープンが常識なんですか??」

「いえ、貴方の認識であってるわ。色恋沙汰、ましてやソレが導師のものとなれば普通は密か事であるものよ。
歴代導師とて預言に詠まれていないからと結婚はしなくても恋人は居た、その恋人とほぼ事実婚状態であった……という事例は数多と残っているもの」

「けど今のダアトは情勢が違う。導師は預言は絶対ではないと明言してるからね。預言に詠まれていない婚姻を結ぶにも抵抗は少ないだろうさ。
事実詠師達は殆ど反対しなかったんだろう?」

「ええ、まあ」

「導師もだからこそ踏み切ったんだろうよ。確実にアンタを、論師を手に入れる。そのために今許される限りでの最大限の思い切った行動をとった。
お陰でアンタもがんじがらめ。先に体を奪っておけば心は後から何とでもなる、とまで考えたかどうかは知らんがね」

「流石にそこまでは……ないとは言い切れないわね。あの子、いいえ、彼もまた男だもの」

カンタビレとリグレットの台詞に今度こそ本気で頭を抱える。つまりイオンはどんな手を使ってでも私を手に入れようとしているということだ。
そこに私の意思の自由は含まれていない。先に夫婦になっておいて、あとは時間をかけてゆっくり私を懐柔していくつもりだというカンタビレの台詞に否定ができない。
リグレットも肯定しているし、何より私自身もイオンなら考えかねないと思ってしまうからだ。
しかもイオンが踏み切れるだけの現状を作り上げたのは主に私という考えたくなかった事実も突きつけられ、現実逃避すらできなくなる。

「男、と断言するには……会ったのかい?」

「ええ、ココに来る前に」

その言葉を聞いて私は抱えていた頭を解放してリグレットを見る。見ればカンタビレもまたリグレットを見ていて。
その時の話を求められているのだと察したリグレットはカップをソーサーに置くと、予想外にも柔らかく微笑んでから端的に語ってくれた。

「なりふり構わず、貴方を求めると決めたそうよ。貴方の隣に立ち続けるために。
とても真っ直ぐな目だった。恋の炎の燃えた、熱い眼差しだったわ」

恋を、愛を、憎しみを知るリグレットの言葉だ。重く、そして疑いようのない言葉だった。
そもそも告白の方法にばかり目が行ってしまっていたが、イオンの気持ちに関して考えが及んでいなかったなぁということを今更ながら考える。
イオンの告白を受けて、私は嬉しいのだろうか?改めて自分に問いかけてみるも、驚きと方法に対する怒りが勝り、そこまで思考が及ばない。未だに。
というかあったとしても怒りが勝っている時点でお察しである。

「まあ本気で論師が嫁に欲しいなら、強力なライバルが居る以上確実性を取るために外堀を埋めるのは間違ってないな」

「そうね、そのうち教団内では意見が割れるんじゃない?主に神託の盾VS教団員てところかしら?」

「は?ライバル、ですか?」

「「シンク」」

「あ、あー……うー」

クエスチョンマークを浮かべる私に対しぼけたふりすんなといわんばかりにさくっと告げられた名前に何も言えなかった。
確かにこういった話題は下世話な面もある分、自分に関係ないと判断した下っ端の方々には面白おかしくはやし立てられやすい。
まあ私とシンクはほぼ母子関係に近いと思っているのだが、周囲からは同年代であることもあってそう言う関係に見られることが多いのも知っている。
たとえ実情が違えど周囲からの評価がそうであるならば、確かにイオンにとっては強力なライバルなのだろう。

「そういう関係じゃないんですがね……」

「その言葉を信じる人間がこのダアトにどれだけ居るだろうな」

「一割もいないに千ガルド賭けるわ」

「あたしもそっちに二千ガルド」

「賭けになっていない気がします」

そもそも胴元はどこだ。
二人のふざけたやり取りに苦笑しつつ、大きなため息をついてから再度紅茶に口をつける。
そして二人の会話から、やはり私には逃げ道がないのだと言うことを悟ってしまって胸中でため息をつく。

乞われて嫁に行く、というのはこの世界でも十分すぎることの幸せの象徴だ。忌々しいことに。
つまり私が断れば、幸せなことなのに何故?と言いだす人物も居るということだ。
私の幸せは私が決めると声高に言えればいいのだろうが、論師の立場がソレを許さないだろう。

「それで、結局どうするんだい?」

「……どう、しましょうね」

「あら、貴方らしくないわね。悩んでいるの?」

「ええ、見事に八方塞なもので」

はぁ、とため息をつきながら言えば本気で珍しいといわんばかりに目を丸くする二人。
私だって手詰まりになることぐらいある。いったい私を何だと思っているのか、この二人は。

「一体何を悩む必要があるんだい?方法はアレだが……伴侶としては十分だと思うがね。
顔よし、資産よし、将来性よし、体調にはちょいと難アリ、性格もひん曲がっちゃ居るが一途といえば一途だ。
しかも政略結婚じゃあなくリグレット曰くしっかり愛も恋もある。旦那にするには十分だろ?」

「カンタビレ……それじゃあ論師の気持ちが無視されてるじゃない」

「気持ちィ?おかしなこと言うなリグレット、この子は一般人じゃない。今や導師に次ぐ教団の権威者、論師だ。
自由な恋愛が許されるとでも?愛だの恋だのいえる立場じゃねぇだろ?
導師が名乗り出なきゃいずれマルクトかキムラスカの預言狂いの貴族があてがわれてただろうよ。
詠師の奴等が論師の婚姻だなんて便利なものを使わない筈がないからね。
それに比べりゃ導師は十分すぎる相手だ。妥協する点も……ないとは言わないが、貴族を婿に迎えるよりずっといい」

心底リグレットの主張が理解できないという顔をしたカンタビレの言い分に、私とリグレットは言葉を詰まらせるしかなった。
そうだ。私は論師。教団に利益を齎す者。導師に次ぐ最高権威者。政略結婚などさせられて当たり前。気持ちなんて考慮してもらえる筈もない。
突きつけられた事実がぐさりと胸に突き刺さる。権利が与えられれば義務も増える。頭では解っていたのにこの方面にはとんと思考が行ってなかった自分を責められている気分になった。

「ちょっと待ってカンタビレ。貴方にとってもう論師が導師に嫁ぐのは決定事項なの?
じゃあ貴方、何故どうするかなんて聞いたのよ」

「何故って、導師の罠にすっかり嵌ってる以上もう逃げられないのは確定事項だ。論師は子供だが、その程度すぐに悟れるだろう。
なのに論師は抵抗した。わざわざ時間を作った。だからてっきり条件か何かを作るのか、それとも何か根回しでもしたいのか。そう考えてたんだ。
だっていうのに論師がまだ導師に嫁ぐこと自体悩んでる風だったから、驚いたのさ」

そう言ってカンタビレは肩をすくめた。ソレを聞いたリグレットは絶句している。
しかしカンタビレの言うことは間違ってはいない。むしろ論師として考えるならば、ソレが正しい。正しい考えなのだ。
けれど私は気持ちがついていかなくて、飲み干したカップを少し乱暴にソーサーに置く。二人の視線が私に集まった。

「ごめんなさい、どうもまだ混乱しているようです。少し一人にさせていただいても構いませんか?」

「……そうね、その方が良さそうだわ。片付けはしておくから、寝室に行ってていいわよ」

「あー……まあ頭で解ってても感情がついていかないことはあるもんな。うん、悪かった」

「いえ、カンタビレの言うとおりです。私も自分自身に対する認識を誤っていました。むしろ指摘してくださってありがとうございます」

リグレットの言葉に甘え、席を立って寝室へと向かう。
私がカンタビレの言うとおり割り切った考えができていなかった、というのが解ってしまったのだろう。カンタビレもまた罰の悪そうな顔で謝罪してくれた。
それに笑みを浮かべて礼を告げ、最後に二人とお茶を同伴できて嬉しかったことを告げてからのろのろと寝室へと向かう。
そしてブーツを乱暴に脱ぎ捨てると、私一人が眠るには大きすぎるベッドへと思い切りダイブした。
スプリングが軋む音がしたが、ベッドは柔らかく私を受け止めてくれる。シーツはお日様のいい香りがした。

「……結婚なんて、考えたこともなかった、のに」

降って湧いた……というより剛速球で投げつけられた?話がようやく頭に浸透し始めて……少しだけ、泣きたくなった。

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