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「焦ったんだろうね。それで、ぐちゃぐちゃになった感情を処理しきれずに暴走した結果……というところかな?」

くすくすと、笑いながらイオンが言う。無事でよかったと笑う彼は本当に心配していたのだろうか。
いや、心配したからこそアリエッタを寄越し私の無事を確保したのだろう。
それだけならまだいい。私が腹が立つのは、シンクが暴走すると解っていながらイオンは行動を起こしたという点だ。

シンクの行動の事後処理をするのではなく、シンクが行動を起こさないように立ち回って欲しかった。
イオンならばそれができた筈だ。彼にはそれだけの知恵と手ごまがある。
いっそのことヴァンにシンクを軟禁させるだけでもいい。それだけでシンクの今回の暴走は止めることができただろう。
最も、イオンがシンクのためにそこまでしてやる義理はない。だから止めてくれただけで感謝すべき、と喉元まで競りあがってきた言葉は無理矢理飲み込む。

「緘口令は?」

「勿論敷いてあるさ。今回の件を耳にしたのはヴァンにリグレット、そして君の守護役とアリエッタくらいかな?
まあ多少噂が立つのは避けられないだろうけど、そこはシオリでも何とかできるだろうから僕が面倒を見る義理はないね」

ベッドの上で上半身を起こした状態で、ベッドサイドテーブルに腰掛けているイオンを睨む。
けれどイオンを睨んでも何も解決せず、私はため息をついてからつい数時間前にシンクが叩きつけられて破壊されたクローゼットがあった場所を見た。
服はぼろぼろ、木製のクローゼットはバキバキに折れて、今は破片なども片付けられて綺麗なものだ。
けれど数時間前には確かにシンクがそこにいたのだ。深夜に私の部屋を訪れ、私に襲い掛かったシンクが。

「私のせいね」

ぽつりと、言葉を漏らす。
私の上にのしかかってきたシンクは何かを言葉にしようとして、それでいてできなくて、今にも泣き出しそうで、けれど何かに怒っているような。
複雑すぎて言いたいことが読み取れない。そんな顔をしていた。
私のせいだろう。後悔が胸に突き刺さる。けれどイオンは笑うのをやめて、不可解だというように私を見た。

「何で君のせいになるのさ」

ぽふん、とベッドの端に腰掛けるイオン。
時刻は午前零時を過ぎている。以前ならばこんな時間にイオンが私の部屋を訪れること事態ありえなかった。
周囲からの視線があるからというのもあるが、シンクが釘をさしていたからというのもある。
が、そのシンクがいないのでこいつは堂々と居座っている。あ、また腹が立ってきた。

「私のせいでしょう。シンクは不安定すぎた。だから私に依存させて、精神安定を図らせた。意図的にね。
その結果がこれよ。私という存在を奪われると思ったシンクの暴走……私のせい以外のなにものでもない」

「あちゃあ、そうくるかぁ。んー、ちょっと予想とずれたなぁ……じゃあもうちょっと恩を売っておこうかなぁ」

「……シンクの社会復帰を手助けして恩を売り、その見返りとして結婚を承諾しろとでも?」

「あはは、よくわかってるじゃないか」

また腹が立ってきた。殴ってもいいだろうか。思わず眉を顰めて拳を握り締めた私を見たイオンは私の手を取る。
そして握られた指を一つ一つ丁寧に開いていくと、掌を重ね合わせる。温かい。

「本当はさ、シンクに裏切られて泣いてる君を慰めるとか、そういうパターン予測してたんだよね。
これで強力なライバルであるシンクを蹴落として後は君を囲い込むだけ、って思ってたし」

「最低か」

「でも君が予想外に落ち着いてる上、シンクの現状に責任感なんて持つなんてびっくりしたよ。僕から言わせれば自業自得だしね」

「元をたどればイオンも原因の一つなんだけど?」

「知らないよそんなの。あいつは神託の盾、軍人なんだ。いくら若かろうと働いてるんだから責任は自分にふりかかってくる。当たり前のことだろ?」

「それは……そうだけど」

イオンの言うとおり、私はシンクの保護者ではない。私のせいというのはあくまでも私の罪悪感から浮かんでくる責任感でしかないのだ。
イオンの温かな掌を握り締める。シンクとは違う、柔らかな掌だ。シンクの手は硬くてもっとごつごつしている。
それはずっと拳を握り締めて戦ってきたからで、やっぱりイオンとシンクは別人なんだとそんな些細なことで思い知らされる。

「……うーん、言葉では納得しても感情はついていかない?」

「そりゃ、まあ。あとイオンに腹が立ってる割合が大きいかな」

「はは。いいね、もっと怒って。それで僕のことだけを考えて?
最初は怒りでも憎しみでもなんでもいい。僕だけを思ってくれればそれでいいよ。
いつかそれを愛に変えてみせるから」

流石にこんなところまで色恋沙汰を持ち込もうとするイオンに一言物申そうとしたが、それは叶わなかった。
イオンは笑みを浮かべていない、真っ直ぐに私を見ている。リグレットの言っていた恋の炎に燃えた瞳とはこういうことかと理解させられた。
握り締めた手を引こうとしたが、イオンがそれを許さない。それどころか引き寄せられて、イオンの顔が間近に来る。
シンクの複雑そうな顔が脳裏にフラッシュバックした。

「本気だよ。君が以前僕を掬い上げてくれたとき、僕は君の隣に立ちたいと思った。守られるだけじゃなく、対等になりたいって。
それからずっと君の事を考えていて、君を愛してることに気付いた。シオリ、君を愛してる。嘘じゃない。
だから君を手に入れるためなら僕は何だってする。それで君に多少嫌われても、いつか僕を愛してると言わせてみせる。
君を他の男に奪われるくらいなら、嫌いといわれるほうがうんとマシだからね。それくらい、君を愛してる」

イオンの言葉に目を見開いた。正直なところ、イオンの言葉に驚いてしまったからだ。
苛烈といっていいほどの愛を向けられたことに、私は心の底から驚いている。
が、結局は驚いただけだ。そこで終わりだ。どきりともしなかった心臓が、きっと私の中での答えなのだろう。
近づけられた顔を掌で無理矢理遠ざける。真面目な雰囲気を取り払ってふざけた顔で酷いじゃないかと抜かす男の頭を今度こそ軽く殴った。
多分痛みはそれほどないのだろう。なにするんだと言いながら本気で怒っているようには見えない。

「悪い?つい数時間前に同じ顔に襲われたから迫られると怖くて殴りたくなるの」

「ああ、その弊害までは想定してなかったな。シオリはいつだって僕達を別人扱いしてくれるから」

「いくら別人でも同じ顔が目の前にあったら警戒くらいするに決まってるでしょ」

「うーん、キス一つするのも時間がかかりそうだなぁ」

その言葉にイラついたので、もう一度頭をはたいておく。私まだ結婚に諾と言った覚えはない。
なのにイオンの中ではもう結婚するのが決定事項なのだから腹が立って仕方がない。

「ともかく、これ以上シンクを利用しないで頂戴。確かにシンクは神託の盾で、世間一般からすればもう責任の取れる立場でしょう。
けどまだ五年も生きてない子供だ。それを知ってる人間くらい、ううん、それを知っている人間だからこそサポートしたいと思って何が悪いの?

それにね、イオンがなんと言おうとシンクがああなっちゃった責任の一端は私にある。
だって私はシンクが不安定なのが解ってた。私に依存しているのを解ってた。それがいけない事だって言うのも解ってた。
私から徐々に切り離さなきゃいけないことも、そのほうがシンクのためだっていうことも、私は解ってた。

けど私はそれをしなかった。その結果がコレなら私は受け入れるし、その責任を取らなきゃいけないと思う。
それはイオンにも曲げさせない。だってシンクと出会ってからココまでシンクを育てたのは私なんだから」

強引に会話を元に戻し、イオンを睨みつける。イオンは喉の奥で笑いながら解ったよと承諾の言葉を口にした。
非公式とはいえイオンは頷いたのだ。これ以上手は出さないだろう。
ホッと息を吐く私にイオンは不満そうだったが、それでもベッドから立ち上がった。そろそろ出て行くらしい。
吹っ飛ばされたドアの代わりにカーテンがかけられたドアもどきに歩み寄りながら、イオンは素晴らしい笑顔で私を振り返った。
嫌な予感しかしない。

「ところでこんな深夜に僕が君の部屋を訪れた時点で既成事実は成ったという手はどう思う?」

「とっとと出てけ色ボケ導師!!」

私が投げつけたクッションをけらけら笑いながら避けたイオンは、おやすみ〜と言いながらカーテンを潜り抜けて部屋を出て行った。
あの素晴らしい笑顔に苛立ちを通り越して殺意を覚えた。あいつ実は預言じゃなくて怨恨で殺されかけたんじゃないだろうか。

そんなことを考えながら、出て行ったイオンの言葉を反芻する。
けれどやっぱり私はシンクの件は私に責任があると感じてしまう。
それに、だ。

もそもそとベッドにもぐりこむ。

イオンは二つ読み間違いをしている。
一つは私がシンクに対して抱いている感情だ。前述したとおり、私はシンクに襲われた恐怖よりも責任感を感じている。
けれど何よりも私の罪悪感を抉るのは、シンクが離れていかなかったのではなく、私がシンクを手放したくなかったからこの結果を招いたのだという点。
シンクが私の側に居たがった。それは確かに事実だろう。けれど私はシンクを突き放せるのに突き放さなかった。私がシンクを側に置きたかったからだ。

シンクが私に懐くのが可愛かった。
私に依存していくシンクが愛おしかった。
けどその感情にずっと気付かないふりをしてきた。
どっちが依存しているんだか解ったもんじゃない。

もう一つはシンクが私を襲った、という点。イオンは恐らく私が性的に襲われたのだと思っているのだろう。
私の上にのしかかったシンクを見て、アリエッタだって同じ結論に至ったに違いない。だからシンクを排除しようとした。
確かに私だって最初は犯されるのかと思った。

シンクは私の上にのしかかった。腕をベッドに押し付けて、私の上に覆いかぶさって。
けど、それだけなのだ。
あの時の私は押さえつけられた恐怖で震えていたから気付かなかったけれど、アリエッタが来る前多少の時間があったにも関わらずシンクはそれ以上何もしてこなかった。
私はただ見下ろされていた。あの複雑そうな顔で。ただ私を見下ろしていた。

「……しんく」

今、話したい。
何を考えてるのって聞きたい。
けど、私の立場がそれを許さない。

「シンク」

いつもはすぐに返ってくる返事がないのが、空しかった。


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