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「お見舞いにきたよ、はい、これクッキー!」
「あら、美味しそうですね。ありがとうございます」
「焼いたのアッシュだけどね!」
「そうだろうなとは思いました」

 無垢な笑顔で自分が用意したものではないクッキーを見舞いだと言って寄越す子供。
 実はコイツ無垢なんじゃなくいい性格してるだけなんじゃなかろうかと疑ってしまうときがある。
 しかしそれを口にすることなく綺麗にラッピングされたクッキーを受け取り、反対側にあるお見舞いの品の山にそっと追加した。
 現在私は病気療養中ということになっており、あちこちからお見舞いの品が届いているのだ。お返しのことを考えるだけでも面倒くさい。

「お礼というわけではありませんが、そこの山から好きなお菓子を一つ食べてもいいですよ」
「やったぁ! ほらねアッシュ、シオリなら絶対くれるって言ったでしょ?」
「人の見舞いの品をたかるなリアン」
「何がいいかな? 僕マドレーヌ食べたい! あるかなぁ、ないならマフィンでもいいなぁ」
「人の話を聞け! 混入物がないかのチェックだけはしろよ」
「はーい」

 ウキウキとお見舞いの品からお菓子の箱を探し出すフローリアンについつい笑みが零れる。
 仕方ないとでも言いたげにため息をついていたアッシュだったが、私に向き直ると丁寧に挨拶してくれた。
 病床に就いているというのに〜とか言われたけれど、別にもう回復しきってるし本当に病気になったわけではないのでちょっと罪悪感。
 しかし挨拶をした後周囲に耳や目がないことを確認したアッシュは砕けた言葉に切り替わる。
 そんなアッシュに椅子を勧め、目当てのお菓子を発見したフローリアンがお茶を淹れに行ったのを機に私は顔を曇らせた。

「アッシュ、どこまで聞いていますか?」
「何も。ただ論師が体調を崩したと。ただ……」
「ただ?」

 仮面を取り、椅子へ腰掛けたアッシュが言葉を濁す。
 そして視線だけでフローリアンを追った後、少しだけ気まずそうに言葉を続けた。

「リアンが……被験者イオンの件以降シンクを気にしていたんだが、今朝になってシンクの姿が見えない。何かあったのかも、と言い出してな」
「あの子は勘がいいですねぇ」

 私の言葉で何かあったのを察したのだろう。何があったのだと翡翠の瞳が探るように私を見てきた。しかし私は瞳を細め、微笑むことでその視線を黙殺する。
 アッシュのことを信頼していないわけではないが、少しでも情報漏えいのリスクは避けたかった。
 かん口令が敷かれているとはいえ、人の口に戸は立てられない。どこから話が漏れるか、わかったものじゃないのだ。

 アッシュは私が話すつもりないことを察したのだろう。諦めたようにため息をつくと、何か手伝えることがあったら言ってくれ、と告げて後は口を閉じた。
 ありがたいことだ。成長しましたね、と思わず口にすれば茶化さないでくれと少し照れたように口にする。可愛らしいものだと思う。

「少し……そう、少し解らなく、なってしまって。すれ違ってしまったのかもしれません」
「解らない? 何がだ?」
「シンクの、気持ちが」

 あのときのシンクの顔が頭から離れない。何を思って私のところに来たのだろう。何か言おうとしていたのだろうか。
 頭の中でぐるぐる回るのはシンクのことばかりで、ある意味病気療養中というのは嘘ではないのかもしれないと自嘲する。こんなことでは仕事も手につかないだろうから。

「……シンクの気持ちなぞ、俺でも容易く解るものだが……解らないのか? 論師とあろうものが」
「私は万能でも何でもありませんし、別にわからないこと自体はおかしくないと思いますが」
「だがあいつは解り易いだろう? あいつの存在意義は論師だ。論師のためにあり、論師に依存している……傍から見ても病的なほどに、シンクの全ては論師に直結している」
「……そんなにシンクは私に傾倒しているように見えますか?」
「傾倒というより……もっとこう、依存対象というか……崇拝?」
「私は神か何かですか……」

 アッシュが適当な言葉を探るように視線をさ迷わせた後、辿り着いた答えにがっくりとうなだれてしまう。
 確かに自分に依存させていた自覚はあるが、そこまで酷かったのだろうかと考え込んでしまう。

「そうだよ、シオリは僕達の神様だよ」

 が、第三者の声が届いたので顔をあげてみたら、お茶を淹れて帰ってきたフローリアンがにこにこしながらアッシュの言葉を肯定していた。
 かちゃりと音を立ててティーセットを置く。サイドテーブルの狭いスペースにぎゅうぎゅうに詰め込まれた三人分のカップに、紅茶をなみなみと注ぎながらフローリアンは繰り返した。

「シオリはね、僕達の神様なんだよ。シオリがいなかったら、僕はきっとまだあそこに居た。満たされることも知らないまま飢えながら、知識を持たないまま何かを求めて。アッシュだってそうだよ。シオリがいなかったら、アッシュもまたきっと大事なものを失ってた。僕達だけじゃなくて、たくさんの人がどんな形であれシオリに救われてるんだよ。その中でもシンクは一番最初にシオリに救われて、ずっとシオリの側に居たんだよ? シンクにとっても、僕達にとってもシオリは神様みたいなものだよ。僕達を救ってくれた、無力で、優しくて、苛烈で、小さくて可愛い神様なんだ」

 静かに語る姿はイオンに似ている。言葉選びはシンク譲りだろうか。穏やかに微笑む姿はレインを連想させた。
 しかしそれでいて彼等と同一でありながら異なる存在であるフローリアンは自分だけの言葉を私に重ねる。
 愚直なまでに飾らない言葉を素直に紡ぐのはフローリアンだけだ。

「だから導師の話を聞いて僕、怖かったんだ。シンクが何かしちゃうんじゃないかって。だってシンクは一番、シオリをとられることを怖がってるから」
「私がとられる、ですか?」

 私は別にシンクのものになった覚えはないのだが。
 フローリアンが紅茶に角砂糖を五つ投入するのを横目に、アッシュと共に無事なカップをサッと手に取る。
 大事な話の最中だと解ってはいるが、善意の名の下に紅茶が砂糖でざりざりする結果は避けたかった。

「うん、だってシオリの隣はシンクの居場所でしょ? ずっとそうだったじゃない」

 当たり前だろうといわんばかりのフローリアンに、私は目をぱちくりさせる。思わずアッシュへと視線を移せば、当然だろうというように私を見ている。
 私は、私はそんなにシンクの隣に居ただろうかと考える。確かに物理的に側にいることは多かった。それは認めよう。
 けれどフローリアンに断言されるほど、私達は近かっただろうか。無意識のうちに目が泳いでいた。

「シオリが一番気を許せるのもシンクで、一番信頼しているのもシンクでしょう? なのに何でそんなに戸惑うの?」

 しかしそれを指摘され、今度こそ私はあからさまに動揺してしまう。
 フローリアンは砂糖の溶け切っていない甘ったるそうな紅茶を一口飲むと、はぁと一つため息をついた。
 フローリアンしては珍しい、どこか呆れたような表情をしている。

「シオリはシンクのことが好きなんでしょう? 何からそんなに逃げてるの?」

 珍しい……本当に珍しいフローリアンの問いに、私は返事をすることができなかった。
 だってそんなことを言われる理由が解らない。シンクの思いが解らないという話をしていた筈なのに、いつの間にか私の話になってしまっている。

「……フローリアン、今はシンクの気持ちを知りたいって言う話をしてるんですよ?」
「そうだよ。でもシオリがシンクを好きじゃないと、シンクは自分の居場所をなくしちゃうんだから、無関係じゃないでしょ?」

 軌道修正をかけたつもりが、話題が連結されてしまった。なので改めて考える。
 好き。すき、スキ。好意を示す言葉だ。
 親愛、友愛、家族愛、母子愛、恋愛。好きの意味は様々で、同じ表現でもLOVEとLIKEでは大きく異なる。
 それでも好きか嫌いかと言われたら……好き、なのだろう。どの好きに分類されるかは、別として。

「そうですね、嫌いならそばに置きませんよ」
「……あのね、僕はシオリが好きだよ。でも同じくらい、シンクのことも好き。シンクがシオリに依存しているの、シオリなら気付かない筈がないよね? でも何も言わないってことは、シオリは知ってて放置してきたんだよね? シオリに完全に依存したシンクがどうなるかなんて、僕でも解るのにシオリが解らないはずないもん。僕はシンクの過去を知らないから、どうしてシオリがそうしたのか口を出すつもりはないよ? でもこれからのことはちゃんと聞かせて、僕の大切な兄弟を、シオリはどうしたいの? シンクの気持ちを知りたいっていう、シオリの気持ちは一体何なの? シンクの気持ちも居場所も何もかも、全てはシオリありきなんだよ。だからシンクの気持ちを知りたいなら、まずシオリの気持ちをはっきりさせなきゃ駄目だよ。ねぇ、シオリはシンクをどう思っているの?どうなって欲しいの?シンクとどうなりたいの?」
「……わ、たしは……」
「自分に依存させておいて、いざとなったら知りませんなんて、言わないよね?」
「おい、言いすぎだ」

 厳しさすら滲ませるフローリアンの問いに答えられない。私の曖昧すぎる"好き"を見透かした言葉が胸のうちに突き刺さる。
 アッシュが止めてくれたけれど、答えない私にフローリアンは不満顔だ。俯けば手に持ったままのカップの中で紅茶が揺らめいているのが見える。

「……シンクには、幸せになって欲しいです」
「……それは、シオリがいないと無理だよ」

 何とか搾り出した答えに帰ってきたのは、僅かに落胆の滲んだ声だった。





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 アッシュは導師の公開告白後、シンクの姿が見えないのはイオンの搦め手に取られたか下手すると人質的扱いになってるかな程度に思ってる。
 だから論師が政治的、世間的、感情的な色んなものに雁字搦めになって身動きが取れなくなっていることを察しているので、深くは聞かなかった。
 勿論シンクが暴走したなんて思いもしない。

 フローリアンはシンクがいないのは(どんな形であれ)暴走して隔離されたのかなと本能的に感じ取ってる。
 論師に対してずかずか言うのは、フローリアンにとって優先順位はシンクと論師で、ほかの事(世間体、教団の現状等)は全部思考に挟んでないから。シンプル。
 おかげで論師が目を逸らしてきたものに真っ直ぐにぶつかる。とにかく論師とシンクが幸せになればいいと思っているからそれが第一。
 そのためにはまず二人の思考を合致させないと現状に太刀打ちできないことをなんとなくで悟ってる。無垢というより野生児に近い勘。

 とっても対照的な二人です。全体を俯瞰するアッシュと、一点突破のフローリアン。


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