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目が覚めたときの浮遊感が好きだ。
どこか懐かしい、ふわふわとした不思議な空間にたゆたっているような、とても気持ちがいい感覚があるから。
けれど最近その感覚にどこか皹のようなものが入り込んでいるような気がする。
だからだろうか、それともシンクが側にいないからだろうか。泣き喚きたくなるような、どうしようもない不安に駆られるのだ。
この訳の解らない衝動を、私はどうしたらいいのだろう。

「私は、シンクとどうなりたいんだろう……?」

自分のメンタル管理は自分でしなければならない。
フローリアンたちが帰った後、病気療養中なのをいいことに、私は一人だけの自室でポツリと呟く。
フローリアンからの疑問が、私の胸に突き刺さっている。この訳の解らない不安も、きっとそのせい。自分にそう言い聞かせて、それを解消するために考える。
論師は長く倒れてはいられない。ならばこの休暇のうちにメンタルも安定させておかなければならない。

「私はシンクに幸せになって欲しい。そう思うのは私がシンクに形はどうであれ好意を持っているから。
フローリアンはシンクが幸せになるのは私が必要だと言う。それはきっとシンクが私に依存しているから」

口に出して、確認する。一つ一つ順番に。

「シンクという存在の根幹には、全て私が関わっている。
うん、そうだねフローリアン。その通りだ。私がそうしてきた。シンクの精神を安定させるために、私がそうした。

だから私はシンクのことにも責任を持たなくちゃいけない」

自分でそう言ったんじゃないか。動揺していた自分を殴りたくなった。
イオンにだって断言したのに、何故私は動揺したのだろう。

「そうだ。私はシンクが不安定なのが解ってた。私に依存しているのを解ってた。それがいけない事だって言うのも解ってた。
私から徐々に切り離さなきゃいけないことも、そのほうがシンクのためだっていうことも、私は解ってた。

けど私はそれをしなかった。その結果がコレなら私は受け入れるし、その責任を取らなきゃいけない。
それはイオンにも曲げさせない。だってシンクと出会ってからココまでシンクを育てたのは私なんだから」

イオンと話した言葉を思い出し、繰り返す。自分に言い聞かせるように。
そうだ、シンクにとって私と言う存在はとても巨大だ。そんなの、これまでの経緯を考えれば簡単にはじき出される答えじゃないか。
なのに何故私はあんなに頓珍漢な反応をしてしまったのだろう?

「シンクが、私を取られることを恐れて、なんて言われたから?」

フローリアンの言葉を思い出し、疑問を口に出してみる。しかし何故だろうか。しっくりこない。
改めて考えればシンクが私を取り上げられることを恐れるのは、当たり前のことだ。
幼児が母親の側から離れたがらないように、依存対象を奪われることを忌避するのは当然の反応だからだ。
うん、おかしくない。別に動揺することでもない。

「他に何を言われたっけ?」

考える。思い出す。

『だってシオリの隣はシンクの居場所でしょ?ずっとそうだったじゃない』
「私の隣は、シンクの居場所。うん、そうだね。子供が母親の隣にいるのは、おかしくない」

『シオリが一番気を許せるのもシンクで、一番信頼しているのもシンクでしょう?なのに何でそんなに戸惑うの?』
「私が一番気を許せるのはシンクで、一番信頼してるのもシンク。うん、そうだね。
でも私に依存してるってことは私を裏切る可能性が極端に低く、且つ私の希望に応えてくれる可能性がとても高いってことだ。
だから別におかしくない。うん、おかしいことじゃない。おかしくなんかない」

『シオリはシンクのことが好きなんでしょう?何からそんなに逃げてるの?』
「私は……シンクが私に懐くのがかわいくて、どうしようもなくて、私に依存していくシンクが愛おしい。
うん、そうだね。好きだよ。嫌いじゃないなんて誤魔化しだ。

じゃあ、何で私は誤魔化したの?」

考える。あの時何を考えたっけ。そうだ、好きの種類を考えたのだ。
私に依存するシンクが可愛い、なんて邪な気持ちを知られたくなくて、あんなふうに言ったのだっけ?
違う。じゃあそんなドロドロした気持ちを言葉に出来なくて誤魔化した?
それも違う。だって、いつも通り笑顔で言えばよかった。勿論好きですよって、論師としてはそれが正しい。

自分の気持ちなのに、まるで迷路に嵌ったみたいにぐるぐるとする。
明確な答えが出ないのが物凄く気持ち悪くて腹立たしい。

ああ、なんだっけ。そうだ、好きの種類だ。ベッドの上で、自分の膝を抱えて考える。
シンクに対する好きの種類。
脳みそが沸騰しそうなほど考えてみたけど、やっぱりはっきりとした言葉にならなくて苛々して、仕方ないのでアプローチの方向を変えてみる。

アリエッタは、好き。可愛い可愛いお友達。
レインは、好き。弟みたいで、見ていて微笑ましい。
リグレットは、好き。口にはしないけど、もしお姉ちゃんがいたらこんな感じなのかなぁとか考えることがある。
ディストも、まぁ好き。一生懸命で、ひたむきで、純粋で、子供のまま大人になってしまった人。
ラルゴも、好き。お父さんみたいな人。父性の塊みたいな人。本当はきっと、とても優しい人。
カンタビレも、まぁ好き。それほど親しい訳じゃないけれど、あの裏表のないさっぱりとした性格はとても付き合いやすい。
ヴァンも、まぁ好きな方だろう。時折方向修正が大変だけど、それでもあの人の根幹は愛があるのだと思うから。

シンクは……好きだ。うん。
私の事を取られたら暴走するくらい好いてくれてるのだ、好きに決まってる。
ああ、でも私がシンクを取られたら、どうなるのかな。

そこまで考えて、何故かもやっとする。
それに違和感を覚え、思わず眉を顰めてしまう。

シンクが取られたら。シンクが取られたら?

それは他の部署に奪われたらということだろうか?
いや、違うな。だってたとえシンクは神託の盾じゃなくなっても、私の役に立とうと奮闘し続けるだろうから。
シンクが導師に引きずり上げられたらということ?
それもきっと違う。そうしたらきっと、私はシンクと仲良く教団を率いていける。

じゃあ……じゃあ、もし、万が一、シンクが、他の人に、依存したら?

「……え、何それむかつく」

ぽろりと言葉が漏れた。もやっとした気持ちが再度広がる。それどころかイラっとした気持ちに進化している。
シンクが私を見なくなったら。シンクが私の側から離れたら。シンクが私以外の人間に抱きついて、噛み付いて、信頼して……。

「……うわ、めっちゃむかつく」

想像するだけでもむかむかして仕方がない。
シンクは私に懐いていればいいのだ。と、思ってしまう。
シンクは私だけみてればいいのだ。と、考えてしまう。
なんて傲慢な考えだと自分でも思うけれど、それでもそれが私の一番正直な答えな訳で。

「……それって世間一般から見て、独占欲って言うよね?擬似親子だから?にしてはは行き過ぎてる感情だなぁ。
独占欲を抱くことを許される関係といえば、友人や家族は一般的じゃないから、どちらかというと恋人や夫婦感のものだよね。
つまり、シンクに独占欲を抱いている私は、シンクに恋してるってこと?」

………………………………。

カッと頬に熱が集まった。無性に叫びだして、暴れだしたい衝動に駆られて、しかしその衝動に従うわけにも行かず、布団をかぶって丸くなる。
頭を抱えて熱を持った頬をぎゅうぅと自分で捻る。痛い。

自分の言った言葉の破壊力が凄すぎて、この衝動に耐え切れそうになかった。
ドクドクと心臓の音が煩い。まるで耳の隣にあるみたいに、自分の鼓動の音が聞こえる。
頭が沸騰しそうなほど茹っている。熱があるわけでもないのに視界がくらくらする。

「……まじかよ」

なるほど、どうやら私はシンクに恋をしていたらしい。

「……まじかよ」

今発覚してどうすんだよ。シンク牢屋の中だぞ。

「……まじかよ……っ!」

自分の鈍感っぷりと最悪なタイミングの自覚に対して布団の中で身悶える。
多分私が他人だったら指差して腹を抱えて笑ってやりたいくらいの鈍感っぷりである。
穴があったら埋まりたいほどの羞恥はなかなか引いてくれず、私は十分ほど布団の中で暴れまわるのだった。


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