81



前回のあらすじ、イオンに公開告白され、フローリアンに促され、シンクへの恋心を自覚しました。
自分の鈍感っぷりに豆腐の角に頭をぶつけて記憶をなくしてリセットしたい衝動が半端ない。

「どうしました?」

「いや、自分を殴りたいなと」

「え」

「いえ、気にしないで下さい。本当にするわけじゃありませんから。それくらい後悔してる、そんな意味です。だから貴方達も私を抑えようとしなくていいです」

一夜明け、うっかりお茶会でレインと話している最中に本音が漏れて、紅茶のカップ片手にレインが固まってしまった。
ついでに私が自傷する前に抑えようと動きかけた守護役たちにもストップをかける。
自分のだけじゃなくアニスたちまで動かれたら私逆につぶれるから。つぶれて動けなくなるから。

「驚かせないで下さい。今の貴方の価値は天井知らずなのですから、傷一つつけたらどれだけの人間が叫ぶことか……」

「阿鼻叫喚ですね」

「地獄絵図ですね」

レインの言葉にアニスと論師守護役長が追従し、全く持って同意だと言うようにこくこくと赤べこみたいに頷いている。真顔で。
ごめんて。謝るからもう勘弁してください。

しかしその価値というのが論師という立場に加えて、導師に告白された女性という意味も含まれていることに内心落ち込んでしまう。
今まで論師として過ごしてきた自分にはわかるのだ。周囲から寄せられる期待の中に、教団の成長のほかに、時代の論師及び導師の母としても期待されているということを。
判っています。私と導師の子供なら期待大だって言うんでしょ?知りたかないわそんな心理。

「はァ……まぁ、それが目下の悩みなんです」

「世間一般的に言えば、未来あることでは?」

「カルチャーショックという奴ですよ」

「文化的衝撃、ですか? シンクのことではなく?」

私が省いた行間を正確に読み取ったレインの冷静な言葉に私はぶふぅっと紅茶を噴き……そうになりかけたのを何とか堪えたものの、耐え切れずにげほげほとむせこむ。
昨夜ほどではないがほんのりと頬に熱が集まっているのが解った。
論師守護役長に背中をなでてもらいながら、何とか落ち着いた後アニスが入れなおした紅茶で喉を潤す。

「そんなに私とシンクは恋仲に見えますか」

「恋仲といいますか、最近は熟年夫婦に見えます」

「どこで覚えたんですかそんな言葉」

ちらっとアニスを見ればサッと目を逸らされた。
どうやら覚えがあるらしい。にこりと微笑めばがくりとうなだれる肩。
後でちょっと聞かせろやという心の声は無事届いたようだ。

「恋仲すっ飛ばして熟年夫婦ですか」

「はい。一緒にいて当たり前といいますか。隣にいるのが当然というか……」

「ああ、なるほど。自然体ということですね」

「そうです。だから二人が離れるというのが想像があまりつかないんです。
僕が割り込もうにも割り込めなかった間にイオン様が割り込めるのか、ちょっと楽しみでもあるんですけど」

笑顔で言われた台詞にまたアニスを見る。今度は強張った顔でぶんぶんと顔を横に振っていた。
どうやらこのちょっぴり黒い発言はアニスは関わっていないらしい。仕方がないですねと言う代わりに軽くため息をつけばアニスはあからさまにホッとした。
何故私は他人の守護役と以心伝心しているのだろう。

「楽しみにされても困ります。私は困惑しかありませんから」

「すみません。何かお力になれれば良かったのでしょうが……」

「影武者である貴方にそこまで求めたりしませんよ。自分の仕事だけでも大変でしょう?
導師守護役がいくらかまわされているようですから身の安全は保障されているでしょうが、今の導師はフットワークが軽いですから」

「まぁ、否定はしません。新しい情報が続々と追加されてくるので、いざ交代するときの為に覚えておくことがどんどん増えるのが大変で」

「でしょうね。こうして愚痴を聞いてくださるだけで十分ですよ。女というのは答えをもらえなくても言葉にして吐き出すだけで心が軽くなる生き物ですから」

「そうなのですか。不思議ですね。
はっ、もしかしてこれがカルチャーショックという奴ですか?」

「いえ、単純に男性脳と女性脳の違いだと思います」

くだらない掛け合いについつい笑みが零れる。
本気なのかおどけているのかは解らないが、レインとの会話に少しだけ気分が浮上した。
再度紅茶で喉を潤し、首を傾げているレインもまた紅茶を口にする。

「男性脳と女性脳ですか。やはり僕には不思議な言葉に聞こえます」

「簡単なことですよ。男性はリーダーを求め団結する。そして問題を提示された時、その解決策を提案する。
女性は同意を求め団結する。そして問題を提示された時、共感を口にする、という。まぁ大雑把に言えばそんなものです」

「なるほど。男女別の大雑把な傾向、といったところでしょうか。納得できる部分があります」

「そうですね。でも皆さん無意識のうちに知っていることだと思いますよ」

「ふふ、そう言った部分を言葉にしてはっきりと認識することで、貴方は人心を掌握しているのですね」

「そうですね、論師は言葉を武器に、大衆を味方にして立つ身ですから。多少の心理操作などはお手の物、と言う奴です。
そのための知識は、オールドラントの中でも多少秀でている方だと自負していますよ。流石に王族や皇族の方などには敵わないでしょうが」

「ふふ、シオリは謙遜が上手ですね」

「いえ、本気で言ってますけど……」

爽やかに笑いながらさりげなく私を王族達より口達者にしようとするレインに思わずつっこむ。
民衆を導いてきた王族皇族の方がそう言った大衆心理を操る術は知ってるはずだ。それだけの歴史があるのだから。
ただキムラスカの王族を思い出すと、筈という言葉に力をこめ、語尾の力が抜けていきそうになる。解せぬ……。

そこまで考えてふと頭の中を何かが掠めた。それが引っかかって、カップをソーサーに置いて腕を組んで考える。
何が引っかかったのだろう。大衆心理?口達者?男性脳?女性脳?

「シオリ? どうしました?」

「いえ、少し何かが引っかかって……」

心理操作?近い。けど違う。

「何か、ですか?」

「はい、先ほどの会話で少し。大衆心理とか心理操作とか」

「……貴方の得意技のことですか?」

何か今さらっと酷いこと言われたような気がする。

「私そんな民衆を操ってます?」

「論師は大衆を味方にして立つ身だって言ったのはシオリじゃないですか」

「……それだ!」

思わず立ち上がって手を打ち、レインを指差してしまった。突然指差されたレインは驚ききょとんとした顔で私を見上げている。
しかし構っている暇は無い。まるでパズルのピースが嵌っていくかのように私の中で次々とシナリオが描かれていく。
これは賭けだ。とても危険な、今まで積み上げていたものが崩れ去ってしまうほどの。

けれど。
それがどうした。

それを実現させるための武器を、私は持っている。ならばあと必要なのは覚悟だけ。
ごめんなさい嘘つきました。根回しと仲間集めも必要だよね!

差し込んだ一筋の光明に興奮した気持ちを抑えながら、私は考えを纏めるために部屋の中をうろうろする。動物園の檻の中のクマみたいだ。
冷静な自分の突込みを横に捨て置きながら、誰に協力を求めるか、必要な手配について考える。

「第五師団は密かに引っ張れば……ヴァンの協力は必須だな。後はリグレットの後援も期待できる。
ラルゴは……危ういか?ディストは多分いける。第四小隊は……駄目だ、流石に使えない。ああ、ルークの手紙は使えるな」

ぐるぐるその場で円を描きながら歩き続ける私にどう反応したらいいのか解らない守護役たちがおろおろしているのがわかった。
しかし考えがまとまった私が足を止めて顔をあげたので、それに合わせておろおろしていた者達もぴたりと止まる。新手のおもちゃかな?

「レイン、ありがとうございます。お陰で光明が見えました」

「? はい、どういたしまして??」

「それで大変申し訳ないのですが、根回しに動き回りたいのでそろそろ失礼致します。今日は楽しい時間をありがとうございました」

「あ、はい。こちらこそ……楽しい時間でした??」

よく解っていないレインにも細かい説明をする気がないので、何か聞きたそうなのを無視して私はお暇することを選ぶ。
別にレインに話す分には構わないのだが、守護役からイオンに行動が漏れるのが嫌なのである。
杖を持ち部屋を出て行く私を守護役たちが慌てて追いかけてくる。
戸惑う守護役たちの中から論師守護役長が一歩前に出て私に歩測を合わせると、怪訝な顔で私に問いかけてきた。

「論師様、我々は何をすれば?」

私が何をしようとしているのか聞かず、ただ手足として使ってくれという彼にくすりと笑みが漏れる。
私の事を信頼してくれているのだと思うと、嬉しいような、むず痒いような気持ちになる。
しかし悶えている余裕はもうないのだ。すぐに顔を引き締め、私は彼らに告げた。

「まずは時間を稼ぎます」

イオン、お前の横っ面殴ってやるから覚悟しろよ。

栞を挟む

BACK

ALICE+