81.5
「ねえねえ知ってる? 導師様と論師様のお話!」
「聞いた聞いた! 詠師会で詠師達の目の前で膝をついてプロポーズした導師様の話でしょ! 論師様が導師なのに膝をついたらいけないって言ったら、今は貴女に愛を乞う一人の男だからって! 素敵よねえ。それなのに論師様は心の整理をさせてほしいって返答を先延ばしにしたらしいじゃない。何が不満なのかしら」
「でも論師様もまだ十二歳なのよ? びっくりしちゃったんじゃない?」
「それもそうね……そうね。まだ成人すらしてないのに結婚なんて申し込まれたらびっくりするわよね、普通は」
「そうそう。きちんと落ち着いて考えれば色よい返事をするでしょ。はぁ、楽しみだわ。お二方の結婚式!」
「いや目出度い話じゃないか。導師と論師が結ばれたらダアトも安泰だろうなあ」
「本当に。何でも導師様から愛を乞われたとか。論師様も幸せ者ねえ」
「お二人のお子ならさぞ美人になるに違いあるまいよ」
「だがお二人の婚姻は預言に詠まれているのだろうか? 確か論師様は預言をお持ちでないという話ではなかったか?」
「ああ、確かに。預言にないことをして大丈夫なのかしら」
「不安だな。この後導師様と結婚すると預言を詠まれた女性が現れたりしたらどうしたらいいんだ?」
「そうねえ。確かに不安だわ……」
「論師様、体調を崩されているらしいじゃないか。大丈夫だろうか」
「プロポーズがプレッシャーだったのかもなあ。確かにすごい方ではあるが、まだ十二歳の子供だ……貴族なら婚約者が居てもおかしくないが、論師様は庶民の出だと聞く」
「ああ、なるほど。だが導師のプロポーズを断るなど……」
「だから、それがプレッシャーなんだろ? 断りたくともお前みたいに導師のプロポーズを断るなんて! って言われりゃ立場上難しいだろうしさ」
「あー……」
「いくら仕事が出来てもまだ子供なんだ。この手の話をかわすには経験が足りなかったんだろうなあ。お可哀想に。思い詰めていらっしゃらなければいいが……」
「居たか?」
「いや、駄目だ。部屋に帰っていないらしい」
「やはり論師様に」
「やめとけ、無駄だ」
「なんでだよ、聞いてみないと解らないだろ! 論師様は俺たちのような一介の兵士にも声をかけて下さる方だぞ! 決して邪険には、」
「無駄だって言ってるだろ! 副士団長が同じことを考えないと思うか!? 師団長の姿が見えなくなってからすぐに論師様にお目通りを願いに行ったさ! だが……あちらの守護役長に言われたらしい。この件で論師様に出来ることはないと」
「な……っ」
「……やはり、あの噂は本当なのかもしれん」
「噂?」
「ああ、導師様が論師様に結婚を申し込んだ話は知ってるだろう?」
「あ、ああ。それがどうした?」
「邪魔なんだよ、師団長は。導師様にとって」
「!」
「導師は何を考えていらっしゃるのか。預言に詠まれていないのに結婚を申し込むなんて!」
「だが論師は最早教団に無くてはならないお方だ。何でも異世界から来られたって話じゃないか。婚姻という形で教団に席を落ち着けていただけるなら……」
「馬鹿も休み休み言え。預言にないことなんてするべきじゃない」
「馬鹿はお前だ。導師が預言は一つの選択肢でしかないと仰っていたのを忘れたのか? 導師は自ら預言になくても道はあると我々に体現して下さっているんだろう。そうに違いない」
「だからって預言を蔑ろにしていい訳じゃないだろう。この後婚姻を結ぶことになるかどうか、預言を詠むべきだ」
「論師は預言がないのに?」
「導師はある。本当にあのお二人が結ばれる定めならばローレライも預言にそう記すだろう」
「絶対おかしいわよ! シンク様は毎日論師様の元へ足を運んでおられたのに、あれ以来ぱったり姿を見せなくなって……」
「第五師団の兵達が必死に探してるって噂よ。なのに主席総長は何も言わないし……」
「やっぱり導師様が手を回したんじゃ……」
「しっ! 憶測で口にしていいことじゃないわ。でも……心配よね。シンク様、師団長になる前からずっと論師様にお仕えしていたのに」
「そうよね。いつも一緒に居らっしゃった……あんなに献身的だったのに、急に姿を消すなんてありえない」
「もしかして、導師様のために身を引いた……とか?」
「例えそうだとしても、論師様がお許しになるかしら。論師様もシンク様を随分と頼りになさっていたじゃない。何も言わず姿を消すなんてありえないわ」
「論師が導師に落とされるに三百ガルド」
「論師が何か企んでるに五百ガルド」
「なら第五師団長が論師を掻っ攫って愛の逃避行に千ガルド」
「大穴狙いか? 無難に詠師達に押し負けて渋々結婚するに五百ガルド」
「導師が論師を逃がすとは思えないしな。囲い込むのに千ガルド」
「論師がシンク謡士と既成事実を作ってプロポーズを断るのに三百ガルド」
「「「「「それは流石にないだろう」」」」」
「論師様はどうして何も仰らないのかしら。導師様に乞われるなんてこれ以上ない幸せでしょうに」
「いくら導師様がお相手でも導師の権力で無理矢理嫁にされたら流石に嫌でしょ。預言でもないのに」
「それはそうかも。シンク様はどうなさるのかしらね。あの方も論師派でしょ?」
「そういえば最近姿を見ないわねえ。もしかしてとっくに駆け落ちしちゃったとか?」
「それはないでしょう。そうだとしたら守護役たちが大騒ぎしてるはずだもの」
「解らないわよ。シンク様も守護役の一人だもの。こっそり結託してたりして」
※カンタビレ視点
「随分と噂が錯綜しているようだが、情報規制はかけなくていいのかい」
カツン、と駒を盤面の上で移動させる。
白と黒で作られた盤面の上でいくつの駒が布陣している。現在互いの力は拮抗状態。
お互いの裏を読んで王手をかけようと手ぐすねを引いている状態だ。
どうすれば王を落とせるか。盤面を見下ろしつつ、頭の中でこの先どう動くべきかシミュレートをしながら対戦相手の男に声をかける。
主席総長の地位を持つ男もまた同じように考えているのだろう。盤面を見下ろしたままこちらの質問に答えた。
「噂の出どころは押さえている。最初こそ導師と論師を縁付けたい詠師達達が積極的に噂を流していたが……ここ数日で流れが変わった」
「へえ?」
「論師の守護役達と第五師団が噂を撒いているようだな。お陰で教団も騎士団も今ではあの三人の恋愛模様に釘付けだ」
「ったく、何考えてんのかね。世論を騒がせるのが目的か。はたまたその裏でなにかしているのか。こっちに声をかけずにこそこそと」
「あの方は公私はきちんと分けられる。そういうことだ」
そう言ってヴァンは歩兵を一つ動かした。
想定外の動きに僅かに眉間に皺が寄ってしまう。果たしてこの後どう動くつもりなのか、読めない。
シミュレートをしなおし、こちらも騎兵を動かす。ヴァンの口角が僅かに上がったことに失敗したかと内心舌打ちをした。
「あんたはどっちだ?」
「何がだ?」
「導師か。謡士か」
「あまり興味がなくてな」
「そうなのかい。てっきり論師様の御心のままに、とでも言うかと思ったよ」
「馬鹿馬鹿しい。カンタビレ、お前は論師が唯諾々と導師に踊らされる女だと思っているのか?」
「思っちゃいないさ。だが誰だって逆らえない流れってものはあるだろう」
「そうだな。だがその流れをぶち壊すのが、論師だ」
力強く断言されたことに思わず顔を上げる。青い瞳と視線がかち合った。
「自分を巻き込むバッドエンドを避けるために、これだけ教団を改革した人間が……そう簡単に諦めるとでも?」
「……導師だって馬鹿じゃない。既に外堀は埋められている」
「そうだな。しかし預言を知らない人間というのは随分と愉快だ」
「ヴァン……お前、何を知っている?」
「何も。私が知っているのは、あの方は一度決めたら決して止まることなく、自分の意志を貫くということだ。周囲を巻き込み目的を達成するために手段を選ばない。お前を引き込んだように」
そう言ってヴァンは心底愉快だと言うように喉奥で嗤った。
普段論師に呆れられ、シンクに馬鹿にされ、リグレットにぞんざいに扱われているから忘れがちではあるが、この男は世界をひっくり返すために立ち上がった最初の人間のなのだ。
その精神性は平凡からは程遠い。論師もお前もどっこいどっこいだろう、という言葉を何とか呑み込む。
「あの方が諾と言わず、手を回し始めている。それが答えだ。解り切った結果を議論する趣味はない」
「そうかい。あんたが言うならそうなるんだろう」
可哀想に、という言葉を口の中だけで転がす。どうやら導師の想いが成就することはないらしい。
忠誠を誓った彼の失恋に思うところがないわけではないが、同時にこの流れをどうひっくり返すか見物ではある。
下世話と言われれば否定はできないが、興味がないとは口がひん曲がっても言えない。
にやりと笑う口を抑えきれないまま女王を動かす。するとヴァンが我が意を得たりと言わんばかりに騎兵を動かした。
「チェック」
「あっ、くそっ。話しながらだとどうしても負けるね……」
「それが目的らしいぞ。並行思考は慣れねば難しい。だが情報を引き出すのには最適だな」
いつの間にか展開していたヴァンの駒が王を取り囲んでいた。いくら女王が強いといっても最早敗北からは逃れられないだろう。
頭をがしがしと掻きむしり、ひとまず用件は済んだからとヴァンの私室からお暇する。元々この盤面遊戯に付き合っていたのも、今回の件について話すための時間稼ぎでしかない。
副官を連れながら歩いていると、やはりあちこちでひそひそと噂話が聞こえた。
「論師様と導師様が縁付かれたらシンク謡士はどうなるのかしら」
「導師も論師を愛していらっしゃるのに?」
「だとしても権力で力づくで引き離されるなんて。悲恋じゃない。お可哀想に」
遠目に見える白とワインレッド。そしてそれを取り囲むスカイブルー。目の端にそれを捉えた瞬間、好き勝手に囀っていた口がぴたりと噤む。
黒く艶やかな長髪をたなびかせて歩く小柄な少女。音素による身体強化は不可能だろうに、あの黒い瞳は確実にカンタビレをとらえ、そして目だけでにやりと笑った。
さて、お可哀想なのは一体誰だろうか?
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