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 ホスピスの『向日葵』と『秋桜』が無事開設し、現在マルクトとキムラスカに『椿』と『桜』を開設する準備を進めている。
 神託の盾傭兵団は騎士団兵との面接を終え、少しずつだが事前依頼が舞い込み始めた。第五・第六師団の保険制度も無事導入され、傭兵団に登録している騎士団兵は全員保険に加入済みだ。

 孤児院の義務教育制度も教員募集をかけはじめ、職業斡旋所も大手企業と話の磨りあわせを始めている。
 温泉計画は瘴気を掘り当てるかもという警戒があるせいで少し足踏みしているが、看護学校はベルケントに教員の打診を始めている。

「……うぁー」

バッサバッサと書類をさばきつつ、私はそんな鳴き声を上げていた。

 何て声出してるのさ。シンクが居たらそんなツッコミをくれそうな声だった。
 最も、正式に第五師団師団長になった彼は今、ここには居ない。師団長になって以来、シンクが私の傍に居る時間は極端に減った。

 お陰で私の仕事量も圧倒的に増えた。やってもやっても減らない書類の山にどれだけシンクの有能さを痛感したことか。
 毎日毎日仕事仕事で、肩がこって仕方が無かった。ついでにお尻も痛い。座りっぱなしというのは存外辛いのである。
 ちなみにシンクの代わりに第五師団の人たちが交代制で護衛に着いてくれている。ドアの前に突っ立っているだけなので、交流は殆どないけれど。

 首を回すついでにぐるりと執務室を見渡すものの、しんとした静寂が室内を包んでいる。
 いつの間にかシンクが居るのが当たり前になっていた。一人の執務室がこんなにも広く感じるとは思いもしなかった。
 机に突っ伏して目を閉じれば、耐え難い眠気が私に襲い掛かってきた。ちょっとだけと自分に言い聞かせつつその眠気に身を委ねれば、シンクの声が聞こえた気がした。

 凄い顔だね。ちゃんと休んでる?

「どんだけ仕事あると思ってるの、休めるわけないでしょ」

 僕が居たときはお菓子作ったり、お茶してたりしてたじゃないか。休む時間くらいあるんじゃないの。

「それが全然……今まで休めてたのって、シンクが手伝ってくれてたおかげなんだって痛いくらいに実感した」

 馬鹿じゃないの。君の効率が悪すぎるだけだろ?

「なのかなぁ。頑張ってるつもりなんだけど」

 つもり、だろ。実際できてないじゃないか。仕方ないから、手伝ってあげるよ。

「うん、ありがと」

 ぼやけていく意識の中で、そっと頭を撫でられる。口の端を上げるだけの笑みを浮かべたシンクが居た気がした。



 目が覚めると私はベッドに居た。
 重たい頭を抱えながらも上半身を起こし、はて私は机に突っ伏して眠ったはずだがと内心首を傾げる。
 シンクが居た頃ならともかく、最近は机で眠ることはしょっちゅうだ。自分の身体を見れば、論師の衣装から着替えてすら居ない。

 さらに首を傾げながらいつの間にか脱がされていたブーツを履き執務室へと戻る。
 窓の外は既に日が傾きかけており、それを確認しつつドアを開ければ、珈琲の良い香りが鼻腔を掠めた。

「あ、起きた?」
「……シンク?」
「何?」

 珈琲の入ったマグカップを片手にシンクは何か書いていた。
 覗き込めば『向日葵』と『秋桜』から寄せられた問題点を解りやすく纏めたもので、隣には『白詰草』で行ったレクリエーション一覧が積まれている。

「……仕事は?」
「今してるじゃん」
「いや、そうじゃなく」

 きっぱりと言われ、思わず裏手を使って突っ込んでしまった。私の頭はまだ寝ぼけているらしい。

「第五師団の」
「終わってるよ。でなきゃこっちに手出したりしてない」

 そう言って珈琲を啜り、新しい紙を取り出すシンク。ちゃんと休んでいるのだろうか。
 シンクが師団長の打診をされた際、兼任と言いはしたものの、実際そんなことができるとは思ってはい なかった。
 師団長の仕事だけでも充分忙しいだろうから、こっちには顔を出す程度になるだろうと。
 それなのにシンクは今目の前で論師の仕事を手伝っている。

「……いいよ、それよりちゃんと休んで。疲れてるでしょう?」
「僕、シオリと違って一日8時間の睡眠は確保してるから」
「でも、第五師団の仕事だって少ないわけじゃあ……」
「副官が話の解る男でね、最低限終わらせたら論師様の方に行って下さいって送り出してくれたんだよ」
「じゃあ団員達と交流するとか……」

 他にも色々あるでしょう? と言いかけて、シンクに思い切りため息をつかれた。
 な、なんやねん!

「僕がここに居ちゃいけない理由でもあるわけ?」
「そういう、わけじゃ、ないよ。就任したばっかだから第五師団の方に集中して欲しいってだけで」
「大丈夫だよ。うまくやってるから。それより僕はシオリの方が心配だね。事実さっきも机で寝てたし」

 空になったマグカップを置き、言葉に詰まった私を見つつ頬杖をつくシンク。
 その視線には呆れが隠されることなくありありと表れていて、仕方ないじゃないかと心の中で言い訳をする。が、怒られそうな気がするので口にはしない。これぞ私である。

「たまたまだよ、いつもはちゃんと寝てる」
「へぇ? 最近は机に突っ伏して寝てるかソファで仮眠取る方が多いって聞いてるけど」
「何で知ってるの!?」
「護衛は第五師団の連中なんだ。情報はいくらでも入ってくるさ」
「……おうふ」

 あっさりと暴露された情報に、ちょっぴりショックを受けてソファに座る。いつの間にか私は監視されていたらしい。
 シンクは執務机から離れ、私の隣へと移動してきた。久しぶりのシンクの体温に安心を覚える自分が居て、駄目だなぁと内心で自嘲する。

「寝るならベッドに行けっていつも言ってるだろ。今回は僕が運んだからいいけど、風邪引いても知らないからね」
「あ、やっぱりシンクが運んでくれたんだ」
「他に誰が運ぶって言うのさ」
「えー……師団の人とか」
「恐れ多いとか何とか言って君には触れないよ、あいつらは」

 足を組みながら言われ、なんだかそのさまが想像できてそれもそうか、とあっさり納得してしまった。
 何だかんだ言いつつ論師とは結構な階位なのだ。団員達が尻込みしてしまっても仕方ないというものだ。

「んー、そっか。ありがとね?」
「別に」

 そっけなく言われた台詞は聞き慣れた言葉の一つで、思わず笑いが零れてしまう。
 何を笑ってるんだと目線だけで問われ、それを誤魔化すようにシンクの肩にもたれかかった。

「シンクが居ないと仕事の効率が悪くてさ、改めてシンクの有能さを実感しちゃった」
「……戻ろうか?」
「ん、平気だよ。慣れなきゃいけないことだと思うし」

 シンクの申し出にちょっとだけ迷ったが、これから身体をはる任務も増えてくるだろうと思うと甘えるわけにも行かなかった。
 だからそうやって返事をすれば、シンクの両手が私の方に伸びてくる。
 するりと絡めるようにして回された腕は力強く心地よい。以前はよく、こうやってシンクは甘えてきた。
 けど、今は違う気がする。甘えているというより、私が甘やかされているような気がするのだ。

「……倒れたりしたら許さないから」
「えー。許さないって、何されるの私」
「噛み付かれる」
「げ、」
「げって何さ、げって!」
「だってあれ結構痛いんだよ!?」
「当たり前だろ、痛いようにしてるんだから」
「やっぱわざとなのか!」

 抵抗の意を込めてシンクの胸を押してやれば、そのまま引き寄せられてソファに仰向けに寝転がるシンクの上に乗る形になった。
 あらやだ何この体勢。ちょっと恥ずかしいわお姉さん。

「……シンク?」

 やっぱり疲れてるんだろうか?
 そう思って声をかけつつ顔を伺い見ると、シンクは瞳を閉じたまま私を抱きしめる腕に力を込めた。 眠っては居ないらしいが、一体何をしたいのだろう?
 内心首を傾げていると、シンクの目がゆっくりと開かれた。

「シオリ」
「ん?」
「……僕には、甘えてくれないの」
「……うん?」

 一瞬シンクの言ってる意味が理解できなかった。
 こてん、と首を傾げれば新緑の瞳と視線が絡み合う。

「僕には頼ってくれないの」
「いやいや、今でも充分頼りになるよ?」
「そうじゃなくてさ……精神的に」
「……精神的に?」
「うん。シオリっていつも自分ひとりで抱え込もうとするから。今日だってそう。僕を呼び出して手伝わせれば良いのに、それをしない。愚痴は言っても弱音も吐かずに、何でも自分ひとりでやろうとする」

 そっと頬を撫でられる。その手つきはまるで壊れ物を扱うようで、少しだけドキリとした。
 切なさを含んだ瞳に思わず唇を引き結んでしまう。

「僕に頼ってよ」

 ……それは、どういう意味で言っているの、シンク。
 個として認めてくれた私に必要とされたいから言っているの。
 それとも私から離れるのが怖いから言ってるの。
 私が心配だから言っているの。

 ねぇ、どれ?

 頭の中でぐるぐると考えるものの、シンクに聞けるはずがなく、ましてや答えなんて見つかるはずがなく。
 だから私はシンクの胸元に顔を埋めて表情を隠し、ぎゅっと目を瞑る。

 ちょっとだけ泣きそうになる。寂しいからでも、不安だからでもない。
 シンクが気にかけてくれるという喜びと、一割の苦痛。

 それを何とか飲み込んで、ぎゅっとシンクの服を掴む。
 少しだけ時間をかけて私は無難な答えをはじき出した。

「うん……ありがと」

 それだけしか、言えなかった。

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