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 柔らかな日差しの射す午後だった。麗らかな空気の中、桃色の衣装をまとった守護役部隊に囲まれた導師がゆっくりと教団前の大通りを散歩している。
 そんなイオンにびくびくと、あるいは戸惑った様子で声をかける信者が居るのも、いつものこと。
 自分に与えられた預言に従わなければならないと解っているけれど、どうしても抵抗感がある。そんな信者が救いを求めて導師に縋るのだ。
 そんな彼等を安心させるように与えられた預言は絶対ではない。それは貴方の未来の選択肢の一つでしかないと繰り返す導師の姿は最早ダアトでは見慣れたものだ。

 道は自分で選びなさい。そして選んだ道には責任を持ちなさい。預言に従っても、従わなくてもいい。
 預言は提示された未来の一つだが、未来を保証するものでもなければ責任を負ってくれるものでもない。

 導師の言葉に己の選択肢を肯定されたのだと笑顔で頷く者も居れば、責任という言葉の重さに口を噤んで俯いてしまう者も居る。
 自分で考えて、自分で決める。預言に従ってきた者たちにとって、ただそれだけのことが難しい。

 論師の地位が教団に設立されてうすぐ一年。つまり導師が預言は未来の選択肢の一つでしかないと提唱し始めてから、もうすぐ一年になるということだ。
 一年かけてようやく、預言に従わないという選択肢もあるのだ、ということが世界的に認知された。
 これが遅いか早いかと問われたら、早い方だと言えるだろう。元の世界と比べれば、この世界の情報伝達速度は大変緩やかだから。

 その中でも導師の言葉を直に聞くことが出来る信者達は、もう何度もその言葉を聞いている。
 最初は躊躇っていたが別に預言に逆らうよう強制されるわけでもないのだ。今では導師がそう告げることに何ら違和感を覚えなくなっているように思う。
 ならば勝算は……ある。

「論師シオリ」
「お久しぶりです。導師イオン」

 パッと導師の顔が明るくなる。黒と緑。スカイブルーとピンクが相対する。守護役同士が目を細めてわずかに警戒しあう。
 噂の人である私が導師の前に現れたことによって、下世話な者達は足を止めてこちらに視線を寄越した。
 それでも緩やかな足どりで導師に近づく私を遮るものは誰も居ない。同時に導師イオンは嬉しそうに頬を緩めて私に近寄ってきた。

「長らく臥せってしまって申し訳ありませんでした。ご迷惑をおかけしたことでしょう」
「いいえ。貴方の体調が一番です。少しやつれましたか? 出歩いて大丈夫なのですか?」
「体調はだいぶ回復しました。守護役の子達が少し外の空気も吸った方が良いだろうと散歩を勧めてくれまして」
「確かに。ずっと臥せていると気が滅入りますから。宜しければ一緒に歩きませんか?」

 頬を薔薇色に染めて私を散歩に誘う彼の態度は愛しい人に会うことが出来た少年のそれだ。何も知らない人間なら恋する少年の微笑ましさに頬を緩めるだろう。
 勿論それも外堀を埋めようとするイオンの画策の一つであると理解している。病がちでありながら慈愛に満ちた、白貌の美少年の淡い初恋だ。年配のものほど応援したくなるもの。

 ま、今回はそれを利用させてもらうために、こうして外に出てきたのだけれど。
 私は差し出された手を前に、そっとイオンの前に跪いた。
 イオンが目を見開き、野次馬の視線が突き刺さる。青とピンクに遮られてこそいるものの、私とイオンはあっという間に取り囲まれていた。

「導師イオン、私は貴方に謝らなければならない」
「シオリ……?」
「私は……貴方の想いに応えることが出来ません。ごめんなさい、イオン」

 ざわめく声。同時に導師守護役達からの視線がキツくなるが、それは許容範囲内。無いとは思うが、万が一暴力沙汰になった場合こちらも守護役が出るので問題ない。
 周囲からの下世話な声が満ちる中、イオンの声が落ちてくる。その声は僅かに硬かった。

「まずは、立ってください。シオリ、貴方は論師です。確かに僕の方が地位は上ですが、こんなところで膝をついては……ああ、これでは以前と逆ですね」

 顔を上げればふるりとイオンが首を振っていた。その瞳に浮かぶ悲哀。そして笑顔を作ろうとして失敗したような、不器用な笑み。
 作り物だと解っていても完璧な、失恋した少年の顔。周囲からの視線がキツくなるわけだ。
 互いにこうして仮面を被ったまま腹の探り合いをするのは、本当に初対面の頃だけだった。久しぶりだな、と思いながら私もまた丹田に力を込め立ち上がった。

「シオリ、確かに僕は病弱で、導師という地位は時に足かせとなることもあるでしょう。けれど同時に手を取りあえる立場でもある。僕は……僕は、貴方の生涯のパートナーに相応しくないでしょうか?」
「導師イオン。そのように自分を卑下してはいけません。貴方は信者に寄り添うことのできる、素晴らしい導師です。まさしく平和の象徴と呼ばれるに相応しい、お優しい方です」
「では……僕の、何が。足りないのでしょう」

 私を責めるのではなく、自らに責があると言わんばかりの台詞は同情を誘うに値する。信者や一般教団員、神託の盾に見守られる中では間違いなく最上の一手。
 少年の顔に憂いをもたらした私は完全に悪役だ。突き刺さる視線が痛い。けれど、想定内だ。問題ない。
 私もまた肩を落とし、緩やかに笑みを作る。眉尻を落とし、苦笑にも似た表情でゆるゆると首を振った。

「貴方は何も悪くありません。導師、いえ、イオン。ただ……そう。誰が悪いというのであれば、貴方との未来を選べなかった私なのでしょう。イオン。導師イオン。貴方もご存じの通り、私には預言がありません」
「……それは、知っています」

 イオンの声に硬さが混じった。私が何を言おうとしているのか、察することが出来ず警戒している。
 彼もまた、その悲し気な表情の奥で頭を回転させているのは想像に容易い。事実今この場の主導権を握っているのはイオンだ。まずはその手綱をこちらに寄越してもらわなければならない。
 故に私もまた目を伏せて、愁いを帯びた表情を作る。茶番だ。何て滑稽!

「正直なところ、私には預言に従わなければならないと仰る皆様の気持ちが、預言に従わないという道を選ぶことの何が恐ろしいのかが、理解できませんでした。私にとって未来とは解らないもので、解らないのが当然で、そのために日々備えるのが当たり前だったからです」
「それは……貴方の立場であれば、当然のことだと思います。それに貴方はそれでも僕たちに一定の理解を示し、新たな道を提示し、その力を揮ってくれました」
「ありがとうございます。導師、そう言って下さる貴方と生涯を共にすればきっと皆は喜ぶでしょう。話を聞いた方々の中には、そうなってほしいと望んだ方も居たでしょう。届けられる声を聞いてもそれは明白で、私は……私は、がんじがらめになりました。私は私に感謝して下さる皆様の声を無視することなど、到底できなかった」

 笑みを消して俯く私の背中に刺さっていた視線が緩む。僅かに同情が乗せられる。
 イオンが白貌の美少年ならこっちは異世界産の少女だ。同情を集める見目としては同等。なら後は、いかに同情を集められるかにかかっている。
 イオンもそれを理解しているのだろう。ふるふると首を振って、私に一歩歩った。

「僕は貴方を追い詰めたかったわけではありません!」
「ええ、解っています。けれど私は同時に理解できたような気がしたのです」
「理解……ですか?」
「例えば、預言に詠まれたからと、涙をこらえて恋人に別れを告げ、違う方と婚姻を結ばねばならなかったとか」

 ぴくりと、視界の端で誰かの肩が跳ねた。

「例えば、預言に詠まれたからと将来を定められ、今までの努力が報われなかったとか」

 誰かが肩を落として俯いた。

「例えば、慣れ親しんだ土地を離れねばならず、家族と離れ離れになってしまったとか」

 誰かが下唇を噛んで拳を握り締めていた。

「例え望まぬ預言でも、詠まれた以上従わねばならぬと涙した方々は、きっと……このような気持ちだったのではないかと」

 私もまた、ぎゅっと服の胸元を握り締める。
 いつの間にかその場はシンとしていた。
 瞳を閉じて、確信する。主導権は今、こちらに移った。

「だから、私は決めました」

 顔を上げる。顎を引いて、イオンを見やる。
 緑の瞳の奥、僅かに浮かぶ焦燥。だが既に民衆の心は、私の掌の上だ。

「導師イオン、貴方は仰った。預言は数ある未来の一つであり、未来を選ぶのは自分の選択だと。だから私もまた、自分の未来は自分で決めます。私の意志を、私は貫きます」
「シオリ……」
「私はとても恐ろしい。導師イオン。敬愛すべき貴方の手を取らなかった私を、きっと多くの方々が失望するでしょう。罵られるかもしれません。身の程知らずと罵倒されるかもしれない。それでも私は、私の道は私が選びたい」

 突き刺さる視線に、既に私を責める色はない。今、私はどんな目を向けられているだろうか。
 理解できない生き物を見るような目で見られているのかもしれない。口にした通り、失望されているのかもしれない。
 けれどそれらに頓着することなく、私は胸を張って導師イオンに宣言した。

「私は論師シオリ。預言を持たぬ教団の異端者。ならば、私の未来は私が決めます。だから導師イオン、ごめんなさい。私は貴方の想いに応えることは出来ません」

 はっきりと告げた私の前で、イオンの唇が震える。
 くしゃりと歪んだ顔は抑えきれない感情の発露か。はたまたそれすら演技なのか。なんとなくだけれど、前者かなと思う。
 音叉の杖をぎゅっと握り締め、イオンは俯く。表情が見えない中、問いかけた声は間違いなく震えていた。

「……何故僕では駄目なのか、聞いてはいけませんか」

 数度の呼吸の後、イオンはゆっくりと顔を上げる。既にその顔は歪んでいなかった。けれど笑ってもいなかった。
 凛とした緑の瞳が、ただ私を貫いていて……それがシンクを思い起こさせて、自然と私の頬は緩んだ。

「愛してる人が居るんです」

 演技ではなく、眉尻が下がる。あの人が好きなのだと、口角が緩む。
 困ったように笑う私は、きっと誰が見ても恋する乙女だ。

「私は、あの人の隣に居たい」

 囁くような私の言葉は、シンとした空間によく響いた。
 ほう、と息を吐いたのは誰だったか。
 イオンは目を瞑って、ただそうですかと応えた。

 一歩、イオンが私に歩み寄る。
 そして両手ですくいあげるように私の手を取ると、私のつま先にそっと口づけを落とした。

「論師シオリ。意思を貫ける貴方が、僕は愛しくてたまらない。歩むことを諦めない貴方は誰よりも美しい。けれど、きっと僕の隣では、貴方は今のように笑ってはくれないのでしょうね」
「導師……」
「どうか謝らないでください。困らせたいわけではないんです。僕は貴方の想いを尊重します。だからどうか、幸せになって下さい。貴方の未来だけは、僕ですら詠めないのですから」
「……ありがとう、イオン」
「シオリ、これからも教団を支えてくれますか?」
「人々のお役に立つことこそ、私の本懐です。貴方が許して下さるのであれば、これからも論師としての務めを果たしたいと思っています」

 するりと手が動いて、自然と握手の形をとる。
 苦い笑みを浮かべる彼の顔は、今度こそ作りでもない、本当の泣きそうな笑顔だった。


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