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「やってくれたよね、まったく」
「先に仕掛けてきたのはそっちでしょうに」

 まるで劇のように大勢の前で私を諦めると宣言せざるをえなかったイオンは、今やふてぶてしい態度で私の執務室にあるソファに腰かけていた。
 導師の部屋に隠してある譜陣伝いに来たので守護役は居ないが、心配でついてきたらしいレインは同席している。
 開いた足の膝に肘をつき、掌に顎を置いてじとりと私を見るイオンはただのチンピラだ。あの時の薄幸の美少年とも見紛う雰囲気は欠片も存在していなかった。

「君のお陰で今や僕は哀れな道化さ」
「あら、愛しい人の笑顔のために身を引いたお優しい導師様でしょう? 私だって導師様の想いに応えなかった恩知らずの論師になったんだから、お相子お相子」
「よく言うよ。また半日も経ってないってのに、既に教団内じゃ僕たちの噂が蔓延してる。手を回してたんじゃないの?」
「お忘れのようだけど、民衆に語り掛けるのは私の仕事のうちなのよ」
「人民のコントロールをするのは自分の仕事の間違いだろ」

 私とイオンのやり取りにカフェラテの入ったカップを傾けていたレインは苦笑を零して、いったい何があったんですか?とたずねてくる。
 今ここでそれを聞くかと言わんばかりにイオンがレインを睨みつけたが、レインはイオンの影武者なのだから情報共有を求めるのは当然のことだ。
 睨むイオンを無視して私は民衆の前でのやり取りをレインに説明した。

「その……こんなことを聞くのは失礼かもしれませんが、うまくいったから良かったものの、失敗したらどうするつもりだったんですか?」
「あら、成功する見込みがあったからしたんですよ。そのために大急ぎで根回しもしたんです」
「すみません、この場合の成功する見込みと、必要な根回しとは??」

 眉尻を下げて質問してくるレインは解りやすく困惑顔だ。彼には私が一か八かの賭けに出たようにしか見えないらしい。
 いやまあ確かにそれは否定できないのだが、一応勝ち筋は作ってから挑んだのだ。
 私はムスッとしているイオンを横目に今ここでする説明ではないからまた今度と言おうとした。が、口を開いたのはイオンだった。

「そもそもシオリがしてた根回しは、正確には噂をばらまくことだ。元々詠師たちが根回し代わりにばらまいてた噂があっただろ」
「えぇと、イオン様がシオリに公開プロポーズをした件ですか?」
「そう。あれは『まさか導師のプロポーズを断るなんてことしないだろうな?』っていう、シオリへの圧力なんだよ。けどシオリはそれを否定することなく、更に噂を重ねた」

 どうやらイオンが直々に解説してくれるらしい。腕を組んで乱暴に背もたれに背を預けながら、理解できないレインを馬鹿にするように話す。
 もしかしたらイオンなりの感情の昇華の仕方なのかもしれないと、黙って見守ることにした。

「もしかして、シンクのことですか?」
「そ。それだけで目出度い話はがらりと様相を変える。師団長とはいえ神託の盾兵士でしかないシンク謡士と、しがらみでがんじがらめになって動けなくなった哀れな論師様……権力で引き裂かれる哀れなカップルの出来上がりだ。下世話な奴らが好きそうな三流ゴシップさ」
「でも、みんなお好きでしょう?」

 人の作った話の流れを三流ゴシップ扱いするのはやめていただきたい。
 舌打ちしそうなイオンに思わず口を挟めばその緑の瞳でねめつけられ、私は肩を竦めてそれ以上の言及は控えた。

「そこの論師様は民衆がお好きなゴシップを煽るために、僕がシンクを抑えたことすら利用して悲劇の舞台を整えた。あとはもう、役者を舞台の上に立たせるだけさ。引き裂かれた恋人同士。権力に抗うため、愛しい人との未来をつかみ取るために立ち上がった論師は真っ向から導師の想いに謝罪した。そうなればお優しい導師様は愛しい人の笑顔のために身を引くしかない……哀れ舞台に強制的に乗せられた僕は、民衆のお望みに応えるように踊る以外の選択肢は残されてなかったってワケ」

 はん、と鼻で笑ってイオンは説明を終える。
 ぽけっとした顔で説明を聞いていたレインに、私は僅かに補足を加えた。

「私は望まぬ預言だろうと従わねばならないという人々の中に燻っていた不満を、例え望まぬ婚姻だろうと従わねばならないという現状と重ねたのよ。それだけで雲の上の存在のゴシップは身近な悲劇にすり替わる。そうして同情を誘った上で、私は『導師イオンは預言は数ある未来の一つでしかない』という言葉に乗っかって、未来は自分で選びますと宣言したわけ」
「シンクの件といい、僕の言動をことごとく利用してるんだよ、この論師様は」
「なるほど……理屈は解りました。確かにその状態で未来を自分で選べと言っている導師が権力づくで論師を娶っても、結局預言には抗えないんじゃないか。所詮導師の言葉は上辺だけだったのかと民衆はがっかりするでしょうね」
「そうだよ。だからあの場所であの話し方をして、民衆の同情を得た時点で僕はもう身を引く以外の選択肢は無いに等しかった。そうやってまんまと僕を追い詰めた挙句、自分はさっさと好きな道を選んだんだよ、シオリは」
「……嫌いになった?」
「なれたらシンクから掻っ攫ってやりたいなんて思わないさ!」

 忌々しいと言わんばかりの口調に思わず問いかければ、むっつりとした顔のままイオンは吐き捨てるように言った。
 仮にも愛を乞うた相手にかける口調ではないことに何度目かの苦笑が漏れてしまう。
 イオンは私を睨みつけた後、ソファから立ち上がって私の方へと大股で歩み寄ってくる。そしてソファに座ったままの私の前に立ち、背もたれに両手をつけて私を見下ろした。
 レインが僅かに警戒するように腰を上げる。

「今回は僕の負けだ。認めるよ、うまく嵌められた。僕は僕と同じ顔をした奴に君を譲らなきゃいけなくなった」
「……ごめん」
「謝るなって言っただろ」
「ごめん」
「謝るな」
「……ごめんね、イオン」

 私を見下ろしながら悔しそうに歯噛みするイオンに、私はそれしか言うことが出来なかった。

「それでも……君が好きなんだ」
「ごめん」
「僕のものになるつもりなんて無いくせに、謝るなよ」
「ごめん」
「僕が欲しいのはそんな言葉じゃないって解ってるくせに」
「……ごめん」

 ずるずるとずり下がったイオンの手が私を抱きしめる。痛いくらいにぎゅうぎゅうと私を抱きしめるイオンを、私は抱きしめ返せない。
 イオンの想いに応えられない以上、私はその権利を持たない。

「諦めないからな」
「知ってる」
「君が少しでも隙を見せたら、アイツから奪ってやる」
「だろうね」

 骨が軋むんじゃないかってくらいの抱擁だった。奥歯を噛み締めて耐えながら、それでも表面上だけ取り繕って、イオンの怨嗟の言葉に淡々と答える。
 私を解放したイオンは目尻に涙を溜めながら憎々しげに私を睨みつけ、恨み言のようにその感情を私にぶつける。

「これで不幸になったら許さない」
「……うん、ありがと」

 憎悪でも込められていそうな幸せになれという祈りに、私はちゃんと笑えただろうか。
 服の袖で涙をぬぐったイオンは無言で立ち上がると、そのまま大股で譜陣に向かい部屋を出ていってしまった。
 おろおろとしながら見守っていたレインに少しだけ時間を置いてから戻るように言えば、レインは少し悩んでからもう一度ソファに腰を下ろす。
 とっくに冷めたカップを再度手に取った後、レインはイオンの消えていった方向を見ながらぽつりと呟いた。

「イオン様は……まだ諦めないのでしょうか」
「ああ、いや。あれはイオンなりのしょうがないから今は引いてあげるって意味だと思うよ」
「え?」
「イオンが本当にやろうとおもえば、とっくの昔にシンクを消して私を囲いこんでるだろうからね」
「……あんなに好きだって言ってたのに、何故そうしないんでしょう?」
「それは……そんなことをしたら、私がイオンを愛することは絶対に無いって解ってるから、かな」

 私もまたカップを手に取り、ぬるくなったコーヒーに口を付ける。
 理解しきれないというレインの顔にはまだ困惑が残っていたが、こればかりは言葉だけで理解できるものではないだろう。

 イオンの僕のものにならないくせにという言葉は、僕を愛してくれないくせにと同意義だ。腹の底から絞り出すような声は、私への愛情の裏返しだ。
 底なし沼みたいな愛情だ。きっとあの愛に溺れてしまえば、私は息も出来ずに落ちてしまう。
 きっとイオンはそうする自信があったし、恐らく私が諦めていればいずれそうなって居ただろうと思う。

 苦いコーヒーが舌の上を滑る。
 とっくの昔に慣れた筈の苦みが、今は何故か強く残る。

「レイン」
「はい」
「一応事態の収束はしたけど、しばらく論師の支持率は下がる」
「え? でもうまくいったんですよね?」
「噂はばらまいてるけどね、それでも反感を覚える人は絶対に居る。幸いイオンはこれからも働けって言ってくれたから表向き導師と論師がギスギスすることはないだろうけど、ちょっとやりにくくなるかもしれない。先に謝っておくよ。ごめんね」
「いえ……それは、構わないのですが……大丈夫ですか?」
「想定の範囲内だからね、大丈夫だよ」
「そうではなく……シオリ、辛そうな顔してます」

 そう指摘しながら、大丈夫かと問うてきたレインの方が泣きそうな顔をしていた。
 私はそれに何も言えない。傷つけた私が胸の痛みを訴えることなど、烏滸がましくて出来る筈もない。

「そろそろいいと思うから、レインも帰りなさい。私も仕事片付けなきゃ」
「……はい、解りました」

 だから質問に答えることなく、私はレインに帰るよう促す。
 その背中を見送りながら思い出すのは、やっぱりシンクのこと。

 ……シンクに会いたい。ううん、会わなくちゃいけない。
 ずっと蚊帳の外にしてしまった。噂のだしにしてしまったことも謝らなければいけない。
 その上でシンクが好きだよって言ったら、シンクはどんな顔をするだろうか。

 シンクへの恋心は自覚したけれど、シンクが私をどう好いているのか、私は未だ知らないままだ。

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