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 今回の問題の前提を変えてしまえばいい。
 首を傾げる私とシンクにヴァンは小さく笑った後、無断侵入ではなく論師が許可していたことにすれば良い、と言った。

「つまり不法侵入ではなく、ただの痴情のもつれ。シンクが姿を消していたのは風紀を乱したことに対する罰だということにするのだ」
「ちじょっ!? 誰が風紀を乱したっていうのさ!?」
「お前だ。筋書きとしては、論師とシンクは以前から密かに愛し合っていたが、論師が導師からのプロポーズを受けたと聞いて取り乱したシンクが深夜に論師の元を訪れ、つい感情的になってしまった。というものだな」
「なっ!? はっ、ちょ……っ!?」
「多少教団内の風紀を乱しただけなら事情聴取の後、精々三日の奉仕活動で済む。事情を知る者も姿を消していたのは奉仕活動のためだと納得するだろうし、何も知らぬ者はことを複雑にしないために教団から遠ざけていたとでも言えば良かろう」
「僕がここに来てどれだけ経ってると思ってるのさ!? そんなんで誰も納得するはずがないだろ!」
「それは問題ない。論師はお前の凶行の後、すぐに箝口令を敷いた。お前のしでかしたことを知っている人間はごくわずかだ。第五師団の者達も、お前が消えた理由は知らされていない」

 え、と呟いたシンクが弾かれたように私を見る。
 苦笑する私にシンクが何か言おうとしてもにょもにょと口元を動かし、結局何も言わずにふいとそっぽを向いてしまった。

「論師は最初からお前を庇うように動いていた。だから今回のような手も取れる」
「でも、だからって……」
「……ヴァン、本当に申し訳ないのだけれど、少しだけ席を外して貰えないかな」
「……そうだな、今のシンクなら警護も必要なかろう。しかしもう時間も遅い。余り長い時間はとれないが」
「十分だけでいいから」
「では、私は外でアリエッタと居よう」

 小さな小屋だ。席を外して欲しいということは小屋の外に出てほしいとイコールである。
 ヴァンは私の言葉にうなずき、席を外してくれた。本当に申し訳ない。けどどうしてもシンクと二人だけで話したかったのだ。
 パタンと音を立ててドアが閉まった後、私はシンクの方へ身体ごと向きを変える。じっとシンクを見つめれば、何故かシンクは不安そうな顔をしていた。

「シオリ……?」
「あのね、シンク。私、シンクのこと、好きだよ。だからシンクがいいなら、ヴァンの提案に乗りたいと思う」
「そりゃ……そっちの方が僕も嬉しいよ。守護役だってすぐに復帰できるし、師団の仕事は溜まってるだろうからそっちは急いで取り掛からなきゃいけないけど……でも、これからに支障が出ない? 僕と恋人ってことになるんだよ? いくらなんでもム」
「いいよ」
「いいよって、あのさあ」
「私、シンクのこと、好きだから。むしろ嬉しい」
「え……あ、好きって、そういう」

 かああ、とシンクの顔が真っ赤になった。譜業灯と月明かりだけなのによく解るくらい。
 でも多分私も人のことは言えない。だって私だって顔が熱い。きっと私も、シンクと同じくらい顔が真っ赤だ。
 恥ずかしさも相まって視線が無意味にうろつくが、もう一度シンクを見定めてはっきりと宣言する。

「私、結婚するならシンクがいい。そういう意味で、シンクが好きだよ」

 あ、とか。う、とか。言葉にならないうめき声がシンクの口から零れ落ちる。
 かと思えば未だ手枷の嵌められたままの腕で自分の顔を覆い隠すと、見ないでと消え入りそうな声が聞こえた。

「待って、だって……僕は、レプリカだ」
「でも、すごく強くて、賢くて、頼りになるよ。誰よりも頼りにしてる」
「まだ……製作さうまれて二年も経ってない、子供だ」
「そうだね。そんな子供を好きになっちゃったんだから、私も大概だと思うよ」
「僕は……被験者オリジナルじゃ、ない」
「私だって、この世界の人間じゃない」
「それは、別に……待って、待ってよ。シオリ」
「なぁに?」

 シンクが腕を下ろした。どうしていいか解らないとでも言うように眉尻が下がって、けれど顔は真っ赤のままで。
 ぎゅうとシンクの手が服の胸元を握り締めている。今まで見たことないくらい、困り切った顔をしている。

「動機が止まらないんだ。そんなこと、考えたことなかったのに……すごく、嬉しいと思ってる。僕、どうしたらいい?」

 ふ、と頬が緩む。自然と笑みが零れて、私もまたへにゃりと眉尻を下げた。
 こんな時でもなお私を頼ってくれる、それがいとおしくてたまらない。

「嫌じゃない?」
「うん」
「怖くない?」
「ちょっと怖い。こんな気持ち、初めてだから」
「……私と恋人になるの、イヤ?」

 言ってから、ちょっと後悔した。卑怯な言い方をしてしまった。
 けれどシンクはしばらく俯いた後、おずおずと手を伸ばしてきたかと思うと私の手をぎゅっと握る。

「あのさ、恋人になったら、シオリのこと……独占できる? もう、誰かに取られたりしない?」
「それは、」

 それは、子供が親に向ける独占欲に似た感情じゃないの、とか。
 それは、ただイオンへの反抗心で言ってるだけじゃないの、とか。

「シオリを、僕でいっぱいにしてくれる?」

 そんな不安は、私を見るシンクの目を見た瞬間吹き飛んだ。
 不安げに八の字を描く眉とか。顔を真っ赤にしながらも、切なそうにこっちを見る視線とか。
 きっとシンクにとって、まだそれが“恋”だと正しく理解していなくとも。私に向けられているその感情は、間違いなく恋情で。

「私の中は、もうシンクでいっぱいだよ」

 だからぎゅうと手を握り返す。
 シンクは僅かに目を伏せて、そっと視線を落とす。

「……なりたい。シオリ、僕を君の恋人にしてくれる?」
「うん」
「これからも、君の隣に置いてくれる?」
「うん」

 手が解かれる。そしてシンクが勢いよく立ち上がったかと思うと、私の頭を抱えるようにぎゅうと抱きしめられた。
 手枷が嵌められたままの不自由な腕が、私の身体をすっぽりと収める。

「前言撤回とか聞かないから。もう、これから僕がシオリの恋人だから」
「ふふ。そうだね。改めてこれからよろしくね、シンク」
「ん」

 感極まったとでもいわんばかりにぎゅうぎゅうと私を抱きしめるシンクの背中に、私も腕を回して抱きしめる。
 いつもと違ってシンクの胸元に私の頭が来ているせいで、頭を預ければどくどくと早鐘を打つ心臓の音がよく聞こえた。

 いつまでもこうしていたい。身体を包む体温と幸福感にそう思う。
 けれどそうもいかない。最初から十分と時間を区切って、ヴァンに席を外して貰っているのだ。

「……シンク、そろそろヴァンを呼ばないと」
「もうちょっとだけ」
「シンク。これからも一緒に居られるように、話を合わせておかなきゃ」
「……分かったよ」

 離れていく温もりに時分から声をかけておきながら名残惜しさを覚える。
 籍に戻ったシンクの顔は未だ赤いけれど、それは私もどっこいどっこいなので置いておくとして。
 席を立ってドアをノックし、ヴァンに声をかければすぐに返答が来る。

「もう良いのか?」
「うん。ありがとう」

 ヴァンを小屋の中に招き、改めてシンクのことについて話し合う。
 最終的にあの日密かな逢瀬を交わしていたシンクと私の元に、薄々私とシンクの関係を察していた導師がアリエッタを派遣したことで事態が複雑化した……ということになった。
 導師が動いたことに危機感を抱いたシンクが感情的になったため、罰則というていでシンクは私の元から引き離されていた。というのが事実を知る人間の知るストーリーになる。
 何も知らない人にとっては論師と導師の婚姻騒動が更に複雑化しないよう、またシンクが権力づくで消されるような事態を避けるために、ヴァンが一時的に私から遠ざけていた。と説明する。

 時系列などを整理して体裁を整え、シンクがすぐに復帰できるようヴァンが手を回してくれることになった。守護役達に関してはこっそり私が説明することになるだろう。
 そうして一段落したところでふうとため息が漏れる。
 シンクを手放したくない。そのためには手段を問うつもりはない。けれど事実を捻じ曲げることに、どうしても苦いものはこみ上げる。
 私のため息にようやく手枷と足枷を外されたシンクがこちらへ視線を寄越す。
 
「まだ何か気になることでも?」
「いや……そうじゃない。ただ、私情で事実を捻じ曲げることに気が引けるだけ。今更って言われたらそうかもしれないけどさ」
「真面目だね。でもそんなに気後れする必要ないんじゃないの。ヴァンなんてどれだけアッシュのこと贔屓してきたと思ってるのさ」
「シンク、何故私を引き合いに出す」
「事実だから。ま、救われる僕が言える台詞じゃないかもしれないけどさ。こういう時のための権力なんだから、別にそこまで気にする必要ないと思うよ。誰かに迷惑かけるわけでもないしね」
「まったく。シンクの言う通り、この程度の身内贔屓は珍しいことでもない。体裁は調えているのだから、然程気にすることもなかろう」

 シンクとヴァンの慰めに苦笑を漏らし、礼を言う。
 この辺りの考え方は世界の差が如実に出るなあと思う。けれど私にとって都合が良い以上、全力で乗っからせてもらうのだが。

 こうして密かな面談は終わり、私は再度ヴァンとアリエッタの手引きで部屋へと戻してもらった。
 それから三日後、第五師団の仕事を何とか片付けてこちらへ顔を出したシンクに守護役の子達は笑顔で私の部屋へと通す。

 シンクだけが着る守護役の衣装をまとった彼は以前と何も変わらない。変わったことがあるとしたら、私とシンクの心情だろう。
 仮面をつけていても解るくらい頬を赤くしたシンクに、私の唇もゆるゆると笑みの形を描く。

「ただいま、シオリ」
「おかえりなさい、シンク」

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