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「失礼します。導師守護役のアニスです。お召しに従い、参上いたしました」
「どうぞ、入って下さい」
さて、守護役長から届いた報告書は各国の情勢を記したものだけではなかった。
その中の一つにあったのがアニス・タトリンに関する報告書だ。第五小隊でしごかれた後、彼女は自分の両親を切り捨てたのだという。
最初は礼儀作法を身につければベター。そこでモースへの二重スパイにできればベストと思っていたのだが、ぐんと可能性が上がったことに私はにんまりと笑った。
失礼しますと声を上げながら緊張を露わに入室してきたアニスが見事にぎょっとした顔を浮かべる。
精々私とシンクしか居ないと思っていたのに、イオンとレインまで一緒に居るのだから当然といえば当然の反応か。
「なっ!? イオッ!?」
叫びそうになるアニスの口を、扉の横で待機していたシンクが塞ぐ。
突如口を抑えられたアニスは咄嗟に反撃しそうになったが、咎めるようにレインがアニスの名を呼んだことでぴたりと大人しくなった。
第五小隊はいい仕事をしてくれたらしい。あとでボーナス出しておこうかな。
シンクがアニスの口から手を離して扉を閉め、鍵をかける。
そこでレインがようやく口を開いた。
「すみませんアニス、僕等がここに居ることがバレては困るんです」
「あ、いえ。私こそ浅慮でした。シンク謡士もご迷惑をおかけしました」
「礼は良いからさっさと席に着きな、論師と導師をお待たせするんじゃないよ」
「は、はい」
シンクにせっつかれ、私とレインとイオンが腰かけている三人掛けのソファ、その反対側にアニスは座る。
緊張を滲ませながらもお待たせしましたと頭を下げる彼女に対し、私を挟んで腰かけるレインとイオンの反応は正反対だ。
足を揃えて平和の象徴に相応しい微笑みを浮かべているレインと、逆に足を開いて肘置きにもたれかかった態度の悪いイオン。どっちが導師か解ったもんじゃないな。
「イオン、大事な話をするんだから真面目にやって」
「えっ!?」
なのでその態度に苦言を漏らせば、アニスはチンピラ宜しく姿勢を崩した方のイオンが元祖導師だと知って本気で驚いていた。
彼女の教育が進んでからレインが影武者だということは知らせていたが、まさか本物がこんなだとは思ってなかったらしい。
イオンは私の苦言などどこ吹く風で、アニスを睥睨してお行儀悪くテーブルの上に置かれていたクッキーを摘まんだ。
「必要ないだろ。モースの子飼い相手に取り繕う必要性を感じないね」
「!」
イオンの言葉にアニスがザッと青ざめる。
咄嗟に視線だけで退路を確認していたが、扉の前にはシンクが控えている。逃げ場はない。
「……っ、ここは私を罰するための場、ということでしょうか」
「まさか」
「お前みたいな小物を捕まえるだけならさっさと神託の盾に引き渡せばいいだけだよ。シオリ、こんな頭の悪い奴、本当に必要? それくらいなら僕アリエッタを復帰させたいんだけど」
「残念ながらアリエッタは既に論師情報部兼第三師団特別顧問なのでこれ以上の兼任は無理だよ」
「チッ」
「まったく。取り繕う必要性がないのは解ったけど、行儀が悪い。レインやシンクが真似するでしょ。食べるならちゃんと座る!」
「いって!」
半ば寝転がるようにしてクッキーを口に運ぶイオンの頭を叩けば、アニスが解りやすく困惑していた。
レインが苦笑しているが、果たしてそれは何に対しての苦笑だろうか。アニスの困惑か、イオンの態度か、はたまた流石にこんな行儀の悪い態度は真似しないと言いたいのか。
流石にここで聞くわけにもいかず、渋々身体を起こしたイオンを横目にごめんなさいねとアニスに謝る。
なんと返答して良いか解らずふるふると小さく首を振るアニスに、改めてレインが口を開いた。
「アニス、ひとまず足を運んでくれたことを感謝します。今すぐ貴方を捕らえるわけではありませんから、そう緊張しないでください」
「は、はい……」
「まあ返答次第では左遷、という形で遠方の支部に出てもらうことになるかもしれませんが……今の貴方ならそれも悪い話ではないでしょう?」
「……はい。取り乱してしまい、申し訳ありません。お話を聞かせて下さい」
レインの言葉に居住まいを正したアニスが改めて私を見る。
それに一つ頷いて、私もまた小さく笑みを浮かべた。
「まずは研修お疲れさまでした。貴方がここまで成長したことを嬉しく思います」
「こちらこそ貴重な機会をいただきありがとうございました。自分が未熟だとはっきり解ったのはシオリ様のお陰です」
「それを認められることこそ成長した証ですね。さて、以前私は研修の結果次第で貴方にお仕事を頼みたい、とお話をしたと思います」
「はい」
「今の貴方ならはっきりと伝えて大丈夫でしょう。二重スパイをする気はありますか?」
「本当にストレートに言ったね」
「今のアニス奏長なら大丈夫だと判断しました」
イオンの突っ込みを流しつつ、拳を握り締めるアニスを見つめる。
こげ茶の瞳は揺れているが、私から外れない。顔色は悪いままだが呼吸は正常。冷静さは保っているようだ。
「それはモース様の情報をシオリ様に流せ、ということですか?」
「その通りです。以前の貴方になら私はこう言ったでしょうね。受けてくれるのであれば、ご両親の安全は保証しましょう、と」
「……あたし、いえ。私はもう、タトリンの名前は捨てました」
「聞き及んでいます。ですので条件を変えましょう。万が一モースが失脚したとしても、貴方の身の安全は保証します。これで如何ですか?」
私の提案にアニスは下唇を噛んで俯いてしまう。迷っている。
けれどそれは数瞬のことで、すぐに顔を上げてレインを見やり、私を見つめ返した。
「私は導師守護役です」
「ええ」
「……イオン様の御心に、従います。確かに私はモース様に捻じ込まれて、導師守護役になりました。けれど導師守護役がどんなものか教えられた以上、シオリ様の提案に、勝手に頷くわけにはいきません」
「……本当によい成長を遂げましたね」
自分で答えを出せないと言うアニスは別側面から見れば優柔不断なのかもしれない。けれど導師守護役としては実に成長したと思う。
なので素直にそれを褒めた後、少し意地悪な質問をしてみる。
「ところで貴方にとっての導師とは、どちらです?」
にい、と笑った私にアニスが解りやすく言葉を詰まらせる。隣でイオンもまた同じような笑みを浮かべているのが解った。
対してレインは困ったように眉尻を下げる。けれど止めない。ただアニスを見つめている。
アニスは目を閉じて小さく深呼吸をした後、言葉にせずともまっすぐにレインを見た。
「私にとってお守りすべきイオン様は、こちらの方です」
「結構。しっかりと意志を持てることは良いことです。レイン、話を進めても構いませんか?」
「はい。今のアニスなら僕も信用できると思ってます。アニス、シオリの話を聞いてくれますか?」
「イオン様がそう仰るのなら」
レインが私の確認に嬉しそうに頷いて、アニスに向かって花がほころぶような笑みを浮かべる。その笑みにつられるようにアニスの空気が少しだけ緩んだ。
反対側ではイオンが興味深そうにまじまじとアニスを見ている。ようやくアニスに興味が出たらしい。
「アニス」
「はい」
「貴方に頼みたい仕事の本質は、レインの安全の確保です」
「それは、」
「勿論、それが貴方の職務だと解っています。しかし影武者という立場上、どうしてもモースはレインを軽んじます。しかし本物の導師イオンが生きていると知られるわけにはいきません」
「え?」
「導師イオンは死の預言が詠まれていました。今彼がここにいるのは迫る病魔と預言を成就させようとする悪意に何とか抗った結果です」
アニスがこげ茶の瞳を真ん丸にしてイオンを見る。レインが影武者だとは知らされていても、まさか本物が死にかけていたことも、それどころか死の預言が詠まれていたことも想像もしていかったに違いない。
実際話を聞いたアニスは表情を硬くしていたが、その本物であるイオンは何とも軽い態度で小さく手を振っていた。真剣みが欠片もない。
「アニス。彼の死の預言が成就されていないと知れば、モースはなりふり構わずイオンを弑することは想像に難くありません。しかしユリアの預言では、しばらくの間導師の地位は空位が続くそうです。これから激動の時代が来ます。預言が絶対でないと示すためにも、教団の安定を図るためにも、今導師の地位を空にするわけにはいきません。レインという存在はそのために居ます」
「……はい」
「モースはまた別の思惑がありレインを導師の地位に就けることを認めましたが、本物の導師でないという侮りはレインへの暴挙へ繋がるかもしれません。両親という枷を外した貴方がレインを売り飛ばすとは思っていません。けれどご存じの通り私には預言がなく、だからこそあらゆる可能性を考え防衛策を講じておきたい」
「そのためにモース様の動向を把握しておきたい、と?」
「そうです。導師派と大詠師派の争いが激化していることは貴方の耳にも入っているでしょう。モースが暴走した場合、一番被害を受ける可能性が高いのはレインです。彼が惑星預言を詠むようなことがあれば、文字通り命にかかわります」
命にかかわると聞いてぐっとアニスの眉間に皺が寄った。
到底受け入れられる未来ではない、と互いの認識をすり合わせたところで私も頷く。
「モースだけでなく、レインに何かあった場合貴方は最後の砦となって下さい。相手に従うふりをしながらその情報を私に流してください。すぐに情報部を動かします」
「解りました。私の業務は常日頃のモース様の動向を伝えつつ、いざという時は道化を演じてイオン様の側から決して離れないこと。そしてそれをシオリ様に知らせ、万が一の場合はこの身を盾としてイオン様をお守りすることですね」
「その通りです。危険な仕事ですが、引き受けてくれますか?」
「不肖アニス、イオン様をお守りするため、謹んでその任をお受けいたします」
深々とアニスが頭を下げる。
モースの動向を探れることもそうだが、これである程度レインの安全が確保できそうだと私は密かに胸を撫でおろした。
この言い方ならば万が一原作通りにジェイドが突撃してきても、間違いなくアニスはレインを守り通してくれるだろう。
「ありがとうございます、アニス。お給金は弾みますね。そちらは後で詳細を詰めましょう」
「ありがとうございます! 頑張ります!!」
「良かったじゃないか、レイン。君の守護役だ。お前付きにすればいい」
「いいんですか? ありがとうございます、イオン様!」
「うん。僕いらないし」
「イオン……」
笑顔で要らないからやるとのたまうイオンに頭痛がしそうになる。額を抑える私に、話が終わったのを見て歩み寄ってきたシンクがため息をついていた。
逆にレインはアニスが正式に自分専属になるのが嬉しいようで、これからは二人の時はレインと呼んで欲しいと言っている。
アニスは嬉しそうにその声に応えていた。是非ともアニスはこれからもその忠誠心を育てていっていただきたい。
ソファのひじ掛けに肘をつきながら、足を組んだイオンが笑う。
クッキーを摘まみながらイオンと嬉しそうに話すアニスを見る。
「僕にアリエッタが居て、君にはシンクが居る。そしてレインにアニスが出来た。絶対に自分を裏切らないと確信できる守護役がいるってのは大きいよ。良かったじゃないか」
「イオンにはアニスがそうなるように見えるんだ?」
「まあね。レインが間違えなきゃそうなると思うよ。まあそこはおいおい指導していくさ」
そう言って笑うイオンに私は思わずシンクを見上げた。なるほど、確かに精神的な支えという意味ではとても大きな意味を持つだろう。
私の視線を受けたシンクが僅かに首を傾げているが、仮面をつけているので表情が伺えない。それがちょっと寂しい。
後でぎゅっとしておこう。どうせイオンと何話してたか聞かれるだろうし。
イオンの言う通りになると良いなと思いながら、私はアニスと嬉しそうに話すレインに視線を移し、自然と自分の頬が緩むのを感じていた。
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