導師守護役が守るもの
※アニス視点
タトリンの名前を捨ててから、神託の盾の宿舎に居を移した。
幸せになりたい、というあたしの主張は最後まで両親に理解してもらえなかった。パパとママ、そしてあたしにとって幸せの定義が違う以上、きっとどれだけ時間をかけ言葉を重ねても理解し合えることはないのだろう。
だから二人からの連絡は全て無視し、今は導師守護役の仕事に集中するようにしている。心が痛まないといえば嘘になるが、それ以上に思うのだ。
あたしを娘として愛しているというのであればあたしの幸せを掴むための努力を邪魔しないでほしい、と。
「アニス、良ければ一緒にお茶をしませんか?」
「では、失礼します」
「言葉を崩して貰って構いませんよ」
「ふふ。じゃあそうしますね」
そんなあたしを、レイン様は受け入れてくれた。
幸せにならなければならないという義務感に追われないでくださいね、とだけ言って。
この人にお仕えしたい。この人を守りたい。この人の願いを叶えてあげたい。
そう思うようになったのはいつからだろう。守護役として鍛えられている内に、守らなければならない尊いお方だと徹底的に叩き込まれたことも大きいと思う。
けれどそれ以上にあれだけ馬鹿をやったあたしを、努力したからという理由だけで許して、受け入れてくれる人だから。
守りたい、と思う。
お茶に誘われたとはいえ、レイン様にお茶を淹れさせるわけにはいかない。教えられたとおりにお茶を淹れ、ポッドを傾ければいい香りがふわりと広がった。ゴールデンドロップをしっかり落とし、茶菓子も広げてから席に着く。
穏やかな微笑を浮かべたレイン様は、いい香りですねと言ってたおやかな仕草でカップを手に取る。顔だけはそっくりだが、以前見た本物の導師イオンとは比べ物にならない程優雅だと思う。
「アニスはお茶を淹れるのが上手ですね」
「情報部で習ったんです。飲食物にも気を付けなければならない以上、あたし達が準備するのが一番安全だからって」
「なるほど、そんなことまで習うんですね」
「はい。そこで教えてもらったんですけど、実はシンク謡士もお茶を淹れるのが上手なんですって!」
「ああ、シンクも確かに美味しいお茶を淹れてくれますね。シオリはどちらかと言えばコーヒー派ですけど、紅茶も愛飲してますから」
「レイン様、シンク謡士のお茶も飲んだことあるんですか?」
「はい。ああ、アニスにも教えておきましょうか。実はこの部屋にシオリの部屋に通じる譜陣があるんですよ」
「えっ!?」
軽い雑談の気持ちで振った話にとんでもない情報が返されて思わず目を丸くしてしまう。
最も安全でなければならないレイン様の私室に自分の知らない侵入経路があったとは。シオリ様の部屋に通じているということは危険はないだろうけども。
教えてもらったのは隠し扉になっている本棚の後ろに設置されている譜陣だった。本物のイオン様の御部屋にも通じるらしく、入れ替わりの時にも使っていたのだと言う。
そっちの理由は解る。レイン様はイオン様の影武者なのだから、必要なものだろう。けれどシオリ様の部屋とも通じている理由が解らない。
「レイン様、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「なんでしょう?」
「何故論師のお部屋と直通の譜陣が必要なのでしょうか? 論師を疑う訳ではありませんが、侵入経路を増やすのは危険ではありませんか?」
「ふふ、アニスも成長しましたね」
「か、からかわないでください! あたしは導師守護役として!」
「解ってますよ。この譜陣は、シオリが昔僕の部屋に通いやすくするために設置してもらったものなんです」
「論師が、このお部屋に通われていたことがある……?」
「はい。ちょっと昔話をしましょうか」
そう言って席に座りなおしたレイン様は昔を懐かしむように目を細める。
そうして語られたのはシオリ様によってレイン様は影武者になれるよう教育されたのだ、ということだ。
「はえ〜、レイン様もちゃんとお勉強していた時代があったんですねぇ」
「もちろん。シオリは僕が理解するまで丁寧に教えてくれました。お陰でこうしてイオン様の代理を務めることが出来ているんです。実はレインの名前もその時に貰ったんですよ」
「え? そうなんですか?」
親からもらった、のではなく??
あたしの疑問に気付かないまま、レイン様は嬉しそうに笑う。
「シオリの元居た世界の、別の国の言葉で雨を意味するそうです。導師の影武者となる僕が、数多の人に恵みを与えられるように。そして同時に、僕の人生に多くの恵みがありますように。そう、願いを込めてくれた……大切な名前なんです」
頬を紅潮させてレイン様は本当に嬉しそうに語る。
だからあたしは抱いた疑問をぐっと胸の底に押し込んで、ただ素敵ですねと笑顔で答える。実際、素敵な名前だと思う。響きも綺麗だし、レイン様によく似合っている。
同時にレイン様にとってシオリ様の存在がとても大きいのだとよく解った。教育を施した名付け親。信頼を預けるには充分すぎる理由だ。
「レイン様にとってシオリ様はとっても大切な人なんですね!」
「はい! 実はグランコクマに行った時も、いろんな経験をしてほしいからってこっそり遊びに出してくれたんです。内緒ですよ?」
「えっ、案外お茶目! シオリ様ってもっとお堅い人だと思ってました」
「ふふ、本当にお堅い人なら趣味で喫茶店なんて建てませんよ」
「言われてみればそうかも。いや、お茶目で喫茶店建ててる時点であたしにとっては充分凄いんですけど」
「……そう言われれば確かにそうですね。周りの土地を一括で買って神託の盾アパート建ててますし……やる事の規模が違う、というか」
「あ、それもシオリ様なんですね……」
「はい。周囲を囲んでしまえばアリエッタも通えますし、僕やシンクも人目を気にせず安心して飲食を楽しめるだろうと……」
だからって普通周辺の土地ごと買ってアパートまで建てるか……??
頬がひきつりそうになりながらも、理由が理由なので何とか押しとどめる。確かに影武者であるレイン様はそう簡単に素顔で歩けない。
これだけそっくりなのだ。私服だとしても出歩けば信者に囲まれるだろうし、常に魔物を連れてるアリエッタなんて普通のカフェは夢のまた夢だ。
シンク謡士が顔を隠している理由は知らないが、迂闊に出歩けない彼等のためにそれだけ大金をつぎ込むなど想像の埒外だった。お茶目というにはやる事がでかすぎる。
けどそれだけのことをしてくれるシオリ様なら、余程のことがない限りレイン様のことを切り捨てることがないだろうな、とも思えた。
あたしに与えた任務もそうだ。あの人はレイン様を守るために尽力してくれている。きっとあたしに知らされていないだけでもっとたくさんの策を張り巡らせているであろうことも。
実際レイン様が出かける際は陰にちらつく気配を感じる。鍛えてもらわなければ気付くことがなかったであろう彼等は、レイン様を守るためにつけられた影の守護役だという。
モースによって一新されたあたし達守護役では足りない部分を補うための存在。
正直存在を知った時はそんなに信用できないかと不快に思ったが、昔の自分を思い返せば文句を言うことも出来なかった。
実際、今の守護役達が束になってかかっても、元守護役であるアリエッタには敵わないと思う。魔物の群れによる波状攻撃と譜術による援護は、それだけで一軍に匹敵する。
あたしも今の同僚達も、血反吐を吐くような努力をして守護役になった。けれど本来の守護役に求められる技量は更に上を行くのだろう。そう、例えば一騎当千の実力を誇る六神将のような。
ああ、そういえばその六神将の一角であるシンク謡士は論師守護役でもあるんだっけ。やっぱり導師守護役に選ばれるには、本来ならそれくらいの実力は必要なんだろうなぁ。
思考が飛んだが、とにかくシオリ様を必要以上に警戒する必要はなさそうだなと結論付けた。
勿論レイン様が欠片も警戒していいない以上最低限の様子見は必要だが、今は間違いなくレイン様のお味方だ。
「アニス?」
「あ、いえ。それだけ力を入れてるってことは、やっぱりシオリ様とシンク謡士のデートスポットになってるのかなぁって。町で結構噂になってるんですよね」
「そうなんですか? デートできるほど二人に時間的余裕があるとは思えませんが……」
「あ、そっち? でも確かにシオリ様、いっぱいお仕事抱えてますもんね。あんなに荒稼ぎしてどうするんだろ?」
「ふふ、アニスのお給料もそこから出てるんですよ」
「そういえばそうだった。身体を壊さない程度に頑張ってほしいですね!」
あたしの言葉にレイン様は解りやすく苦笑した。
けれど二重スパイの件を引き受けたことでシオリ様は本当にぽんっとお給料を上げてくれた。正直住まいを移したばかりで物入りだからすごくありがたかった。ケチなモースとは大違いだ。
ただ、それを抜いても気になりはする。
「でも……本当にシオリ様は何を目指してるんでしょうか。ただお金を稼ぐためなら教団に居る必要もないですよね??」
預言を持たないというシオリ様。その存在は教団の中でも特に特異で異質。金稼ぎのために出来たという論師の地位は、改めて考えてみればはっきり言って異様だ。
実際、シオリ様の衣装は教団員や神託の盾の衣装に描かれる紋様がない。あからさまに存在を弾かれている。まあ本人が気にしている様子はないけども。
そこまで考えて、不意にレイン様のまとう雰囲気が変わったことに気付いた。
見ればレイン様が微笑みを浮かべている。ただ細められたその新緑の瞳は笑っていない。あたしを見据えるその瞳に、何故かぞくりと悪寒が走った。
「レイン、様……?」
その顔が、イオン様のものとダブった。
影武者に選ばれるほどそっくりなのだから似ているのはなんらおかしなことではないのに、その瞳に底知れないものを感じたのだ。
気付けば喉がからからに乾いていた。ごくりと生唾を飲み込み、雰囲気にのまれそうになるのをお腹に力を入れて何とかこらえる。
「いずれ、解りますよ」
「え、っと……」
「シオリの目指しているものはその先です。もしかしたらアニスにも協力してもらう日が来るかもしれませんね」
「……レイン様は、シオリ様が何をなさろうとしているのかご存じなのですか?」
「もちろん。僕もシオリとイオン様のなさろうとしていることに賛同している人間の一人ですから」
……シオリ様は、イオン様と一緒に何か企んでいるのか。レイン様の言葉にそう判断し、ぐっと拳を握り締めた。
恐らくあたしは今、大切な情報を開示された。レイン様のただ一人の専属の守護役として。
だから居住まいを正し、レイン様を見る。これは絶対に確認しなければならない。
「シオリ様とイオン様がなさろうとしていることは、レイン様の望みにも沿うことなのですね?」
「はい。それは間違いなく」
「それはシオリ様によってそう教育されたからではなく、レイン様がそう思っておられるのですね?」
「確かに、その傾向はあるかもしれません。けれど僕はシオリとイオン様が手繰り寄せる未来で生きたいと、そう思っているのは間違いありません」
力強く断言され、あたしは肩の力を抜いた。
正直シオリ様によってレイン様が誘導されている感は否めないが、レイン様がそれを呑み込んでいるのならば構わない。
口角を上げて微笑む。あたしの仕事は、この人を守ること。そしてこの人の望みを叶えることだ。
「なら、必要な時は迷わずあたしを使ってくださいね。レイン様の望みを叶えることがあたしの望みですから」
「ありがとうございます、アニス。その時が来たらよろしくお願いします」
あたしの言葉にレイン様は解りやすく肩の力を抜いて笑った。
この笑顔を守るためならば、どんなことだってやってやろう。カップを傾けるレイン様を眺めながら、改めて胸に誓う。
例えイオン様やシオリ様と敵対することになろうとも、この人こそあたしが守るべきお方だと、そう定めたのはあたし自身なんだから。
それだけは、絶対に守ってみせる。
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