零と参
※イオン視点
「侵入者は弁明の時間すら与えられずに首を切られる。それを理解した上で姿を現すなら僕が直々にお前の心臓を潰してあげる」
深夜。一人きりの自室でベッドに転がったまま声を上げる。
声に苛立ちが混じってしまったが、問題はないだろう。侵入者相手に自分を偽る必要性を感じなかった。
シオリにふられた。
それでもまだ愛してる。こんなにも好きで仕方がない。
自棄になった僕の頬を張り倒して、僕のために真っ白な手を血に染めて、それでもなお未来を見据えるあの黒い瞳が限りなく愛おしい。
好きだと思った。今でも好きだ。愛してる。僕のものにしたい。隣にいてほしい。僕だけを見てほしい。論師としてではなく、僕だけの女の子にしたい。
誰よりも弱くて誰よりも強い彼女をこの腕の中に閉じ込めて、愛して、囲って、愛でて、壊して、ゆがめて、蹂躙したい。
そう思って、外堀から埋めようとした。卑怯だとは思わなかった。手段を選ぶつもりなんて最初からさらさらなかった。
だってシオリの隣にはシンクが居る。アイツが居る以上、いつかシオリは絶対に掻っ攫われる。その前に手を打つ必要があった。そのために病身に鞭を打ってダアトに戻ってきたのだ。
例え嫌われてもいつか振り向かせる自信があった。愛して愛して愛しぬいて、絶対に僕を愛していると言わせてみせると。
なのにシオリは僕の手を拒んだ。
ギリリと奥歯を噛む。衆目の目をうまく利用された。ああされては僕は哀れな道化になるしかなかった。
なりふり構わずシオリを求めると決めていた筈なのに、僕は今まで積み上げてきた導師という顔を壊せなかったのだ。
これが敗北じゃなかったらなんだ。悔しくてたまらない。
悔しい。悔しい悔しい悔しい悔しい!
シオリは僕のものになってくれなかった!!
「そんなこと言わないでよ、オリジナル」
「……誰?」
胸の内がぐちゃぐちゃでただでさえ苛立っていたところの侵入者。
入ってくるならいっそ残酷に殺してやろうと思っていたのに、まさかの声に思わず顔を上げる。
窓を見れば黒い髪に仮面をつけた少年が部屋に入ってくるところだった。
「……もしかして、三番目? シオリが拾った、情報部の」
「そう。僕フローリアンって言うんだ。初めましてだね、被験者」
「無垢なるもの? 誰がつけたの、そんな御大層な名前」
「シオリがくれたの」
「……あっそ。僕のレプリカってことに免じて一度は見逃してあげる。けど僕は今すごく機嫌が悪いんだ。とっとと失せろ。でなきゃ殺してやる」
「シオリがシンクと恋人になったから?」
布団を被りなおそうとしたところで投げつけられた無邪気な問いかけに今度こそ身体を起こす。
射殺さんばかりに睨みつけてやれば、仮面を外したフローリアンがにこにこと笑っていた。
髪は染めているのだろうが、仮面を外せば僕そっくりだ。僕のレプリカなんだから当たり前だけど。
「自殺でもしに来たワケ?」
「ううん。でもシオリを炊きつけたの、僕だから。それで悲しいことになっちゃったオリジナルにも会っておこうかなって」
「殺すよ」
「僕も抵抗するよ。僕は刷り込みは不完全だったけど、健康体だしダアト式譜術だってそれなりに使える。それ以外の戦い方だって覚えた。きっと乱闘になる。そしたら人が来ちゃうね。レプリカの死体は第七音素に還るけど、時間はかかる。導師イオンのレプリカが居て、それを導師本人が殺したってバレたら面倒なことになるよ?」
にこにことしながら理路整然と並べられた言葉に舌打ちが漏れた。
これのどこが無垢なるものなんだ。シオリのやつ、ちょっと目が悪くなったんじゃないか?
許可もなくベッドに腰かけるフローリアンをねめつける。
小さく笑ったフローリアンは僕の視線に何も感じていないようだった。
「で、僕に会って、何」
「一応、謝っておいた方が良いかなって思ったんだ。オリジナルが居なきゃ僕は生まれなかったのに、恩を仇で返すような真似をしちゃったから」
「口先だけの謝罪をしに来たって?」
「義理ってやつ。そういうのも大事だって小隊長が言ってた」
「だったら少しはしおらしくしたら? 僕に申し訳ないなんて欠片も思ってもいないくせに」
「うん。だって僕の中でオリジナルの優先順位は限りなく低いもの」
あはは、と笑う顔を殴りつけたくなった。
前言撤回する。確かにこいつは無垢なるものなのだろう。
無垢に、無邪気に、自分の欲望のままに動いている。そのズレた自分の感覚を理解していながら修正する気もなく、思うがままに生きているようだ。
なるほど。確かにこいつは僕のレプリカらしい。他人から見たらこうも腹立つものなのかと知りたくもない事実を知った。
「シンクの方が大事だって?」
「そうだよ。シンクが居なきゃ僕はずっと閉じ込められたままだった。予備の予備として、何も知らない空っぽのままだった。そこから出してくれたシンクにはオリジナルよりずっと恩があるんだ。シンクに僕を回収しに行くように言ってくれたシオリにもね」
「シンクといいお前といい、僕のレプリカのくせにお前たちはちっとも僕の思い通りにならないね。ほんと腹立つ」
「当たり前だよ、僕は僕で、君は君だもの。僕はアッシュが大好きで、シンクが大好きで、シオリが大好きなんだ。オリジナルはこの世界が大嫌いで、アリエッタが好きで、シオリを女の人として愛してる。ほら、こんなにも違う」
「ふうん。お前はシンクみたいに預言が憎いとは言わないんだ?」
「僕の世界に預言はないよ?」
「……お前、ほんと良い性格してるね」
「ふふ、きっとシオリが付けてくれた名前のお陰だね!」
預言など歯牙にもかけないフローリアンは、本当に好き勝手に生きているらしい。
余りにも自由なその姿に浮かぶのは僅かな羨望と、それをはるかに凌駕する苛立ち。
やっぱり殺してしまおうか。
そう思案したところでフローリアンが立ち上がる。僕に近寄ってきたかと思うと、背中で指を組んだまま腰を折って顔を近づけてきた。
夜の闇に紛れた緑の瞳は自分と同じものなのにガラス玉のようにも見える。微笑を浮かべてはいるが、その瞳は笑っていない。
「ねえオリジナル。シオリはね、僕等の神様なんだ。僕達を救ってくれた、無力で、優しくて、苛烈で、小さくて、可愛い神様なの。オリジナルなら僕の言ってること解るでしょ?」
「……僕はシオリが欲しいんだよ。無力で、意地悪で、優しくて、苛烈で、慈悲深くて、小さくて、可愛いくて、愛おしい……神様なんかじゃない、ただの人間であるあの女が欲しいんだ。欲しくてほしくて仕方がない」
「ふふ。今でも?」
「厭味ったらしい。僕は裏切者じゃない。この程度で揺らぐもんか」
「そうだね。僕もシンクもそれは一緒だよ。大切なものを諦められない。受け継いだ資質なのかな、我慢できないんだ」
にい、と緑の瞳が弓なりに細められる。
そこに孕んだ感情を見透かすことが出来ない程、馬鹿になった覚えはない。
「だから、僕達に手を上げさせないでね。シンクとシオリが喧嘩したり、いずれお別れしたなら何も言わないよ。生きてたらそんな未来だってあるかもしれないから、そうなったら好きにすればいい。その時になってオリジナルがまだシオリのことが好きなら、シオリのことを幸せにできるなら、それでシンクが傷つかないなら、僕は何も言わないよ」
「すがすがしい程僕の優先順位が低いね、お前は」
「そうだよ? 僕の大切な人たちを、傷つけないでね。大事にしてね。これは僕からのお願い」
「刷り込みが不完全なんだっけ? なら言葉は正しく覚えるべきだ。お前のそれはお願いじゃなくて強迫って言うんだよ」
「でも、オリジナルだっておんなじように使うでしょう?」
「減らず口だけは立派なところがシンクそっくりだよ」
「ふふ、ありがと」
体を起こしたフローリアンがにこりと笑う。無邪気な笑みだった。
笑って蝶の羽をもぐような、人形の足を引きちぎるような、綺麗な目玉を抉り取ろうと指を伸ばすような、無垢な子供の顔だった。
「とっとと失せろ。僕は寝る」
そう言ってベッドに身体を横たえ、今度こそ布団を被る。
フローリアンが無邪気に笑う。
「ふふ、おやすみオリジナル。いい夢が見られると良いね」
そう言ってフローリアンは窓から出ていく。
あいつ、結局最後まで僕の恋路を邪魔したことは謝らなかったな、とか。
名前すら呼ばなかったのは根っこで僕のこと嫌ってるからか、とか。
色々考えたけど全部どうでもいいかと思考の果てに放り投げる。
ああ、ほんと。
せめて夢の中でくらい良い思いがしたいよ。
あいつに手を差し伸べた黒い髪をなびかせる女を思い出して瞼を閉じる。
ゆっくりと意識を沈めていく。
突然の乱入者に乱れた感情こそ立て直したが、腹の底に粘つく苛立ちは解消されそうになかった。
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