96.5



※アニス視点

 見誤っていた。
 多分、レイン様にとってシオリ様は母親のようなものなのだろう。

 レイン様がシオリ様と密やかなお茶会をされ、私は守護役として唯一同席を許された。レイン様専属の唯一の守護役として、お二人から信頼されているのだと思うと少しばかりこそばゆい。
 導師イオンの影武者であるレイン様は、今は殆ど部屋から出ることはない。導師イオンは今、グランツ謡将と内密の任務に出かけているからだ。
 内密の任務と言っても多くの護衛を引きつれて出かけられているため、導師イオンが不在にしているという情報は当然のように漏れている。
 そのため影武者であるレイン様はその存在を隠すようにして自主的に外出を取りやめ、お部屋に引きこもっている。

 正直なところ、その扱いに不満を覚えないと言えば嘘になる。
 このお方にはもっと自由に過ごしていただきたい。そう思うもレイン様ご本人が納得されていることに、あたしが口を挟むわけにはいかない。
 何よりシオリ様はレイン様を籠の鳥扱いすることに申し訳なさを覚えているようだった。影武者なんだから当然だと言わず、レイン様の御心に寄り添って下さるだけでもありがたいというものだ。

 お茶会でも、シオリ様は外出は出来ないからこそもっと好きに過ごしても良いのだと言って下さった。
 もっと言ってくださいと、口から飛び出しかけた言葉をかろうじて飲みこんだ。
 
 シオリ様の仰る通り、もっと自由に過ごせばいいのだ。
 部屋に閉じこもり始めてから、レイン様は勉強に打ち込み始めた。図書室にある関連図書を読みつくす勢いで貪るように知識を吸収し、それをノートにまとめていく。
 真っ黒になるまで書き込まれたノートは、既に一冊や二冊では足らない。書いて覚えろと言われたのだと、レイン様ははにかみながら教えてくれた。
 だからってペンだこが出来るまで義務でもない勉強に打ち込む必要なんてないだろうに。

 正直、なんでそこまで頑張るのか解らなかった。
 閉じ込められているのだから、その分自由に過ごしたって誰も文句は言わない筈だ。

 けれどシオリ様とお茶会をして解った。
 レイン様はただ待機することしかできない自分をふがいなく思っていて、そんな中でもせめて自分に出来ることを探そうと藻掻いていたのだと。

 口に出せない不安を抱えていらしたのだろう。
 あたしに漏らすことのなかった本音を吐露する姿に、あたしには告げられることのなかった弱音を吐き出すレイン様に、申し訳なさを覚えた。
 あたしではレイン様の弱い部分を支えてあげられない。それがたまらなく悔しくて、苦しい。

 レイン様の言葉を聞いたシオリ様はその御心に寄り添い、抱擁をして、頭を撫でていた。
 そこでようやく気付いたのだ。レイン様にとってシオリ様は名付け親兼教育係以上の存在で、いわば母親のようなものなのだと。
 シオリ様も、わざとそのように振舞っている節がある。レイン様の不安を正面から受け止め、その心に寄り添うお姿はまさしく母親だ。
 レイン様がよくシンクと自らを比較するのは、シオリ様のお側に使える同年代の少年というのもあるのかもしれない。

 シオリ様は一通りレイン様の近況を聞き、レイン様にしかできないこときっとあると慰めの言葉を告げ、あたし達に警戒を上げるように告げて帰っていかれた。
 敵性存在についてまだ未確定ということで詳しく告げられることはなかったが、シオリ様が仰るのなら警戒を上げるに越したことはないだろう。
 他の守護役達にもリーク元は伏せつつ情報を共有しなければ。頭の中でそう算段を付けながら茶器の類を片付けていると、レイン様がすみませんでしたと声を上げた。

「レイン様?」
「みっともないところを、見せました。忘れて下さい」

 そう言って頬を赤らめる姿は年相応で、本当にみっともない姿を見せたと思っているようだった。
 それにくすりと笑みを零し、茶器を片付けながら応える。

「レイン様にとって、シオリ様は甘えられる存在なんですよね。それなら、たくさん甘えていいと思います」
「そんな! シオリはただでさえ忙しいんです。僕なんかのためにこれ以上手を煩わせるわけにはいきません!」
「そんなことありませんよ。シオリ様はあんなにレイン様のことを案じていました。きっと下手に不満を抱えこむより、きちんと本音を告げて、甘えてくれた方が嬉しいと思いますよ。むしろ何も言わずに抱え込んでどうしようもない状態に陥ってしまったら、もっと早く気付けていたらとシオリ様は我が身の不徳を嘆かれるでしょう。それくらいなら本音は小出しにすべきです」
「……そう、なんでしょうか。何の役にも立てていないのに」
「そんなことないです。シオリ様だって言ってたじゃないですか。レイン様にしかできないことがきっとあるって」
「僕にしか……できないこと」

 俯いて、そうぽつりと零す。
 その顔は不安げで、本当にそんなことがあるのかと疑っているようだ。

 私は片付け途中だった茶器を置き、シオリ様がしていたようにレイン様の前に跪く。
 思えば論師という高い地位に就いていながら躊躇いなくレイン様の前に膝をついていた時点で、あの人は論師としてではなく母親としてレイン様に接していたのかもしれない。

「大丈夫です。レイン様は努力されていますもの。アニスが保証します。シオリ様の仰る通り、レイン様にしかできないことが必ずあります。だからそれまで力を蓄え、知識を増やしましょう。それが今のレイン様の出来ることです。そのためならばアニスはどんなことでもお手伝いいたしますよ」
「……そう、ですね。ありがとうございます、アニス。僕、頑張りたいと思います」
「でも無理はしないで下さいね。レイン様が倒れられたりしたら、それこそシオリ様がすっ飛んできかねませんから」
「そうですね。きっとシオリは僕をすごく心配して、その後無理するなって言ったじゃないかと僕を叱るのでしょう。シオリが怒るとすごく怖いので、無理は出来ませんね」
「え? シオリ様って怒ると怖いんですか?」
「ええ、とても」

 くすくすと笑う姿はとても怖い人について話している姿には見えない。そしてあの母親のようなシオリ様が怒る姿はもっと想像できない。
 しかしあたしがシオリ様の印象が母親のような、という印象を抱いているのはレイン様への対応を間近で見ているからだ。
 きっとあたしの知らないところでは色々と後ろ暗いことにも手を回したりしているのだろう。事実、以前論師に手を出すと破滅するぞみたいな噂もあったことだし。
 てゆーかレイン様のためにあたしを金で釣って二重スパイに仕立て上げる時点で、あの人充分腹黒かったな。今更か。

 あたしが内心納得していたところでノックの音が聞こえた。一言断ってからドアへと向かって応対すれば、レイン様の存在を知る詠師の来訪だった。導師派で、レイン様にも丁寧に接してくれる人だ。
 レイン様の許可を取って部屋に招き、茶器を片付け新しいお茶を淹れる。二人がカップに口を付けたところで早速レイン様が用件を聞けば、詠師は一つ頷いて一通の手紙をテーブルの上へと乗せた。

「これは?」
「マルクトのジェイド・カーティス大佐はご存じですか?」
「……ええ、まあ。≪死霊使いネクロマンサー≫ジェイド、ですよね? 皇帝の懐刀で譜術の天才と言われる才人だと記憶していますが」
「ええ、そのジェイドです。実は彼が私に内密に連絡を取ってきまして……」

 レイン様が答えるのに少し間があったのを感じて、多分もっと別の情報元があるのだろうなと察しながら背後につく。
 が、ちらりと詠師に視線を向けられ、僅かに眉根を寄せる。離席を促されているのだと解ったが、いくら友好的な詠師相手とはいえレイン様の警護をゼロにするわけにはいかない。

「アニスの口の堅さは論師のお墨付きです。話してください」
「……念のため、レイン様も口外法度でお願いします。カーティス大佐は皇帝から和平の使者に選ばれたそうです。しかし両国間の緊張は高まりつつあります。いくら和平の使者でもすんなりとキムラスカに足を踏み入れるのは難しかろうと考えたようで、大佐からの手紙はダアトに仲介を願うものでした」
「それは……!」

 詠師の口から語られた内容に、あたしは密かに息を呑んだ。
 確かにこれは退席を願われても仕方のないことだ。レイン様もまた目を丸くしている。
 しかしすぐにその眉尻は下がり、レイン様は困ったような顔になった。多分、あたしと同じことを考えているのだろう。

「それは……難しいのではありませんか?」
「はい……」

 そう、難しい。
 導師イオンは未だダアトに戻っていない。導師イオンの不在はダアトの人間ならそこそこに知られているが、逆を言うならダアト以外の人々には知られていない。
 どんな任務に就きいつ帰還するか解らない以上、和平の仲介という大役を担えるか甚だ疑問だ。

「詠師会ではなんと?」
「他の詠師には知らせておりません。そもそも和平の仲介をするとなれば、イオン様かレイン様にキムラスカに行っていただく必要があります。しかしレイン様もご存じの通り、教団には今そこまでの時間的猶予はございません。詠師会の議題に出したとて、却下されるのは目に見えています」

 そう言って詠師はちらりとあたしを見た。あたしには開示されていない情報があるのだろう。
 そこを突っ込む気はないので、大人しく口を噤んだまま置物に徹する。あたしの仕事はあくまでもレイン様をお守りすることだ。

「手紙程度なら……僕でも書けるかもしれませんが」
「ええ。私としてもそう返答するつもりです。ですがジェイド・カーティスという人間のことを考えると、そこで納得するか少々疑問が残りまして」
「どういうことでしょう?」
「彼の皇帝への忠義は本物です。それは間違いありません。しかしだからこそ、皇帝陛下のためならば手段を選ばないきらいがあります」
「和平のためという名目の元、強硬手段に出る可能性がある、と?」
「はい」

 レイン様の言葉に詠師は苦々しい顔で頷いた。
 あたしもまた、背中で組んでいた掌をきつく握りしめる。それは聞き捨てならない。ああ、だからこそ機密を話すのに同席を許されたのか。

「念のため釘を刺しておきますが、皇帝陛下は導師派の人間ですから、彼に仕えるカーティス大佐を蔑ろにはできません。そこを突いて要求を押し通そうとしてくるやもしれません。せめて導師イオンから直接お言葉を賜りたいと言われれば断れない可能性が高いでしょう」
「解りました。元々僕のお勤めはイオン様の代わりとなることです。そうなったら僕が出て、きっぱりと断りましょう。その時に直筆の書状を渡し、納得してもらうしかありません」
「ええ、その時はよろしくお願いいたします。また今回のマルクトからの接触に対し、大詠師派が和平を妨害するために使者とレイン様を接触させまいと動く可能性があります。仮にも教団に勤めるものがレイン様を傷つけるなどありえないことではありますが、どうかご注意を」
「解りました。アニス、聞いていましたね?」
「はい。他の守護役達にも伝達し、警戒度を上げます。レイン様にはしばしご不便をかけることになりますが、ご寛恕ください」
「構いません。それが貴方たちの仕事なのですから」

 あたしの言葉にレイン様は微笑み、詠師はそれから二言三言話して去って行った。本当に用件だけ伝えに来たのだろう。
 また茶器を片付けながら先ほどシオリ様が警戒度を上げるように仰っていたことを考える。

「シオリもマルクトからの接触を知って、念のため警戒を怠らないようにと言いに来たのでしょうか」
「そうかもしれませんね。あの方は用意周到ですから」
「和平を妨害しようとする大詠師派に加え、ジェイド・カーティス本人も注意した方がよさそうですね」
「え? カーティス大佐本人にも、ですか??」

 レイン様のお言葉に思わず顔を上げる。
 その顔は稀に見る苦々しいものだ。滅多に見ない表情の筈なのにちょっと懐かしさを覚えるのはなんでだろうか。

「一度会ったことがあるんです。その……忠誠心の高さゆえか、独特の職務意識を持つ方でした」

 大変迂遠な言い回しであるが、つまり軍人としてどうなのって相手ってことか。
 茶器を片付けながら、そんな相手だからこそ注意すべきだというレイン様の言葉に頷く。
 大切なお方をお守りするのに警備を厚くすることに怒る相手はいない。最大限警戒しよう。

 そしてキッチンまで行って気付いた。あのレイン様の苦々しい顔は、まだ礼儀作法を身に着ける前のあたしによく見せていたものだ。
 つまりカーティス大佐も昔のあたしみたいな非常識ってこと?
 最悪じゃん!

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