15.5


※シンク視点

ヴァンの元から帰室したシオリは一つ大きなため息を吐いてから上着を脱ぎ捨てた。
どうも疲れが溜まっているらしいと見て、コーヒーいるかと聞けば甘いのが欲しいとの返事。
それならミルクと砂糖を入れたカフェオレを作ろうとキッチンへ向かう。

机の上に山積みにされた書類の山にげんなりとしながら、さっさとそれを切り崩そうとする姿はいつも通りだ。
それでもどこか疲れているように見えるのは、多少であれ長く傍に居たからこそ解る違いなのかもしれない。

「はい、カフェオレ」

「ん、ありがと」

マグカップを傾けながら書類にサインを入れていくシオリ。
僕は書類の分別しながら先程のヴァンの執務室での会話について聞いてみた。

「さっきはあぁ言ってたけど、実際のところヴァンの妹についてどう思ってるのさ」

「……なんで?」

「アッシュは切り札にもなりえるから今だ様子見っていうのはまだ納得できるんだけど、役に立たなさそうな……それも害にしかなりそうにない存在を放置しておくっていうのがシオリらしくないなって思ったから」

いざという時のために対処しておく。それがシオリのやり方だったはずだ。
ホスピスは未だにシオリが目を光らせているし、神託の盾傭兵団に到っては登録者は全員保険に加入させている。

その上全員の面接を論師であるシオリが直々に行っているのだ。
予防線をきっちり張っておくシオリにしては、ヴァンの妹の件に関してだけ甘すぎる気がした。

「勿論警戒はしてるよ。ティアのせいで計画がおじゃん、なんてことはごめんだからね」

「警戒だけ?」

「兄であるヴァンの前でティアを始末しろとは言えないし、そうなると最悪教団に火の粉がかからないようにするしかないのよ。
計画は書き換えられたし、このままユリアシティに居てくれれば問題ないんだけど」

つまり現状ではこれ以上手の打ちようがないということか。
しかしユリアシティに居る以上、何か問題を起こした場合ダアトの責任ということになるのだが。

「それじゃあ、実際に公爵家に襲撃をかけたら?」

「ヴァンには悪いけど、切り捨てるしかないね。幸いユリアシティは表面化していない町、神託の盾に所属してなければそんな人間教団には存在しないと言えば乗り切れるでしょう」

実際教団で暮らしているわけでは無いしね、とシオリは淡々と言った。
何かしたら即座に切り捨てると断言する姿は、冷酷である筈なのに清々しさすら覚えるのは何故だろう。

「ヴァンが庇ったら?」

「適当なこと言って言いくるめる」

「誰を?」

「……両方?」

つまり煙に巻くということか。
書類を分別しながらシオリの言ったことについて考えてみる。

ヴァンが庇ったら力を貸すということは、つまるところヴァンの妹は価値がないということだ。
シオリはヴァンの妹を助けようとしているのではなく、ヴァンが望むからこそ知恵を貸すといっているに過ぎない。
シオリにとってヴァンの妹は百害あって一利無しということか。

僕が何かする必要性はゼロ、だな。
無いとは思うがこれから先ヴァンの妹に会うことがあっても特に関わる必要はないだろうと結論を出し、さっさと忘れることにした。

「それじゃあアッシュは?使えない場合はどうする?」

「アッシュには悪いけど、秘密裏に処理させてもらうしかないわね。
アッシュが消えれば必然的に鉱山の町の預言は実現不可能になる。
勿論完全同位体であるルークの存在があるけど、アッシュが行わないというだけで消滅預言(ラストジャッジメントスコア)は確実に揺らぐでしょう」

どこまでもシビアな考えは、平和な世界で暮らしていた人間のものとは思えなかった。
飽くまでも合理的な判断は論師としては正しいのだろうが、人間としてはどこか歪に見えてしまう。

ちょっと前の僕なら、不要と判断されたら僕も処分されるのかな、なんて考えただろう。
けど今は違う、最近解ってきたのだ。

シオリは努力さえ続けていれば決して見捨てない。ある意味一番甘い存在なのだ。
ヴァンだって僕だって、最善を尽くそうとする人間には手を差し伸べてくれる。
勿論教団や仲間達に害を齎そうとする人間は論外だけど、僕達が未来を掴もうと足掻き続ける限りシオリは必ず助けようとしてくれるのだ。

例えそれがどんなほの暗い手段だったとしても、シオリは使える力を全てふるって僕等を助け出そうとしてくれるだろう。

「アッシュが使えるようになるとは思えないけどね、了解だよ」

だから僕も、シオリが望むならどんなことだってしようと思う。
それが僕の手を同僚の血に染めるようなことであっても。

「まぁいざというときに、は……」

そこでシオリの言葉が途切れ、どうしたのかと分別していた書類から顔を上げた。
シオリは食い入るように何かの手紙を見つめていて、段々とその眉間に皺が寄っていく事で怒りのボルテージが上がっているのが解る。
非常に珍しい光景に一体何事かと分別の手をやめて見ていたのだが、やがて読み終えたらしいシオリが特大のため息をついた後まるで頭痛を堪えるように米神に手をやって万年筆を放り投げた。

「どうしたのさ?」

「レインからの手紙がね」

そう言って手紙を寄越してくるシオリ。
素直にそれを受け取って中身を読めば、僕は生まれて初めて目玉が飛び出そうになるという感覚を体験することになった。

7番目の兄弟からの手紙。
それは要約すると、付けられた導師守護役がありえないんだけどどうしたらいいですかいう相談で……書き連ねられた守護役のありえない事例に思わず呆然としてしまう。

「……守護役って何だっけ?」

思わず呟いてしまった。
守護役の意味が僕の中で崩壊を起こしかけているようだ。

「シンクの仕事」

シオリの簡潔な答えにそういえばそうだったと思い直す。
そう、僕だって守護役だから仕事の内容自体解ってるのだ。
ただそれが崩壊しかけただけで。

「ちょっくらレインのところ行って来るわ」

「あ、あぁ。うん、僕も行くよ」

「うん、宜しく」

ばさりと上着を羽織り、ドアではなくキッチンへと向かうシオリ。
実はキッチンの食器棚の後ろに導師の住まうエリアに向かうための転移譜陣が敷かれた秘密の小部屋があったりする。
導師と内密の話をしたりする場合なんかはこの譜陣で移動する。
まだ書類が大量に残っているのに早急に移動しようとしているあたり、シオリも平静に見えて実は混乱しているのかもしれない。

「レイン、いますか?」

「シオリ……ですか?」

「シンクも居ますよ」

譜陣を踏んで移動した先は、導師の部屋の本棚に裏にある秘密の小部屋。
そこで本棚の向こう側に声をかければ、困惑したようなレインの返事が返ってきた。
すぐにかすかな振動と共に本棚が動き、青白い顔をしたレインが顔を出す。

「手紙を読んですぐに来たのですが……件の守護役はどこに?」

「部屋の外に居てもらっています。ちょっと一人になりたくて」

げんなりと言うレインは大分疲れているように見えた。
多分一人になりたかった理由も、その守護役が原因なのだろう。

「手紙にも書いてありましたが、一応何があったか確認させていただいて良いですか?」

「はい。あ、こちらへどうぞ。お茶を淹れますね」

「僕が淹れるからアンタはさっさと報告」

「あ、はい」

あまり時間は取れないのだ、さっさと済ませようとそう言えばレインは慌てて席に着いた。
シオリは僕らのやり取りに微笑みを浮かべながら、優雅に椅子へと着席する。

「手紙に書いた彼女……タトリン奏長はモースが着けた守護役です。士官学校を出たばかりとのことでしたし、シオリやイオン様が影をつけてくれるという事で、僕も正直あまり彼女に期待は抱いてませんでした」

レインも穏やかな風体に反して言っていることは結構シビアだ。
多分教育したのがシオリだからだろうなと僕は密かに思っている。

「それでも礼儀作法やマナーの類は心得ていると思ったんです。だって、だって、士官学校でも教わるんでしょう?」

「そうですね、基礎ですから」

「ですよね?そうですよね?じゃあおかしいですよね?やっぱり僕の感覚って間違ってませんよね!?」

身を乗り出してシオリに問いかけているレイン。
どうもレインの中でも身分や礼儀作法の概念が崩壊しかけているらしい。
興奮気味のレインを何とか落ち着かせ、僕もお茶を出してレインの話を聞く。

紅茶を飲んで落ち着いたらしいレインの口から語れた内容は、やはり守護役の意味を問いただしたくなる内容だった。

曰く、自己紹介は甲高い声で身体をくねらせ、自分のことは名前にちゃん付け。
曰く、市街で散歩をしていたら安売りに目を光らせて導師の傍を離れる。
曰く、信者と話している最中に退屈だからさっさと行こうと導師に促す。
曰く、顔色の悪い導師に対しまるで子供を叱るような苦言をもらす。
曰く、寄付金の決済についての書類を勝手に覗き見て冗談で済まされない不穏な発言。

「……僕、最初は影武者だってばれてるのかなって思ったんです。
でも、でも、他の守護役達はしっかりしてくれていますし、きちんとタトリン奏長に注意もしてくれるんです。彼女はそれを虐めだと受け取っているようですが」

疲れた声で説明をされ、僕は頬を引きつらせシオリは頭を抱えていた。
……シオリが頭抱えてるのって初めて見た。

「導師守護役長は現在居ませんし、どうしたら良いか解らなくて」

「そう、ですね。シンク、どうしたら良いかな?」

「……トリトハイムにでも言えば良いんじゃない?」

論師の仮面を被ることを忘れるほど思考回路が停止しているらしいシオリに問いかけられ、僕は投げやりになって応える。
非常識の処理の仕方なんて知るか。

「シンクの言うとおり、詠師トリトハイムに相談してみましょう。
守護役部隊は神託の盾の中でも特殊な立ち位置に居ますからヴァンでも口を出しにくいでしょうし…貴方のことを知っているトリトハイムなら査問会を開くなり何なりできるでしょうから。
後は……普段は他の守護役を傍に控えさせ、タトリン奏長は手近に置かないようにするしかないですね」

多少は復活したらしいシオリの内容を素直に聞くレイン。
これで多少はストレスが緩和されれば良いのだが、確かタトリン奏長はモースの手駒なので守護役から外されることはないだろうなと思う。
しかしあえてそれは口にすることなく、僕らはレインを慰めて部屋を後にした。

「何か原作より酷い気がする……まさか他のメンバーもそうとか言わないだろうな」

シオリの疲れた呟きを、僕は聞かなかったふりをした。
シオリには悪いが、この手を血で濡らす覚悟はできていても非常識と相対する覚悟はできてない。

できればこれ以上の非常識と出会わないよう祈りながら、僕は二人分の甘めのカフェオレを淹れるために再度キッチンに立つのだった。






アニスならしそうな気がするんですよ。
「はじめましてぇ〜、アニスちゃんで〜す!宜しくお願いしますぅ(ハート)」とか。

論師にきっちり教育されているので、レインの中では論師>アニスです。

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