16


「シオリ様、イオン様からのお手紙持って来ました」

「あぁ、アリエッタ。ありがとう」

執務漬けの毎日を続けていたとある日の午後、そう言ってアリエッタの差し出してきた封筒を受け取る。
蜜蝋に使われているのはダ・カーポの記号。

演奏記号では繰り返しを意味するものだが、私たちの間では返事を望む、という意味だ。
イオン本人から、返事を望まない場合はフェルマータ(終結の意)の蜜蝋を使うと言われている。

これまでのやり取りから見て、雑談や情報交換などはダ・カーポが、イオンなりの報告書などはフェルマータとうまい具合に使い分けをしているイオン。
アリエッタに紅茶とお菓子を振舞った後、私は早速ペーパーナイフを取り出して手紙を読むことにした。

つらつらと書き連ねてあるのは、丸みのあるフォニック言語にしては珍しく、鋭角味を帯びた少し雑な文字列。
イオンの文字だなぁと思いながら目で文を追っていく。


毎日検査で飽きてきたので仮面をつけて脱走したら、大騒ぎになった挙句リグレットに見つかってしこたま怒られたこと。

次やったら暫くアリエッタに会わせないといわれたので渋々脱走を諦めたこと。

なんだかんだ言いつつこちらに来てからの方が体調が良く、許可が出るときは図書館通いをしていること。

美味しいケーキ屋さんを見つけたので次はアリエッタと行こうと思ってるけど、アリエッタには内緒にしておいて欲しいこと。


そこまで読んで、検査まみれとはいえ穏やかな日常を送っているらしいイオンに思わず笑いが漏れてしまった。
ふ、と息を吐いてそれを誤魔化しつつ続きを読む。


ベルケントでも論師の評判が日常的に聞こえるようになってきたこと。

ベルケントにも神託の盾傭兵団と託児所の建設を希望の声が上がっていること。

論師が特殊体質であるという話が漏れていて、研究者として興味を持っている人間が複数居ること。

期待の声が大きいものの身辺には気をつけること。

それと、導師と大詠師の派閥抗争の噂もベルケントに届いているが、この街ではあまり興味をもたれていないようだということ。


手紙の内容は大まかに言うとそこで終わっていた。文末は"親愛なる友より"と名前を記さないまま締められている。
全てを読み終えた後、私はため息をついてから手紙を封筒へと仕舞い、鍵のかかる引き出しへとそれを放り込んだ。
イオンから送られてきた手紙は全てココに放り込んでいて、既に結構な量が溜まっている。
本来ならば処分すべきなのだろうが、何分捨てられないので結局溜め込んでいるのだ。

「アリエッタ」

「はい、何ですか?」

「ヴァンに水漏れしてるみたいだから、修理をお願いって伝えておいてくれるかな」

「えっと、水漏れ……修理……情報が漏れてるから、情報源を潰せ、ってことですか?」

「そう。水漏れで通じるから、そう伝えてくれれば良いよ」

「じゃあ伝えておく、です」

クッキーを齧っていたアリエッタが頷くのを見て、私は執務机から立ち上がるとアリエッタの向かい側のソファへと腰掛けた。
ティーポットに残っていた紅茶を自分で注ぎ、少しぬるくなったそれにそっと口付ける。

「イオンはどうだった?」

「暇だ、って何回も言ってて……やることがないみたい、です。図書館の本読みつくす勢いだって、リグレット言ってました」

「あはは、それくらいしか暇つぶしが無いんだろうね」

「簡単な本はつまらないって、最近は専門書にも手を出してるみたいです」

「イオンならやりそうだな、これで音機関マニアになったりしないと良いんだけど」

「この前は『体術の基礎』って本、読んでました」

「体術やりたいのか?」

「自分より強いシンクがちょっと羨ましいみたい、です」

「あぁ、なるほどね」

アリエッタの話に相槌を打ちながら、イオンの近状を脳裏に纏める。
イオンの顔色が悪かったりやせていたらアリエッタは真っ先に気付くし、私に報告する。
そんな話が出ないということはそれなりに体調は回復しつつあるのだろう。

それからイオンの事で話に花を咲かせていたのだが、シンクが部屋を訪れた事でそれは中断された。

「ヴァンが報告待ってたよ」

と、シンクがアリエッタに告げたのである。
なので再度伝言を忘れないよう念を押し、アリエッタが出て行くのを見届けてからシンクがドアに鍵をかけるのを横目に私は茶器を片付けるためにキッチンへと向かった。

「アリエッタと何話してたわけ?」

「イオンのことをね。調子良いみたいよ?」

「アイツのことなんてどうでもいいよ」

仮面を外してから後片付けを手伝うために手を伸ばしてきたシンクの辛辣な台詞に私は苦笑を漏らすしかなかった。
シンクにイオンと仲良くしろというのはどうも無理そうだ。
まぁこっちとしても無理強いをするつもりはないので、口に出すことはないだろうが。

「そういえばさ、最近僕とお茶しないね」

「そうだね……シンクには仕事手伝ってもらってばっかりだし」

「前に一緒にお菓子作ったの、いつだっけ」

「んー……1ヶ月くらい前かな」

「他の奴とはお茶してるんだろ?一緒にキッチンに立ったりするわけ?」

「まさか。お客にお茶を振舞うことはあっても一緒に作ったりはしてないよ」

私がそう言うと、シンクはそう、と短く答えてから私が洗い終えたカップを黙々と拭いていく。
これはもしかして、拗ねているのだろうか?
そう思って視線だけでシンクを見れば、少し唇を尖らせている。

「……アヒル唇になってる」

だからとがった唇をちょんと指先でつついてみた。
シンクは一瞬きょとんとしたが、すぐになってない!と過剰反応を見せてくれる。
どうやら自分が唇を尖らせているのに気付いていなかったらしい。
何だこの可愛い生き物。

「シンクもしたいことがあるならちゃんと口にしなきゃ駄目よ?言葉にしないとどんどんすれ違っちゃうからね」

「……すれ違うって、何が?」

「心が、かな。お互いを思ってるはずなのに、かみ合わないことしちゃったりとか……善意でやったことを悲しまれたりとか」

私の説明を聞いたシンクはソーサーを拭く手を止めてなにやら考え込んでしまった。
シンクには難しかったかもしれない。
そう思いつつ、唇を引き結んだシンクの顔を覗きこむ。

「シンクー?」

「……したいこと、ある」

先程の言葉が効いたのか、少し間を空けた後珍しく素直に口を開いたシンク。
全ての茶器を拭き終えてから、シンクは私の手を引っ張ってソファの方へ歩き出した。

「シンク??」

何がしたいのか口にしないシンクに首を傾げれば、シンクは私をソファへと腰掛けさせてから隣へと腰を下ろした。
そのまま私を寝かせると、その上に覆いかぶさるようにして乗ってくる。
何だこの体勢。

「……甘えたいの?」

「……触れたい」

それってつまり甘えたいんだよな?
しかしそういえば最近触れていなかったなぁと思い直して、その言葉をぐっと飲み込む。
シンクの腕が私の背中に回され、シンクは私の胸に顔を置いた。

別に胸に顔を埋めているわけではない。
シンクが胸に当てている部分は耳だから。
多分、心音が聞きたいんだろう。

「……動いてる?」

「うん」

「シンクと一緒だね」

「……うん」

そっとシンクの頭を撫でてやりながら、この大きな子供のことを思う。
シンクは時折、石鹸の香りの中に鉄錆の臭いを纏わせている時がある。
そういうことを仕事でしているのだろうと思うと、何故か私まで辛くなった。

でもシンクはその道を選んで、私は背中を押したのだ。
止められるはずもなく、何か言えるはずもなく、私は黙って気付かないふりをした。
……アレはいつのことだったか。

そして今日もやっぱり、おんなじ臭いがする。
石鹸の香りに混じるかすかな鉄錆の臭い。
それでも私はシンクから何か言ってこない限り、それに気付かないふりを続けるのだ。

「まだあったかいのは苦手?」

「……シオリなら、平気」

「そっか」

「シオリ……僕、頑張るから」

「休息はきちんと取りなさいね。無茶して後にしわ寄せが来たら意味が無いんだから」

「うん、解ってる」

会話は淡々としていたけれど、相変わらずシンクは私に圧し掛かってるし私はシンクの頭を撫で続けていた。
もし私がシンクの休息場所になっているのなら、多少仕事を押しても休ませてやりたいと思う。

結局私は、シンクのことが子供として可愛いんだな。
そう自覚させられた午後だった。






イオンをシオンと打ちそうになります…。

栞を挟む

BACK

ALICE+