17
「つまり、躾を嫌がった鶏が小屋から脱走したと」
アッシュは以前、私の傍で武器を振り回したせいで謹慎処分を食らっていた。
が、散々ヴァンに甘やかされてきたため初めて与えられた正規の罰に不満を抱き脱走を図ったらしい。
結果、捕まえようとした騎士団兵に危害を加え、牢にぶち込まれたという報告を聞いた私の言葉に、ヴァンは頬を引きつらせた。
執務机に肘をついて珍しく眉根を寄せた私にどう対処して良いかわからないというのもあるのだろう。
深々とため息をつけばびくりと身体を震わせるあたり、ちょっと怯えも入っているのかもしれない。
こんなんが主席総長で大丈夫なのか神託の盾騎士団。
「仕方ない……牢に入れてどれくらい経つ?」
「既に二週間経っている。今回の件で良く解った。貴方が以前言ったとおり、これは荒療治しかないと思ってな」
私の不手際が原因で貴方の手を煩わせるのは申し訳ないと思うのだが。そう付け足してヴァンは頭を下げた。
要は私に何とかして欲しくて現れたのだというのが解り、私はもう一度ため息をつく。まぁ土台を作ってあるだけ、よしとしよう。
「……では、行きましょうか」
あえてどこにと言わないまま立ち上がる。ヴァンもそれに頷き、私の前に立った。
「ご案内しましょう」
ヴァンに従い、私は普段は足を踏み入れはしない地下牢へと足を運ぶのだった。
「……憔悴しているようですね、アッシュ」
牢屋の柵越しに憔悴した面持ちのアッシュを見下ろす。
肩甲骨の辺りまで伸ばされた深紅の髪はパサパサで、頬も少しばかりこけているように見える。
地下牢は光が入らない。あったとしても壁にかけられた蠟燭の光のみ。
牢番たちも食事を運ぶとき以外は足を踏み入れないし、清潔とは決して言えない場所だ。
精神を磨耗させるには十分な環境だろう。特に、以前ヴァンの手により同じ環境に突き落とされたアッシュならなおさらのこと。
劣悪な環境の中、追い詰められた精神を安定させるためにヴァンはルークを憎悪させることでアッシュのアイデンティティを保たせた。
今回行うのはそれの上書き作業だ。やっていて良い気分にはならないが避けられない道でもあるため、躊躇はしない。
私が声をかけても、アッシュは少し視線を動かしただけで硬いベッドに座ったまま身じろぎもしない。
私の背後にはヴァンが控えている。先ほどまでシンクも居たのだが、今はお使いを頼んでいるのでここには居ない。
「……こちらを見なさい、アッシュ」
「……………」
「キムラスカの誇り高き王族といえど所詮この程度、ということですか」
無言を貫くアッシュにため息混じりにそう言ってやれば、アッシュはやっと顔を上げた。
光を宿さない瞳でこちらをねめつけ、手負いの獣のような殺気をその身にまとわせている。
「キムラスカを侮辱する気かっ」
「侮辱されるようなことを貴方がしでかしたからでしょう」
「貴様に何がわかる!」
「解りません。貴方は愚かすぎる。たとえ解ったとしても、そんな思考回路など解りたくもない」
嘲りを含んだ私の言葉にアッシュは歯軋りをしながらゆらりと立ち上がった。
武器は取り上げられているものの、彼には超振動がある。やろうと思えばこの地下牢ごと崩壊させることも可能だろう。
背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、恐怖をしまいこみ私は悠然と笑みを浮かべてやる。
「貴方は王族の蒼き血を引き相応の教育を与えられた過去を持ちながら、ここではまるで暴君のように振舞っている。人々の声に耳を傾け、寄り添うあうものこそ名君と呼ばれるというのに、貴方が行っているのはその真逆の行為です。それに、貴方は今貴族ではなくただの一般兵。わがままが許される立場ではありません。自らの立場すら弁えられない人間の心境など、知りたくありません」
私がそう言えばアッシュはこちらに歩み寄り、思い切り柵を殴ってきた。
金属が殴られる音が響き、ヴァンが構えようとするのを片手をあげて制する。
「あの屑がっ、レプリカ野郎が居なければ俺は貴族として居られたんだっ! 全てを奪ったあいつが居なければっ、俺はっ!」
「では帰ればいいでしょう。キムラスカまでの金子はこちらで用意しましょう。屋敷に帰還し、声高に言いなさい。自分こそが本物のルーク・フォン・ファブレであると。最初は疑われるでしょうが、記憶があることを告げれば最終的には受け入れて貰えますよ。そうなるとレプリカルークは捨てられるか秘密裏に処分されるでしょうが……まぁ、貴方には関係ありませんね。意気揚々と奪い返せばいいのです」
私がそう断言すれば、アッシュは柵をつかんだまま翡翠の目を見開いていた。
考えもしなかったのだろう。馬鹿か。
「帰って……帰っていいのか!?」
「構いませんよ。すでに私たちは貴方を必要としていない」
鬱蒼と微笑みながら言ってやれば、アッシュの肩がわずかに跳ねる。
しかし過去を思い出し、帰れるのならば帰りたいという気持ちが勝ったらしいアッシュが口を開く前に、私が先に口を開いた。
少しだけ小首をかしげ、笑みを絶やさないまま朗々と語ってやった」
「帰ればいいのです。そして思い知りなさいな。貴方の望んでいた陽だまりなど存在しないことを」
「字も読めぬ子供だったレプリカルークに分厚い帝王学の本を押し付け、理解できなければあきれ返るような婚約者」
「己の子供から目をそらし、嘆くだけで何もしない母親」
「愛せば辛くなるだけだと子供に目を向けず、国の繁栄のために差し出すことを決めた父親」
「超振動という異端の力を持ったために研究対象としてしかみなさず、数年後にはいけにえにすることを決めている国」
「赤子のようになった主を見下し、あざ笑うメイドや白光騎士団」
「復讐のために同じように家族を奪ってやろうと牙を隠している友人面をした使用人」
「全て奪い返せばいいのです。そしてレプリカルークが受けていたことを、貴方もその身で受け止めなさい。最も、二年後……いえ、一年半後には生贄として殺されるでしょうが」
私の語った内容にアッシュは唖然とし、そして信じたくないと首をふる。
嘘だと、そんな筈がないと喚き散らしたが私は表情を消してそれを見つめるだけだ。
思い出は美化されるというが、ここまでくれば妄想の域に入るのではないかと心の中で思う。
「事実ですよ。貴方がヴァンの手を取るために、ルーク・フォン・ファブレであることを押し付けたレプリカルークが居る場所とはそういう場所です。超振動の実験こそ中断されましたが、現在ではろくな教育も施されることなく屋敷の中に閉じ込められている。それが、貴方の望んだ陽だまりです」
断言したことで、アッシュの幻想が粉々に砕かれるのがわかった。音もなく涙を流し、その場に崩れ落ちるように座り込むアッシュ。
幼子のように体を丸め、頭を抱える姿は捨てられた子供のようだ。私は無言で牢の鍵をヴァンから貰い、蝶番を軋ませて牢を開けた。
しかしアッシュは動こうとしない。
「……どうしたのです。早く出なさい。帰りたいのでしょう? 貴方が出て行った後、おそらく処分されるであろうレプリカルークはこちらで引き取りますから、ご安心を」
その言葉にアッシュはやっと顔を上げる。頬を涙で濡らしながら、その瞳に燃えるのは憎悪だ。
「あの劣化野郎に、また居場所を渡せってのか!」
「何を言ってるんです? ここには貴方の居場所なんてありませんよ」
「な、に……?」
「ヴァンが作った居場所も、貴方は自分から破壊しました。だから貴方はここに居るんです。もうここに貴方の居場所はない。だから私もキムラスカに帰れと言っているんですよ」
「ふ、ふざけるな! 俺が何をしたと!」
「ヴァンの庇護を受けてやりたい放題。軍とは秩序を重んじる場所です。貴方のように周囲を省みない暴君は必要ありません」
「し、しかし、ヴァンは俺の力が必要だと」
「もう必要なくなったと言ったでしょう?」
「ならなんでレプリカを引き取るだなんて」
「レプリカルークならまだ矯正の余地がありますから、貴方と違って」
いや、ほんとに矯正の余地があるかは知らないけど。
ガラガラと崩壊していく全てにアッシュは呆然と私を見上げていたが、私はかすかに聞こえる足音に視線を上げた。
そして再度、絶望に浸っているアッシュを見下ろす。
「キムラスカに帰らないというなら、最後の慈悲を持って……貴方にチャンスをあげても良いでしょう」
「……チャンス、だと?」
「貴方は誇り高きキムラスカ・ランバルディアの蒼き血を引く王族。王妹シュザンヌ・フォン・ファブレと公爵にして元帥であるクリムゾン・ヘァツォーク・フォン・ファブレの子。そうですね?」
「そう、だ……そうだ、俺は、俺はっ」
「それを全て捨てなさい」
「……なんだと」
「全て捨てろと言っているのです。そしてもう一度、アッシュになりなさい。貴方はダアトにある陽だまりを自ら破壊しました。ですがもう一度自ら居場所を作り上げるチャンスを差し上げます。そのために髪を切って染め上げ、瞳を隠すために仮面をかぶりなさい。完全に過去と決別するために」
それは、キムラスカ貴族としての誇りを捨てろということ。私の言葉を聞いたアッシュはできる筈がないと首をふる。
そんな中、お使いを頼んだシンクがようやく到着した。その手にあるのは二つ。そのうちの一つ、何の飾り気もない短刀を受け取る。
「それすらも放棄するというのであれば、さっさとキムラスカに帰りなさい。自ら放り出した居場所を奪われたなどと妄言し、思い通りにならなければ癇癪を起こす子供などダアトには要りません。どちらも嫌だとダダをこねるのであれば……最早情をかける価値すらない、自ら命を絶てばいい」
そう言って私はアッシュに短刀を放り投げた。
貴様ごときが自害するには安物の短刀で十分であろうと、そう皮肉をこめて。
「もう一度ダアトでやり直す度胸すらないなら、死ねばいいのです。所詮貴方の根性などその程度のものだったということ。貴方が死ぬのであれば、預言が外れるという意味でもこちらとしては丁度いい。このオールドラントという世界から、"聖なる焔の光"が消えるだけ」
アッシュはじっと短刀を見ている。
手を伸ばそうとはしない。呼吸が浅いのを見ると、迷っているのだろう。
なので私はその場にしゃがみこんで、アッシュと視線を合わせた。
もう一押しだと判断し、優しく優しく微笑んでやる。
アッシュの視線がこちらに向けられるのを確認して、微笑を絶やさないまま告げてやる。
「しかしもう一度やり直すというのであれば、私は貴方に意味を送りましょう」
「……意味?」
「不死鳥というものを知っていますか? 焔のごとく赤い鳥でその血には力が宿るといわれている聖なる生き物です。不死鳥は死するとき全身を焔で包み、灰になります。そして灰の中から雛鳥としてもう一度再生するのですよ。解りますか? 灰とは不死鳥にとって生誕の象徴なのです。聖なる焔の燃えカスではない、生誕の灰としての名を、貴方に贈りましょう」
呆然と聞いているアッシュ。
背後を振り返ればシンクは口を引き結んで無言を貫き、ヴァンは緊張した面差しを見せている。
再度アッシュを見れば、震える手でそっと短刀へと手を伸ばしかけていた。
「……ダアトに残るのであれば、並々ならぬ努力が必要でしょう。しかしその果てには、貴方が自らの力で得た、貴方だけの居場所があるはずです」
「私たちは甘やかしません。これまでのようにヴァンの庇護もありません。残るのであればそれを覚悟なさい」
「その上で、選びなさい、アッシュ。幾度となく灰からよみがえる不死鳥に、貴方はなれますか?」
視線が絡み合う。
若葉のような色をしたシンクよりも濃い、翡翠の瞳が揺れている。
そして瞳を閉じて数度深呼吸した後、覚悟を決めたように短刀を手に取る。
大量の赤が、牢内に飛び散った。
「……シンク、それをアッシュに」
飛び散った大量の赤色、深紅の髪を横目に声をかける。
シンクは無言のまま、装飾の施された鈍色の仮面をアッシュへと差し出した。
アッシュは不恰好に短くなった髪を払い落としながらそれを受け取り、無言で顔につける。
「……論師、俺は……不死鳥のように、生まれ変われるだろうか」
「それは貴方の努力次第です。ですが、生まれ変わりたいと思った貴方の心は、喜ばしいことだと思いますよ」
「……努力、しよう」
かすかな声でそう呟いたアッシュに、私は手を伸ばした。アッシュは戸惑いながらも牢から出てくる。
後から髪を整え、染めてやらねばならない。手配はリグレットあたりにでも頼むか。
そんなことを考えながら、少し震えているアッシュの手をとり強制的に握手の格好をとる。
「期待していますよ、アッシュ」
「……宜しく頼む」
戸惑いはいまだ消えない中、アッシュは私の手を確かに握り返していた。
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