17.5


※シンク視点

教団というのは建物が古いだけあって、人が近寄らないような部屋、存在が知られていない部屋というのが多数存在する。
その部屋の一つ、足の腐りかけた木製の机と椅子があるだけの小さな部屋に、現在僕とシオリとアッシュとヴァンが顔を突き合わせていた。

いや、この言い方には少しばかり語弊があるだろう
正確に言うのであれば、ヴァンは傍観に徹し、シオリは椅子に腰掛けてあきれ返り、僕はアッシュに向かって怒鳴りつけていた。

論点は髪を黒に染めあげ仮面をつけたアッシュが嫌味を言ってきた詠師に対し暴言を吐いた件について、だ。
が、この鶏はちっとも反省してくれない。
オールバックという名の鶏冠は返上したにも関わらず、中身は相変わらず鶏のままなのだ。
いっそキムラスカじゃなく家畜小屋に送った方が良かったんじゃないだろうかと思うほどに。

「だ、か、ら!何回言ったら解るのさ!
年下だろうと生意気だろうと嫌味を言われようと敬語を使えって言ってるだろ!?アンタ我慢って言葉知ってる!?」

「アレは相手が悪いんだろうが!それなのになんで俺が堪えなきゃいけねぇんだ!」

「それが身分ってもんなんだよ!アンタだって貴族やってたなら解るだろ!
アンタの暴君具合に白光騎士団やメイド達だって我慢してたんだよ!アンタが知らないだけでね!」

「何でお前がそんな事断言できるんだ!俺はあんな馬鹿じゃねぇっ!」

「事実馬鹿じゃないか!!」

「んだと、この屑がっ!」

反省するどころかますますヒートアップし、机を殴りつけるアッシュ。
いっそ秘奥義を食らわせてやろうかと思った矢先、ついに見かねたらしいシオリが動いた。

「屑はお前だばかたれ」

スパーンという小気味のいい音が狭い室内に響く。
シオリがハリセンという手作りの武器でアッシュの頭をはたいたのだ。
ちなみにシオリの国の言葉で"アッシュ専用"と書かれているらしいが、その事実はアッシュにのみ知らされていない。

ダメージはないもののはたかれた頭を摩りながらアッシュがシオリを睨みつける。
しかしシオリは普段の姿からは想像もできないような絶対零度の視線でアッシュを心理的に見下ろし、アッシュはそれにびくりと肩を震わせてすぐに視線をそらした。
どうも地下牢の一件があって以来、アッシュはシオリに逆らいづらいようで……そのまま一生大人しくなれば良いのに。

「アッシュ、あなたの自分の階級は解ってる?」

「……一般兵だ」

「そうだね、つまりアッシュが命令できる人間はどれくらい居るか解るかな?」

「……誰も居ない」

「そうだねぇ。つまり下の下の階級だね。
逆を言うならアッシュが逆らえる人間は誰も居ないということになる。
で、いつになったらこの単純明快な事実を理解するのかな?その頭は、ん?」

ぱんぱんぱん、と軽い音が呆れた声と共に断続的に響く。
シオリがアッシュの頭をハリセンで叩き続けている音である。
肉体的なダメージは無いものの、精神的には結構に来る攻撃であるのは見ているだけで解る。
元貴族であるアッシュにとっては屈辱に近いだろう。
そんな屈辱感も相まってか、アッシュが眉間に皺を寄せたままなのを見てシオリはため息の後に短く命令した。

「まぁいいわ。アッシュ、正座しなさい」

「……は?」

「聞こえなかった?正座をしなさい、といったの。つまり、足を折りたたんで地面に座れ、と言っているのよ」

ハリセンを手で弄びながら、にっこり、と擬音がつきそうなほどの見事な笑み。
流石に鈍感なアッシュも何かを感じ取ったのか、普段なら絶対拒否するであろうその命令に反論することなく従った。
顔色が少し悪くなったように見えたのは、きっと照明のせいではないだろう。

「それじゃあ、お馬鹿なアッシュのために階級と階位について、この私が、直々に、じっくりと、講義をしてあげるから……終わるまでちゃんと座ってなさいね」

笑顔だけど目が笑っていない。という顔を僕はシオリに出会って初めて知った。
この笑顔はシオリが価値無し、容赦する必要無し、もしくは阿呆と判断した場合のみ発動する。
なのでこの笑顔を見たことがある人間は以外と少ない。

余談だが、ヴァンはシオリのこの笑顔がとても苦手だそうだ。
多分情けない過去があるからだろう。

「まずは神託の盾騎士団内における階級について。これは呼称においてキムラスカやマルクトととは多少の差異があるものの、基本的な部分は変わらず、」

ヴァンと僕が見守る中、シオリ本当に基礎中の基礎をアッシュに講義を始める。
途中から気もそぞろなアッシュだったが、それ気付いているであろうシオリはそれを無視して講義を続けた。

なにやらそわそわしながら30分ほどの講義を聴き終えたアッシュは、シオリに立って良しと言われてもすぐに立とうとしなかった。
それどころか両手を地面に付き何かに耐えているように見える。

「……何してんのさ、早く立ちなよ」

そもそもオールドラントには地面に座る習慣は無い。普通は椅子に座る。
この正座という座り方も、僕達にとってはシオリ発祥の座り方なのだ。
だからさっさと立てと促したのだが、何故かアッシュは搾り出すような声で反論するのみだった。

「ぐ。う、うるせぇ」

「足の感覚は戻ってきた?」

「論師……お前、こうなると解ってて座らせたなっ!」

「当たり前でしょう、ほら、触ってあげるからさっさと立ちなさい」

そう言ってシオリがアッシュの隣にしゃがみこんだ。
そして宣言どおりに足を触った瞬間、その場に突っ伏して身悶え始めるアッシュ。
……何だこれ。

「論ッ、待てっ、今はっ」

「うんうん、初めてはきついよね」

「〜〜っ!待てって言ってるだろうがっ! 〜〜っ!!」

「私、体罰ってあまり好きじゃないのよね。でもあまり聞き分けの無い子にはやっぱり罰が必要じゃない?で、思いついたのがコレなんだけどどう?」

とても良い笑顔でアッシュの足をぺしぺしと叩きながら問いかけるシオリと、地面を叩きながら何かに堪えているらしいアッシュ。
話の内容からして体罰の代わりらしいが、一体何だというのか。

「ねぇ、どうなってるの?」

「正座って足を圧迫するでしょう?
だから長く座り続ければ末端まで血流が巡り辛くなり、一時的に感覚が無い状態に陥るの。
そこから解放されて暫くすると段々足が痺れ始めてくるんだけど、その時痺れている箇所に触れられるとなんとも言いがたい感覚に陥るの。百聞は一見にしかずって言うし、シンクもやってみる?」

「遠慮しとく」

あまり良い状態ではないというのは聞くだけで解ったので、即効で遠慮させてもらう。
シオリはそんな僕の反応に笑いながらやはりアッシュの足を軽く叩き続けていた。

「まぁ慣れればそこまで辛くないから」

「慣れてたまるかっ!」

「じゃあ慣れるほどこの罰を受けないようにきちんと階級制度を頭に叩き込んで、それに相応しい態度をとって頂戴ね」

最期のおまけといわんばかりに痺れた足をハリセンで叩き、悶絶するアッシュを横目にシオリは立ち上がった。
ぶっちゃけ大の男が悶絶している姿を見ても面白くもなんとも無いので、すぐにシオリへと視線を移す。

「でもさ、コレがまともに仕上がるとは思えないんだけど」

「うーん、感情的にならなければ敬語は使えるんだから、あとはこの沸点の低さを何とかすればやっていけると思うのよ。
……そうね、暫くうちの情報部に所属してもらって、一回切れるごとに30分正座の刑を受けてもらいましょうか」

名案とでも言いたげなシオリに、アッシュが冗談じゃないと言いたげにぶんぶんと首をふる。
しかしヴァンに肩に手を置かれながら諦めろと諭され、がっくりと肩を落とした。
どうやら情報部に回るのは今この瞬間、決定したらしい。

どうでもいいが、そこは諦めろじゃなくて、成長しろって諭すとこじゃないのかヴァン。













アッシュの教育(調教?)後、解散したヴァンとアッシュはそのまま騎士団本部へと戻っていった。
多分これからアッシュは論師直下の情報部へと回されるのだろう。
シオリ曰く、まともになったら次はあの妙に潔癖な部分を調教するらしい。
それが済んだら特務師団に戻せるかも、というのがシオリの目論見らしいが……果たしてうまくいくのかどうか。

出て行く二人を見送った後、この後どうするのかと聞かれて考え込む。
そもそも僕は元々休みなのだ。必要なものの買出しなのは既に済ませてある。
なので素直に特に予定もないと言えば、レインとお茶会をする予定だが一緒にどうかというシオリの誘いを受け、そのまま便乗することになった。
二人で隠し転移譜陣を使って導師の私室へと向かう。

すると隠し扉代わりの本棚の向こう側から、何やらレインが誰かと話している声が聞こえてくる。
流石に他人が居る状態で姿を見せるわけにもいかず、必然的にシオリと二人で息を潜める。
とまぁそうなると自然と壁の向こうの会話も聞こえてくるわけで。

「タトリン奏長、いい加減僕が何で怒ってるか理解してくれましたか?」

「え、えーとぉ、アニスちゃんがミスしちゃったから、ですよねぇー」

「そうですね、でも今別の件が更に僕の怒りを煽ってるんですよ。何か解りますか?」

「えっと、そのぉ……なんでしょうかぁ?」

「……もう良いです。一人になりたいので出てって下さい」

「え、で、でも……」

「出て行ってください、と僕は言っています。それとも導師の命令が聞けないとでも?」

「でもでも!イオン様をお一人にするなんて…何のために守護役が居ると思ってるんですかぁ!?」

「少なくとも僕を怒らせるためではありませんよね?」

「わ、解りました!出て行きます!出て行けばいいんでしょ!」

カツカツとロウヒールが床を叩く音の後、荒々しく扉が閉められる音が続く。
室内にレインが一人であることを気配だけで確認した後、僕はようやく扉を開けることができた。
かすかな重低音と共に動く本棚の扉が開く。
開いた扉の先には、疲れた顔をしたレインが椅子に座っていた。

「荒れてるね……またアレが何かしたわけ?」

「シンク、シオリ……すみません。みっともない会話を聞かせてしまいましたね。お恥ずかしい限りです」

現れた僕達に少しだけ驚いた後、すぐに頭を下げるレイン。
導師の影武者という立場にありながら、感情的になったことがばれたのが恥ずかしいのだろう。
しかし僕とシオリの視線はレインの背後にある机の上に釘付けになっていた。

別に無視しているわけではない、印象が強すぎたのだ。
レインもそれが解っているのか、僕達の視線の先を確認してから深い深いため息をつく。
驚愕している僕達のうち、先に復活したのはやはりシオリだった。

「……レイン、アレは導師の承認印では?」

「はい」

「……欠けているように見えるのですが」

「はい。タトリン奏長が許可なく触れたため、注意したら落としてしまいまして」

「……普通に減給どころか罰則モノだよね、それ」

思わず呟いた僕に、げんなりとするレインと額に手を当てて空を仰ぐシオリ。
だってそうだろう。
導師印を許可もなく触れるだなんて、そんな馬鹿は赤子か幼児くらいだと思っていた。

が、どうやら僕の認識というのはまだまだ甘かったらしい。
普段であれば温厚や平和という言葉が体現したようなレインですら静かに怒りを覚えるほどの馬鹿というのが、この世界にはいたようだ。
……世界って広い。

「……後でトリトハイムと大詠師に伝えておいてくださいね」

疲れきって最早涙目になりつつあるレインにそれだけ言うと、シオリはレインを慰めるために自らお茶を淹れはじめるのだった。
もう(物理的に)首切っていいと思うんだけど、アレ。


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