論師が烈風の前で泣いた日
それは、私にとって初めてのことだった。
「預言を持たない異教徒めっ、死ねっ!」
私に向けられた明確な殺意。突如現れた暴漢が、私を殺そうと刃を片手に突進してきた。
振り上げられた刃が風を切る音がして、刃が鈍く光を反射している。私の命に終わりを齎そうと振り下ろされる凶刃が、スローモーションで見えた。
「衛兵っ!」
しかし刃は私に届くことなく、その役目を終える。鈍い音と共に刃を振り上げた男が視界から飛び出していく。
護衛に着いていたシンクが兵を呼びながら男を蹴り飛ばしたのだと気付いたのは、鎧の擦れる音を立てながら騎士団兵達が駆けつけた頃だった。
「論師様!」
「お怪我は!?」
「ご無事ですか!?」
次々に現れる騎士団兵達に声をかけられるものの、私は声が出なかった。まるで喉がへばりついてしまったようだ。
男が取り押さえられるのをぼうっと見ている内に立っていられなくなり、その場に崩れ落ちるように座り込む。
遅まきながらやってきた恐怖が全身を奮わせ、吐き気を覚えて口元に手をやる。
「武器は取り上げたね? その男は特務師団に引き渡しな」
「はっ」
「巡回兵達は周囲に仲間が居ないか確認した後、哨戒を続けろ。報告は閣下と、それから今日の警備責任者へ」
「了解です」
あれ、シンクってば、いつの間に兵達に命令できるくらい偉くなったんだろう?
現実逃避気味にそんな事を考えるものの、未だに私は立ち上がることができない。音叉の杖を握り締める手が気持ち悪いくらいに汗ばんでいた。
助けを求めるようにゆるゆると顔を上げれば、兵達に指示を出し終えたシンクが私の前でしゃがみこむ。
その背後では私を殺そうとした男が何やら喚いていたが、何を言っているのかは解らなかった。
「シンク様……医師の手配は致しますか?」
「顔色が悪いけど、怪我は無い。論師の生まれた世界は平和そのものだったらしいから、ショックが大きかったんだろう。ひとまず部屋にお連れする。そこで落ち着かないようなら第二師団に伝令を出す。現在、論師の主治医はディスト響士が勤めているからね。それじゃあ、ここを頼んだよ」
「はっ!」
兵は一礼するとその場を去っていった。鈍い音がした後、何か喚いていた男の声が聞こえなくなる。
殴られたのだろうか? ぼんやりとそんな事を考える。
「論師、御身に触れることをお許しください」
何を今更。そう言おうと口を開く前に、シンクの手が私に伸びてきた。そのまま横抱きに抱かれ、颯爽と廊下を歩き始めるシンク。
ゆらゆらと揺られながら、私はぼうっとシンクの顔を見上げていた。
しかし仮面があるおかげでシンクの顔は下半分しか見えなくて、それが何故か私の不安を煽った。
私の視線を感じている筈のシンクは無言を貫き通していて、結局部屋に辿りつくまで一言も喋らなかった。
ようやく口を開いてくれたのは、私の部屋にたどり着いて私をソファに降ろした後。
シンクは仮面を取ると、そのまま私に抱きついて、もといしがみ付いてきた。
……苦しいです、シンクさん。
「……心臓、止まるかと思った……無事で良かった」
それは困る。微かに震える声と共にきゅっと縋りつく腕に力が込められる。
どうやら物凄く心配してくれていたらしい。それでも体裁を保っていたシンクは心底凄いと思う。
それと同時にようやくシンクに命を助けられたのだと実感して、今更ながら涙が溢れそうになり、鼻の奥がつんとし始めた。
未だに恐怖が引かず、私もすがるようにしてシンクの背中に腕を回してしがみ付く。シンクの体温が無ければ叫んでいる自信があった。
「シ、ンク……」
「次からは避けるとか、逃げるとかしてよ」
「……しんく」
「そりゃ、鍛えてないシオリには難しいかもしれないけど、シオリには治癒術は効かないんだから……シオリ?」
私の肩に乗せられていたシンクの顎が離れ、シンクの顔が真正面に現れる。途端、私は我慢が効かなくなり年甲斐も無くぐずぐずと泣き始めた。
今は十二歳だから良いんだ。自分に言い訳をしつつ、顔をクシャリと歪めながらぼろぼろと涙を流す。
「え? ちょ、え……シオリ!?」
「こわか……た……死ぬ、かと……っ!」
嗚咽交じりに言えば、シンクは目に見えてうろたえ始めた。
どこかに私の涙を止めるものはないかと周囲をせわしなく見渡し、最終的にどうしたものかと困った顔で私を見る。
私は壊れた蛇口のようにぼろぼろと涙を零しながら、そのまま困惑したシンクに思い切りしがみ付いた。混乱しているシンクを気遣う余裕なんてなかった。嗚咽を漏らしながらひたすらシンクにしがみ付き、泣き続ける。
シンクは戸惑いながらも再度私を抱きしめ、いつも私がするようにそっと、それでもどこか拙い手つきで恐る恐る頭を撫でてくれた。
「ごめん……一番怖かったのはシオリだよね。怖い思いさせてごめん」
「う、ぇ……っ、しんく……っ!」
「大丈夫だよ、僕が君を守るから」
「ぅ゛ん……ッ」
「傷つけさせたりなんかしないから……だから、泣かなくたって良いんだよ」
「う゛ん……」
「ちゃんと守るから……安心して良いから」
繰り返される言葉に私は頷きながら泣き続けた。もう涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃだ、あぁきちゃない。
それなのにシンクは気にすることなく私の頭を撫で続け、あやすように背中をとんとんと叩き続けてくれた。
「あー……みっともない」
「大丈夫、今も充分みっともないから」
「そんな大丈夫はいらない……」
あれから涙のバーゲンセールをした私は、何とか理性を取り戻してギリギリと涙腺を締め上げた。何だあれ、恥ずかしすぎる。
しかし今現在もソファに横になり、腫れた瞼を冷やすために濡れタオルで視界を覆っている。シンクの言うとおり、確かに今もみっともない。
「シオリが泣くとこを見る日が来るとは思わなかったな……」
「忘れろ」
「ヤダ」
「何だと……」
なので忘却しろと言った私にシンクは即答で却下を告げた。何故だ。
私としては一秒でも早く忘れてほしいのに。思わずタオルの下で眉を顰めてしまった。
「……こんなこと言うの、変かもしれないけどさ」
「……何?」
「嬉しかったんだよ、シオリが泣いてくれて。僕に、頼ってくれて」
シンクはそんな感想をぽつりと漏らす。なんか歪んだ独占欲抱いてませんか、この子。
「でも、泣かせたいわけじゃないんだ。泣き顔なんて見たくない。だからシオリ、僕がちゃんと守るから、もう泣かないでね」
断言するシンクに対し、お母さんはぼくがまもる!みたいなことを言う子供を思い出した。幼稚園児くらいで居るでしょ、そんな子供。
泣かせないから、じゃなくて、泣かないでねってところがまだまだ子供だなぁと思う。
しかしシンクは至極真面目である。
なので私はそれを口にすることなく、シンクの居るであろう方向に手を伸ばした。すぐにシンクが私の手を取り、握り締めてくれる。
「シンクが守ってくれるんだよね」
「当たり前でしょ。僕はシオリの守護役なんだからさ」
「……うん、じゃあもう泣かないよ。シンクが居るから、大丈夫」
言葉を口にするのと同時に手を握り締めれば、シンクも手を握る力を強めてきた。
指きりげんまんの代わりかな?と思うと、シンクが可愛くて仕方がない。
「それに今日襲ってきた男は拷問して背後関係なんかもきちんと吐かせるから。きっと暫く襲撃はないと思う」
「……そ、そっすか」
が、弾んだ声で続けられた内容は決して聞いてて気持ちの良いモノではなかった。
というか血なまぐさい内容だな、おい。私の可愛いと思った純粋な気持ちを返せ。
「どうしたのさ」
「いや、なんでもない……」
まぁ、頼りになるなら良い……のか?
内心首を捻りつつ、私は頼もしい?守護役に苦笑を漏らしたのだった。
論師が烈風の前で泣いた日
肉体的にはサイト至上最弱夢主。
鍛えれば自己防衛くらいはできますが、仕事に追われてそれどころではないのでやっぱり最弱。
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