論師が認める死神の努力


※シンク視点


譜業の溢れる部屋に、勢いよく飛び散る紅茶。
空になったカップからは、ぽたぽたと紅茶の雫が落ちている。

咄嗟に動きかけた僕を素早く制止したのは、紅茶をかけられた張本人であるシオリ。
そして論師に紅茶をぶっ掛けるなどという暴挙をしでかした張本人は、今まで見せた事の無い剣呑な顔でシオリを睨みつけていた。

「……その言葉、取り消しなさい」

「取り消しません」

「いいえ、取り消していただきます!私が会いたいのはネビリム先生張本人です!ネビリム先生の模造品などではありません!!」

「おかしなことを仰いますね。貴方が言ったのでしょう?"レプリカ"という名の模造品で、ネビリム先生を"作る"と」

そう言って嘲笑するシオリの髪から、紅茶の雫がぽたりと落ちる。
本物に会いたいと口にしながら、模造品で作ると断言する決定的な矛盾。
そこを突かれた哀れな死神は、隠す気の無い憤怒と隠しようもない悲哀で表情を歪めていた。



ことの発端は、シオリがディストの部屋に押しかけお茶会を開始したことだった。
最初はキーキー喚いていたディストもシオリがお土産を持って来たという言葉に仕方ないですねと素直でない反応を見せながらお茶会に参加。
それ以来何やら小難しい話をしていた筈なのにいつの間にか話題はレプリカの話へと摩り替わっていて、なるほどだから僕に来るなと言ったのかと僕は密かに納得していた。

しかしまぁ、今レプリカの話をされようと別に構わない。
聞いていて気持ちのよい話ではないが、胸を締め付けるような痛みも無い。
例え僕がレプリカの身であろうと、シオリは変わらず僕を傍に置いてくれる。
それだけで僕は充分なのだ。

だから僕は護衛としてシオリの背後に立ち傍観者の位置に徹していたのだが、シオリの問いかけにディストが激昂し冷めかけた紅茶をぶっ掛けた時は流石にディストをぶん殴りそうになった。
シオリに制止されなければきっと一発どころか数発、あの眼鏡に拳を叩き込んでいたに違いない。

「私は、私は絶対にネビリム先生と再会するのです!そして昔のようにっ!」

「……ネビリム先生の死を、受け入れられませんか」

「ネビリム先生は死んでなど居ません!いえ、死んでいたとしても、この私が生き返らせてみせます!」

「ネビリム先生の死を、受け入れないと?」

「当たり前でしょう!」

「では、ジェイドを庇ったネビリム先生は間違っていたと、そういうことですか?」

「! 何故、それをっ」

「答えなさい。サフィール・ワイヨン・ネイス博士。貴方はネビリム先生の選択が間違っていたと、そう思っているということですか?」

怒気を孕んでいるわけではない。
しかし真剣なシオリの問いかけにディストは気おされ、唇を噤んでしまう。
その間に持っていたハンカチをシオリに渡せば、ありがとうという言葉と共にシオリは濡れた顔を拭き始める。
ぬるい紅茶だったために火傷はしていないようだが、論師の衣装は紅茶で汚れてしまっている。
やっぱ後で殴っておこう。

「あの時ジェイドが死ねば良かったと、思いますか?」

「思うわけが無いでしょう!!」

「では、ネビリム先生の選択は間違っていなかったと、そう思っていますか」

「っ」

「割り切れませんよね。恩師と幼馴染、どちらかを取れといわれて迷うことなく選べる人間はそうは居ません」

再び唇をつぐんだディストにシオリは笑みすら漏らしながらそう言葉を続ける。
大切なものをたくさん持っていると、いざという時に選べなくなる。
選びきれず、かといって切り捨てることも受け入れることもできなかった。
その末路がこの男なのだ。

「……貴方、何が言いたいんです」

動揺を隠し切れないディストの言葉に、顔を拭き終えたシオリが笑みをたたえたままディストを見る。
過去の話を持ち出し心に揺さぶりかけるというシオリの意図に気付いたのだろう。
やはり天才の名は伊達ではないらしいと僕は密かに舌を巻いた。
しかしシオリもシオリで看破されるのを前提に話していたのか、笑みを深めて本題に入るために唇を開く。

「ネビリム先生を蘇らせると言いながら、貴方が実際に求めているのは過去の幻影。
幼馴染や恩師と暮らしたあの優しい時間を取り戻したい。それが貴方の実際の望み」

「えぇ、そうですよ。私は……あの、懐かしい過去に戻りたい。ネビリム先生さえ戻って来ればそれも可能な筈です。そうすればジェイドだって」

「それほどまでに、今は嫌ですか?」

「……今、ですか」

「はい。私が居て、シンクが居て、ヴァンが居て、アリエッタが居る。
他にも色んな人が居る今。貴方が目をそむけているだけで、今を生きている人はたくさん居ます。
貴方を心配する人も、きっと居ます」

「そんな人間、居る筈が無いでしょう」

「居ますよ。少なくとも、私は心配しています。今の貴方を」

拳を握り締め、俯いて無言になるディスト。
静寂に包まれた室内でシオリの髪から紅茶の雫が落ち、スカートに水滴の後をつける。
シオリは無言のままディストを見つめていたが、何故か立ち上がったかと思うとディストの隣へと移動した。
急接近されたディストは目に見えて動揺する。

「な、なな何を?!」

「大切な人の死は受け入れがたい。それは解ります。痛いほど解ります。
そしてそれを覆そうとしてきた貴方の努力を、私は認めましょう。

例え実になっておらずとも、貴方は血の滲むような努力を重ねてきた。
私は譜業に詳しいわけではありませんが、部屋を見渡せばそれくらい解ります」

シオリの両手がディストの拳に重ねられ、そして一本一本丁寧に指を剥がしていく。
その手が微かに震えているように見えたのは、きっと気のせいではない。
開いた掌にシオリが自分の手を重ね、もう片方の手が伸びたかと思うと、ディストの銀髪をそっと撫でた。

「よく、頑張りましたね」

囁くようなその言葉には、慈愛が満ちていた。
ディストの唇が戦慄いたかと思うと、大きく見開かれた瞳に涙が溜まっていく。
もれそうになっている嗚咽を唇を噛んで堪えているようだったが、それも長くはもたない。
瞳から涙が滑り落ち、ついにディストは泣き出してしまった。

「わ、だしは……私は……ただ、先生に……会いたかったんですっ」

「はい」

「褒めてくれるのは……先生だけで、先生だけがっ」

「……はい」

「ずっとドジばかりで……でも、一緒に居てくれるのは、ジェイドたちだけで……でも、先生は私のことを笑ったりしなかっだ、ちゃんど、褒めてくれだんでずっ」

涙腺が決壊したらしいディスト鼻水を垂らしながらシオリの手を握り閉め、大声で泣き始めた。
シオリは何も言うことなく背中を撫でてやるだけで、ディストのしたいようにさせている。
途中僕の方を見たが、微笑んだだけでやはり口を開くことは無い。
まるで迷子になった子供がようやく親を見つけたように泣くディストに、シオリは黙って微笑みだけを浮かべていた。










散々泣いたディストは、まるで魂が抜けたように呆然としてしまっていた。
しっかりシオリの手を握り締めて離さないあたり、殴ればもう一度動き出しそうな気もするが。
いい加減手を離せば良いのに。

「……ディスト、これからどうしますか?」

「どう……とは」

シオリの言葉でようやく再起動したものの、ディストの声音には覇気がない。

「まだレプリカの研究を続けますか?」

「……研究を続けたところで、先生は蘇りません。もうそれも無意味です。解っていて言ってるでしょう」

やっと離した手で汚れた眼鏡を外し、ハンカチで拭いながらディストは力なく呟く。
レプリカで恩師を蘇らせるという世迷言はもう吐かないあたり、やはり先程の大泣きで何かが吹っ切れたのだろう。
もしくは今ようやく、受け入れられたのかもしれない。
大切な人の死という、重く苦しい過去を。

「では、私からのお願いを聞いてもらえますか?」

「お願い、ですか」

「はい。レプリカの研究を続けて欲しいのです」

「……なんですって?」

シオリの言葉が予想外だったのか、ディストは真っ赤にはれた目を細めてシオリを睨んだ。
しかしそんな視線など痛くも痒くもないのか、シオリは笑顔のままディストを見上げている。

「貴方が生み出した命が、教団には居ます。彼等に何かあった場合普通の医者では対応しきれない面も出てくるでしょう」

「なるほど。私に主治医になれと、そう言いたいわけですか」

「合っていますが、少し違いますね」

「どう違うんです」

「貴方が生み出した命です。その責任を取ってください、そう言っているんですよ。自分のしたことにはきちんと責任を取るべきでしょう?」

シオリの言葉にディストは無言で考え込んでいたが、何故か僕を見た後、再度シオリへと視線を戻した。

「良いでしょう。確かに貴方の言うとおり、私は私のしたことの責任を取らなければならない。
……それに、きっと先生も同じことを言うでしょう」

ずれた眼鏡のブリッジを押し上げ、ディストはため息混じりに了承を口にした。
シオリはディストの言葉に満足そうに頷いた後、ありがとうと礼を言う。

「貴方の努力の結晶、見せてくださいね」

シオリの言葉にディストはきょとんとした後、にぃと唇が笑みを浮かべる。
それは先程まで大泣きしていた時のものではない。
いつもの高笑いをするときの、無駄な自信に満ち溢れた笑みだ。

「……なるほど、確かに今までの研究も転用できそうですね。
良いでしょう、私の努力の結晶、とくとごらんに入れましょう!
シンク、ちょうどいい、服を脱ぎなさい!今すぐ新しい力を貴方にちゅうにゅぐぶふっ!」

「阿呆かっ!」

真っ赤に目を腫らしたままいつもの調子に戻ったディスト。
新しい力などと世迷言を抜かしたあたりで我慢の限界が来て、近場に置いてあった小型の譜業を思い切りぶん投げる。
シオリはシオリであらあら、とか言ってソファから地面にもんどりうったディストを見ているだけだ。
折角傍観に徹していたというのに、ディスト本人のせいで一気に台無しになってしまった。

「きぃいいぃーー!貴方!タルロウXを投げましたね!タルロウは貴方と違って繊細な譜業なんです!!乱暴に扱わないで下さい!」

「アンタが変なことを言うからだろ!だいたいシオリは主治医になれって言ってるのに何でそこで改造に走るのさ!」

「私の研究成果が信じられないというのですか!」

「信じられるかっ!」

きーきー喚く死神は、結局僕が踵落としを食らわせて強制終了させた。
といってもこれから定期健診なんかはしてくれるらしいので、そこは大人しく受けようと思う。

気絶しているいつも通りのディストに見えるけど、今回の件できっと心の中で何かが変わったのだろう。
過去の呪縛から解放されたのなら、きっとディストの未来もまた、シオリの知るシナリオからはずれたものになるんじゃないだろうか。









論師が認める死神の努力










あとがき

と、いうわけで番外編でした。ディスト懐柔編とも言う←
ディストがネビリム先生にこだわる理由の、私なりの解釈です。

ドジだから友達ができなかった。
いじめてくるジェイド達だけが一緒に居てくれた。
そんな中でネビリム先生だけが褒めてくれた。

今頑張ってるのも、ネビリム先生に褒めて欲しいから。
無駄だって、無理だって頭のどこかで解ってるけど、意地になってる部分もある。
これができれば先生だってきっと褒めてくれる、ジェイドだってきっと自分を認める。

そんなディストの心情を察した論師に突付かれました。
頑張ったねって褒められてディストの涙腺崩壊、直前の会話も相まって先生の死をようやく受け入れます。
すっきりさっぱりして魂抜けたディストは一皮向けて、これからはレプリカンズのおかんになれば良いと思います。


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