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無事慰問を終え、責任者達との面会も済ませた事で一日目が終わった。
明日はピオニー陛下の謁見があるので早めに寝なければならない。
相手は腐っても皇帝である。遅刻などしたらローレライ教団の名折れだ。
最も、子ども扱いされてオシマイになりそうな気もするが。

シャワーを浴びた上体でどさりとソファに身体を預ける。
論師の衣装を脱ぎ、寝巻きに着替えた状態だ。髪がまだ生乾きだがそのうち乾くだろう。
ダアトと違って水の溢れたグランコクマは少し肌寒かった。
寝巻きの代わりのロングワンピースの上からカーディガンを羽織り、水を飲む。
一息つけば一日の疲れが一気に身体に回ってくる気がした。

そうしてソファで待ったりとしていると、守護役の衣装を纏ったシンクが訪ねてきた。
何事かと聞けば、明日の打ち合わせについてだそうだ。
ドアに鍵をかけてもらえば、仮面を取ったシンクが私の生乾きの髪を見て眉を顰める。

「ダアトと違って此処は冷えるんだから、ちゃんと乾かしなよ」

「ん、解ってる」

「……疲れてる?」

「少し気疲れしたかな」

私の呟きを無言で受け流したシンクは、タオルを手に取るとそのまま背後に回った。
何だ何だと思う前にタオルが頭に置かれ、そのままわしゃわしゃと髪を乾かし始める。
おぉ、シンクが予想外の行動に出たぞ。

「シンクってばやさしー」

「よくよく考えなくともほとんど執務室に閉じこもってたシオリがそこまで体力あるわけないもんね。まぁこれくらいはやってあげるよ」

うわ、失礼だなコイツ。否定しないけど、つかできないけど。
シンクに髪を乾かしてもらいながら、明日の予定を頭の中で反芻する。

「午後一番に謁見を取り付けてあるんでしょう?」

「そう。明日はお昼を少し早めに食べて、そしたら王宮まで馬車で移動。
導師論師合わせて70名の守護役が着く。鬱陶しいだろうけど我慢してよ。
守護役はそれぞれ3名ずつ、背後に控えてるけど余程のことがない限り発言できないから」

「解ってるよ。謁見の時は挨拶と、自己紹介と、園遊会の招待のお礼と、後なんかある?」

「向こうがマルクト内の施設開設に関してお礼を言ってくるくらいじゃない?預言や君の身体については明後日がメインに聞かれると思うけど」

「それは私も同意見。さくさく済ませてグランコクマの観光でもしたいねぇ」

「そんな余裕ある?」

「慰問でも入ってたっけ?」

「論師様直送の嘆願書がね、いくつか来てる」

「うへぁ」

シンクの言葉から仕事が増えたことが解り、思わずそんな声を出してしまう。
毛先まできっちり水分をふき取ったシンクは最後に櫛を手に取ると、私の髪をすき始めた。
至れりつくせりだな、ほんと。

「あと孤児院から義務教育制度のお礼状も来てるから目を通しておいてよ」

「へーぃ」

髪をとかされるのを感じながら、私はため息混じりにそんな答えを返したのだった。








翌日、早めの昼食を取った私とレインは予定通り謁見の間を訪れていた。
背後には導師守護役が三人、シンクを含めた論師守護役が三人、膝を着いて控えているが許可が出ていないので顔は下げたまま。

対面する玉座に鎮座ましましているのは、マルクト皇帝ピオニー九世陛下。
陛下の左右には将官が立っていて、無言でコチラを見下ろしていた。
それに対し私とレインは膝を着くことなく、陛下に対し少し頭を下げるに留める。

「ご無沙汰しております、ピオニー陛下。イオンにございます」

「久しいな導師イオン。俺の戴冠式以来か。それとそちらが噂の?」

「ピオニー陛下におかれましてはお初お目にかかります。論師シオリと申します」

視線を向けられ、レインに促されて会釈をしながら名前を述べる。
興味深げな、呆れるような、様々な視線が身体に突き刺さるのが解ったが全て感じなかったことにする。
今注意すべきは玉座に座る皇帝ただ一人、ほかの事に気を取られている暇はないのだ。

「随分とお若いようだが、論師殿は類稀なる才能を持って様々な事業を展開されておられるとか。随分助かっていると王宮にも市民の声が届いている」

「私はこのような若輩の身故、周囲の手助けあってこそと自負しております」

「謙遜しなくて良い。ホスピスや託児所はグランコクマでも好評を得ている。市民から似たような施設がもう少し欲しいと嘆願書が届くほどだ。
市民の笑顔が増えるのは俺にとっても喜ばしい。論師殿には感謝している。ありがとう」

「もったいないお言葉です。これからも市民のため、力を尽くさせていただきたく」

「期待している。明日の園遊会は礼も兼ねているからな、堅苦しいのは抜きに楽しんでいってくれ」

「ありがとうございます。導師ともども出席させて頂きます」

腹の探り合い以前の、上っ面だけの会話に笑いがこみ上げそうになる。
しかしその怜悧な青い瞳はまるでこちらを検分しているかのようで、一瞬たりとも気が抜けない。
周囲の将校はこちらを見下している視線から舐めきっているのが解るために問題は無いが、この皇帝は違うと解った。

彼は、私をただの子供として見ていない。

私が無難な返事しか返さないのが気に入らなかったのだろうか。
陛下の唇が弧を描く。
あまり良い感情は抱けない、挑発を含んだ笑みだ。
うなじがしんと軋み、私は少しだけ笑みを深めた。

「小耳に挟んだのが、論師殿は預言を持たないとか」

「流石は皇帝陛下、良いお耳をお持ちですね。確かに私には預言がありません。
ですが、それがどうかされましたか?」

私の発言に歳のいった将校たちが顔を顰める。
比較的若い将校たちはそうでもないが、やはり先帝の影響が大きいのだろう。
マルクトの年寄りは預言中毒者が多いというのがよく解った瞬間だった。

「預言が無いとはどんな気分だ?」

「どんな、とは……陛下は不思議な質問をなさるのですね。私にとって預言がないのが平常です。
逆に私から預言があるとはどんな気分ですか?と聞かれたら陛下もお困りになるのでは?」

微笑みながら言えば、陛下は一瞬きょとんとした顔を浮かべる。
そして質問の答えを考えて、思い浮かばなかったのだろう。笑い声を上げながら膝を叩く。

「確かにそれは困るな!
愚問だった。質問を変えよう。

未来がわからない、と言うことに不安を抱いたことはあるか?」

「それも答えとしては変わりませんが……恐らく陛下の認識と私の認識には多少の誤差があると思われます。
私の故郷には一寸先は闇、ということわざがありました。
人生とは自分の掌すら見えない闇の中を歩いているようなものだと、そのような意味合いを持つ言葉です。

しかし私には大地を踏みしめる足があり、未来を掴むための腕があり、選択に悩むための頭があり、そして力を貸してくれる仲間が居ります。
未来が解らず不安があるからこそ、それに怯えるだけでなく努力を重ね力をつけることを惜しもうとは思いません」

「なるほど。論師殿は不確定な未来に対する不安はあって当たり前、ということか」

「不安があるからこその努力と忍耐です。例え結果が実らずとも、それは無駄にはなりません」

断言すれば将校の一人が鼻で笑ったのが解った。
青臭い奇麗事だとでも思っているのだろうが、気にするに値しない。
視線すら向けることなくスルーするつもりだったのだが、少しばかりレインの気に障ってしまったらしい。
レインがどうかされましたか?と小首を傾げて発言を促す。

「恐れながら申し上げます。なに、老人の戯言とお流しくださって結構。
努力で超えられない壁というのは存在するもの。
論師殿はまだお若く、理想に身を焦がす年齢でありましょう。挫折を味わうのもまた無駄にはなりませんぞ」

「おかしなことを仰いますね。論師シオリはこう言ったのですよ?例え結果が実らずとも、それは無駄にはならない、と。
彼女は挫折することも、努力が必ず実るものではないことも解った上で言っているのです。経験を積み、努力を怠ってはいけないと。

そして僕も同じ思いです。悲しいことに預言に詠まれたからとそれに胡坐を欠く者が居て、預言に詠まれたからと努力が水泡と化してしまう者が居ます。
だからこそ僕は預言は一つの選択肢であると、人は無限の未来をつかめるのだと思うのです」

「導師イオン、貴方は導師という身にありながら預言が成就されるべきではないと、そう仰るのか?」

「まさか。預言に詠まれたということはそれも縁あっての道ということでしょう。
しかし他に行きたい道があったとしても、預言に詠まれたからといって潰してしまうのは悲しいことだと思いませんか?
預言に詠まれた未来は選択肢の一つであり、絶対ではない。僕は他の道を模索する自由を尊重したいのです。
決して預言を蔑ろにしているわけではありませんよ」

将校の顔が険しくなり、レインは笑顔のまま飄々と答えている。
つまり預言もまぁ参考程度にすれば良いんじゃない?って意味なんだけど、預言厳守の人からすれば預言への冒涜なんだろう。理解できないが。
陛下と私の会話がいつの間にかレインと将校の会話に摩り替わっていたが、陛下はそれを止めようとしない。
私達を試しているのがありありと解って、それならこっちも少しは反撃させて貰おうと私は傍観に徹しようとしている陛下に水を向けた。

「将校殿は預言を大切にされていらっしゃるのですね。ピオニー陛下はいかがですか?」

「ん?俺か?」

「はい。ピオニー陛下は預言に対しどう思われているのでしょうか?」

目を細め、笑みを深めて問いかける。
将校たちも一斉に陛下へと視線を向け、一気に空気が張り詰めるのがわかった。
マルクトは現在預言を重要視しない現皇帝派と預言絶対を掲げる先帝一派が議会で衝突している状態。
導師や論師の居る公式の場でどのような発言をするのか、それによってこちらの動きも変わってくるし多少内情も読めるだろう。

コチラの意図を読み取ったらしい陛下が、口の端を上げるだけの笑みを浮かべた。

「そうだな……俺は預言は参考程度にできれば、と思っているぞ。俺も自分の未来は自分で決めたい人間だからな」

「では、導師と同じ、ということですね」

「そうだな」

あからさまに眉を顰める老人、悪戯っ子のように笑みを浮かべる陛下。
眉を顰めずとも微妙な顔をしている面々も居るし、ポーカーフェイスを崩さない者も居る。

私とレインはその返答を聞いてにっこりと微笑んだ。


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