26.5
※シンク視点
気絶したシオリを抱え、宮殿内へと走る。途中マルクト宮殿兵による護衛を増やしながら奥へ奥へと走り、最終的に辿り着いたのは宮殿の最奥にある皇居だった。
皇帝に連なる者達が日夜を過ごすスペースだ、ここ以上安全な所はないだろう。そんな皇帝の説明を聞きつつ、更に落ち着ける所へという所で現在は使っていないという部屋へ案内される。
通された部屋は使っていないという割には小奇麗で、整えられた一室だった。隣で膝に手をついて肩で息をしているレインも心配だったが、未だに目覚める気配が無いシオリが一番心配でたまらない。
椅子に座らされるレインを横目に、陛下に促されシオリをベッドへと寝かせる。すぐに医師が手配されたが、それには一つ問題があった。
「陛下、発言の許可をいただきたく」
「何だ、シンク殿」
「は。恐れながら申し上げます。先程導師が仰ったように、論師は音素が存在しない特殊体質。教団では論師の血液を元に研究していたディスト響士が専属医として付いておりましたが、彼曰く論師の身体に普通の薬は効かないとのこと。むしろ下手に投与すればどの様な効果をもたらすか解らないとの言を得ております。医師を手配していただきながら真に申し訳ないのですが、薬の投与はお断りさせていただきたく存じます」
「むぅ……そうか。解った。確かに悪化させるわけにはいかんからな」
「ありがとうございます」
一つ大きなため息をついてから、ピオニー陛下はベッドで眠るシオリを見下ろした。その顔は青白く、呼吸も浅い。
何もできない自分を無力感が襲い、思いきり自分を殴りつけたくなった。僕が居る意味があるのかと、僕なんて結局何もできないじゃないかと叫びだしたくなる。
「……シンク殿、俺が言える台詞ではないだろうが、余り思いつめるな」
拳を握り締めていると、そんな風に声をかけられて反射的にピオニー陛下の方へと視線を移した。
仮面越しに見たピオニー陛下は困ったような顔をした後、手近にあった椅子へと腰掛けている。
「唇を噛みしめすぎて血が出ているぞ。余り自分を追い詰めない方がいい。シンク殿は間違いなく論師を守りきった。論師が倒れてしまったのはシンク殿のせいではない」
「……ありがとう、ございます」
「そう固くならなくていい。それに彼女はまだ論師の地位について一年も経っていないと聞く。それならばこういった緊急事態にも慣れていないだろう? パニックを起こして逃げまとわないだけでも充分に立派だ。倒れてしまったのも別に恥ずべきことではないし、シンク殿は気を失った論師を怪我一つさせることなくここまで運びきった。充分、守護役としての勤めを果たしている。ウチのジェイドにも見習わせたいくらいだ」
「……勿体無いお言葉です、陛下」
苦笑交じりのその言葉を聞いて、僕はようやく拳を握り締める力を緩めた。
レインの方へと視線を向ければ、導師守護役部隊に囲まれたままコチラを見て頷いている。
何やってるんだ、僕は。
レインだって、こんな事態になっても導師の影武者としての勤めを果たし続けている。あの時だってパニックになることなくフリングス大佐の治癒をして、一番病弱な筈なのに弱音を吐くことなく走り抜けてここまきた。
ほら、よく見なくたってレインの顔色は青いままで、それでも彼は笑ってるのだ。弟でもあるレインがこんなにも頑張ってるのに、僕は突っ立ってるだけなのか。
先程とは違う意味で、ぎゅっと拳を握り締める。それに痛みを覚えて掌を見てみれば、皮手袋には穴が開き僅かに赤黒いシミができていた。
強く拳を握り締めすぎたようだ。爪で皮を裂いてしまったらしい。しかしまぁ、血の上った頭にはちょうどいい制裁だろう。
「……ピオニー陛下」
「ん? 何だ?」
いつまでも突っ立っているわけにはいかない。僕は論師守護役部隊特別顧問、シンク謡士だ。
シオリが信頼を向けてくれたからこそのこの地位、僕はそれに応えたい。
メイドが持ってきた水を煽っている陛下に身体を向け、その場に膝を着く。
「陛下に許可をいただきたい」
「ほう、どんな許可だ」
「今回の騒動について、我らも調査させていただきたいのです」
僕の言葉を聞いた陛下が僅かに眉をしかめた。
が、その反応は予想済みだ。今回の騒動が起きたのは警備が万全でなかったという証拠であり、この場合主催者側であるマルクト側のミスという形になる。
ならば調査も独自に終え、醜聞を撒き散らすのは避けたいというのが陛下の本音だろう。
「論師殿が巻き込まれた以上、シンク殿の申し出は当然のものだと思う。マルクト皇帝として教団には深く謝罪しよう。事件の調査結果が気になるなら謝罪と共に後々教団に当てて届けさせていただく。それでは駄目か」
「今回の主犯である男達は皇帝陛下と論師を名指ししておりました。確かに一番の被害を被ったのはマルクトではありましょうが、今後論師の身を危ぶむ可能性がある以上、論師守護役として見逃せません」
「それは……確かにそうだが」
陛下の雰囲気が険しいものになる。
レインも話の行き先が怪しいことに気付いたのだろう。椅子から立ち上がってコチラへと歩み寄ってきた。
慌てて守護役達が追ってきて椅子を差し出し、レインは笑みを浮かべてまた椅子に座る。僕はそれを確認した後、片手を上げて他の守護役たちに部屋から出て行くよう合図した。
レインも同じように、導師守護役たちに席を外させる。
「……内密の話になるようだな」
陛下もメイドを下がらせ、完全に人払いがされた室内。ピンと張り詰めた空気の中、僕だけが膝をついている状態だ。
「論師は預言を持ちません。預言を尊びません。論師が尊ぶのは人の意思とそこから導き出される結果のみ。論師にとって預言とは情報に過ぎず、またそれ以上の価値を持ちえないのです」
「……教団に従事する人間とは思えないな」
「陛下は彼女のような考えはお嫌いですか?」
「いや、悪くは無い。事実俺もそのようにやっていけたらと思っている。実現は程遠いがな」
レインの質問に陛下はため息混じりに答えた。
保守派の人間に苦労させられているのだろう。それが垣間見えた瞬間だった。
「故に論師は陛下とこれを機にお近づきになれたらと、そうお考えでした。これは教団とではなく、論師及び論師直下の情報部・守護役部隊との連携とお考えいただければ幸いです」
「導師はそれで良いのか?」
「構いません。お恥ずかしい限りですが、教団は現在一枚岩ではありません。それならば僕としても信頼できる論師直下の方々に任せていただいたほうが安心です」
「成る程な、しかしだな」
レインの言葉を聞いた陛下は、険のある空気をまとって僕を見下ろしてきた。それは皇帝に相応しい、上に立つものの持つ独特の雰囲気。
シオリも時折だが垣間見せることのある、威圧感のある一種の絶対空間だ。
「シンク謡士、確かに貴殿は守護役部隊特別顧問という地位を持っているだろう。だがそれだけだ。貴殿の申し出は本来ならば論師の口から出るべき言葉ではないのか」
「陛下のお言葉はごもっともです。本来ならば私のような守護役風情が口にできることではありません。しかし、恐れながら申し上げます。私は教団内に置いて誰よりも論師の考えを理解し、誰よりも論師の信頼を得ている守護役であると自負しております。論師があのような状態である以上、それが論師のためになるならば私はどのようなことでも口に致しましょう」
「貴殿の言葉を、後々論師が全て容認すると、そう思っているのか」
「いいえ……確信しております」
僕の言葉を最後に、室内に静寂が落ちる。顔を上げることができないために陛下の顔を見ることができないのがもどかしい。
どくどくと心臓が早鐘を打っていて、誰でもいいから早くこの静寂を打ち切って欲しいと心の底から願ってしまう。
そしてその願いは、陛下の豪快な笑い声によって叶えられた。
「あ、あの……ピオニー陛下?」
「いやいや、すまんな導師。気に入った! 良いだろう、その申し出、考えさせてもらおう。勿論後ほど論師に確認は取らせてもらうがな。実は俺もな、できれば個人的に論師や導師とパイプを作れればと考えていたんだ」
陛下はひとしきり笑った後、戸惑ったような声を出すレインにそう答える。肯定の返事に思わず力が抜けそうになり、慌てて気を引き締める。
明らかな越権行為だったというのに陛下はそれを受け入れてくれたことに心の底から安堵した。
「しかし論師が羨ましいな。そのように以心伝心の部下を持っているとは」
くく、とまだ笑いを残しながらも陛下は言う。
僕は僅かに笑みを作りながらも、深々と陛下に頭を下げた。
「論師あっての己と自負しておりますれば」
そう、シオリがいてこその僕だ。
シオリのためならば僕は何だってするだろう。
そう、何だって。
先程の空気を霧散させた陛下や、レインのやり取りを聞きながら僕は思う。
心の中の呟きは、誰にも届かない。
栞を挟む
BACK
ALICE+