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ふわふわとたゆたう感覚。
母親の羊水の中で眠る子供と言うのは、こんな感覚を味わっているのだろうか。
そんな風に思えるくらい、今私が居る空間は絶対的な安心感と安寧があった。

ずっとココから出たくない。
まるで真綿に包まれて守られているようなこの場所を。

まどろみながら、思う。
上も下も右も左もないこの空間には確かに永遠があった。

しかし人の得ることのできる永遠など所詮幻。塵芥だ。
刹那の中にあった永遠は、慣れ親しんだ声によって終わりを告げた。





「……シンク?」

何度かの瞬きの後、反射的に名前を呼べばガタガタと音がした。
そして仮面を着けた見慣れた姿が視界に飛び込んでくる。

「論師、お目覚めですか?」

「えぇ。ここは」

寝ぼけながらもシンクの言葉に私的な態度は厳禁だと悟り、身を起こそうとすればくらりと眩暈が襲った。
結果、当然のように私の頭は枕の上へと逆戻りする。
そこで私はようやく自分がベッドに寝かされていることに気付き、視線だけで周囲を見渡した。
……天蓋つきのベッドなんて知らないぞ、私は。

「すぐに動かれませんよう。医師をお呼び致しますので少々お待ちください」

事務的な声に従い、私は頭を上げるのを諦める。
するとシンクよりも少しだけ高い声が聞こえて、レインもすぐ傍に居ることがわかった。

「目が覚めましたか。気分はいかがですか?論師シオリ」

「導師……ご心配をおかけしたようで」

「お気になさらず。お互い怪我もなく命も無事。ユリアとローレライに感謝しましょう」

「そうですね。お互いの守護役たちに、感謝を」

私の言葉にレインはくすくすと笑い、すぐ傍に居ますからと言ってまた視界から消える。
枕の上で頭を動かせば、近くにあるティーテーブルにレインは座っているようだ。
それから少しして、シンクが医師らしき人間を連れてくる。
再度起き上がろうとしたのを止められ、いくつかの受け答えの後、医師は難しい顔で口を開いた。

「論師様のお体は特殊体質とのことですから断言はできませんが……恐らく音素が原因でしょう」

「音素が原因、ですか」

「はい。論師様は今まで大量の音素、もしくは音素が密集した場所に立たれたことはないのではありませんか?」

「そうですね。今まで殆どを教団内で過ごして来ましたから……つまり、今回初めて音素に満たされた空間に立入り、いわゆる音素酔いのようなものを起こしてしまったのではないか、ということですね」

「音素酔い……そうですね、そのようなものではないかと憶測いたします。血中音素を減らす薬を処方したい所ですが、薬の処方は陛下より止められておりますゆえ」

「構いません。ありがとうございました」

とりあえず納得できるだけの推測を手に入れ、私はベッドに寝かされたまま医師に目礼する。
何かあったらお気軽に声をおかけくださいと言って、医師はそのまま部屋を出て行った。
シンクは医師を見送った後、他の守護役たちに何か言ってからきっちりとドアを閉める。

「大丈夫、他の守護役たちに誰か着たらすぐ伝えるよう言ったから」

そしてレインにそう言うと、今まで冷静を装っていたレインが席を立ち私の元へと駆け寄ってきた。
どうやら人目があるからと随分と我慢を重ねていたらしい。
ベッドの傍で膝をつき、先程の落ち着いた様子など欠片も見えない状態で私を見つめている。

「シオリ、本当にもう大丈夫なんですか?どこか痛む所などは?」

「大丈夫です。まだ眩暈はしますが吐き気はもうありませんし、心配をかけてしまいましたね。それよりレインは怪我はありませんか?」

「ありません。ただ、貴方が意識を失ってからずっと、ずっと……っ」

言葉を詰まらせたレインの瞳に涙が溜まっていく。
布団から手を出して今にも泣き出しそうなレインの頭を撫でた。
唇を噛んで嗚咽を堪えようとする様に苦笑を漏らしつつ、目尻を拭ってやる。

「大丈夫ですよ。私にはシンクがついてますから」

「はい……はい」

「私が眠っている間、影武者としてずっと頑張っていたようですね。流石はレインです。よく頑張りました」

頬に手を添えながらレインに言えば、若葉色の瞳が大きく開かれ今度こそレインは泣き出した。
私の手を握り締めながら、小さく嗚咽を漏らしつつぶんぶんと顔を横にふっている。
そんなことはないと言いたいのだろうが、コチラこそそんなことはないと言いたい。
私よりもはるかに立派に、レインは導師として勤めていたのだから。

肘を軸点にして上半身を起こす。
まだ眩暈はしたが、先程に比べれば幾分かはマシだ。
止めようとするシンクを手招けば、シンクは口を引き結んだままレインの隣に膝を着いた。

「シンクも、ありがとうございます。私が怪我一つなく無事なのは貴方のおかげでしょう?」

「気失ってたんじゃなかったの?」

「そうですね、私が何故ここに居るのか、フリングス大佐がレインに癒されてからどうなったかとんと覚えていませんが……それくらいは解ります。シンクが守ってくれたんでしょう?」

「……当たり前だろ、僕はシオリの守護役なんだからさ」

今度の声は少しだけ震えていた。
それでもシンクは私の手を取ると、その手を握り締めて祈るように額に持ってくる。
コチラにも随分と心配をかけてしまったようだと私は心の中で苦笑し、表では微笑みを浮かべるだけでとどめた。

「もう大丈夫です。先程より眩暈も楽になっていますから、そのうち体調も戻るでしょう。
だから二人とも安心して大丈夫ですよ」

「うん……解ってる」

「すみません……取り乱してしまって」

二人の手が離れ、レインが服の袖で涙を拭い、シンクは立ち上がって椅子を引き寄せてくる。
レインに座るように促してから、起きて早々悪いんだけど、と私が気を失ってからの経緯を話し始めた。
シンクのしでかしたことに少しだけ驚いたが、多分シンクなりに考えて自分ができる精一杯のことをやろうとした結果なのだろう。

「全く……私の知らない所で」

「怒ってる?」

「まさか。むしろ良くやってくれました。
これからは同じことがあっても平気なように、私の代理権限を与える書面などを用意しておく必要がありそうですね。
ありがとうございます、シンク」

確かに、シンクのしたことは明らかな越権行為だ。
しかしシンクの提案は私の望んでいたものであり、私が言うよりもはるかにインパクトが強く、そして私の部下が信頼できるものであると陛下に印象付けることができたのは間違いない。
いわゆる多少のパフォーマンスと言う奴だ。
結果的に陛下から友好的な言葉が引き出せたのだから、不問としても問題ないだろう。
私が礼を言えばシンクは少しだけ頬を緩め、慌てて頬を引き締めた。

「シンク、格好よかったんですよ。教団の中で誰よりも論師を理解してるのは自分だと断言したんです。陛下が論師がシンクの発言を容認するのかと聞いたら、確信しておりますとはっきりと口にして」

「レイン!」

「……かっこよかったですよ?」

兄を自慢するかのように興奮するレインと、照れ隠しのように声を荒げるシンク。
二人のほほえましさに自然と頬を緩めていると、ノックの音が耳に届いた。
すぐさまシンクがドアへと近付き、僅かに開けたドアの隙間からスカイブルーの制服が覗く。
どうやら他の守護役からの伝令らしく、ピオニー陛下が面会に来ているとのことだった。

シンクがコチラへと視線を寄越してきたので頷くことで肯定を告げる。
身内だけの話もココまでだ。目が覚めた以上、私は私の仕事をしなければならない。

レインに視線を向ければ、まだ目元が赤いながらも力強く頷き、私は微笑みを返した。
論師も導師も、まだまだやることは山積みなのだ。

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