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恐らく使用されたのは筋弛緩系の薬物。即効性ということは抜けるのも早いはず。
また臭いがあるという点から使いどころを選ぶ薬物だが、私が薬が入っている食事を一切受け付けないが故の選択といったところか。

黒ずくめの人間は、動けなくなった私を同じような黒い布で包みあげてしまった。
薬のせいで全身に力が入らないものの思考ははっきりしているため、私は恐怖心を押し殺し必死に自分の状況把握に努める。
誰も駆けつけてこないということに舌打ちをしたくなったが、それすらできないという状況にどうしても焦りを覚えてしまう。

シンクに運ばれる時のように、それよりも遥かに荒っぽく揺れる感覚。
即座に殺す気は無いようだと判断し、僅かに安堵を覚える。
しかし誘拐されるとか、私はどこぞのテンプレヒロインだ。そんな大人しい柄じゃないぞ。
誘拐されるのはイオン(レイン?)の十八番だろうに、何故私なんだ!

私が内心密かに身悶えている間にも、僅かなざわめきが聞こえては離れていく。
リズミカルな揺れ方に私を運ぶ人間が走っているのだろう、というのは何となく解った。
人一人抱えて走れるなんてすげぇ、なんて思っている場合ではない。
布に包まれた状態では方向感覚すら役に立たないし、何より揺られてるせいか段々と吐き気がこみ上げてきたのだ。

おかしい、私の三半規管はもう少し丈夫だったはず。
もしくは使用された薬物の副作用か何かかもしれない。
あるいは私だからこそ、こんな副作用が出てしまったのか。

私が必死に吐き気を堪えている間に目的地に着いたらしい。
時間の感覚すら無くなっていた私はただひたすらに揺れがなくなったことにホッとした。
アレ以上揺られていたら確実に吐瀉物を撒き散らしている自信があった。

「うまくいったか」

「ああ。そろそろ薬が切れる筈だ。追加の薬は」

「準備してある」

短いやり取りが耳に届く。
やはり薬物の類かと納得している私を、誘拐犯は雑な動作でベッドか何かの上に放り投げた。
もっと丁寧に扱え馬鹿。

はらりと布がめくられる感覚。
億劫ながらも何とか瞳を開けた私は、未だに全身に力が入らないうえ嘔吐感と格闘しているせいで指先一つ動かすことができなかった。
逃げるなんて夢のまた夢である。

「おい、薬効きすぎじゃないか。ちゃんと量は確認したんだろうな」

「当たり前だ」

「じゃあ何でこんな青い顔してるんだ。死んだら金が入らないんだぞ」

「…あの話は本当だったってことじゃないのか。だったら効果が違っても頷ける」

「…チッ、そういうことか。薬はもう投与しないほうが良いな」

「ああ、縛っておこう」

ああ、やっぱりそうか。
普通の薬を使ったのにも関わらずこの状態。
つまりオールドラントの住人ではない私だからこそ、薬が異常反応してしまったということ。

嫌な想像が当たってしまったことに内心眉を顰めた。
誘拐犯たちはぐったりとして動けない私の上半身を無理矢理起こし、両手首にロープをかける。
身体を覆っていた布が取り払われ、ブーツの上から足も縛られた。

そんな念入りに縛らなくても動けねえよ馬鹿。
心の中で悪態をつきつつ、ベッドかと思っていた物、もといソファの上に寝かされた状態で私は何とか思考だけは回転させていた。

この時点で視界に入った人間と先程の会話を鑑みて、誘拐犯と思しき人間は二人。
今回の誘拐劇は私の命を狙ったものではないらしく、私の身を渡すことで金が手に入るという言葉からして何かしらの取引がされているのだろうというのが解る。

さてはて、私を手に入れて得する人間なんて居ただろうか。
預言を重視しないという姿勢のお陰で命を狙われる心当たりはたくさんあるが、誘拐してまで求められる覚えなぞない。

そこまで考えて、ふと脳裏に何かが掠めた。
浮かんだのはシンクからの報告書と、イオンからの手紙。

「しかし研究者の考えることってのはわからねぇな、こんなガキを欲しがるとは」

「特殊体質ってだけであいつ等からしたら格好のモルモットなんだろうよ」

「預言が無いなんてただの欠陥品じゃねぇか」

「この状態を見るとそれだけって訳じゃなさそうだけどな。
まぁそんな欠陥品を渡すだけで金が入って、導師派を揺さぶることもできるんだ。うまい仕事じゃねぇか」

油断しきっているのだろう。二人の会話を聞いてようやく合点が言った。
瞳を閉じて考えに没頭すれば、寝たか?、みたいだな、呑気なガキだ、なんて会話が聞こえてくる。

ベルケントに私が特殊体質であるという情報が漏れている、と記載されていたイオンの手紙。
そして『コクマー』の一員がベルケントとグランコクマを往復していて、且つまた新たに動き出そうとしている、というシンクからの報告書。
全く関連性の無かった二つの情報が繋がり、先程脳裏を掠めたものが明確な形を成していく。
つまり、だ。

「…貴様等、コクマーの一員か」

私が眠ったと思って居たらしい二人は、私が目を開き確信めいてつぶやくのを聞きつけて弾かれたように振り返った。
特殊体質の私を誘拐してベルケントに渡せば、そこの研究者から金が入る。
そうして私が表舞台から姿を消せば力をつけてきた導師派の力をそぐことができる。

「成る程…前回の園遊会は…失敗しても構わなかったのか、もしくは囮、元々二段構えだったってとこ?」

園遊会で使っていたのは、ジェイド曰く目くらましにしかならないという譜術。
アレの目的は私とピオニーの暗殺ではない。私の誘拐だったのだろう。
結局失敗に終わったが、もしそこで失敗しても彼等からすれば問題は無かったのだ。

基本テロというのは立て続けに行うものではない。
資金の問題や相手の警戒度などを考えて多少時間を空けて行うのが主流である。
そんな一般的な見解もあり、まさか事件が起こって一ヶ月も経たない内に、警備体制がきつくなっている時を狙ってまた誘拐事件を起こすという大胆不敵な行動を取るなど誰も思うまい。

私を警戒している二人を見れば、いまだこみ上げる吐き気が更に強くなった。
果たしてこの吐き気は『コクマー』に対する嫌悪感からなのか、それとも二人が私に警戒して音素でも集めているのか。
しかしその吐き気を無理矢理押さえ込み、私は唇だけで笑みを浮かべる。

「馬鹿馬鹿しくて反吐が出る。知識の名に恥じる行為だ」

「貴様、我等を侮辱する気か…っ」

「侮辱?何を今更。
私の中で貴様等はとっくに下の下の存在、ガルドを落とす分魔物の方がまだマシでしょう?
お前達の行為は知的なんじゃない、卑怯、というんだよ」

喉の奥で笑いながら言ってやれば、一人が憤り手を上げようとして、もう一人が慌ててそれを止めた。
その様子に笑みを漏らしつつ、少しずつ全身が楽になっていく感覚を覚えてようやく薬が抜け始めたかと心の奥底で安堵する。
憤った仲間を止めた男は笑みを浮かべる私に向き直ると、淡々とした口調で告げてきた。

「始祖ユリアを侮辱する愚か者よ、精々吠えるがいい。それしかできないんだろう?
貴様に預言は与えられない。導の無い宵闇の中を孤独に歩むという罰に悶え苦しむが良いさ」

「おかしなことを言う。私は生まれた時から預言に頼ったことなど一度も無いけれど。
導が無い?それはアンタ等の認識でしょう。
導など自分でいくらでも決められる。道などいくらでも作れる。救いなんてどこにでもある。

預言が無ければ生きられない。
私からすれば貴様等の方が哀れで、矮小な存在だよ」

心底馬鹿に仕切って言ってやれば、今度こそ二人の瞳が憤怒に彩られた。
縛られて動けない私に歩み寄ってくる二人。
そして怒りに囚われ、後先を考えられない拳が降ってくる。

殺意を向けられることは、ままあった。ただ純粋な暴力というのは、初めて受ける行為だ。
今まで無縁だった自分に向けられる暴力を目の前にして、私は何故か笑っていた。


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