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「お前達、何をしている」
それは、拳が振り下ろされる寸前のことだった。
地を這うような声が耳に届き、背中に駆け上がるのは恐ろしいほどの悪寒。
私はその声を聞いただけで確信した。
彼こそが、『コクマー』の頭領である、と。
「と、頭領…」
「獲物に手を出すのはご法度の筈だ。まさか忘れた訳ではあるまい」
「申し訳ありません…」
「カッとなってしまって」
「なら口を塞げば良いだろう。傷は付けるな。そんなのでも大事な取引道具だ」
圧倒的な存在感を持って現れたのは、精悍な顔つきをした若い男。
どう見ても十代後半か二十代前半、若作りだとしても三十前後といったところか。
若すぎる黒ずくめの頭領に私は僅かに眉を顰めたが、それを言ったら私も似たようなものかと思い直す。
頭領は私の寝かされているソファの近くまで来ると、私が縛られているのを見て誘拐犯もとい下っ端二人をギロリと睨んだ。
「何故縛っている」
「は。最初は指示通り薬を嗅がせましたが、特殊体質のせいか薬の効き目が尋常では無く、これ以上の投与は危険だと判断し拘束に切り替えました」
「危険だと判断した材料はなんだ」
「目に見える変化としましては顔色が青く、また唇も紫色に変色しておりました。
嘔吐感を催している様子もあり、浅く速い呼吸を繰り返していたためです」
「成る程な」
先程とは打って変わってハキハキとした話し方だ。
軍隊を思わせるその報告姿に、予想以上に『コクマー』は上下関係が厳しくまた統率の取れた一団だというのが解って舌打したくなった。
こういった組織は潰しにくいのだ。
多少緩んでくれていた方が仲違いなどさせやすいのだが、彼らにその手は通じそうに無い。
二人の会話の様子を黙って見ていたのだが、やがて頭領と呼ばれた男は私を見下ろすと眉間に深い皺を刻んだまま唇を引き結んでしまう。
アッシュを思い起こさせる眉間の皺具合だが、彼とはまた深みが違う。
大分年季が入り、且つそれなりの理由がありそうだった。
「…預言に何か思い入れでも?」
なので見上げながらそう問いかければ、腕を組んだ頭領は僅かに眉間の皺を増やす。
そして重々しく唇を開き、腰に響くような心地よいバトリンの声が紡がれた。
「預言とは救済である。その救済を拒絶するものを、我等は排除しなければならない。
一部の人間が救済を拒絶することにより、大多数の人間が救済を得ることができなくなるような事態を避けるためだ」
告げられた言葉から垣間見えたのは、確固たる意志。
そして恐らく語られたのは『コクマー』が掲げる理念のようなものなのだろう。
テロ行為もそのための一環なのだ。人々が救済を手にするため、という。
預言のどこらへんが救済なのかがサッパリ解らないのだが、彼にとって預言とは"そういうもの"なのだと私は理解した。
そしてこの人に私の言葉は届かないのだろうな、ということも。
「そうですか」
なのでそれだけを返せば、頭領と呼ばれた男は僅かに驚いたような顔をした。
何故驚くのだろう?
「…論師は言葉を重ねるものだと聞いた」
「そうですね」
「私に反論しないのか」
そんなことか。
私は一つため息をついた後、僅かに体勢を変える。
彼の言うことにも一理ある。確かに私は言葉を重ねる者だ。
それが仕事であり、それが私にできる唯一のことでもある。
しかし、だ。
「言葉とは相手に届いてこそ重ねる価値のあるものです。
貴方は確固たる意志を持ち、それは初対面の人間に何か言われた程度で揺らぐものではない。
何か思い入れがあるならともかく、そんな相手に言葉を重ねる必要がありますか?
私には私の考えがあり意志がある。貴方には貴方の考えがあり意志がある。
私はそれは決して交わるものではなく、貴方の考えをそういうものなのだと理解しました。
それ以上に何か必要なものがありますか」
「…論師は預言を必要としないのだろう。私を否定しないのか」
「必要としないことと否定することは違います。
私自身は預言を必要とせずまたその考えを推奨していますが、だからといって他人にそれを強要するつもりは毛頭ありませんよ。
違う考え方を持っているから否定するなどと、私から言わせればナンセンスの一言です。
貴方の考えはそういうもの、私の考えはそういうもの。
お互いその考え方で人生を歩んでいるんです、その人生はあなた自身のもので、あなた自身が背負うもので、あなた自身が責任を負うものです。
口出しする必要性など微塵も無いでしょう」
「だが論師、貴様は預言を一つの道標であるという導師に賛同し、またそれを周囲に推奨していると聞く。口出しする気が無いのであれば、それは矛盾した行いではないか」
「少しは自分の頭で考える、ということをしてもらえませんか。
先程も言ったでしょう?
貴方は確固たる意志を持ち、私の言葉を聞き入れるつもりなどサラサラ無い。
だから私は貴方に言葉を重ねるつもりないと言っています。
私が言葉を重ねるのは介入の余地がある人々に対してのみであり、また預言に縛られない生き方こそ良い生き方だと思えるからこそ介入しています。
しかし強要はしませんよ。そこからどんな生き方を選ぶかはその人次第です。
私がしているのは新たな道の提示に過ぎないのだといい加減理解してください」
困惑を覗かせる頭領に鬱陶しそうに言えば、頭領はそれ以上反論することなくだんまりを決め込んでしまった。
しかし私は基本的にそういうスタンスなのだ。
確かに私は預言に縛られない生き方を推奨しているが、強要はしていない。
これからヴァンと一緒にやろうとしていることに関しても、一つの回答へと誘導はしているがそれでも最終的に選ぶのは人々だ。
表面上押さえつけるだけでは何も変わらないのだ。
人々が納得し、その上で選択しなければ世界は変わらない。
そこまで思考が飛躍したあたりで、私は一つ思い出した。
「ああ、でも貴方のような方に質問したいことはあります」
「……なんだ」
それは以前から抱いていた疑問。
預言が絶対であるという考え方である、ということは理解できるが、その考え方自体は理解できない乏しい頭の持ち主である私に是非とも教えて欲しいこと。
「あなた方にとって預言とは絶対であり、救済である。
私のように預言が無い存在や預言を一つの選択肢とするのは預言や預言を齎した始祖ユリアへの冒涜である、というのがあなた方の考えなのでしょう?」
「そうだ」
揺らぐことなく断言する彼に、私はにっこりと微笑んだ。
そう、私が質問したかったのはこういう人なのだ。
モースのように盲目的に預言の絶対性を説く人間ではなく、確固たる意志と理由を持って預言を信じる存在。
「では、今後の参考に聞かせて下さい。
貴方は貴方の大切な人、それは家族、恋人、親友、同僚、隣人、仲間、子供、誰でも良いです。
大切に思っている人間を殺すと預言に詠まれた場合、貴方はどうしますか」
笑みをたたえる私を見下ろしながら、頭領の瞳が緩やかに開かれた。
そんな預言が詠まれるはずが無い、などと否定はさせない。
それが救済だと断言した彼ならば、多少なりマシな答えをくれるだろう。
基本的に、自身に詠まれた死の預言というものは伏せられる。
しかし殺す側に回った場合は別だ。
殺してもらわなければ預言が成就しないのだから、当たり前だろう。
例え詠まれた人間が殺人行為を嫌がったとしても、教団はそれを許さない。
下手をすれば無理矢理殺されるか、教団が代行するだろう。
そして頭領たる彼のことだ、それを理解して無いとは思わない。
「さぁ、教えてください」
微笑みを解かない私を見下ろしたまま、頭領は無言で唇を噛み締めていた。
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