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「貴方の大切な人、それは家族、恋人、親友、同僚、隣人、仲間、子供、誰でも良いです。
大切に思っている人間を殺すと預言に詠まれた場合、貴方はどうしますか」




これは一種の禁忌に等しいと思う。
預言というものに盲目と化しているこの世界において、預言とは絶対的なものであるという思い込みが激しい人間は非常に多い。

預言だから、預言に詠まれたから、預言なんだから。
この世界に来てから私の中では既に一年(といってもオールドラントでは半年)経っているが、そんな言葉を幾度となく聞いてきた。
預言というものに疑問を抱かない、向き合おうだなんて思いもしない。

が、彼はそういった類の人間ではなかったらしい。
『コクマー』の頭領たる彼は背後に控える二人が顔を青ざめさせているのなど気にも止めず、緩やかに開かれた瞳を一度だけ閉じて宣言した。

「その死が救いとなるならば、私は躊躇いなく殺すだろう」

重すぎて窒息してしまいそうなほどの言葉だった。
それを聞いて私の中に湧き上がったのは…充足感。
私は作り物ではない笑みを浮かべ、彼を見上げる。

「何故笑う」

「盲目的に預言を神聖視するでもなく、預言というものに対してきちんと向き合う人間に出会えたことが嬉しいからです」

「貴様の言葉は抽象的過ぎる」

「そうですね…噛み砕いて言うのであれば、貴方は預言だからと何も考えずに従っている訳ではない。
自分の中で預言というものがどういうものかきちんと定めて、その価値観に従い預言に向き合っている。
悲しいことに、そういった人間は非常に稀なのですよ。

例えそれがどのような答えであろうと、貴方は自分の中で答えを見つけ出しそれに従っている。
長い歴史の中預言に従い続けて思考力を低下させている人民が多い中、貴方のような方が居るのが私は喜ばしい」

これがモースならば、そんなことが預言に詠まれる筈が無いと根拠の無い言葉を自信満々に吐き出すだろう。
それが簡単に脳裏に浮かんで、私はさっさと脳内から白い礼服を着た肉達磨を追い出した。
呼んでも居ないのに出てこなくていい、あの豚め。

「…私は貴様を見誤っていたようだ」

私が脳内で繁殖するモースに顔を顰めていると、彼は少しだけ警戒を緩めたようにそう呟いた。
はて、一体どんな風に見られていたというのか。

「貴様は意味も無く預言を不必要としているわけではない。
人民の障害になると判断したからこそ、預言を廃棄しようとしている」

「そうです。アレは人の思考を停止させます。
ただ唯々諾々と従っていれば良いと、教団は2000年の時をかけて人類を洗脳してしまった」

「預言にそういった一面があるのもまた事実なのだろうな。
だが、だからこそ現在の人類には預言が必要なのだ」

「私は何も一度に預言を亡くそうなどと思ってはいません。
今預言を無くせば暴動が起きるでしょうし、全ての民が納得しその上で選択しなければ意味が無いからです。
だからこそ預言は数ある未来の一つであるという導師の意見に賛同しているのです」

「…貴様が"そういう考えの持ち主である"ことは理解した。
確かに、我等の道が交わることはないようだ」

「納得していただけたようで何よりです」

実に惜しいと、最後に一つだけ呟いて彼は背中を見せた。
そして私の拘束を解くように部下に言い、部屋の奥へと歩いていく。

「よ、宜しいのですか?」

「構わん。論師は戦う力を持たん。
お前達も逃がすほど馬鹿ではないだろう?」

「は!」

ためらいを見せた二人組はその言葉に敬礼を取ると、私の手足を縛っていたロープを解き始める。
消えていこうとする背中に私は最後に一つだけ問いかけを投げた。

「先程私は問いましたね。
貴方は貴方の大切な人、それは家族、恋人、親友、同僚、隣人、仲間、子供、誰でも良いです。
大切に思っている人間を殺すと預言に詠まれた場合、貴方はどうしますか、と」

「…それがどうした」

足を止め、振り返ることもなく彼は言う。

「貴方はそれが救いとなるならばと答えた。
ならばそれが救いとならない場合、例えば愛しい娘をこの手に抱くことも無いまま奪われたり、唯一の肉親である弟を失うような…そんな預言だったら、どうしますか」

手足のロープが解かれ、私は起き上がりソファに腰掛ける。
私を解放した二人がハラハラしているのがわかった。
頭領たる彼は首だけで私を振り返り、注視しなければわからないほどの微かな笑みを見せた。

「論師よ、貴様は預言が無い方が人類のためになると信じ動いているのだろう」

「はい」

「それと同じこと。私は預言がそのようなものではないと信じている」

…それは切ない微笑みだった。
けれど瞳はどこまでも真っ直ぐで。

「…不粋な質問でした」

「構わん。二時間後には迎えが来る。それまで大人しくしていることだ」

最後にそれだけ言って、そのまま前を向いて彼は今度こそ姿を消した。
ああ、実に惜しいはコチラの台詞だ。
彼のような人間が仲間になれば、きっと頼もしいに違いないのに。

「……そんなにハラハラするやり取りでしたか?」

もったいないという気持ちを無理矢理消し、私は緊張した面差しの二人に苦笑しながら問いかける。
二人はハッとすると、逃げようとしたらまた縛ると私に念を押して視線をそらしてしまった。

多分、この二人もこれから預言について考えることになるのだろう。
だから解りましたと答えれば、呆気に取られたように目をぱちくりさせている二人。
どっちなんだよ。逃げて良いのかコラ。

まぁ考えの邪魔をする必要も無いだろうと無言でソファに身体を預ける。
それからきっちり二時間後、頭領の言うとおり私の迎えは来た。
私は最後に法衣に着いているブローチを机の上に置いて抵抗することなく立ち上がる。

迎えに来た人員から金を受け取った頭領は、手枷を付けられた私が馬車に押し込められる最後の瞬間まで視線を反らすことはなかった。









ああ、くそ、こいつ等の頭の髪全部むしってやりたい。
んでもってバーコードハゲになればいい。
そうしたら悲壮感漂うあの姿を見て爆笑してやろう。

ベッドの上で拘束され、私は何度目になるか解らない採血の最中にそんな事を考えていた。
中には既にハゲている人間も居たので、そういう奴には後頭部にでかでかとハゲと書いてやるのだ。
モルモットにされているのに何を考えているということ無かれ。
こんな事でも考えていないとやってられないのである。

「血中音素も無し、フォンスロットも無し、むしろ身体を構成するのは元素のみで音素が一切存在しない。音素を完全なまでに排除した元素のみで構成される肉体…。
実に素晴らしい…!」

こんな感極まった声をもう耳にたこができそうなほど繰り返し聞かされているのである。
鬱陶しい。むしろウザイ。
いっそ毛根と脳細胞が死滅しろ!

「試薬、完成しました」

「うむ。さて、論師殿。お薬の時間だ。
まずは君の身体に音素を注入したらどうなるか、我々に教えてくれ」

「まず眩暈と吐き気が起こり、平衡感覚を失って立っていられなくなります。
そのうち意識の混濁が起きてそのまま昏倒、取り込んだ音素の量にもよりますが暫く意識が戻りません。
自然に抜けていくようですが、目が覚めても暫くの間は眩暈は続きます。
私はこれを音素酔いと呼んでいます」

ニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべる河童ハゲの研究者に表情一つ変えずに説明すれば、研究者は笑みを消して目をぱちくりさせていた。
ンだよ、教えろつったのはテメーだろうが。

「それは音素を取り込んだ経験談かね?」

「そうですよ。仮にも研究者を名乗るならば、投薬の前に問診すべきではありませんかね」

注射器を片手にあくどい笑みを浮かべる河童ハゲに極上の笑みを浮かべて言ってやる。
河童ハゲは高笑いをしたかと思うと、注射器を私の二の腕に当てながら実に楽しそうに言った。

「だが私は研究者でね。目の前で実例を見なければ気が済まないタチなんだよ。
君の助言も、次回があれば使わせてもらおう」

そう言って、河童ハゲは私の二の腕に針をつきたてる。
ああもう、本当にコイツマジではげにしてやりたい。
そして育毛剤の研究でもしてろ馬鹿。

心の中で悪態をつきつつ、横になっているにも関わらず急激に襲ってくる眩暈に歯噛みする。
音素の中に居るのではなく、直接音素を注ぎ込まれたせいかスピードがあの時の比ではない。

新緑の髪と瞳が脳裏をよぎった。
…はよ助けに来い、シンクの阿呆。

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