34


くらくらする。
血を抜かれすぎたせいか、それとも打たれた薬のせいか。
どっちでも一緒か、河童ハゲのせいってことには変わりないんだから。

ココでモルモットにされる生活になってからどれくらい経ったのだろうか。
途中何度も気絶したり意識を失ったり眠ったりしているせいで時間の感覚が無い。
最低限の食事は貰ってるけど何の目安にもなりやしない。
窓も無いから空の色を確認することもできないし、ひたすらベッドの上に拘束されてるから時計を探すこともできない。
逃げるなんて夢のまた夢で、こんなことなら少しでも身体を鍛えておくべきだったかと霞がかった思考でちょっとだけ後悔した。

「ふむ。面白い…実に面白いな」

別に私は面白くない。
河童ハゲの興奮気味な独り言に心の中だけで反論しつつ、ムカツクので手首を拘束している手錠を外せないか試してみる。
が、腕が鉛のように重くうまく動かず、手錠がカチャカチャと軽い音を立てるだけで終わった。
その音に気付いたのか、河童ハゲは私の元へやってくると吐き気を覚えるだけの下種い笑みを浮かべながら私の頬に触れる。
触るな、ハゲが移る。

「君のレプリカ情報を抜いたらどうなるのだろうねぇ。好奇心が疼くよ。
ああ、だが情報を抜いて君が死んでしまっては元も子も無いねぇ」

好き勝手言いながらニタニタと笑みを浮かべる河童ハゲに自然と眉根を寄せてしまう。
この河童ハゲがレプリカ研究をしていることを知ったのは少し前のことだが、その情報を含めてコイツがやっている研究内容は私の嫌悪感を上昇させる以外に今のところ役に立っていない。
音素の無い私でもレプリカ情報って抜けるんか。
だったらディストが何か言いそうな気もするが…彼はそんな事一言も言っていなかった。

「それともう一つ知りたいことがあるんだ。
君が子供を産んだ場合、どんな体質の子供が産まれるのだろう、という。
音素と元素が交じり合った我々のような身体なのか、君のように元素しか存在しない体なのか、はたまたもっと別の身体を持って産まれるのか…知りたいと思わないかね?」

「…下種が」

「なに、妊娠中は過激な実験は控えるから安心したまえ」

安心できるかこの腐れ外道!
河童ハゲの手が私の首筋を撫で、悪寒が背中を走った。
私が身を捩れば河童ハゲは一つ笑った後、さて相手は誰が良いかとか何か呟きながら離れていく。
河童ハゲが奥の部屋へと姿を消し、流石に陵辱されるのはごめんだと重い身体を動かそうとするが、やっぱり拘束は解けそうに無い。
今の私は12歳だぞ、子供なんて産みたかないわ。

奥の部屋へと通じる扉を睨みつつ、今度は力いっぱい手錠を引っ張る。
しかし相変わらず手錠は金属音を鳴らすだけで壊れる気配は無い。
いつかはシンクが助けに来てくれるだろうと、それまでは下手に動き回らない方がいいだろうと思っていた。
すぐにシンクが来れなかったとしても、従順にしていればそのうち逃げ出す隙ができるだろうと無意味に抵抗することは避けていた。

しかしこれだけは別だ。
ココに連れて来られてから初めて本気で逃げ出すために奮闘するが、眩暈と尋常ではない身体のダルさがそれを邪魔する。
泣きそうになるのを必死に堪えながら手首を動かしていると、廊下に通じている扉の向こうから何やら聞こえ始める。
咄嗟に腕を動かすのをやめ耳を済ませれば、届いたのは悲鳴と騒音、そして怒声。

「…シンク?」

もしや助けが来たのだろうか。
そう思って名前を呟いてみるも、勿論返事は無い。
騒音が近づいてきて、ココに連れてこられてから聞くことの無かった荒々しい足音に助けか何か断定はできないものの何かあったのだと確信する。

助けてくれと叫ぶべきか。
そう迷っている間に、扉が開かれた。

「論師様!」

「その声は…レイモンド奏長ですか?」

「はい!伝令!論師様を発見、早急に保護する!シンク謡士とディスト響士に伝令!」

つい先程まで静かだった研究所内に、少年の声が響き渡る。
レイモンド奏長は真面目で実直な…ちょっとおっちょこちょいな論師守護役部隊の一人だ。
やはり助けが来たのだと安堵が胸の内に広がり、伝令が走るのを視界の端に入れながら肩の力を抜く。
奏長が私の拘束を解こうと悪戦苦闘している間にも他の顔見知りが大量に集まってきて。
ご無事ですかと、お怪我はありませんかと聞いてくれる彼等の存在に涙が出そうになった。

「第二小隊着てなかったっけ!?これ解けない!」

「あ?ぶっ壊しちゃ駄目なのか?」

「論師様が怪我したらどうするんだよ!?」

わらわらと集まる面々。
やがて第二小隊の人間が来たらしく、こっちだーとか声が聞こえる。

「論師様、ご無事ですか??」

「…フローリアンですか?」

「はい、すぐ解きますねー」

「…つかぬ事をお聞きしますが、何で解くんですか?」

「これです」

緑の頭が視界の端で揺れ、案の定仮面をつけたフローリアンがベッドに寝かされた私の視界に入ってくる。
私の質問に一本の針金を見せた後、フローリアンは私の頭側に回って何やらカチャカチャと音を立て始めた。
…第二小隊ってそんなことまでやってたっけ??

子供に何教えてんだ!という第二小隊小隊長に対する私の心の叫びはさておき、カチリという軽い音と共に手錠が外れる。
守護役部隊に囲まれながら今度は足枷を外そうとフローリアンが足側に周り、私はようやく解放されたことに肩の力を抜きながら視線だけで周囲を見渡した。
もう一つ、緑の頭が無いかと。

「シンク謡士にも伝令を走らせましたから、もうすぐ来られると思いますよ」

「…誰もシンクを探しているとは言ってませんが」

「何を仰いますか。論師様が誰よりもシンク謡士を信頼しておられるのは周知のこと。
今更気になさらずとも皆解ってますから、隠さなくても大丈夫です」

それは嫌味か。
それともシンクと私がそういう仲であると誤解しているのか。
断じてそんな事実は無いぞ!
にこにこと笑顔で言うレイモンド奏長に心の中で突っ込んでいると、またカチリという軽い音が聞こえて足が自由になる。

「ありがとうございます、フローリアン。ちなみにその技術はどこで?」

「はい!小隊長に教えてもらいました!」

「…そうですか」

…これは後で小隊長を諌めておくべきなのだろうか。
悩みながらも何とか身体を起こし、ベッドの淵に腰掛ける。
途端に眩暈が襲ってきて、倒れそうになるのを奏長に支えられた。

「怪我してるの?」

「怪我はありませんよ」

遠くでこっちです、という声がするのを聞きながら私を覗き込んでくるフローリアンに微笑む。
まだ横になっていた方がと奏長に促されたものの、ずっと寝ていて肩やら腰やらお尻やらが痛いので丁寧に断った。
その時私を囲っていた守護役達が道を開け、何事かと思う前にシンクが飛び込んでくる。

「シオリ!」

珍しく肩で息をしているのを見ると、伝令を聞いて全速力で来たらしい。
なんて判断をしている間にシンクは私に思い切り抱き着いてきて、流石にこれでは奏長の疑惑を肯定することになるなぁと内心苦笑しながら私はシンクを受け止めた。
その勢いに倒れこみそうになったのを背後に居たフローリアンが咄嗟に支えてくれたことに関しては、後で思い切り褒めておくことにする。

「シンク、救助ありがとうございます。それと心配をかけてしまってごめんなさい」

ぎゅうぎゅうと痛いほどに抱きつかれる。
ゆっくりとではあるものの背中をぽんぽんと叩きつつ頭を撫でながら言えば、シンクはふるふると首をふった。
守護役部隊や第三小隊の人たち、そして僅かに居るマルクト軍の人たちの温かい視線が痛かったが、これだけ心配してくれたシンクを引き剥がすのは流石に可哀想なので好きにさせておく。
僅かに嗚咽が聞こえて、シンクが泣きそうだというのが解ったしまったので拒否し辛いというのもある。

「あの…シンク殿?」

が、シンクの抱擁は予想外の人物の声によって終わった。
フリングス大佐である。
シンクはハッとしたかと思うと慌てて離れ、仮面をつけていても解るほどに一気に真っ赤になった。
どうやら我に返ったらしい。

「…シンク、落ち着きましたか?」

「…はい。お見苦しいところをお見せしました」

耳まで真っ赤になって言われても、という言葉を無理矢理飲み込んで再度心配してくださってありがとうございますと無難な言葉を述べておく。
お見苦しいところっていうか可愛らしいところって感じだけどね。

守護役達の間を縫うようにしてやってきたフリングス大佐とシンクに現状を聞かれて薬を打たれたことや血を抜かれたことを説明していると、存在を忘れかけていた河童ハゲの声が聞こえて全員の視線がそちらに向けられる。
奥に通じる扉が半開きになっていて、その隙間から腰を抜かして座り込んでいる河童ハゲが見えた。
ああ、奥に居るって説明忘れてたわ。

「…彼ですか?」

「ええ、採血も投薬も…彼が全て私に行いました」

フリングス大佐に確認され、私は笑顔で答えた。
河童ハゲが喉を引きつらせていたが、知るものか。

「…そう、アイツが」

私の肯定を聞いて、シンクが一気に剣呑な雰囲気をまとう。
論師としては止めるべきなのだろうが、止める気になれないのは散々投薬された恨みつらみがあるからだ。
精々シンクに怯えるが良い。まあフリングス大佐が止めるだろうが。

「シンク殿、余り酷い怪我を負わせないで下さいね」

と、思っていたらフリングス大佐が酷くない程度なら怪我を負わせても良い、と許可を出してしまった。
思わずフリングス大佐を見れば、困った顔で苦笑のみを返してくれる。
…ココに来るまで何があった。

「こ、こここれは不法侵入だ!何の権限があって私のけ、研究所に、ひっ!?」

「黙れ」

鈍い音がして、シンクの拳を喰らった扉がひしゃげる。
流石に本人を殴るほど我を失ってはいないらしいが、扉を殴るだけでも充分脅しになるだろう。
シンクは河童ハゲの胸倉を掴むと、顔を近づけて歪な笑みを浮かべた。

「論師に手を出したこと、死んだほうがマシだって思うほど後悔させてやるからね…楽しみにしてな」

「…後で引き渡していただけるのですか?」

「最初はマルクト軍で引き取ることが決まってるんです、一応」

その後ダアトに引き渡してくれるということか。
シンクの言葉に疑問を覚えてフリングス大佐に問えば、ちょっと疲れた様子で教えてくれた。
ホントココに来るまで何があった。

遠い目をするフリングス大佐に同情を覚えつつ、聞きたくも無い河童ハゲの悲鳴に私は眉を顰めるのだった。

栞を挟む

BACK

ALICE+