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「そうそう、スミマセンが担架か何かをお願いできませんか?
眩暈が酷くて座っているのがやっとなものですから…」
エドワードという名前があったらしい河童ハゲが連行され、詳細はまた後日ということでフリングス大佐と簡単な打ち合わせを終わらせ、さあ私たちも教団に戻ろうかと言う段階になって私がそう頼めば守護役達は何故か困ったように顔を見合わせた。
なんだその反応。
「お運びします」
しかしシンクがそう言って私を抱き上げた途端、彼等が顔を見合わせた理由が解った。
私が抱き上げられたら全員納得顔になったからである。
どうも皆揃って私のことはシンクが運ぶものだと思っていたらしい。
「…シンク、重いでしょう?やはり担架か何かで」
「……私ではご不満ですか?」
ここでシンクに運ばれるのを甘受してしまえば、それこそシンクと私がそういう関係だということを肯定しているも同然である。
だからやんわりと断ろうとしたが、シンクの言葉が何故か僕じゃ駄目なの、という風に脳内変換されて一気に断りづらくなった。
既に私の脳内では仮面を取ったシンクが唇を尖らせ、ふてくされた状態で再生されている。
はっきり言おう、私はこのシンクに弱い。
「…ディストのところまで、お願いします」
「畏まりました」
僅かな葛藤の後、結局断ることも強引に降りることもできないまま私は守護役達に囲まれながらシンクに運ばれることになった。
もう笑うしかねぇ…。
「私が誘拐されてからどれくらい経っていますか?」
「六日ほど…もう少しで七日目ですね」
「…仕事が溜まっていそうですね」
「ディスト響士の診察後、支部に帰還次第休んでいただきますので」
「しかし、」
「休んでいただきます」
キッパリと言い切られ、シンクに揺られていた私は解りましたと言って口をつぐんだ。
どうせこの体調では余り仕事もできないだろうし、強く反論する理由も無い。
溜まった仕事を片付ける時はシンクにも手伝ってもらおう。
そんな事をつらつら考えながらシンクに運ばれた私は、待機していたディストの簡単な問診を受けた。
詳しい診察は河童ハゲが私に投与した薬を調べてからということらしい。
他にも採られた血や資料の回収などディストも同行しなければならない件が多いため、支部に帰還したら自分が帰るまで寝ていて下さいと言い渡される。
馬車に乗って支部に帰還する間シンクはずっと私を離すことなく、また私もまだ自力で動けないため全てシンクに頼るはめになってしまった。
私が借りている部屋に辿りついたあたりで他の守護役達は通常業務に戻り、私とシンクだけが室内へと足を踏み入れる。
扉が閉められた途端シンクも限界を超えたらしく、シンクは私をソファに下ろすとその上に覆いかぶさるようにして抱きついてきた。
大分我慢をさせてしまったようだと、シンクを受け止めて頭を撫でる。
「シオリ、シオリ…」
「…大丈夫だよ、心配かけてごめんね」
不安だったのだろう、凄く。
震える声で私の名前を連呼するシンクの仮面を取り、泣きそうな顔をしているシンクの頭を再度撫でてやる。
重い手を動かしながらぽんぽんと背中を叩き、耳に届く嗚咽を聞こえないふりをした。
「怖かった…シオリが居なくなって、元の世界に帰っちゃったんじゃないかって、僕は置いてかれたんじゃないかって…」
「大丈夫だよ、ここに居るから…ね?」
「うん…うん」
「ほら、ちゃんと心臓動いてるでしょ?聞こえるでしょ?」
シンクの頭の位置をずらし、心音が聞こえるようにしてやる。
シンクは私の胸に顔をうずめながら耳に届く心音を聞いてようやく安心したようだ。
私を締め付ける腕の力が少し抜けて、ぐりぐりと額を押し付けられる。
子供か、と心の中で突っ込みかけた。
いや、子供だった…まだ2歳児ですらなかった。
「もう離れないから…」
「ん?」
「もうこれから…いや、せめてグランコクマに居る間は、離れないから。ダアトでもできる限りそばに居られるようにする。もう誘拐なんてさせない…っ」
「…仕事は?」
「何とかする」
「…無茶は駄目よ?」
「解ってる。解ってるから…側に居させて」
シンクの顔が不安げな顔で私を見つめてくるので、私は嘆息してそれを受け入れる。
事実部屋に一人で居たせいで私は誘拐されたのだ。
同じことを避けるためにも、これからはできうる限り一人になる時間は避けるべきだろう。
息は詰まるだろうが、こればかりは仕方が無い。
それにシンクなら他の守護役と一緒に居るより楽なのは確かだし。
「ねぇ、ほんとに怪我とか無いんだよね?」
のろのろとシンクの頭を撫でていたのだが、何度も針を刺された腕に痛みを覚えて僅かに顔を歪めたのを見られて質問される。
しかし怪我というべきほどでもないだろうと、救助された時と同じように答えた。
「無いよ。さっきも言ったけど血採られて薬打たれただけだから。特に抵抗とかもしなかったし」
「何で抵抗しなかったのさ?」
「抵抗したら拘束が強くなる可能性が高かったし、逃げ出す隙を伺うなら従順を装ったほうが良いかなって。
それに薬で動けなかったし…シンクが助けに来てくれるだろうって、思ってたから」
抵抗しなかったという言葉に微かに眉を顰めたシンクは、私の最後の言葉を聞いてほんのりと頬を染める。
けど私の先程の反応を見過ごすつもりは無かったらしく、私が反応したであろう場所に触れ始めるシンク。そして二の腕を触られた瞬間、走った痛みに我慢できず顔に出てしまう。
それを見たシンクに上着の袖を捲られ、何度も血を抜かれ薬を打たれを繰り返したお陰で青くなった皮膚を見られるはめになった。
「…怪我してないって言わなかった?」
「怪我じゃないよ。注射器の後」
「そういうの屁理屈って言うんだよ!」
「いいの、論師だから。屁理屈上等」
「良くないから。後でディストにみてもらうからね」
「いやいや、そんな大げさなもんじゃないって」
「シオリ?」
「いや、だって…小さいし、毎回消毒はされてたし、ね?」
「ね?じゃないよ!もう!」
「もう、だなんて、ビーフになっちゃうぞ」
「いい加減怒るよ?」
「すみませんでした」
ちょっとお茶目に言ってみたというのに、怒るシンクには通じなかった。
怒るよも何も怒ってるじゃないかと言うツッコミをしたかったが、口にしたらもっと怒られそうなのでお口にチャックをしておく。
ため息をついたシンクは青く堅くなった皮膚をそっと撫でて、痛ましい顔でそこを見つめていた。
「もう他に怪我は無いよね?」
「うん、本当に無い。後は眩暈がして、身体が重いだけ」
「隠してることも無いよね?」
「疑り深いなぁ」
「一部はシオリのせいだろ。コレのこと黙ってたじゃないか」
「一部はって…じゃあ他は?」
流石にそれを言われると痛いので話題をそらすつもりで聞いてみたのだが、シンクは私の質問に応えずにそっぽを向いてしまった。
何だろう、変なことを聞いただろうか。
私が首を傾げているのが解ったシンクは凄く言い辛そうに、小さな声で言う。
「…シオリだって、女だろ。男と違って…色々、あるじゃないか」
「あー…」
つまり、性的に何かされてないかと。
シンクの言いたいことを察して、脳裏に浮かんだのは河童ハゲが言っていた子供が云々だ。
といってもアレは結局救助が来た事で未遂に終わったし。
「うん…何も無かった無かった」
「その言い方、やっぱり何かされたんじゃ…!」
「いやいやされてないされてない。未遂だったからだいじょーぶ」
「はァ!?未遂って何!?」
「子供産め的なこと言われただけ。実際にはされてないから無問題」
「…こ、子供?」
「そう、子供。コレって何になるんだろうね?性的嫌がらせ?強制わいせつ罪?」
それとも未遂だから罪はつかないのか。
ただコレが明らかになれば心証が悪くなるのは間違いないだろうが。
顔を赤くして驚くシンクを余所に私は呑気に考えていたのだが、シンクは私の反応を見てため息をつくと私の上で四つんばいになる。
そして真剣な顔で私を見下ろしながら、お願いだからさ、と前置きをして語り始めた。
「シオリは女なんだよ?もうちょっと警戒心とか持ってよ」
「持ってる持ってる。だって言われた時は逃げようとしたし、うん」
「嘘ばっかり。あのさ、僕だって男なんだよ?現にシオリは警戒してないじゃないか」
「でもシンクはそんな事しないでしょ?」
「あのね……いや、もういいや」
もう一度ため息をついて、シンクは私の胸に顔を埋めた。
シンクを警戒しろと言われても無理だろう。
こんなにも身近で、触れるのが当たり前の存在なのだ。
「…シオリのことは僕が守るから、そのままでいいよ、もう」
私に抱きつきながら言うシンク。
そう、私のことはシンクが守ってくれる。
だから私も安心できるのだ。
でもきっと、もしシンクに襲われたとしても私はきっと抵抗しないんだろうな、なんて。
そう思ったことはシンクにも内緒にしておこう。
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