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アレから数日、薬が抜けたのかはたまた適応したのかは解らないが、私は起き上がり支部内を動き回れる程度には回復していた。
シンクは宣言通り殆ど私の傍を離れることが無い。
仕事を手伝ってくれたり、お茶を淹れたりしながら他の人たちにビシバシ指示を飛ばしている。
ディストから念のためまだ慰問や会食などの公務は禁止といわれているので、自然とシンクも篭りっ放しになる訳だが身体が訛ったりしないのだろうか。
つか誘拐されたお陰で公務全部終わっちゃってたわけだが。

「シオリ、レインが来たけど入れて良い?」

「レイン?いーよ」

そんな中の、レインの来訪。
レインは守護役の子達に外で待っているように言うと、シンクがドアを閉めた途端に笑顔を崩して今にも泣きそうな顔になった。
…この変わり身の速さはシンクと通じるところがあるなぁ。

「シオリ、本当にもう大丈夫なんですか?どこか痛むところとかは!?」

「大丈夫です。心配をおかけしました」

「本当ですね?まだ公務に出れないと聞きましたが、無茶をしているのでは…あ、まだ寝ていたほうが」

「本当に大丈夫ですよ。事務仕事程度なら問題ないとディストからも言われていますから」

何となくデジャヴを感じながら、不安げに私の周囲をうろうろとするレインに落ち着くように言う。
私の身体に怪我が無いか見て回っているのだろうが、そんなくるくる回っても服の下までは見えないだろうに。

「落ち着きなよ。仕事の許可が出たのは本当。公務は念のために禁止してるだけだから。ほら、こっち来な。お茶淹れるから」

「あ、はい。座ります」

お兄ちゃん(シンク)に言われ、ようやくソファに落ち着くレイン。
その姿に苦笑しつつ、私はキリの良いところまで書いた書類をぺらりと裏返して文鎮を置く。
シンクが淹れた紅茶を飲んでようやく落ち着いたのか、レインはお見苦しいところを見せました、と顔を赤くしていた。

「心配してくださってありがとうございます。私が居ない間も頑張ってくれていたようですね」

「はい。公務は僕だけで滞りなく終わらせてあります。
ただ論師がこれないことを残念がっている方も多くいらっしゃったので、後ほどフォローをお願いしますね。リストはまた別に届けさせますので。
また陛下も以前のテロに関しては改めて謝罪の使者をダアトに送ったとのこと。
あとはシオリが船旅に耐えられるようになったら、陛下にご挨拶をして帰還するだけです」

「何から何まで任せてしまってすみません」

「いえ、構いません。それに良い経験にもなりましたから。だからシオリは自分の身体のことだけを考えていてくださいね」

「ありがとうございます。レインは優しいですね」

イオンとは大違いだという言葉を飲み込み、私は微笑んだ。
多分イオンなら後日堂々と謝礼を要求しただろう。
僕一人に働かせたんだから、コレくらい当然だよね?とか言って。

脳内で元祖導師の笑顔を再生させていると、そういえばと言ってシンクがニヤリと笑みを浮かべた。
なんだその笑みは。

「論師が誘拐されて体調を崩したって言う情報が出回ってるんだ」

「情報規制しなかったんですか?」

レインの言葉にシンクの笑みが深まる。
その笑みにピンときた私は、思わず似たような笑みを浮かべながら憶測を口にした。

「…シンク、わざと漏らしましたね?」

「ご名答」

やっぱり、と納得していると、レインがシンクの言葉に何やら考え込み始める。
何故そんなことをしたか、を考えているのだろう。
シンクもそれが解っているようで、黙ってレインを見つめている。

「…あの、シンク。情報を漏らしたのはどういった人たちにですか?」

「聞きたいのはそれだけ?」

「あと情報を知った後の反応も知りたいです」

暫く考え込んだ後のレインの質問にシンクは手帳を取り出すと、パラパラとページを捲り始めた。
あの手帳は報告書に纏めない方が良いだろうと思われる情報を纏めているものだ。
ちょっとばかり特殊なインクを使っているらしく、他の人間の手に渡っても簡単に読めないようになっているらしいが、私は普通に読める。
音素関係の仕組みらしく、私には効かないそうな。

「情報を漏らしたのはダアトの一部の民衆とマルクトの貴族連中。
導師派大詠師派に関わらず、貴族連中は一部を除いてこぞって情勢を見守る体勢に入ったよ。
まだまだ日和見主義者が多いみたいだね。
逆に民衆は正直だった。論師様はご無事なのかって教団に殺到したらしい」

「教団…大丈夫だったんですか?」

「命に別状があるという情報は入っていないってヴァンが宥めたってさ。
大詠師派は論師の人望に歯噛みしてたらしいよ?」

「…もしかして大詠師派の反応を見るためだけに情報を漏らしたんですか?」

「正解。論師に何かあったら民衆が騒ぐと解った以上、これから大詠師派は迂闊に動けないだろうね」

くすくすと陰鬱に笑うシンク。
多分地団太を踏む大詠師派の奴等でも想像しているのだろう。
ちょっぴり歪んでしまったなと思わなくも無い。
というか原作より過激且つ陰険に育ってしまって気がする。

「そう、ですね…今回の騒動で情報部のフットワークの軽さと有能さも証明されました。
論師不在による公務の一時的なストップに混乱もあったでしょうし、論師の地位が教団内において磐石になったといっても過言ではないでしょう。
論師が居なければ一時的であろうと困るとあちらの方々も身を持って感じることができた訳ですし」

「そうだね。何かスキャンダルでもあれば別だろうけど、論師という存在は確実に教団と民衆に根付いてるのがはっきりした。
これで大詠師派も迂闊に手を出せなくなった筈さ」

レインの見解を聞き、この子も成長したなぁと感慨深くなる。
レインの教育は私が当たっていたのもあって、その成長ぶりに一抹の寂しさを覚えるほどだ。
二人があーだこーだと話しているのを微笑ましく見ていたら、何故か二人ともきょとんとした顔で私を見てきた。

「何他人事みたいな顔してるのさ。シオリのことだよ?」

「そうですよ。重要人物なんですから、これからも無茶しないで下さいね」

「そうですね…適度に息抜きをしながらやっていこうと思います」

「無駄な我慢も禁止だからね。あと体の事を秘密にするのも」

「そんなに私は信用がありませんか?」

「シオリはもっと自分がどれだけ重要な存在なのか自覚すべきなんだよ」

「そうですね。ちょっとしたことでもちゃんと言ってくれなきゃ駄目ですよ?」

にこにこと笑うレインがシンクの言葉に同調し、導師よりは下の存在なんだけどなぁと苦笑を漏らしつつそれに頷いた。
そして二人を見てふと思い出し、シンクに今日の予定を確認する。
この書類を片付けたらもう仕事は無いとのこと。レインにも確認すれば、後は帰還するだけなので突発的なもの以外公務は入っていないらしい。
なので私はにっこりと笑い、二人に提案を持ちかけた。

「ではコレが終わったら遊びに出かけましょうか」

「…は?」

「はい?」

あ、きょとんとする顔可愛い。
なんて感想を抱きつつ、目をぱちくりさせている二人にグランコクマに来る前のことを話す。
レインとは話していないものの、シンクとは話していたのだが…すっかり忘れているらしい。

「グランコクマ行きが決まったときにシンクと話してたんですよ。
自由時間を作って、色んなものを見て、聞いて、体験して欲しいと。
どうせならレインも一緒に行きましょう?」

「そういえば…」

「良いんですか!?」

二人の反応に笑みを零しつつ、善は急げということで早速私は鬱陶しい仕事を終わらせることにした。
シンクとレインもなんだかんだ言って嬉しいらしく、私が仕事をしている間に導師守護役達に話しをつけ、密かに護衛をしてもらうことにしたらしい。
論師守護役部隊も私服に着替え、遠巻きながら護衛をしてくれるようだ。
教団支部の代表者はもう大丈夫なのかとうろたえていたが、数時間だけグランコクマを堪能させて欲しいと頼み込むと渋々頷いてくれた。

手早く仕事を終わらせ、ディストの許可を取れば後は変装するだけだ。
シンクとレインはウィッグを被り、その緑の髪をまず隠してラフな服装へと着替える。
私は髪を纏めて帽子の中に隠し、ズボンとシャツというシンプルな服装に変えた。
コレだけでも随分と印象が変わるもので、3人で格好を見せ合って笑いあう。

「それじゃ、行こうか。一応僕が唯一傍に居る二人の護衛ってことになってるから」

「はい。お願いしますね」

「よろしくお願いします」

「…シオリも変装中くらいその堅苦しい喋り方止めたら?導師ほど顔が知れ渡って無いとは言え、解る人には一発で解るよ」

「そうですか?じゃあこっちでいこうか。レインは?」

「すみません、僕はこの喋り方が染み付いてしまっていて」

「まぁ…一人くらいは何とかなるか」

「そうだね」

つばの広いキャップを目深に被ったシンクと、眼鏡をかけたレイン。
パッと見ならば同じ顔だとは気付かない筈だ。

こうして私達三人は、グランコクマの町へと繰り出すことにしたのだった。

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