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「よーっす、論師、身体の調子はどうだー?」
「ここは関係者以外立入禁止です」
乱入者が現れたものの、シンクの手によりパタンとドアが閉められる。
はて、今聞こえた声はピオニー陛下のものではなかったか。いやいや、確かに陛下とパイプは作ったがそこまで親しくなった訳ではない。空耳だろう。
「シンク、紅茶をお願い」
「解った」
「おい! なんだこの扱い!!」
ドンドンと扉を叩く音と共に、抗議の声が聞こえる。
はて、ピオニー陛下によく似た声だがきっと空耳だろう。陛下がこのような場所に居られる筈がない。
居たとしても護衛を引き連れての公式な訪問になるが、そんな予定は耳に入っていないからやっぱり空耳に違いない。
「謝罪の手紙を送るのってあと何件だっけ?」
「三件だね。こっちのお礼の品はどうする?」
「んー……お菓子と紅茶の詰め合わせセット。グレイ伯爵はお茶の時間大好きって話だし」
「無視するなー!」
叫び声が聞こえる。ついでに不審者!? と叫ぶ守護役の子達の声も聞こえる。
はて、それにしてもよく陛下の声に似ているものだ。万が一陛下が公務以外の方法で来たのだとしたら、宮殿を抜け出さなければ無理だ。
いくら陛下がアクティヴな方とはいえ、仮にも王族なのだからそんな事……いや、そういえばしてたな、あの人。
「シンク殿ー! 助けてくれー!!」
「……シンク」
「解った、黙らせてくる」
「穏便に! 穏便にね!」
「……畏まりました」
救助の指名がされ、ついに現実逃避も無視もできなくなった私とシンクはようやく現実と向き合うことにした。
仮面を付け、不服そうに救助に向かうシンクを見送ってから私も手紙を書き終える。
再度読み返して問題がないことを確認する頃には、眼鏡をかけてラフな服装をした陛下が疲れきった様子で入室してきていた。
「お初お目にかかります。論師シオリと申します。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「論師……頼むからその強烈な笑顔と嫌味は止めてくれ。アポも取らずにきた俺が悪かったから! あ、ここではフランツって名前で通してるから、そっちで頼む」
「ではフランツ様、紅茶とコーヒーどちらにされますか?」
「あぁ、珈琲で頼む……シンク殿も、威圧するのは止めてくれ、頼むから」
とりあえず小さくなる陛下、もといフランツさんが出された珈琲の苦さに噴き出すのを見て溜飲を下げたあと、私は陛下の向かい側に腰掛けて早速本題を切り出すための笑顔を取り繕う。
「それで、アポ無しで来られるほど余程重要な件がおありなのでしょう? どのようなご用件でしょうか?」
「論師も遠慮がなくなったな……」
「あら、フランツ様はもしや高貴な身分のお方でしたか? それは失礼致しました。護衛の方が見当たりませんが、はぐれてしまわれましたか? 宜しければこちらでマルクト軍本部に連絡を入れますが。そうですね、フリングス大佐などいかがでしょう? 顔見知りですからすぐに来てくださると思いますよ」
「よし解った、本題に入るぞ!」
うふふ、と上品に頬に手を添えながら笑みを浮かべて言えば、フランツさんは強引に本題に入った。
無理矢理入ってきたんだから、最初からそうしていれば良いのに。
「ンじゃまずは、先日のエドワード博士の件についてだ。論師を巻き込んでしまったこと、本当に申し訳なく思う。悪かった。これに関しては公式の発言に残すわけにはいかないからな、すまないがここで謝罪させてもらう」
「構いませんよ。マルクトとしても公にしたくない内容でしょうし。取調べを終えた後、博士の身柄はダアトに引き渡してくださるということですからこちらも文句はありません」
「そう言っていただけると助かる。その代わりといってはなんだが、これからマルクトで動く際にできる限りの援助はさせてもらおう」
「助かります。ありがとうございます」
苦すぎる珈琲にミルクポーションを三つ、角砂糖を二つ投入したフランツさんは、まだ残っているらしい苦味に少しだけ眉を顰めつつちびちびと珈琲を啜る。
私も普通の苦さのコーヒーに舌鼓を打ちつつ、いつも通りの美味しさに背後に控えるシンクににっこりと微笑んだ。
「それともう一つ、今回の件でアスラン・フリングスの昇進が決まった。これからは大佐ではなく少将になる。また会う機会があるか解らないが、一応な」
「それは喜ばしいですね。彼にもお世話になりましたから、何か贈り物をしなくては。シンク、何が良いと思いますか?」
「は。彼は存外焼き菓子に目がないようでした」
「では焼き菓子の詰め合わせにメッセージカードを添えて軍部へと贈りましょう。喜んでくださると良いのですが」
「軍部に送るというだけで充分でしょう」
「むしろ恐縮しそうだが……論師直々に贈り物ってだけで他の将軍たちへの牽制にはなるか」
それが狙いなのだから問題ないだろう。あの若さで少将となればやっかみや妬みを受けるのは想像に難くない。
フランツさんの言うとおり、論師とパイプがあるのだぞと示しておけば多少の牽制になるだろうと思っての提案だ。フランツさんから特に反論も出なかったので、そのまま焼き菓子を贈ることにする。
「あとは……その、博士の研究所から押収した資料なんだが……」
「確か私に関する資料に関してはこちらに渡していただけるとお聞きしておりますが」
「まぁな、そちらのディスト響士に……お渡しする予定だ」
そう言ってフランツさんは複雑そうな顔をした後、黙り込んでしまった。ディストとの接触は無かった筈だが、気付いてしまったのだろうか。
「その……俺の幼馴染の一人にな、マルクトを出て行っちまった奴が居るんだ。怒り方が独特でな、いい年ながらキィーーー!! って叫びながら地団太踏むような奴で……いろんな意味で有名だった」
ぽつりぽつりと、まるで零すように語り始めるフランツさん。
突然の話題転換に、私とシンクも無言になった。成る程、その怒り方でディストがサフィールだと解り、フランツさんの耳に入ってしまったのだろう。
それでも手錠が掛けられたという話を聞かないのは私に対して借りがあるからか、はたまたこの人が圧力をかけたからか。
「ちょっとな、無謀な夢を追ってる奴だったんだ。昔俺も馬鹿やってて結構に酷いことしちまったのに、それでも俺たちのこと慕ってくれる良い奴だったのに、俺は止めることができなかった。それでその……そいつが、ディスト響士とよく似てるって風の噂で聞いたんだが、」
腹の探り合いはできないことは無いが好きじゃない。その言葉を思い出し、苦笑が漏れる。
友人関係に関しては、好きじゃないどころかとんでもなく不器用になるらしい。まぁ、どうして良いか解らないのかもしれないが。
「ディスト響士も、夢を追っておられました」
だから言葉を引き継げば、フランツさんは弾かれたように顔を上げた。シンクを見上げれば、それを察したシンクが口を開く。
「ディスト響士は論師の説得を受け、今は以前の夢を捨て、ダアトにて新しい研究をしておられます。主に行っているのは新しいエネルギーの開発ととある研究を応用した医療研究になりますが、どちらも危険性は低く人体実験などは行わない穏やかなものです。現に彼を主治医としている者も数名存在します」
シンクの説明にフランツさんはぽかんとした後、僅かに瞳に涙を浮かべながらそうか、と小さく呟いた。
微かに震える手をぐっと握り締めているあたり、偽名を使って教団に潜り込んでまで聞きたかったことはこれなのだろう。
「論師が説得したのか?」
「はい」
「なんと言ったんだ?」
「貴方はもう……充分過ぎるほどに努力した、よく頑張りましたと」
「……そんな、そんな簡単な言葉で良かったんだな」
額に片手を当て、顔を隠すフランツさん。
少しだけ嗚咽が聞こえた気がしたが、額から手を離したフランツさんは既に笑顔に戻っていた。
「いや、すまんな。少しだけ感傷的な気分になって全く関係ない話をしてしまった」
「いえいえ、今度のディスト響士とのお茶会でこんなことがあったと話すネタができました。彼も幼馴染が居るそうですから、良いお茶請けになるでしょう」
「だと良いがな。さて、長々と居座ってすまなかった。そろそろ俺は帰るとしよう」
「機会があればまたお会いしましょう」
「そうだな。次は手紙を送ってから来るとしよう」
「そうしていただければ助かります」
立ち上がるフランツさんをお見送りするよう、外で警備していた守護役達に言う。
そうして帰っていったフランツさんを見送ったあと、私とシンクは揃って苦笑していた。
「まぁそろそろ帰ろうかって話してたし、密会するには時間も足りなかったから…丁度良かったのかもね」
「そうだね。これからのことを含めて、フランツさんとお近づきなれたのは良い機会だったかも」
シンクは私の言葉に肩をすくめつつ、空になった茶器を纏める。宮殿を抜け出した陛下のもう一つの姿。お知り合いになれたのだから、後々役に立つこともあるかもしれない。
カチャカチャと音を立てて茶器が流し台に移動する。苦すぎる珈琲は、全て飲み干されていた。
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