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「申し訳ありませんでした…っ!」

目の前で土下座する、ブルーの制服を着た論師守護役の少年。
名前は確か、セリョージャ・リスフレイ。
たった一人の弟を人質に取られ、大詠師派に私の情報を横流ししていた少年だ。

「顔を上げてください、リスフレイ謡長。弟さんはコチラで保護しました。現在は情報部第四小隊の人間が成り代わっていますから、またさらわれることも無いでしょう」

第四小隊は長期の潜伏任務をメインとする小隊だ。
一般市民として噂を流して情報操作をしたり情報収集の際に協力したりと、情報部の縁の下の力持ちである。
が、今回の場合のように人質や要人に成り代わることもある。
危険が伴う仕事だが、そういったことに長けている人間が集まる小隊だ。
いざとなったら逃げ出すよう指示してあるし、あまり心配はしていない。

「論師様には、お、お詫びのしようも…ございません。
このような矮小な身一つ、価値があるかは…解りませんが、私が差し出せるものはこの身のみっ。
論師守護役という身にありながらっ、論師様の身を、き、危険にさらした罰として、首を跳ねられる覚悟はできております。
しかし!弟は関係ありません!
あの子は巻き込まれただけなんです。どうか、どうかお慈悲を賜りたく…っ!」

血を吐くような懇願とはこういうことを言うのだろう。
ガタガタと震えながら弟だけは見逃してくれと言う彼に私は苦笑し、私の背後に立ち謡長を威嚇しまくっているシンクを見る。

「シンク、そんなに威嚇しないで下さい」

私の言葉を聞いたシンクは口をへの字にしながらも剣呑な空気を緩めた。
私は何の軍事訓練も受けていないために何かピリピリしてるなぁで済むが、謡長のように多少なり腕に覚えのある人間からすればシンクの威嚇というのは非常に恐ろしいものになるそうだ。
びくりと身体を奮わせながらも土下座したままの謡長に再度顔を上げるように言うと、謡長は真っ青を通り越して白くなった顔を恐る恐る上げる。

「リスフレイ謡長。貴方がしたことは個人としては同情しますが、公人としては決して許せることではありません。その自覚はありますね?」

「……はい」

「では、懺悔なさい」

「ざ、懺悔…ですか?」

「そうです。まずは貴方がしたことで罪だと思ったことを告白なさい」

私が何故そんな事を言い出したのか解らないのだろう。
幼い顔に困惑を浮かべながらも、地面に座って手を突いたままの謡長は恐る恐る口を開く。

論師守護役という論師の身を守るべき立場にありながら、論師の身を危険にさらした罪。
馬車の車輪に細工をして王宮から教団支部へと戻る際に時間稼ぎをして、『コクマー』の手の者が支部へと潜むための手助けをした罪。
大詠師派の人々に今回の騒動について情報を流していた罪。

任務放棄、情報漏洩、犯罪幇助、全て簡単に許されるような罪ではなかった。
首一つで済めば良し、連座制で一家郎党死刑になりそうな程だ。
論師の地位というのはそれだけ高いのだと、嫌でも実感させられる。

「…リスフレイ謡長」

「は、はいっ」

「貴方は自らの行いを心の底から悔いていますか?」

偽ることなく全てを口にした謡長に問いかければ、謡長は嗚咽を漏らしながらも一つ頷く。
虚偽を用いなかったこと。シンクと視線だけで確認してから、私は当初の予定通りにいくことにした。
私はそれを見届けてから、謡長の前に膝を着く。

「では、取引をしましょう」

「…論師、様…?」

「貴方は罪を犯しました。罪を犯した者は、罰を受けなければなりません」

「…はい」

「しかし貴方は自らの罪を心から悔い、そしてそれを懺悔しました。
私がそれを受け入れ、貴方を死刑ではなく教団から追放とすることもできます。
できますが、そうした場合貴方たち兄弟は行き場を無くしてしまう」

謡長の米神に汗が伝う。
教団を追い出された結末を思い浮かべたのだろう。

教団からの追放されるということは、私は何かをしでかしましたと言うのと同意義だ。
各地にある教団の恩恵を受けることもできず、そうなればまともに就職もできない。
死刑に比べれば命があるだけマシと言ったところだが、泥を啜るような生活をするのは安易に予想できる。

「そこで取引です。いわゆる司法取引、という奴ですね。
取引の内容を飲む代わりに罪を軽減しましょう、ということです」

私がそう言えば、謡長はごくりと喉を鳴らして唾液を飲み込んだ。
揺れる瞳が私を見上げていて、唇が震えているのが解る。
私は謡長と視線を合わせてから、少しだけ陰のある微笑みを浮かべた。

「貴方にはこれからも大詠師派に情報を流し続けて欲しいのです。ただし、流す情報はコチラが厳選します。
そして大詠師派の情報を手に入れた場合、それを私に流してください」

「それは…つまり、二重スパイをしろ、ということですか…?」

「有体に言えばそうなりますね。役職は守護役のままで結構です。給料も据え置きで。
今回のように犯罪の手引きをするよう言われた場合、シンクにのみ伝えてください。
怪しまれないよう、貴方は動かなくても結構です。
受け入れてくれるのならば念のため弟さんの保護を続けましょう」

私の言葉に謡長は動揺を隠せないようだった。
まさかそんな事を言われるとは思わなかったのだろうなとよく解る。
なので瞳を伏せた後、少しだけ声のトーンを落として語る。

「本音を漏らしますと…簡単に死ねと言いたくないのです。貴方もまた、私を守ってくれた者の一人。
重ねた時間は長く無いとはいえ、どうしてそう簡単に手放せましょう?
そうなれば、貴方を生かすに値するだけの道を見出し周囲を納得させる必要があります。
危険な仕事になりますが、引き受けてはくれませんか…?」

憂い顔を作った後、もう一度視線を合わせれば目を見開いた謡長の幼顔。
その瞳に涙を溜め頬に幾筋もあとを作りながら、私を見上げている。
そしてくしゃりと顔を歪めたかと思うと、深々と頭を下げた。

「精一杯、お仕えさせていただきます…っ!」

謝罪ではなく感謝の意を込めた土下座に、私は緩やかに微笑みを浮かべた。









「二重スパイの手配は完了。これで大詠師派の動向も多少なり探れるでしょ。
グランコクマでやれることはもう殆ど終わったかな?」

「後は陛下に謁見して帰還するだけだね。
それにしても…ボロ泣きしてたね。慈悲深い論師様に感動しちゃったかな?」

謡長が退室し、仕事を終わらせたシンクが私の横に立ち鬱蒼と笑いながら言う。
あのパフォーマンスを見て一体何を思ったのか、その笑い方には侮蔑が含まれているような気がしなくも無い。

「良いじゃない。きっと頑張ってくれるよ?」

「頑張るだろうね。
ばれたら死ぬと思っていたら論師に救われ、更に弟の保護まで申し出てくれた。
恩返しのためと張り切って勤めてくれるだろうさ」

「張り切りすぎてポカらなきゃ良いんだけどね」

「さて、そこまで馬鹿じゃないと思うけど…どうだろうね」

この世界の人達は信心深く、また心酔しやすいきらいがある。
ポカらなきゃ、とは言ったがきっと彼も頑張って情報収集してくれるに違いない。

「ただねー、あのこっちを心酔しているような目って苦手なのよね」

「そんなの情報部には大量に居るじゃないか。何を今更」

「誰かに縋らなきゃ生きてけないの?って聞きたくなるんだもん」

「生きてけないからシオリに心酔して、シオリのためにって頑張ってくれてるんだろ」

「まぁね。助かってるのは事実だけど…理解できないんだよねぇ」

「…でもさ、」

「うん?」

傍に立っていたシンクが私の背後に回る。
するりと首筋を撫でる腕、背後から抱きしめられるのは最早いつものことだ。

「僕だってシオリに依存してる。シオリが居るから僕が居る。シオリが居なきゃ僕はきっと僕になれなかった。
シオリは前に、僕に大切な人やものが増えたとしても自分のことを忘れないでいてくれると嬉しいって言ったけど、大切なものが増えてもやっぱり僕の世界はシオリを中心に回ってる。
これはいくら他に大切なものが増えたって変わりはしない」

訥々と語られる内容はどこか切ない響きを持っていて、私はなんと応えて良いか迷った。
シンクが私に依存しているのは理解していたつもりだったが、ここまで深かっただろうか?
もしくは私が誘拐された事で一気に深まってしまったのかもしれない。

「だから僕はあいつ等のことを笑えない。僕のほうが酷いって解ってるから。
我が侭だって解ってるよ。けど言わせて。

…僕を、捨てないで。特別になんてしてくれなくて良いから、傍に置いて欲しい」

ぎゅう、と。
私を抱きしめてくる腕に力が込められた。
親に縋る子供を思い出す、不安を隠さない声。
縋ってくる目が苦手、理解できない、その言葉に不安を覚えさせてしまったのだろうか。

ここでこの縋ってくる手を振り払わなければ、シンクは更に私に依存するだろう。
シンクの今後のことを考えれば、ここは突き放してやったほうが良いんじゃないかと思う。
今シンクが傷ついても、将来きちんと自立できるように。

「馬鹿ね、私がこうして触れるのを許すのはシンクだけよ?」

だけど私の口から漏れたのは依存を肯定する言葉で。
突き放すなんてできなかった。
こんなにも慕ってくれる子を、どうして傷つけることができようか。

「シオリ…」

「今更でしょう?でもちゃんと不安を口に出せるようになってきたね。
溜め込んじゃ駄目よ。シンクは一人じゃないんだから」

「……うん」

そう言って私はシンクの頭を撫でた。
もしかしたら、シンクに依存される、必要とされることに私も喜びを感じているのかもしれない。
そんな言葉が脳裏をよぎり、私は湧き上がる予感を見ないふりをして、それを胸の奥にそっと閉じ込めた。


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