論師の不自由な午後
※シンク視点
「暫く眩暈が続くでしょうが、二、三日で薬は抜けるでしょう。貴方に点滴を打つわけにもいきませんし、できうる限り食事は自分で取ってください。
それと床ずれ防止に数時間おきに体位変換をするよう言ってあります。
念のため言っておきますが、頭が働くからといって仕事をしようとか思わないように」
『コクマー』に誘拐され、研究者にモルモットにされたシオリ。
マルクト軍と協力して何とか救助に成功したものの、投薬実験の後遺症として未だに眩暈が絶えず身体は鉛のように重い状態らしい。
シオリの身体を診たディストがそう言い残して部屋を出て行くのを横目に、僕はベッドに寝転がったままのシオリに歩み寄る。
今日一日絶対にシオリを働かせるなと言われたが、言われなくともシオリを働かせるつもりなんてサラサラなかった。
「という訳で、今日一日僕が監視役だから」
「監視って何、監視って」
「他の守護役だとディストの言うとおり、自分が動けない代わりにとか言って仕事の指示出して何とか働こうとするだろ?キッパリ断れるのは僕くらいだからね」
「でも仕事溜まってるじゃん」
「溜まってようが積まれてようが今日は絶対安静だから」
「ぶーぶー」
「一、ベッドに縛り付けて猿轡噛ませられる。
二、手刀叩き込まれて無理矢理寝かされる。
どっちが良いかくらいは選ばせてあげるけど、どうする?」
「三の大人しく寝てる、で」
「最初からそうしてれば良いんだよ」
ようやく諦めたシオリに小さくため息をつき、ベッドの端に腰掛ける。
シーツの上に散らばる黒髪を手に取れば、さらさらと指の間を抜けて零れ落ちていく。
シオリは僕の手を見ようとして顔を動かしたものの、眩暈が酷いのか目の焦点が合わずそのまま瞳を閉じた。
「無理に動かなくて良いから。寝てもいいよ?」
「夜散々寝たから眠くないし…まぁ目閉じてる方が楽だけど」
「じゃあそうしてれば。今日一日傍に居るから、安心して良いからね」
「うん。それは信頼してる」
布団から出されている白い手を握り締めれば、緩く握り返される。
ペンだこのあるこの手は変わらないが、僅かに手首が細くなっている気がした。
沸々と怒りや憎しみといった黒い感情が湧き上がり、マルクト軍からあの研究者が引き渡されたら散々なぶってやろうと再度心に決める。
情報部の奴等もあの研究者をいかにいじめてやろうかと黒い笑みを浮かべていたので、僕だけがやるわけにはいかないが。
「あ、でももうすぐお昼だから…それまでは起きててよね」
「今日のお昼ご飯なんだろうね?」
「シオリは流動食もどきだろうね」
「味が濃すぎなければ良いんだけど…」
「そこら辺はちゃんと言ってあるよ」
そもそも病人食なんだから味が濃いわけないだろう、という突っ込みはしない。
シオリはかなりの薄味好みだ。僕では普通と感じるものでも、シオリは濃い辛い甘いと文句を言う。
逆にシオリが作った料理は僕にとっては味がしない。
しかしその過敏な舌のお陰で今まで毒殺やら何やらを間逃れているのも事実なので、これに関しては文句を言うつもりは無かった。
それから十数分で食事が運ばれてきたため、シオリに一言言ってから上半身を起こす手伝いをする。
ふらつくシオリを支え、カーディガンを肩にかけてから横抱きにして抱き上げる。
そして一人掛けのソファへ座らせてから、薄味のリゾットの置かれたトレーを手に取った。
「膝の上に置いても大丈夫?」
「うん、平気」
許可を取ってから念のためブランケットを膝にかけ、その上にトレーを置いた。
一緒に着いてきた野菜ジュースは流石にローテーブルの上だ。
何とか自分で食べようとするシオリを制止し、スプーンでリゾットをすくってから口元へと運ぶ。
「ほら、口開けて」
「……何これ」
「何が?」
「いや、自分で食べるから」
「何言ってんの?手動かすのも辛いくせに」
「そこは根性で…!」
「馬鹿なこと言ってないで早く口開けてくれる?」
「はい、あーん、かっこハートマーク、みたいなこのシチュエーションが嫌なんだよ!」
「ご飯冷めるよ。あ、熱いなら少し冷まそうか?」
「ごめん、私が悪かったからガン無視は止めて。悲しくなるから」
凹むシオリを見ながらスプーンですくったリゾットに息をかける。
誰かに世話を焼かれるということに慣れてないのだろう。
目を瞑った状態ながらも阿呆なことを言っていて抵抗したが、冷ましたリゾットが乗ったスプーンで唇をつつけばゆっくりと唇が開いた。
スプーンを引けば、もぐもぐとリゾットを咀嚼するシオリがいる。
「味はどう?」
「まだちょっと濃い」
「解った、伝えておく」
一口一口、冷ましてからシオリの口に運ぶ。
諦めたのかどうかは解らないが、素直に口を運ぶシオリは文句を言いつつも残すことはなかった。
野菜ジュースも飲み干し、空になった食器をトレーに乗せて部屋の外に出しておく。
ソファの上で目を瞑っていたシオリの背中と膝の裏に手を入れて抱き上げれば、シオリの体重が全て僕の腕にかかってくる。
僕の肩に顔を預けるシオリの頬がちょっとだけ赤くて、ベッドに降ろしてから熱があるのかと額に手を当ててみるものの平熱だった。
「顔赤いよ?体調悪い?」
「いや、そんなことはない」
「じゃあどうしたの?」
「それは…」
そこで言葉を切ったシオリは、少し考えた後クッションと枕を背もたれ代わりにして上半身を起こしたいと言う。
なのでその通りにすれば、身体を起こしたシオリの手がさ迷っていたために指を絡めてやれば緩く握り返された。
「…今の私は、シンクが居ないと何もできない」
「そうだね」
「それがちょっと恥ずかしい、それだけ」
そう言うシオリの顔はやっぱりちょっぴり赤くて、僕はそれを見ながら別に気にしなくて良いのにと心の中で呟いた。
むしろ僕が居ないと何もできない、なんて。
少しだけ嬉しいと思ってしまうのは、僕がどこかおかしいだろうか。
「…僕は嬉しいけどね」
「えー…何で?」
何で、と聞かれて考えてみる。
嬉しいと感じたのは事実だが、何故と聞かれると困ってしまう。
「…僕が居ないと駄目、っていうのが嬉しい…のかな?」
「何で疑問系?」
「よく解んないんだよね。嬉しいのは確かなんだけどさ」
だから素直に答えれば、シオリは僅かに顔を顰めていた。
そんな顔をされる理由が解らず、僕の方が何故と問いたくなる。
しかし追求する気にもなれず、寝るように言えばシオリは小さく頷いた。
なので身体を動かし、ベッドの上に寝かせてから布団をかける。
「…シンクは私に治って欲しくない?」
「何で?」
「だって…今の状態が嬉しいんでしょう?」
「それとこれとは別だよ。いつものシオリが一番」
「…そっか。ディストが来たら起こしてくれる?」
「うん、おやすみ」
「おやすみ」
きちんと肩まで布団をかけてから、眠るシオリの髪を一房とってみる。
やっぱり指の間をさらさらと零れていって…それを繰り返しているうちに寝息が聞こえてきたために、僕は手を止めて寝顔を見つめた。
確かに僕がシオリの面倒を見るって言う、今の状態は嫌じゃない。
けどやっぱり一番良いのはいつものシオリなのだ。
「…早くよくなってよね」
だからそれだけ呟いて、いつもしてくれるようにシオリの頭を撫でてみる。
勿論寝てるんだから返事なんて無いんだけれど、僕は満足して近場の椅子に腰掛けた。
後はディストが来るか、時間が来たらシオリの体位を変えてやるくらいだ。
それ以外やることは無いが、本でも読んで時間を潰せばあっという間に違いない。
ここ最近バタバタしていたから、少しくらいのんびりしても罰は当たらないだろう。
そう思って、あらかじめ持ち込んでおいた本を取り出してページを開く。
それは、日差しが降り注ぐ寝室の、穏やかなシオリの寝息だけが聞こえる午後の話。
論師の不自由な午後
という訳で動けなかった論師とシンクのお話でした。
ちなみにお風呂なんかは女性教団員が協力してくれてました。
シンクがどんどん依存してきます。
論師も解ってますが、口にはしません。
止められないって察してるので。
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