45.5


※シンク視点

それは、もしかしたら初めてのことだったのかもしれない。



『私の身内に手を出せばどうなるか、その身を持って思い知っていただきましょう』



怒りを滲ませながらも陰鬱と笑うシオリを思い出す。
今まで呆れたり冷笑したりすることはあれど、怒りを露わにすることは無かった。
覚えの悪いアッシュの時でさえ、シオリは怒ることなく淡々と言い聞かせていたくらいだ。
つまり僕達は初めてシオリが怒ったところを目撃したということになる。
…オリジナルだからあんなに怒ったとは思わない、けど。

シオリが居ない論師の執務室へと足を踏み入れる。
ココに顔も知らぬ輩が無断で侵入したのだと思うと腹立たしい。
この部屋が下手をすれば自室よりも落ち着くのは、シオリが居るからか、はたまたココで過ごした時間が長いからか。

部屋をぐるりと見回した後、渡された鍵を使って執務机の引き出しを開ける。
そこには大量の封筒が入っていて、それを少しずつ紐で纏めていく。
中身が気にならないといえば嘘になるし、例え僕が中を見てもシオリは苦笑しながら許してくれそうな気がするけど、見ようとは思わない。
そこは越えちゃいけないラインの一つだ。

束になった封筒をいくつも積み上げ、引き出しが空になったところで一つ息を吐いた。
やっぱりオリジナルに危険が迫ったから怒った、っていうのがもやもやする。
勿論シオリは断言したとおりに、僕やリグレットたちに危険が迫っても同じように怒ってくれるのだろう。
そんなのは解りきっている。
解りきっているが、それでももやっとするのはやっぱり僕がオリジナルが嫌いだからだ。

「……馬鹿みたい」

自分が嫌いなオリジナルのことを、シオリが守ろうとしているのが気に入らない、なんて。
子供じみた独占欲だ。馬鹿馬鹿しい嫉妬だ。
シオリがこのことを知ったらきっと子供扱いされる。頭だって撫でられるだろう。
それはそれで何となく嫌だから、必死にこの感情を押し込める。

シオリは他の誰でもなく僕を選んで側に置いてくれる。
僕のそばに置いて欲しいと言う願いを叶えてくれている。
今回だって誰よりも僕を信頼しているからこそ、呼んでくれたのだ。
それで充分じゃないか。

自分に言い聞かせるように心の中で呟いて、纏めた手紙を持って執務室から出た。
論師守護役部隊長と話し合い、執務室の警備も見直さなければならない。
勿論自分たちが居ない間のことなのだから僕らの責任とはならないだろうが、そこは守護役としてのプライドがある。
それは守護役長とて同じだろう。

そんな事をつらつらと考えていたら第五師団の執務室に到着し、副官に席を外して悪かったことを詫びてから元の仕事に戻った。
副官は戻ってきて大丈夫なのかと気にしていたが、必要ならまたお呼びがかかるから気にするなと言っておく。
今までシオリ僕が第五師団の仕事をして居る時に呼び出すことは無かった。
今回が始めての徴集だ。副官が気にしてしまうのも仕方ないというもの。

「シンク様、コチラの手紙の束は?」

「徴集の際、帰り際に論師に処分しておくよう頼まれてね。プライベートのものだし、後で僕が処分するから置いておいて」

「さようでしたか。失礼致しました」

そう言えばコレの処分もあった。
シオリは燃やしてくれて良いと言っていたが、果たしてどうすべきか。
確かに燃やすのが一番だろう。完全な証拠隠滅になるし、オリジナルからの手紙を燃やせると思うと少しばかり清々する。

しかし本当に燃やしても良いのだろうか?
シオリがオリジナルからの手紙を楽しみにしていたのを知っている。
わざわざ執務の手を止め、アリエッタに茶菓子を振舞ってからゆっくりと読んでいたことも。
そして処分すべきだとわかっていながら、それを惜しんで保管していたことも。
それを、僕が処分してしまって本当に良いのだろうか?

今後のことを考えるなら、処分すべきだ。
けど、シオリの気持ちのことを考えれば残しておいた方がいいんじゃないかと思ってしまう。

「…ねぇ、ロイ」

「は。何でしょうか」

「例えばの話なんだけど、僕が凄く大切にしているものがあったとするよ?
けどそれは処分しなきゃ僕の失脚に繋がるようなもので、僕が嫌々ながらそれの処分をロイに任せるとしたら…ロイはどうする?」

僕の質問に書類とにらめっこしていたロイの手を止めて僕の話を聞いたかと思うと、その視線が僅かに手紙の束に向けられたのを僕は見逃さなかった。
例えばの話とは言ったが、多分コレは信じていない。まぁ別にいいんだけどさ。

「そうですね…自分でしたら、処分すると思います」

「何で?」

「シンク様に失脚していただきたくないからです。
シンク様にとって大切なものであろうと、それが弱点となるならば自分は処分します。
シンク様はその若さで師団長に登りつめた実力をお持ちですが、その分万が一失脚した場合、他の人よりも更に悲惨な未来を迎えることは想像に難くありません。
自分はそれを望みません。シンク様は素晴らしい師団長であると信じているからです。
それを防ぐためにも、自分はシンク様をお守するためにも、処分を選びます」

真っ直ぐな瞳と実直な応えに僕はふむ、と頷いた。
変なこと聞いて悪かったねと言えば、ロイはいいえと一つ応答えからまた仕事に戻る。

以前僕は、シオリを守るためならば自分の拳を血で濡らす覚悟を決めた。
今回も、それと根底は一緒なのかなとぼんやりと思う。
多分僕が手紙を処分してもシオリはそうですか、と淡々と返事をするだろう。
けど頭では処分した方が良いと思いながらも残しておいたということは、やっぱりどこかで惜しむような気持ちがあるはずだ。
そこまで考えて、僕はふっと脳裏に浮かんだ妙案に拳を掌に打ち付けた。

「……そうか、媒体を変えれば良いんだ」

「は?」

僕の突然の呟きに、ロイが顔を上げて間抜けな声を上げる。
ついでにペンがすべり、今まで書いていた文章の一部がおじゃんになった。
事務仕事が圧倒的に苦手なロイの声無き悲鳴が聞こえた気がしたが、そこはスルーしておく。

「ちょっと第二師団行って来る」

「は、はい。お帰りは…」

「遅くなると思う。後を頼んだよ。そこの書類はもう終わってるから残りはロイのだけだし」

「え!?」

絶句するロイを置いて手紙の束を引っつかみ、執務室を出て早足で第二師団の研究員達が集まる一角へと向かう。
廊下に譜業が積まれている一種の特殊空間にも似た一角だ。
ココに近づく人間は譜業マニアか、変態であると僕は認識している。

「ディスト、居る?」

「何ですか、私は忙しいんですよ」

「確か教団で音素盤を使えるのって第二師団くらいだよね?」

「人の話を聞きなさい。全く…えぇそうですよ。詠師の方々は譜業に詳しくありませんし、過去のデータなどは殆ど書面で残されていますからね。そもそも音素盤を使うのは研究者くらいですし」

「てことは音素盤に情報を焼き付けるのも、読み取るのも教団では第二師団でしかできないんだよね?」

「でしょうね。一体なんなんですか……その手に持ってるのはなんです?」

ディストの執務室を訪ね、ごちゃごちゃとした譜業が積まれた部屋でそんなやり取りをする。
ディストはずれた眼鏡をブリッジを押し上げて直しながら、僕が手に持っている手紙の束へと視線を移した。
いい加減、自分に合った眼鏡を買えば良いのに。

「今回の騒動の原因と思われるオリジナルの手紙」

「ああ、貴方が処分を頼まれていた奴ですか。それを音素盤に保存したいとでも言う気ですか?」

「そうだよ。処分した方が良いって解ってた癖にわざわざシオリが取っておいたくらいなんだ。
本当は処分したくないって思ってるんじゃないかって思ってさ」

「それで音素盤に保存、ですか。まぁ確かに他の人間に中身がばれる可能性はぐっと減るでしょうね」

僕の訪問の意図を察したディストが椅子に乗ったままふわりと浮き上がり、僕に視線だけで付いてくるように促してきた。
なので大人しくついていけば、何やらよく解らない譜業の前へと案内される。

「使い方は教えますから、自分で打ち込んでくださいよ」

「解ってるよ」

それからディストに譜業の使い方を教わり、時間をかけて手紙の中身を音素盤の中へと落とし込んだ。
中身を読むのは気が引けたが、それでもやっぱり手は止まらなかった。

そして翌日、僕は音素盤を手にシオリの執務室へと足を運んだ。
今日は団服ではなく、守護役の衣装を身に纏っている。

「…あのさ、前に頼まれた手紙のことなんだけど」

「あぁ、燃やしてくれた?」

「手紙は燃やしたよ」

「……手紙"は"?」

僕の言葉に違和感を覚えたシオリが僅かに眉を顰めながら書類から顔を上げた。
相変わらず勘が良いなと思いつつ、僕は音素盤を取り出してシオリへと差し出す。

「勝手な事してごめん。でもシオリは手紙を処分したくなかったんだろ?
だから…音素盤に全く同じ文章を打ち込んで、残しておいたんだ」

僕がそう言えばシオリは少し驚いたような顔をした後、僕から音素盤を受け取った。
第二師団に行けば読み取る譜業があるし、印刷することもできると言えばシオリはそっと音素盤を撫でる。

「…ありがとう。人から貰ったものを捨てるって抵抗があったんだ。
もしかしたらイオンの形見になるかもって思ってた部分もあったし…」

嬉しそうに目を細めながら音素盤を見るシオリ。
やっぱり僕の選択は間違いじゃなかったと思うと、胸中に喜びが湧き上がる。

「どんな形であれ、捨てるはずだったイオンの言葉が残せるのは嬉しいよ。
ありがとね、シンク」

「いいよ、それくらい」

はにかむように笑うシオリに釣られ、僕も笑顔になる。
形は少し変わってしまったけれど、シオリの大切なものを守れた。
それがオリジナルの手紙って言うのがムカつくけど、まぁ今回はよしとしよう。

「にしても、音素盤ってどう見てもCDだよね、これ」

「は?しーでぃー?」

「……コンパクトディスクの略」

「……意味わかんないんだけど」

音素盤の穴に指を通してくるくると回して遊ぶシオリが、から笑いを零しながら答えを濁す。
多分元居た世界にあったものなんだろうが、一体なんだろうか?

うん、まぁよしとしよう……?


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