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現在、レインがレプリカであることを知っている人間は少ない。
詠師の中では穏健派であるトリトハイムを含んだ2名と、大詠師、そして私を含んだ論師派一派。
導師派のトップに近い人間でさえ、レインが実はレプリカであると言うことは知らされていないのだ。
勿論モースの阿呆が大詠師派の人間にレインがレプリカであることを伝えてある可能性はあるが。

そしてレインが実は影武者であり、被験者であるイオンがベルケントにて生存していることを知っている人間はもっと少ない筈だった。
私、ヴァンを中心とする論師派一派と、影武者であるレイン本人くらい。
詠師トリトハイムや大詠師にすらイオンの生存は伝えていなかったのだ。
レインが導師役に着いた時大詠師に被験者はどうしたのか聞かれたが、ダアトから退いて頂きましたとヴァンが言えば大詠師はうまい具合に誤解してくれたという過去もある。

特に大詠師派は誤解したままで居て欲しかった。
彼等は預言を成就させるためならば手段を問わない。
例え預言に詠まれた導師だろうと、いや、預言に詠まれた導師だからこそ、預言を成就させるために手に掛けようとするだろう。

「……そんなこと、させてなるものですか」

歯を噛み締め、遠い空の下で荒れているであろう悪友を思う。
アリエッタをイオンの元に派遣したが、正直まだ不安だった。
イオンは自分の存在の忘却を恐れていた。
合理的な考えの持ち主ではあるものの、結局心の根っこはまだまだ子供なのだ。

アリエッタが心の支えとなれば良いが、イオンはどちらかと言えばアリエッタは自分が庇護すべき存在だと考えている節がある。
アリエッタもまたイオンに献身的だが、その精神を支えるには幼すぎる。
多分イオンがアリエッタに弱音を吐くことは無いだろう…。

そこまで考えて自然とふぅ、とため息が漏れた。
そして手に持っていた紙の束――情報部から送られてきた資料を脇に追いやる。
もう何度目かになるか解らない報告書だが、未だに吉報と呼ぶべきものはなく、読む度にため息しか漏れない。

案の定、大詠師モースは今度の暗殺劇に関わっていなかった。
念のためと強化したレインの警備に関してこんなに必要か?と聞いてきたくらいで。
それは「オメェより導師のが尊い存在なんだから当たり前だろ馬鹿」というのをオブラートに包んで言ったら黙ったので、まぁ良しとしよう。

暗殺劇を起こしたのは、むしろそのモースを隠れ蓑にしている輩達だった。
なまじ立場があったり地位が高い分コチラも手を出しづらく、また狡猾でもある。
未だにその全貌はつかめていない。まだモースのように解りやすい存在だったら良かったものを。
漏れそうになる舌打ちを堪え、報告書をしまう。
予想通り、私の保管していた手紙が原因でイオンの生存がばれたことには凹んだ。

「今宜しいですか?」

凹みつつも仕事は仕事だと書類を引っ張り出して格闘していると、キッチンにある棚の向こうからそんな声がした。
レインの声だ。棚の奥にある移動用の譜陣を使ってやってきたのだろう。

「大丈夫ですよ」

なのでそう返事をすれば、棚が動いてレインの姿が現れる。
その顔は少しだけ青く、顔色が悪いことに私の眉は潜められる。
レインは突然すみませんと謝った後、私が紅茶を淹れるのを待ってから早速用件を切り出した。

「実は…こんなものが部屋に置いてあったんです」

渡されたのは既に封の切られている白い封筒。
あて先のところには7番目の導師へと書かれている。
レインはこの宛名を見て、守護役を呼ぶことなく手紙を開けて私の元へと来たらしい。
私はそれに苦笑してから、手紙を片手にレインを見た。

「次からは開けずに持ってきて下さいね」

「え?駄目でしたか?」

「中に開けた途端に発動する譜陣が仕込まれていたり、手紙に毒が塗られている可能性などもありますから」

「あ、軽率でした…」

「普通そういう手紙は手元に届くことなく排除されますし、レインにはその部分はまだ教えていませんでしたね…。
私の元に届けてくれればシンクやディストが調べてくれますから、次からは気をつけてください」

「はい」

しゅんとするレインに一つ微笑んでから、中身を見る。
そこには導師派の演説を止めなければ偽者であることをバラすという脅迫文句が書かれていた。
また沸々と怒りが湧き上がる。

「…導師に対し脅迫、ですか」

「でも僕は影武者ですよ?」

「影武者だろうと何だろうと今の導師はレインです。でもまぁ良い材料を持ってきてくれましたね。これも第二小隊に回しましょう。筆跡を鑑定してくれる筈です」

この短い手紙だけでも、敵を絞り込む材料になるだろう。
特に教団は資料の殆どを紙面で残してある。これは重要な手がかりになるはずだ。
くつりと暗い笑みを浮かべれば、レインの肩が跳ねる。

ああ、怯えさせたいわけじゃないんだけどな。
私はすぐに暗い笑みを引っ込め、いつもの微笑を浮かべてレインを見た。

「そう怯えないで下さい。ちょっと怒ってるだけですから」

「すみません…でもシオリが怒るのって初めてですよね?」

「そうですね。イラっとすることはあれど怒るのは初めてかもしれません」

むしろイラっとする程度ならしょっちゅうだ。
モースとかティアとかちょっと前までのアッシュとか。
しかしアリエッタといいレインといい、何故そこまで怯えるのだろうか。

「しかし…そんなに今の私は怖いですか?」

「怖い、といいますか。普段怒ったりしない分、凄みがあると言いますか」

「あぁ、普段怒らない人が怒ると怖いといいますね」

「そんな感じです。あとシオリが怒るところって想像がつかないので、ちょっとびっくりしちゃいました」

「ふふ、私とて人間ですから怒ることくらいありますよ」

「そうですよね。失礼しました。
それで、どうしましょう?暫く説法などは控えた方が無難ですか?」

改めて問いかけられ、私は腕を組んで考えてみる。
レインが影武者だとばれた場合、暴動とまでは行かなくとも導師派の人間は確実に減るだろう。
事実、導師がそう言っているのだからそうなのだろう、という導師派は結構にいる。
勿論ちゃんと自分の中に確たる意見を持って導師派になってくれた人間だって居るが、それはまだまだ少ない。

利害関係上導師派になりましたという人間だって居るのだ。
そして私はそれを責めるつもりは無い。
蛇足だが、極稀に居るのが導師様可愛いーという女性(更に極稀に男性)である。
この場合はレインやイオンがオッサンにならない限り導師派で居てくれるだろう。

「八百屋の常連客を失うのは惜しいですし、暫く控えるべきでしょうね。
念のため導師守護役も洗いなおしましょう」

「守護役を、ですか?」

「導師の私室に手紙を置けるとなると、やはり一番怪しいのは導師守護役ですから」

「そうですね。こっそり置きに来るのも難しいでしょうし」

「そちらは私から詠師トリトハイムとリグレットに連絡を入れておきます。
そうですね…マルクトに外交に出た事により体調不良がぶり返したと言うことで」

本来ならばヴァンに連絡するところだが、生憎とヴァンはキムラスカだ。
代理でリグレットに動いてもらっても問題は無いだろう。

「解りました。その間は何をすればいいんでしょうか?」

「何でも良いですよ。やりたいこと、興味があったこと、レインなりに探してみてはいかがですか?無為に過ごす必要もありませんから。
勿論、あまり表立ったことはできませんが」

「僕の、やりたいこと…。そうですね、少し探してみます」

最後に一つ微笑み、残りの紅茶を飲み干してからレインは導師の執務室へと帰って行った。
それを見送ってから一つ息を吐き、背もたれに身体を預けて天井を見上げる。

私のせいで、私の判断が甘かったせいでレインに脅迫文まで送られてきた。
勿論この脅迫文とイオンの暗殺を企んだ一派が同一であると言う保証は無い。
全く別のところがどこからか嗅ぎつけ脅迫してきた可能性もある。

「…重いな」

色んなものが、重い。

命、地位、財産、人脈。
たった一つのミスが、こんなにも大きくなって圧し掛かってくる。

それは、私がこの世界に来て動き始め、初めてもらした弱音だった。

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