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ベルケントに行く。
そう言い出した私を止めたのは、やはりディストとリグレットだった。
私が着々と準備を進めている間にどこからか話を聞きつけたらしく、慌てて部屋に飛び込んできたのだ。
二人そろって暇だな。仕事はどうした。

「何をいきなり言い出すんです!大体公務はどうする気ですか!?」

「マルクトから帰還して一通りの挨拶は済ませてあります。一週間ほどなら捻出は可能です」

「そうは言うけど…貴方は論師なのよ?そう簡単に動きまわれる立場じゃないわ。
迂闊に行動したら何を言われるか、解らない貴方じゃないでしょう?」

「多少の嫌味なら問題ありません」

「そうじゃなくて、」

「リグレット」

バッグに荷物を詰めていた手を止め、何とか私を引きとめようとする言葉を遮りリグレットを見る。
リグレットの顔は不安一色に染まっていたが、生憎今の私には彼女を安心させてやれるほどの余裕がない。

「未来は解りません、だからこそあらゆる可能性を危惧することは良いことです。
ですが危惧をしすぎて動けなくなるのは本末転倒ですよ。
だからこそ多少私の地位が揺るごうとも、私は私の友の命を優先します。
後悔しないために」

私の言葉にリグレットとディストはぴたりと止まった。
畳み掛けるように、私は言葉を続ける。

「命より重いものはありません。同時に、命はとても軽いものです。
それを守り抜くのはとても難しい。それは貴方達の方がよく解っていることでしょう。
今私が動けば救えるかもしれない命を、貴方達は今後のために見捨てろと、立場のために見過ごせと、そう言うのですか?」

「貴方の言いたいことは解りますがね、導師にはちゃんと護衛が着いています。
戦えない貴方が行ってどうするんです?」

「護衛は肉体は守れますが、心は守れません。
イオンは今自棄になっています。それこそ自分から暗殺者を手招きかねないほどに。
貴方達がイオンを立ち直らせることができると言うのであればそうしますが、その自信はありますか?
あるならば私はとどまり、あなた達を派遣します」

「そ、れは……けれど、計画はどうするの?貴方は計画の要なのよ?」

「導師イオンを巻き込むのは計画の内でしょう?
大丈夫ですよ、これで多少計画が揺らごうとも手は打ちます。
何とかできなくとも、私には心強い仲間がたくさん居ますから…そこまで心配はしていませんよ」

そう言って微笑めば、もう何を言っても無駄だと思ったのか、はたまた丸め込まれてくれたのか、二人はため息をついて私を見てきた。
どちらにせよ、私は譲る気は無い。そうなれば二人に諦めてもらうしかないのだ。

「本気なのね?」

「私が気軽にダアトを出るような人間に見えますか?」

「見えませんね…解りました。もう止めません。
確かに貴方の言うとおり、私達には導師イオンを止めることは不可能でしょうから。
貴方が居ない間の指示はありますか?」

ディストがずれた眼鏡のブリッジを上げながら問いかけてきて、私は腕を組んで考える。

「以前頼んだ避難場所に関してはどうなっていますか?」

「ケテルブルクに用意してありますよ。ネイス家が所有している屋敷です。
空き家になっていましたが、人を派遣して使えるようにしました」

「念のため場所を教えてください。後は待機でお願いします。
それと引き続き第三師団も面倒を見てあげてくださいね。
何かあった場合は第一小隊を使ってくれて構いませんが、緊急の場合は自己判断でお願いします」

「解りました」

「私はどうすればいいかしら?」

「留守を頼みます。そろそろヴァンも帰って来るでしょう。
ことの経緯を伝え、私が居ない間詠師会を黙らせてもらえるようお願いしておいてもらえますか。
それとレインを頼みます」

「解ったわ。シンクは連れて行くのね?」

「はい。着いていくと言われましたから」

「なら第五師団は私が預かるわ」

「お願いします。
…二人とも、私の我が侭に付き合せてしまって本当にごめんなさい」

荷物を詰め終わり、動き出そうとした二人に謝罪する。
意見を変える気は無い。変える気は無いが、その分迷惑をかけることも解っている。
そうなれば…やっぱり謝らなければならないだろう。
しかし二人は謝罪した私にくすりと笑みを漏らした。

「貴方に着いていくと決めたのは私よ。ならばどこまでも着いていくわ。
例えそれが破滅の道であろうとも、ね」

「貴方の後悔したくないと言う気持ちは、痛いほど解ります。
救えるものならば救いたいという気持ちもね。
貴方は子供で、私達は大人です。それならばそれを叶えてやるのが大人の義務でしょう。
だから貴方は気にせず、貴方のやりたいことをやればいい」

「あら、言うようになったわね。
そもそも私達は部下なのだから、論師の願いをかなえるのは当然のことよ?」

「解ってますよ!無事帰ってきてくださいよ。
これで貴方が暗殺された、なんてなったら本末転倒ですからね!」

ディストの言葉に私は笑顔で頷く。
なんだかんだ言いつつ、この二人は私のやることを受け入れてくれる。
勿論諦めている部分だってあるだろうが、着いて来てくれる。
それが嬉しかった。

「あれ、ディストとリグレットじゃん。ココで何してんの?」

そんな中、シンクが当然のように入ってくる。
つーかココは集会所かなんかか。
次はアッシュとフローリアン入ってきたりしないだろうな。

「論師がベルケントに行くと耳にしましてね、止めに来たんです」

「私もだ。あぁシンク、お前も行くんだろう?第五師団は私が預かろう」

「あ、ほんと?助かるよ。マルクト行ってた時ほど時間はかからないと思うけど、宜しく。
あとシオリは止めたって聞く玉じゃないと思うけど」

「えぇ、その通りでしたよ。私もリグレットも諦めたところです。
私は仕事があるので戻りますが、後を頼みましたよ」

「私も仕事を放り出してきたからな、そろそろ戻ろう。
シンク、論師を頼んだぞ」

何か最後に凄く失礼な会話をしてから、リグレットとディストは出て行った。
シンクは私が荷物を詰め終わったのを確認してから、私をソファに手招く。
何か用でもあるのかと思ったのだが、シンクは無言で私をソファに座らせるとそのまま座っているように言ってキッチンへと行ってしまった。
な、なんだよ、私なんかした?

「はい。コーヒー」

「え?あ、ありがとう…でも急に何で?」

「ベルケント行くのは良いけど、ちょっと焦ってない?出発まで時間あるからコーヒー飲んで落ち着きな」

少し時間を置いてコーヒーの入ったマグカップを持ってやってきたシンクは、カップの一つを私に渡してからそんな事を言った。
そして自分も私の隣に座り、ずず、とコーヒーを啜り始める。

今回はお忍び&緊急なので守護役もマルクトに外交に出たときのように同行しない。
勿論全く皆無と言うわけではないが、人数は圧倒的に減る。
シンクはその編成に行ってくれて居たのだが、この様子だと終わってるらしい。
ちなみに守護役が足りない分は第三小隊が勤めてくれている。

閑話休題。

「…そんなに焦ってる?」

「いつもと比べるとね」

あっけらかんとシンクに指摘され、私は無言でコーヒーを飲んだ。
そんなに焦っているだろうか。あまり焦っているという自覚は無いのだが、一番側に居るシンクの言うことだからやっぱり焦っているのだろう。
ミルクの入れられたコーヒーはまろやかで、温かいそれを飲み込んでからもう一度シンクを見た。

「…シンクは準備できたの?」

「元々持っていくものも少ないからね。残りの編成は守護役長がやってくれるし、第五師団も副官に言付けしてきたし、リグレットが預かってくれるって言うから心配してない。
一応小型高速船を手配してきたから、後はそれの準備待ちだよ」

「…仕事速いね」

「当たり前だろ。シオリの側に居るならこれくらいはできないとね」

移動手段のことを言われ、私はそれに関して何も考えていなかったことに気付いた。
ベルケント行きを決めたときは普通に船に飛び乗るつもりだったのだが、よくよく考えなくともいくらなんでもそれは不味いだろう。
少数とはいえ守護役も連れて行くのだから、そんな事をしたら目立つに決まっている。
そんなことも解らなかった私は、やっぱりシンクの指摘通り焦っていたようだ。

「ありがと」

「どういたしまして。高速船の準備ができたら即効で行って即効で帰るよ。
長居はできないからね」

「うん、解ってる」

シンクの肩にこてんと頭を乗せ、小さく深呼吸をする。
またミスをしてどうする自分。今回はシンクがカバーしてくれたが、この調子ではこの先危うすぎるぞ。
自分を叱咤していると、何故かシンクに頭を撫でられた。
シンクを見れば口を引き結んだまま私を見下ろしている。

「シンク?」

「…頼れ甘えろって言っても、シオリは聞かないって解ったから」

「そう、かなぁ?」

「そうだよ。だから勝手に甘やかせば良いかなって思って」

「何それ」

シンクの言葉に笑いが零れ、シンクもまた釣られたように微笑んだ。
ふ、と気が緩んだ気がして、同時に少しだけ泣きそうになる。
シンクの肩に自分の顔を当てる事でそれをごまかし、支えてくれるシンクの存在が凄くありがたく感じた。

「…良いんだよ、完璧じゃなくても」

「…でも、論師はそういう存在だ」

「論師はね。でも僕の前ではただのシオリで良いんだよ。
シオリに何かあったら僕達がカバーする。だから、一人で抱え込まないで」

そう言ってシンクが私を抱き寄せてきた。
ぽんぽんと背中を叩かれ、慰められているのだと解る。
ああ、もう。コイツ本当に0歳児なのか。

「…うん。いつも、本当にありがとう。シンクが居てくれてよかった…」

「どういたしまして」

微かに笑い声が聞こえて、もう一度頭を撫でられる。
仲間が居ると言いながら、私は本当の意味でその言葉を理解できていなかったらしい。
だってこうやって甘えるのなんて、初めてだ。シンクはずっと私が甘やかす存在だと思ってたから。

それから高速船の準備ができたと伝令が来るまで、私はずっとシンクの体温を感じていた。


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