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研究者の集う街、ベルケント。
ディストとリグレットに見送られダアトを出てから数日後、私はこの時私は初めてキムラスカの地に足を踏み入れたことになるわけだが、ココの領主であるクリムゾンは滅多に足を運ばないらしい。
一応お忍びの訪問ということで国から歓迎を受けるわけにはいかない立場としてはとてもありがたいことだ。
初訪問がベルケントというのはやはりキムラスカ側としてもあんまり喜ばしくないだろうし、できればバチカルに来て欲しいだろうし。
こういうとき立場があるというのは非常に面倒臭いと思う。

「彼はどうしてますか」

「ご案内いたします」

第四小隊の人間と合流した後、ヴァンが抱え込んでいる研究所まで足を運ぶ。
背後にシンクと数名の守護役を従えて足を踏み入れた研究所は、消毒液の臭いが強く思わず顔を顰めてしまった。
嫌な匂いだ、というかこの匂いはどうも好きになれない。
マルクトで出会った河童ハゲが脳裏に浮かび、私はさっさと河童ハゲを頭の中から叩き出した。
僅かに眉を顰めた私にシンクが少しだけ反応した気がしたが、それを無視して無機質な廊下を進む。

「こちらです」

「案内ありがとうございます」

「私はドアの前で待機を致しております。何か御用向きがあればお申し付けください」

「解りました」

ドアを開け、室内に入る。
コネクティングルームでシンクのみ同行するように言い、他の守護役達はそこで待機してもらった。
そこから更にドアを開ければ、微かにすすり泣く声。
ぐるりとリビングらしい室内を見渡せば、つぎはぎだらけの人形を力いっぱい抱きしめながら声を押し殺して泣いているアリエッタが部屋の隅に座り込んでいた。

「アリエッタ」

「っ、シオリサマ……シオリさまぁっ!」

声をかければ真っ赤に泣き腫らした目で私を見た途端、猛獣宜しく思い切り私にタックルしてくる。
ちょっとだけよろめきながらも何とかアリエッタを受け止め、私の肩に顔を埋めてうわああぁあんと泣くアリエッタの背中をぽんぽんと叩いてやる。
ごめんなさいを連呼するアリエッタによく頑張りましたねと言えば、アリエッタは幼獣の名に相応しい泣き声を上げてくれた。
うん、お姉ちゃんちょっと耳が痛いわ。

「ィ、オンさま、っひく、もう、アリエッタ、ぅ、ぅう…っ」

「そのために来たんです。イオンは寝室ですか?」

「ぁい」

言葉になっていないアリエッタの説明を遮り、頬を流れる涙を拭ってやる。
アリエッタの泣き声を聞いても出てこないとは重症だなと思いつつ、私はシンクにアリエッタを預けた。

「一人で行く気?」

「アリエッタを頼みます」

恐らく仮面の下で不満げに眉を顰めているであろうシンクに背中を向け、寝室へと向かう。
ノックも無しにドアを開ければ、昼間だというのにカーテンは閉められ、灯りは一切付けられず、荒れに荒れた室内が眼前に広がっていた。
小さくため息を漏らしつつ、まずは室内の暗さに目を慣らす。
そしてベッドに腰掛けているイオンの姿を見つけて、私はドアを閉めてからイオンへと歩み寄った。

「久しぶり」

目の前に立ち、声をかける。
のろのろと顔が上げられ、少しこけた頬と荒れた肌を見てろくに食事を取っていないのが解った。
しかし何よりも目が行ったのは、イオンの瞳。
暗く澱んだ瞳。絶望という言葉がこれほど似合う瞳も無いだろう。
そこにはもう野心も悪意も見当たらなかったが、私の姿を見たイオンは僅かに笑った。

「君か」

「誰だと思ったの?」

「暗殺者」

「期待に添えなくてごめんなさいね」

嫌味を添えて、イオンの隣に腰掛ける。
ぐしゃぐしゃになったベッドから僅かにスプリングの軋む音がした。

「何しに来たわけ」

「イオンに会いに」

「何のために」

「友人に会いに来るのに理由が必要?」

「遊びに来た訳でもないだろう」

「まぁそうだね」

「帰れ」

もう、笑みは浮かべてなかった。
あるのは徹底的な拒絶。イオンの瞳は私を映すことなく、ただ全てを拒絶している。
私はそれにため息をつくと、思い切りイオンの頭を引っぱたいた。
頭をはたかれたイオンはのろのろと私を見たが、やはりそこには絶望しかない。

「遠路はるばる来た人間に言う台詞がそれか」

「呼んでない」

「呼んだのはアリエッタよ」

「…ちょうどいい。アリエッタも連れてダアトに帰ってよ。僕はもう、死にたいんだ」

「そうね、今なら私でも殺せそうだわ」

「それはいいね…どうせなら、君に殺されるのもいい」

そこで初めて、イオンの瞳に絶望以外の感情が乗る。
それがたまらなく悲しくて、同時に楽しそうに笑うイオンは細めた瞳で私を見て言った。

「ねぇ、殺してよ」

「……嫌よ」

「君がいい。見知らぬ暗殺者なんかより、君に殺されるほうが、ずっと」

「何で私がわざわざそんな事しなきゃいけないの。私はイオンを生かしたいからココに来たんだけど」

「もう嫌なんだ。毎日毎日毎日、皆が僕が死ぬことを願ってる…ならもう、いっそのこと死にたいんだ」

どこか熱に浮かされたような口調で、イオンは言う。
生かしたいと私が言ったにも関わらず、イオンは皆が死ぬことを願っているという。
私の言葉が届いてないことは明白で、知らず知らずのうちにもう一度ため息が漏れていた。
ギリギリとはいえ、会話が成立していることは僥倖といっていいかもしれない。
さて、どうしてやろうかこの元祖導師。

「それに関して、まずは謝らなくちゃね」

「…謝る?」

「イオンからの手紙を、私は保管していたの。処分した方が良いって解っては居た。
解ってたけど捨てられなくて、そこからイオンの生存がばれちゃったのよ。
だからイオンのところに暗殺者が来てるのは元を辿れば私のせい。
ごめんなさい、こうなったのも私のミスのせいだ」

「…そうだったんだ」

「…ごめんなさい」

完全に病んでしまっているイオンに、この言葉はどう受け取られたんだろう。
イオンは笑みを消してしばらくぼうっとしていたが、やがて私の肩に頭を預けて瞳を閉じた。
肩にかかるイオンの重みと静寂に何を言うべきか迷ったものの、私ではなくイオンの方が先に口を開く。

「じゃあ、責任とってよ」

「まだ殺せって言う気?」

「解ってるじゃないか」

「責任は取る。けど殺すのは嫌」

キッパリと断言してイオンを見れば、うっすらと瞳を上げて私を見上げている。
再度ふっと息を漏らしながら微笑みを浮かべたイオンは私の胴に腕を回して抱きついてきた。
細い腕で抱きつかれ、ぱさぱさしている髪を何となく撫でる。

「…もう、嫌なんだ。苦しくて、苦しくて苦しくて辛くて…生きて居たくない。死んだ方がマシなんだ」

「でも私は、イオンに死んで欲しくない」

「優しいね……でも、ダアトにはレインが居て、君の側にはシンクがいる…僕はもう必要ない」

「アリエッタが悲しむわ」

「アリエッタ…あぁ、そうだね。かわいそうなアリエッタ。
きっとアリエッタは僕なんかのために泣いて…泣いて泣いて泣いて、死のうとするんだろうね。でも、君に頼めば、安心かな」

くすくすと笑い声が聞こえて、肝心なところで言葉が届かないことに歯がゆさを感じた。
いくら私が死んで欲しくないと言っても、イオンには届かない。
これではきっと、懇願しても無駄だ。私はそう判断した。

「言ったでしょ。責任は取る。だから、生きなさい」

生きて欲しい、では届かない。だから、生きなさい、と命令する。
イオンの笑い声が止み、胴に回されていた腕から力が抜けた。
そしてイオンの体が離れたかと思うと、思い切り肩を押され突き飛ばされる。
ベッドの上に倒れそうになったのを手をついて堪えれば、立ち上がったイオンが歪な笑みを浮かべて私を見下ろしていた。

「どうやって?どうやって責任を取るって言うんだ!
いくら警備を強化しようと、病気を治療しようと、僕に死ねという人間は居なくならない!
今もどこかで預言に従うだけの馬鹿が僕を殺す算段をしてる!
戦えもしない君が、どうやって責任を取るって言うんだ!!できもしないことを言うな!!」

体力も落ちているんだろう。
叫んだイオンは肩で息をしながら、瞳に涙を溜めて私を睨んでいた。

助けることもできないくせに、無責任に生きろなどと言うな。
イオンの叫びに私は唇を引き結び、立ち上がる。
同時に解った。やっぱりイオンは生きたいんだ。

本当は生きたい。生きたいけど、死んで欲しいと願われていて、そのために殺されそうになって。
死にたいんじゃない。生きられないならば殺してくれと言っているんだ。
死にたいのと生きたいのに生きられないのは違う。
後者ならばまだ希望はある。

私はイオンに歩み寄ると、思い切りその頬を引っぱたく。
パァンと良い音がした。
頭を引っぱたいたときとは違い、今度は叩かれた頬に手を当てながら目を丸くして私を見ているイオン。

「言ったでしょう。責任は取る。
だからいつまでもだだを捏ねてないで、さっさと治療に専念しなさい。
次アリエッタ泣かせたらそれだけじゃ済まさないわよ」

「だ、だからどうやって…っ」

「忘れたの?私は論師、導師に次ぐ教団の高位者。私自身が動かずとも手足は居る。
イオンの言うとおり、いくら末端を潰そうと頭を潰さなきゃ止まらない。
だったら頭を潰すまで」

私の台詞を聞いて言葉を失うイオンの手首を掴み、無理矢理リビングへと通じる扉へと引きずり出す。
明るいリビングへと出ればアリエッタが瞳に濡れタオルを当てていて、シンクがソファの肘掛に腰掛けていたが、二人とも私とイオンの姿を見た途端立ち上がった。

「シンク、第七小隊及び第三小隊に連絡を」

「動くの?」

「えぇ。反撃するわ」

無理矢理引きずり出されたイオンは私の笑みに言葉を失ったままだ。
ずっと室内に篭って思考を停止させていたのだ。私が何をしでかすのか、想像が着かないのだろう。
だが、今説明する気は無い。どうせすぐに解るのだから。

さぁ、反撃開始だ。

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