50.5
※イオン視点
くすくすと、聞こえるのは密やかな笑い声。
音叉を模した杖を片手に堂々と足を組み、愉しそうに笑っているのはこの部屋の主、論師シオリだ。
「そう、逃亡したの。ご愁傷様、とでも言っておこうかな?」
「そうだね、残念だよ。"あの馬車は事故に合うって預言に詠まれてた"のにね」
「本当に。まあ敬虔な信者である彼のことだから、その預言を忠実に守るための行動だったかもしれないわね。預言のためならば命を投げ出すなんて、私には理解できないけど」
くすくすと。
上品に唇に手を当てて笑みを隠しながらも歌うようにシオリは呟く。
報告しに来たシンクもまた、愉しそうに歪な笑みを浮かべている。
預言。
忌まわしき毒の名を冠しながらも、彼らが言っているのは全く別のものだと僕は解っていた。
そう、言い換えるならば作り上げられた必然とでも言おうか。ただそれを正確に意味する言葉がないために、単純に"預言"と呼んでいるだけに過ぎない。
だからシオリ達は実際に預言を知っているわけじゃない。預言を作り上げたのだ。人為的に、罠のように、追い詰めるために。
陰の存在である第七小隊を動かし、馬車が事故に合うよう細工をした。つまり、逃亡の果てには死しか存在しない。
冒涜だ。
ローレライ教団が二千年もの間保ってきた信仰心への、預言への冒涜だ。
そう思いながらも戦慄が走り、ほの暗い喜びを覚えて口角が上がってしまう。背中を走るのは悪寒か、それとも愉悦か。どちらでも構わない。
預言を持たない筈の論師は、シオリは、今まさしく預言を作りあげたのだ!
「さて、残りの二人はどうしてる?」
「毎日プレゼントを贈ってるせいかな、一人は泣いて喜んでるよ。そのうちお礼を言いに来るんじゃない?」
「それは歓迎しないといけないわね。丁寧にもてなしてあげなさい」
一見当たり障りのない会話であろうと、その裏は実に醜悪、そして悪意的だ。
さてはて、僕のレプリカはまだ生まれて一年も経っていない筈なのに何故こんなに腹黒く育ってしまったのか。
どう考えてもシオリのせいだ。だがそれはそれで構いやしない。僕には何の悪影響もないのだし。
時折敵意というか殺意を飛ばされるが、それを実行するほどシンクは馬鹿ではないことも知っている。
「そろそろ大詰めってところかな?」
「そうね、もう時間も手間も人手も充分にかけた。トラジコメディは終幕しましょうか」
そもそも二人が話しているのは、僕を殺そうとした三人への制裁だ。情報をもらしてしまったシオリは宣言どおりきちんと責任を取ってくれた。
それぞれの邸宅の庭へと返還したものは、報復の合図。そこから次々と送られるプレゼントは三人の精神を削り取っていくには充分すぎただろう。
懇願も逃亡もシオリの前では意味を成さない。
全ての罠はとうに張り巡らされていて、どれだけもがこうとそこから逃れることなど叶わないのだから。
それを目の前でまざまざと見せ付けられ、僕は死ななくても良いんだという喜びと、シオリが僕のためにここまでしてくれたという悦びに浸っていた。
「シオリ」
「なぁに、イオン」
先ほどまでほの暗い話をしていたというのに、僕に見せるのは純粋な微笑み。
時折見せる毒を帯びた笑みも嫌いじゃないが、今となってはこちらの笑い方のほうが見ることが多くなった。
それはきっと僕が今シオリの保護下に居て、且つシオリが僕を守ろうとしてくれているからだろう。
それが少しだけ嬉しくて、ちょっとだけ悲しい。いつかこの保護下から抜け出し、また対等な関係になってやろうという決意を新たにシオリへと歩み寄る。
そしてその手を取り、まるでどこかの騎士のようにシオリの手の甲へとキスを落とした。シンクがムッとしたようだったが、知ったこっちゃない。
「どうしたの、急に」
「お礼だよ。僕のためにここまでしてくれた君に、感謝を込めて」
「あら、まだ制裁は終わってないわよ?」
「充分すぎるくらいに君の誠意は見せてもらったよ。残りの二人も後は自滅して終わるだろう、なんて子供でも解ることさ」
そう言って肩を竦めて見せれば、シオリはまたくすくすと笑った。
「それならこんなお礼より早く復帰して私のためにその力を振るってくれる? いつまでもベルケントに押し込めておく気はサラサラないのよ」
「そうだね、僕も早く復帰しないと。君の偉業を間近で見ていたいしね」
「偉業なんて、そんな大層なもんじゃないわ」
確かに。シオリの場合、偉業というよりは奇行に近い気がする。しかしあえてそれは口に出さず、僕はシオリを見つめる。
年齢よりも幼く見える顔と、まるで宵闇のような黒い髪。黒い瞳は見つめ続けていると吸い込まれてしまいそうだ。その肌は白く、病人の僕と大差ないのではないかと思ってしまう。
「いつまで見つめてんのさ、とっとと離れな」
「おっと、僕のレプリカ殿はご機嫌斜めらしいね」
「イオン、わざわざ挑発しないの」
間に割り込むようにして入ってきたシンクに対し、シオリは微笑とも苦笑ともとれる笑みを浮かべた。
握っていたペンだこのある手も引き剥がされ、仮面越しに敵意を向けられる。仮面で隠れていたって解る、そんなに睨まないで欲しいな。
「まぁいいさ。なるべく早く復帰するよ。堂々と君に会えるようになるためにね」
「無理はしないでね。一応レインと交代しながら徐々に摩り替わってもらえればとは思ってるけど」
「それが自然だろうね。突然変わったら流石に怪しまれるだろうし」
シオリの話す予定に頷きながら、これからのことを考える。今はまだ、公務に出られるほどの体力もない。
何よりレインと脂肪のつき具合が違いすぎる。明らかに僕のほうが細い。
いくらゆったりとした法衣を着ているとはいえ、こけた頬や骨ばった指先までは隠せない。復帰するまでに多少太る必要性があるだろう。
「そうと決まればまずは治療に専念しなきゃね。再発するのはごめんだ」
「早く、とは言ったけどちゃんと完治させなさいよ?」
「解ってるさ。小康状態になったら戻ってくるから」
そう言って微笑めば呆れたようにため息をつかれた。だってしょうがないだろう。完治まで、なんて言ったら何年かかるか解らないじゃないか。
呆れたような視線に肩を竦めつつ、じっとしてるのも暇なんだよと言えばもっと呆れられた。それを見たシンクが鼻を鳴らしながら敵意をふんだんに練りこんだ声音で言う。
「別にレインで間に合ってるんだから、完治するまでじっくりベルケントに居たら?」
「さっきも言っただろ? つまらないんだよ、あそこは。それくらいならダアトでシオリのことを見ていたほうが楽しいからね」
「私は見世物じゃないわよ?」
「不審者として捕縛しようか?」
「あはは、見世物じゃなくとも君は今確実に時の人だろう?」
シンクの言葉を無視して言えば、そうなのよね、と少しだけ不満そうに呟くシオリ。
今のところシオリの描いたシナリオ通りにことは進んでいるというのに何が不満なのだろう?
「みんな論師様論師様って、たまに鬱陶しいのよね」
「頼むから信者の前では言わないでよ、それ」
「解ってるって。本音と建前くらい使い分けてるからだいじょーぶ」
手をひらひらとふりながら言うシオリに、今度はシンクが呆れたようなため息をつく。
それに笑みを零しながら、僕はもう一度シオリの手を取った。そして同じように、その手の甲にキスを落とす。
シンクがまたムッとしていたようだが、やっぱり僕は無視した。
「帰って来るよ。君に救われた命だ。それに君が教えてくれた。預言には抗うことができるんだ、ってね。だから僕は、どこまでも抗ってみせる」
「楽しみにしてる」
僕の言葉にシオリは悪戯っ子のような笑みを浮かべる。今度のは誓いのキスだと説明しなくとも理解してくれたようで何よりだ。
シンクが邪魔してくる前に手を離し、僕は席を外してキッチンへと向かう。さて、一日でも早く復帰するために、まずは食事を取るところから始めようか。
栞を挟む
BACK
ALICE+